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最後のメイドと万年筆  作者: ルト
第1章 
26/37

第25話 ドーナツ

「こ……こんばんわ……」


 私は警察署へと足を踏み入れました。

 昼間に来ているので、警察署には誰か必ずいることは分かります。灯りもついていますし、警察官がいるので外に居るよりもずっと安心できます。


 しかし、そこには予想もしていなかった光景が広がっていました。




「あ……あれ……?」


 私の目の前に広がっているのは、人が居なくて灯りがついているだけの警察署の光景でした。

 人の姿は見えないどころか、気配さえしません。


 しかし、それにしては妙です。

 奥のテーブルには、湯気の立ち上がるコーヒーカップが置かれています。書類も机の上に置かれていますし、まるで人だけがいなくなってしまったようでした。


 いったい、警察官の方はどこへ……?


「あっ……」


 そのとき、私はカウンターに呼び鈴が置いてあることに気がつきました。

 もしかして、これを押して誰かを呼ぶのでしょうか?


 物は試しにと、私はベルを押してみました。


 チーン。

 ホテルやレストランで幾度となく耳にした音が、警察署のオフィスに響きます。


「はーい……」


 すると、カウンターの奥から制服を着た警察官が出てきました。

 先ほどまで寝ていたようで、少しだけ寝ぼけまなこになっています。


「ど、どうなされました? メイドさん」

「あの、道に迷ってしまいました……」


 ちょっと頼りなさそうですが、今はこの人に頼るほかありません。

 私は警察官に、これまでの出来事をすべてお話しすることにしました。




 私が一通り話し終えるころには、警察官もだいぶ目が覚めたみたいでした。


「そうでしたか、それは大変でしたね」

「あの、どうやってご主人様の元に帰ったら……!」

「まぁまぁ、とりあえず落ち着いてください」


 不安になってきた私を、警察官はなだめてくれました。


「とりあえず、こちらで待っていてください」


 そう云うと、警察官は私を応接スペースへと案内してくれました。

 昼間にプロキオンさんの件で事情聴取を受けた、あの応接スペースです。

 見覚えのある場所だったためか、少しだけ安心できました。


 すると、先ほどの警察官が淹れたてのコーヒーと、いくつかのドーナツを持ってきました。

 警察官はドーナツとコーヒーを、私の目の前に置きました。


「あの、これは……?」

「食べたら落ち着きます。どうぞ召し上がってください」


 警察官からの勧められましたが、食べていいのか気になります。

 ドーナツは大好きなのですが、これはきっと警察官の夜食です。本当に食べてしまっていいものなのか、悩みます。

 しかし、私はお腹が空いていました。


 空腹とドーナツの甘い香りには耐えられるわけもなく、私はドーナツを口に運びました。


「……!」


 ドーナツの甘味が口の中に広がっていき、私の味覚を刺激します。

 ドーナツを2口3口と食べ、コーヒーを一口飲みました。


「……ふぅ」


 ドーナツの甘味、コーヒーの匂いと温かさが、私の不安をやわらげてくれました。

 私はその一瞬だけ、私が道に迷ってしまったことを忘れてしまいました。


 すると、警察官が私の正面に座りました。

 一体、何が始まるのでしょうか?


「あ、食べながらで大丈夫ですよ。お名前と住所と、あったら電話番号も教えてください」

「はい。私の名前は……」


 すっかり落ち着いていた私は、警察官からの質問に答えていきました。

 私の名前と住所、電話番号を伝えますと、警察官は席を外して電話をかけに行きました。


 その間に、私はドーナツとコーヒーをご馳走になってしまいました。




「マリア!」


 聞き覚えのある声に、私は耳をピンと立てて、立ち上がりました。

 声がしたほうを見ますと、そこにはご主人様がいました。


「ご主人様!」


 私はご主人様に駆け寄ります。

 そしてそのまま、私はご主人様に抱き着いてしまいました。


「マリア、だから明日でいいって、云ったじゃないか」

「申し訳ございませんでした。ご主人様」


 抱き着いたままご主人様に謝罪します。

 ご主人様の匂いを嗅いでいると、とても安心できました。


 私はご主人様と共に、警察官にお礼の言葉を述べてから、警察署を後にしました。




 家に戻った私は、ご主人様から長時間のおしかりを受けることを覚悟していました。

 もしかしたら、解雇を言い渡されるかもしれません。


 しかし、そうなってしまったら、それを受け入れます。

 わたしはご主人様に心配をかけてしまったのですから。


 そして予想していた通り、私はご主人様からおしかりを受けました。

 でも、それはすぐに終わってしまいました。


「次回からは、こういうことをしないように」


 そう注意を受けただけでした。




 オレはマリアに注意をすると、大きく伸びをした。


 明日もある。そろそろ眠ることにしよう。


「さて、もう遅い。マリアも早めに寝るように」

「はい、ご主人様!」


 マリアはそう云うと、買い物かごから卵を取り出した。

 しかし、卵の次に買い物かごから出てきた物に、オレは目を見張った。


 紙袋だった。

 マリアはその紙袋から、3個のドーナツを取り出して、皿に移していく。


「マリア、そのドーナツは?」

「あのお巡りさんからもらいました」


 マリアはそう答えると、オレの目の前にドーナツが乗った皿を置いた。


「あんまり美味しかったので、ご主人様にもとっておいたんです。コーヒーと、すごくよく合うんです。コーヒー、淹れましょうか?」

「いや、もう遅いから水でいいよ」


 思わぬ夜食タイムとなったが、ちょうど良かった。

 警察署から電話がかかってくるまで、オレは原稿書きの仕事をしていた。それで頭が疲れたのか、身体が糖分を欲していた。


 マリアがコップに注いでくれた水を貰い、オレはドーナツを口に運んだ。


「ん……!」


 マリアの言葉に嘘はなく、美味しいドーナツだった。

 警察官はこんな美味しいドーナツを食べていたなんて。

 思わぬ発見に、オレは口元を緩ませる。


 そして気がつくと、オレは3個あったドーナツを全て食べてしまった。

 その頃にはもう、マリアがオレの言葉を無視して行動したことなど、どうでもよくなっていた。


「美味しいドーナツだった。ありがとうマリア。オレは先に寝るから、マリアもあんまり遅くまで起きずに早めに寝るように」

「はい! ご主人様!」


 マリアの嬉しそうな返事を受けて、オレは自分の部屋へと向かっていった。




 その日の夜は、ドーナツで血糖値が上がったのか、いつもよりよく眠れたような気がする。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

ご意見、評価、誤字脱字指摘等、お待ちしております!

次回更新は、8月28日の21時を予定しております。

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