第58話「黒き力、そして開戦の狼煙」
スパイア鉱山の地下最深部。崩れかけた岩壁の前に立つカードは、黒いローブをまとった男と対峙していた。すでに作業員たちはゴリラ人間たちとの交戦に入っていたが、カードはあくまで、この不気味な黒ローブの男に狙いを定めていた。
「ふむ……その目、尋常ならざる意思を宿している。貴様、ただの悪党ではあるまいな? 」
カードの問いに、男は答えなかった。ただ静かに、仮面の奥から冷たい視線を送るだけだった。
「言葉を発せぬというのなら、拳で語るとしよう。元・大統領は、対話と拳闘を両立する男だ! 」
カードが先に動いた。踏み込みと同時に繰り出される拳は、鉱山の床を割るほどの威力。黒ローブの男も素早く後退し、魔力を帯びた刃で迎撃した。
火花が散る。拳と刃が何度も交錯し、地下の空間が地鳴りと共に揺れる。
「なかなかやるではないか! だがこの程度では……」
言い終える前に、男が鋭く距離を取り、ふいに右手で自らのフードを取った。そして、両手でローブの前を払うように広げると、それを勢いよく脱ぎ捨てた。
ボサボサの黒い体毛。逞しい筋肉。獣のように隆起した肩と胸、そして、何より顔立ちが……
「……ゴリラ? いや……違う、これは……人間……か? 」
そう。確かに体はゴリラに似ていた。しかしその顔には、明らかに人間の理性と知性が宿っていた。鋭く吊り上がった目元、憎悪と誇りの入り混じった表情。獣ではなく、“意思ある敵”の顔だった。
「驚いたか、人間」
ついに口を開いたその男は、くぐもった低い声で言った。
「我はゴルン。元は人間、だが今は違う。“あのお方”の手によって進化を果たした者……真なる力を得た、最初の者だ」
「あのお方……? 」
カードの眉が僅かに動く。
「貴様の背後には、まだ何者かがいるのか。ふむ、面白い。だがな、力を借りてばかりの者に、真の勝利はないぞ! 」
「では、見せてやろう。我が“力”を」
そう言った瞬間、ゴルンの体から黒いオーラが立ち上った。地面が震える。圧力のような魔力があたりを包み込む。そして、骨が軋むような音とともに、彼の体が変化を始めた。
筋肉がさらに膨張し、背が伸びる。体毛は漆黒に染まり、両腕は一回りも二回りも巨大になった。口元が裂け、牙が露わになる。
「これが、あのお方より授かりし進化の果て……真なる姿だ! 」
「黒い……ゴリラ……いや、それ以上の何か……! 」
全身から闇の魔力を放つその姿は、もはや魔獣の域だった。だが、何より恐ろしいのは、その動きの速さだった。
ゴルンが吼えると同時に、両手で胸を叩きはじめた。強烈なドラミング。だがそれは、単なる威嚇ではなかった。
「……衝撃波、かッ!」
ゴン! ゴン! ゴンッ!
その振動は空気を震わせ、不可視の衝撃波となって前方へと放たれた。爆風にも似たその力は、カードの周囲の岩を粉砕し、真っ直ぐに彼を襲う。
「ぬぉッ……!」
防御の姿勢を取る暇もなかった。衝撃波は真正面からカードを叩きつけ、彼の体を十数メートル後方へと吹き飛ばす。
岩壁に激突し、粉塵が舞う。
「……ぐぅ……まさか、ドラミングごときで吹き飛ばされるとはな……これは予想外だ……!」
痛みに顔を歪めながらも、カードは立ち上がった。鼻筋に血が一筋流れたが、その目にはまだ光が宿っていた。むしろ、戦いの熱が増していた。
「やはりこの私も、少々本気を出さねばなるまいな。世界を率いたこの肉体、見せてやろう! 」
カードはゆっくりと自らのジャケットを脱ぎ捨てた。金の刺繍が施された豪奢な布地が地に落ちる。そして、次にシャツのボタンを一つずつ外し、白のシャツも投げ捨てる。
露わになったのは、鍛え上げられた整った肉体、どこか風格のある裸の上半身。
「ふふふ……いいだろう、見せてやろう、私の底力というやつを! 」
対するゴルンは、獣のように歯を剥き出しにして笑った。
「ならば次は、殺すぞ。人間よ! 」
緊迫の空気が張り詰める。獣と元・大統領。人間を超えた存在となった者同士の、真の闘いがいよいよ幕を開ける。




