第36話『風呂と夢の国』
昼下がりの高級ホテルのレストラン。
重厚なナイフとフォークの音が、テーブルの上の極上ステーキに心地よく響く。
ナプキンを胸元に差し込み、至福の顔でコーラの入ったワイングラスを傾ける男がひとり。
……そう、カードである。
「うん。悪くない……悪くないな……」
肉汁のしたたる一口を口に含みながら、カードは上機嫌に微笑んだ。
カジノの運営権を手に入れ、地下闘技場を閉鎖し、スラムの住民たちに富をもたらした。
あとは、自分の「快適な暮らし」を築くだけ……セルフファーストの完成形である。
「そろそろ、家を建てる場所を探す頃合いだな……」
カードが望むのは、以下の通りだ。
•一年中温暖な気候
•美しいビーチが近くにある
•人が少なく、静かで落ち着ける環境
その条件を満たす場所を探すため、カードはカジノの従業員たちに声をかけた。
「理想の立地を探しているんだが……どこかいい場所はあるか? 」
「それなら、風呂リダ町がいいかもしれません」
と、若い案内係が即答した。
「そこは温泉で有名で、気候も穏やかです。近くに海もありますし、土地の値段も安いとか」
「……完璧じゃないか」
カードはその瞬間、即決した。
すぐに出発の準備を整えると、信頼のおける従業員にカジノの運営を一任し、旅立つことにした。
旅立ちと別れ
町を出る朝、スラムの路地に人だかりができていた。
「カードさん!お元気で……! 」
「あなたのことは忘れません! 」
「うちの子も、あんたのおかげで学校に通えるようになったんだ! 」
スラムの住民たちが、花束や食べ物、手紙を手に見送ってくれた。
子どもたちが「また来てね! 」と叫ぶたび、カードは満足げに笑った。
「……当たり前のことをしたまでだ。セルフファーストを忘れるな」
そう言い残し、カードは風呂リダ町へ向かった。
風呂リダ町
数日後。風呂リダ町に到着したカードは、すぐに違和感を覚えた。
……老人ばかりなのだ。
町中を歩いても、見かけるのは白髪の者、腰の曲がった者、杖を突いた者ばかり。
スーパーの店員も老人、郵便局も老人、美容室の店員も老人。
「……老人の国か? 」
思わず口をついて出る。
だが、カードは気にしなかった。
「関係ないな。私は“自分の理想の家”を建てに来ただけだ」
それだけでいい。余計なドラマやトラブルなど、今の自分には無縁だ。
日中は土地の案内所を回り、不動産屋と交渉を重ねる。
なかなか良い場所が見つからなかったが、候補地はいくつかあった。
旅館と老人の話
夜。カードは老舗の温泉旅館に泊まった。
静かな山間にある宿で、評判の露天風呂に身を沈める。
「ふぅ……これが……セルフファーストだ」
硫黄の香りが心地よく鼻をくすぐり、温泉の湯が身体に沁みわたる。
すると、湯気の向こうから一人の老人が入ってきた。
「おぬし……旅の者かね」
「そうだ。別荘を建てる場所を探していてな」
「ほう……なら、この町は気に入るかどうか……」
老人は湯に浸かりながら、ぽつりと語りだした。
「この町には……若者がおらんのだ。なぜか分かるか? 」
「知らん。温泉が嫌いなんじゃないか? 」
「いや……皆、夢の国”ダックランドに行ってしまったのだよ。そして……帰ってこない」
「……ふうん」
カードは肩をすくめた。
それ以上、深くは踏み込まない。
「それは大変だな」
そう言って、湯に身を沈める。
他人の問題に深入りしない。
それが、彼の生き方だった。
翌朝、カードは早速候補地を歩いて見て回っていた。
広大な敷地に海を望む高台、温泉源に近い斜面、木々に囲まれた静寂の谷。
いずれも悪くはなかった。
その途中……
「お、お若い方……ちょっと、いいかね? 」
背中を丸めた老婆が声をかけてきた。
「何だ。道でも迷ったか? 」
「いや……この町の若者たちが、“ダックランド”という夢の国へ行ったきり戻ってこないのじゃ……もし、何か知っていたらと思ってな……」
「……はぁ」
カードは溜息をつく。
「警察に相談したらどうだ? それが一番確実だ」
「そうかえ……わしらも、何度もそう言ってるんだが……」
老婆は悲しげに首を振った。
カードはすでに意識を別の方向へ向けていた。
目の前の美しい斜面、その奥に広がる温泉の蒸気、海の風。
「うん、やっぱりここが良いな……」
……夢の国?
……ダックランド?
……帰ってこない若者たち?
カードにとって、それらはすべて他人の問題だった。
自分の家を建てること、それこそが今最優先すべきことだと信じていた。
だがこの町には、確かに何かが隠れている。
その影は、彼の理想の楽園に、静かに忍び寄っていた……。




