紙一枚
改めて、良くここまで来られたな。なんて思う。正直無茶を言ったとは思うけど。でももうチャンスを失うのは嫌だった。
今の私なら切り捨てて来た恋愛もその後の事も受け入れられる。今までの過去の全てが私の中で受け止められる。……彼と一緒なら大丈夫、と思った。
まだまだ甘い年下男。そう思って苦笑いしながら、一人前の男に育てるのが上司である私の務め。そう思っていたのに、いつの間にか私の背中を支える男に成長していた。
上司として彼の成長に目を瞠って、嬉しかった。期待していたから特に厳しくしたとは思う。その私のどこに好意を持たれる要素が有ったのか知らない。
でも、私の後を追いかけてくる部下で有りながら、一人前の男として私をリードするようになって、恋愛にオクテだった私を引っ張って来た。彼のいない3年間、私が寂しい思いをしていたなんて知らないんだろうなぁ。
彼……木谷 仁が帰国するまでに私は、ある程度の準備をしておいた。だってプロポーズをして行ったわけだから、それを了承したのなら別に私が準備を進めても良いはずじゃない?
と、いうことで。先ずは仁の実家に電話をかけた。きちんと連絡先は確保しておいてある。私は自分が仁の上司である事。ニューヨーク行きの説明をきちんとしたい、という名目でご両親に会いに出掛けた。
もちろん、ニューヨークにいる仁は全く知らない。ご両親に会って、今回のニューヨーク行きは私の後押しである事を説明した後、ここからが本番、とばかりに背筋を伸ばして話し始めた。
「私は、木谷君……仁さんとお付き合いをさせて頂いてます。彼はニューヨークに行く直前にプロポーズもしてくれました。私の方がかなり年上ですが、結婚を許して欲しいのです」
ご両親、特にお母様の目を見て言いきった。
正直、反対されても仕方がないと思っていた。何度も何度もオーケーを出されるまで通うつもりだった。だから、一度で「あの子を宜しくお願い致します」と言われた時は、えっ? と戸惑った。
「お願い致します。あなたみたいにしっかりした方ならきっと大丈夫そうだから」
お母様にそう言われて、嬉しくて泣いてしまった。それから自分の親には電話で報告を済ませ、会社にも報告を済ませた。当然のように知っている部下達からは、式場の紹介までされて、仕事を兼ねて下見に訪れた。
式場のスタッフのおもてなしベスト3とか、教会式の式場ベスト3とか、特集を組んで売り上げを堅実に延ばしながら、決めた式場は人前式が出来る所だった。
白無垢に綿帽子や角隠しが似合わないと思うから神前式は嫌だったし、教会式は何度か教会に通う必要が有ったから、無理だと判断しただけ。ドレスを着て、神様じゃなくて、皆に立ち会ってもらいたかった。
会場となる場所とか、先ずは仁のご両親に全てを話した。お母様が、面白がって、人前式を認めてくれて。親戚の説得もやってくれる、と張り切ってくれた。私の両親は、とにかく行かず後家になりそうな私をもらってくれる人がいる、ってだけで良いから、何にも言わなかった。
オマケに、お中元やお歳暮を仁の実家に贈る程だった。……うん、親孝行出来た。と思っておこう。
仁のお母様と話し合って、レストランを借りる事にした。うちの親戚は結構年配だし、30分くらいで終わる人前式は、喜ばれるだろう。
司会とかどうしようか悩んだが、仕事を通してプライベートでも仲良くなったプロの写真家友達が、タダで進行役を引き受けてくれた。
式の写真は支払うけど、格安だ。指輪は、仕事先で気になった宝石店で候補をいくつか選んでおいた。仁が帰国してから購入しても問題はない。
ドレスも顔馴染みのブランドから格安で借りる事が決まった。衣装選びを兼ねた両家の顔合わせ。仁のお母様と私の母がノリノリで、私は着せ替え人形と化した……。
あとは、レストランのご好意でウェディングケーキを作ってもらえて。流れとしては、招待客がレストランに入ったら、私達が入って、宣誓して指輪交換して、ケーキ入刀で、婚姻届を書いて、終了。
私達が着替えた後、披露宴を兼ねた立食パーティーという流れになる。
招待状も編集長という特権を生かして、印刷所に頼んだ。結構、押さえた金額になると思う。ここまで整えてから、今更ながらに気付いた。
……私、きちんとプロポーズにイエスって答えたっけ?
空港での見送り場面を思い返す。……何度思い返しても、仁から「帰ったら奥さんにします」と言われた後、私は返事をした覚えがない。
ザァッと血の気が引く音が聞こえた。
仕事の休憩時間で、社内にいることで、かろうじて叫び声をあげなかっただけマシだった。
……ここまでしておいて、仁の気持ちがあやふやだったらどうしよう。もう招待状も配ってあるのに。
居ても立ってもいられない。だけど、仕事を放り出すなんて考えられない。落ち着け、自分。悪い方に考えていても仕方がない。とにかく!
仁が帰国したら、確認を取ろう。そうしよう。でも、もし、万が一、結婚が白紙になったら? ……先延ばしされたら?
「よし、そう言ったら、もう招待状も配ってあるし、白紙に戻せないし、先延ばし出来ない。これは上司命令だって言ってやろう」
呟いて決めた。公私混同も甚だしい。でも、あの空港でのプロポーズからずっと、私は仁に捕らえられている。
日比野さんみたいに意地になっている事もなく、本当に仁の事ばかり。
好きってこういうことなんだ。
そう理解させてくれた仁を手放したくなかった。焦っているとか、年上とか気にならないわけじゃないけれど、そうじゃなくて、仁と一緒にいたい。と思えた。
いつからそんな風に思うようになったのか覚えていない。ただ、3年の月日は、私の中で仁の存在を大きくしていた。
今なら解る。
きっと若い頃の私が日比野さんのプロポーズを聞いていたら、受け入れていた。でも、仕事に打ち込んで世間に揉まれて、強くなって。
そんな私が日比野さんと一緒に歩いて行けるわけがない、と。
日比野さんが悪いわけじゃない。でも、日比野さんと私じゃあお互いを高められない。
私は、仁が仕事で成長するのを助けてあげられる。仁は、恋愛にオクテな私の背中を押してくれる。そんなお互いが補え合える関係が築ける。高め合える。
それを日比野さんでは望めない。
日比野さんは大人だった。出会った時から、なんら変わる事のない。私はいつも日比野さんを追いかけていた。
日比野さんの背中を見つめ続けて、私は成長した。それは10代・20代の私には、はっきりとした道しるべだった。道を照らす灯りだった。その照らされた道を歩けば良い若い頃。
けれど、いつしか灯りは無くなって私だけが一人、手探りで道を歩く事になった。がむしゃらに。気づけば私が灯りになっていた。私の後を歩いて来る皆がいた。
私自身が光になって、皆を導く立場になった。
そうなった私が、今、また灯りに照らされた道をただ歩くだけで、気が済むわけがない。きっと自力で灯りを持って道を進みたくなる。でも、最初から……出会った時から大人だった日比野さんがパートナーでは、自力で灯りを持つ事も出来ない。
そんなの、今の私は。
耐えられない。
仁が帰国する日、いても立ってもいられなくて、迎えに行った。姿を見てホッとして泣きそうになった。口から言葉が滑り落ちていた。
「仁」
って。それから、私は照れくさくて上司として、振る舞ってしまった。恋人としての振る舞いなんて知らないから。会話も仕事についてだけで、仲を発展させるような話なんて、何をすれば良いのか解らなかった。
でも、このままじゃダメだから2人で食事に行って確認した。確認して気付いた。結婚をしたい。って思ったのは、私だけじゃなかった、と。
良かった。準備が無駄にならなくて。……きっと仁は驚くと思う。勝手に準備を済ませておいた事。でもそれでいいじゃない。私達らしくて。
クリスマスに結婚すれば、私の誕生日で忘れないでしょ。って言ったら、唖然とした顔をしていた。……だって、仁は私の誕生日を知らなかったみたいだから。
「では、新郎新婦入場です」
私は仁と腕を組んでレストランのフロアに入った。今日はクリスマス。12月25日。両親や親戚・部下や友人・知人達に見守られて、ゆっくり歩く。
シンプルな会場だけど、拍手は暖かい。皆が笑顔。私達は拍手が収まった頃合いで、自分達らしい宣誓を皆に聞いてもらった。仁と2人で決めた指輪交換。細身のプラチナリングに、今日の日付とお互いの名前が彫られている。
皆の前で婚姻届を書く時だけが緊張した。木谷 仁の名前と、水野 香里の名前が並んで。私は今日から木谷 香里になる。
たったこの紙一枚。
あとは、役所に提出して受理されるだけ。たったそれだけなのに、私達はこれから家族になれるのだ。そう思ったらなんだか不思議な気持ちだった。
でも、隣で顔を真っ赤にしながら照れくさそうに鼻の頭をかく仁を見て、収まるところに私は収まったんだ、と思えた。
仁が帰国したあの日の夜。私達は一晩中一緒だった。スイートトークに、結婚準備は指輪以外、完璧に整っている事を話したら、仁が目を白黒させたっけ。
「俺、一生香里さんに勝てる気がしません……。もっと香里さんに頼られる男に成長します」
ちょっぴり情けない顔を見て、あまり急いで成長しないで欲しい、なんて思う。こういうとこ、年下の男って可愛いわよね。
口には出さないでおいた。
お題は「光」でした。
31日間毎日1話更新していて〆の話は結局この2人でした。楽しかった。
当時の読者様方からは見届けた!とまで言ってもらい愛されたキャラ達でした。




