帰国
空港に降り立つと、日本も粉雪が舞っていて。やっぱり寒いんだなぁ……と思った。でも、ニューヨークよりかは寒くない。
それは多分、環境だけじゃなくて、逢いたい人がいるから。
水野編集長。……いや水野香里サン。俺のカノジョ。3年前、ニューヨークに出向と言われた俺。上司で厳しくも暖かい水野編集長に憧れていた。
でもそれは、あくまでも上司として。そう思っていたけれど……香里サンの“女”の表情を見て、異性として意識して。
あっという間に俺の心を香里サンでいっぱいにしてしまった。
年下だし。立場も下だし。収入も当然下だし。仕事なんてミスが多いし。もちろん、挽回はしたけどさ。ホント、俺、香里サンに見向きもされない男だったけど。
それでも男として見て欲しい。って思って告白した。
香里サンには、日比野さんという俺なんか足元にも及ばない凄腕の編集長の存在があって。その人をずっと好きだった。
だから、日比野さんが香里サンに告白したらしい事に気付いた俺は、焦って告白したんだけど。正直俺は振り向いてもらえるなんて思いも寄らなかった。
だけど、ニューヨークに発つ時、香里サンは俺を選んでくれた。……はずなんだけど。連絡は事務的だし、しかも月1回連絡を取れれば良い方だし。仕事人間だもんなぁ、香里サン。
もしかして……あの時の事は俺の妄想? いや、同僚達からいつの間に、編集長と! なんてメールが来たし、間違いじゃない。でもいくら忙しいとはいえ、あんなに素っ気ないと不安だし。日本に帰って来ない3年だったし。
実は嘘でした~。なんてオチだったらどうしよう。……このままニューヨークへ帰ろうかな。本気でニューヨーク行きのチケットを取ろうか、と思った時、だった。
「仁」
名前を呼ばれて、足を止める。視線を声のした方へ向けて、俺は不覚にも泣きそうになった。……なんとか堪えたけど。
ズルイなぁ。香里サン。こういう時だけ、名前を呼んでさ。俺を選んでくれてからだって、俺の事は「木谷」だったくせに。
ニューヨーク行きのチケットを買う必要は全く無くなって、俺は待ってくれているその人の元へ歩き出した。3年経ってますます輝いている香里サン。間近で見ると少しだけ疲労が解った。
「お帰り」
「ただいま帰りました」
久しぶりに見るその笑顔を、こんなに間近で見ていいんだっけ。……そっか、俺はカレシなんだからいいんだよな。自問自答で納得した俺の内心を知らずに香里サンは、俺を頭から爪先まで見回す。
やがて、なんだか嬉しそうに口元を弛めた。
「……なんですか? 嬉しそうな顔して」
「きちんと勉強をしてきたな、と思って。……行くぞ」
俺の質問に答えた香里サンは、クルリと180℃身体を回転させた。
あれ? 今なんだかおかしくなかったっけ?
香里サンが言ったこと、なんだか違和感が有った。それがなんなのか考える前に香里サンはもう歩き出していて。俺は急いで後を追いかけた。
「木谷。疲れているか? 大丈夫なら、編集部へ顔を出せ。皆が待ってる」
もう、名字の方を呼ばれて少しカナシイ。いいけどね。それが香里サンらしくて。俺は香里サンに頷いてタクシーで編集部へ向かった。
そうだ。水野編集長って呼ばなきゃ。香里サンなんて、公私混同もいいところだ。
「水野編集長、皆変わりないですか?」
「ああ。新人が入っている以外は、な」
意識的に水野編集長と呼んだつもりだったけれど、口から出るとスムーズで。一気に3年の月日が縮まった気がした。
……名前で呼んで、時間も距離も縮めたかったのに。
「それと、私はもうお前の上司じゃないぞ?」
「えっ?」
香里サンのその言葉に、やっぱり恋人同士だから? と、期待を込めた「えっ?」だったけれど、俺の予想を超えた返事が来た。
「話してなかったか? お前は、女性誌から男性誌へと部署替えだ。ちなみにチーフに昇格」
「……ええっ!? 俺が、ですか?」
全然知らなかった! えっ? はっ? なんで? まさかニューヨーク行きって、男性誌へ異動かつ昇格の為? 俺に本場で勉強して来いっていうのは、そういうこと?
全く予想していなかった話で戸惑う俺に、香里サンがボソッと呟いた。
「私は……話し忘れていたのか?」
ええ、間違いなくそうだと思いますよ、水野編集長。ちょっと皮肉を込めて内心で呟いておく。口には出さない。……だって怖いから。香里サン、怒ると怖い人だから。
でも、昇格は嬉しい。そのものも嬉しいけど、香里サンに地位が少し近付けたから。おまけに上司と部下の関係も無くなるし。給料も上がる。香里サン、30代後半に差し掛かったし。年齢的にもそろそろ。
あ、そういえば。
俺は、3年前の出発直前を思い出した。香里サンを奥さんにする。って宣言したっけ。その話を……ダメだ。タクシーの車内でそんな大事な話、出来ない。
第一アレ、きちんとしたプロポーズって言えるのか?
いや、あんなのプロポーズとは言えない。ダメだ。きちんとしたプロポーズが有って、了承を得ないと。それにあの時、香里サンはオッケーまではしてなかった。
はっきり言って俺を選んでもらって、勢いで言っただけだし。
出版社に着くまで、俺は悶々と悩み、結局香里サンとの会話はその後無かった。
久しぶりに同僚に会い、上司になる編集長に挨拶をして、そのまま帰宅する事になった。……このまま帰宅したら香里サンと今後の事を話し合えない。どうしよう。
「編集長! 今日は早くに帰って下さいね!」
俺がチラリと香里サンの顔を見たら、同僚が気を利かせてくれたのかそんなことを言い出した。……ナイスだ。
「何を言ってる? 誤字脱字チェックに文章構成。私がやらなくてはならないだろうが」
……全く気付いていないよ、香里サン。皆、俺との関係を知っているから、気を利かせてくれたのに。当の香里サンがそれじゃあ。まぁ、香里サンって恋愛を切り捨てて来た仕事命の人だしなぁ……。
俺がため息をつくと、香里サンが「ん?」とコチラを見た。
「なんだ、やはり疲れたのか? すまないが、木谷を送ってくる」
勘違いだけど、素晴らしいチャンスに感謝したくなった。
俺が暮らしていたアパートは引き払ってあって、一度実家に帰る事になる。しばらくは実家暮らしだが、アパートだってほとんど帰っていなかったから、困らない。まぁ早いうちにアパートを見付ける必要があるけれど。
俺は香里サンとこれからの事を話したくて誘った。
「水野さん、あの、どこか話が出来るところに行きませんか?」
実はずっと内心では香里サン、と呼んでいるけれど、実際は呼んだ事は一度も無い。編集長としか呼んでなかったから、いきなり名前は呼びにくくて、内心で練習はしていた。……でもいざとなったら呼べない。なんのために練習をしていたんだろう。
「仁と以前、食事をした店に行ってみる?」
おおっ! 恋愛を切り捨てて生きて来た人なのに、香里サンって男心を知ってる! ここでサラリと名前を呼んでくるなんて、そのギャップにヤられましたー! ……アホな事を考えていながらも俺は頷いた。
あ、そうか。
今の香里サンのセリフで解った。違和感。香里サン、俺に対して柔らかい話し方をしてくれていたんだ。仕事モードは男っぽい言葉使いだけど、帰って来た時の話し方とか、今の話し方なんか優しかった。
この違いって、もしかしてもしかすると……俺の事をきちんと特別扱い、してくれている? そうだとすると、もう心の距離は香里サンの中では縮まっているのかもしれない。そう思ったら嬉しくなった。
「……あの、香里、さん。って呼んでもいい、ですか?」
きちんと向き合って座った俺は、食事をしながら香里サンに話しかけた。先ずはどこまで距離を縮めていいのか、探らなくては。
「仕事以外なら。私も仁と呼ぶし。私からも訊きたいんだけど」
「なんですか?」
あっさりと許可をもらって俺は笑顔で尋ねた。
「敬語じゃなくて、良いんだけど。……いつ、入籍する?」
香里サンの爆弾投下に俺は1分程硬直した。
「えっ? ええ?」
「3年前、私に言った言葉は確か、帰って来たら奥さんにします。と言わなかった?」
まさか、いきなりその話題? と慌てる俺に、香里サンは静かに爆弾投下を続ける。その真っ直ぐな目にひた、と見つめられて、俺は腹を括った。
「言った。言いました! 香里さん、確認しますけど、俺で良いんですよね? 俺と結婚してくれるってことで良いんですよね? その話をしたかったんです」
「うん。私は、木谷 仁が良い。結婚もする。だから話をしているんだけど」
心臓がバクバクいっているのに、俺は平静を装って確認する。それに対するこの返事に感動してしまった。絶対無理だと思ってた。その人が、俺が良いって言ってくれた。
「じ、じゃあ、もう一度きちんとプロポーズします。結婚式もしましょう」
「じゃあ式はクリスマスが良いな」
プロポーズはやっぱりケジメをつけたいから予約みたいに言うと、そう言われた。結構乙女思考の香里サンに頷いた。
「ちょうど私の誕生日だから、忘れなくて済むでしょ」
……今、なんかものすごい大切な事を聞いた気がした。
お題は「粉雪」でした。
この2人の話を書くのが結構好きになってたんで思い浮かぶと筆が進んだ記憶があります。




