テオからのプレゼント、泥のない貝殻
騒ぎが落ち着いて、数日が経った。
港は並の賑わいを取り戻していた。漁師が沖に出て、朝市に魚が並び、洗濯屋には預かり物のシーツが積まれている。リアロマは桶の前に屈み込んで、いつもの手つきで布地をほぐしていた。潮風の向きがいい。今日干せば、夕方には並の乾き加減になる。
干し場に白いシーツが並んだのは、昼前のことだった。
風がある。繊維の奥まで空気が通り、乾きむらが出ない。リアロマは満足げにそれを眺めながら、次の洗い物へ向かおうとした。
「リアロマさーーーん!!」
路地の向こうから、全速力の足音が来た。
テオだった。両手に何かを抱えている。走る勢いが、いつもより少し多い。
「五メートル——」
言い終わる前だった。
テオが盛大に石畳で転んだ。抱えていたものが宙に舞い、どさりと音がした。泥だらけの両手が、干し場のシーツの裾を掴んだ。
シーツに、黒い泥の手形がついた。
沈黙があった。
テオがゆっくりと顔を上げた。リアロマのシーツを見た。自分の手を見た。またシーツを見た。
「……あ」
「…………」
リアロマは干し場のシーツを静かに外した。泥の手形を確かめる。繊維の奥まで入り込んでいる。洗い直しだ。
「ご、ごめん……!」
「大丈夫ですよ」
声は穏やかだった。ただ、テオの目には、リアロマの表情がいつもより少しだけ硬く見えた。
「また洗います」
それだけだった。
テオは転んだことも忘れた顔で、そのまま走り去った。走りながら、何度も振り返った。
翌日の夕方、テオが店の前に立っていた。
走っていない。上半身が濡れていて、脱いだシャツを両手で抱えている。裸足で石畳に立って、五メートルの手前で、自分から止まった。
「……昨日、シーツ汚してごめん。洗い直させちゃって。……ごめんなさい」
ちゃんと頭を下げた。
リアロマは少し目を細めた。
「ありがとうございます」
テオが顔を上げ、抱えていたシャツを、そのままぐいと差し出した。
「これ。お詫び。干し場とかに飾れると思って」
シャツの中に、貝殻が山ほど入っていた。
大きいの、小さいの、丸いの、平たいの。形も色もばらばらだが、どれも泥がついていない。砂もない。隙間もきれいだ。
リアロマは波紋をシャツごと貝殻に向けて広げた。一枚ずつ、丁寧に読んでいく。大きな二枚貝も、小指の先ほどの巻き貝も、みんな同じだった。汚れが落ちている。洗い方は荒くて、こすりすぎた傷があちこちにある。それでも、ちゃんと洗えていた。これだけの数を、一人で。
「……上手に洗えましたね。全部」
テオが、ぱっと顔を上げた。
「やったあ!」
テオが飛び上がった。
「じゃあ一緒に並べよ! どこに置くか教えて!」
リアロマは少し考えた。テオが五メートル以内に入ってくることと、濡れたシャツが手元にあることを、同時に考えた。
「……わかりました。シャツはここに掛けておいてください」
干し場の端の柵にシャツを掛けさせた。テオが貝殻を両手に持ち、リアロマの指示で石畳の隙間に一枚ずつ置いていく。干し場の縁、窓枠の端、桶を置く棚の隅。置いても置いても、まだある。
「ここは?」
「いいですね」
「こっちは?」
「そこも悪くないですよ」
テオが嬉しそうに走り回りながら貝殻を置いていく。リアロマはその横で、掛けてあるシャツに、ごく細い波紋をそっと向けていた。繊維の奥まで入り込んだ水分が、静かに、少しずつ蒸発していく。気づかれない程度の、息を吹きかけるような温かさだ。
「リアロマさん、ここどう?」
「ちょうどいいですよ」
「じゃあここにも!」
テオが元気よく答えながら、貝殻を並べ続けた。
しばらくして、貝殻が全部なくなった。テオが両手を払いながら、満足そうに干し場を見渡した。
「いい感じじゃない?」
「いい感じですね」
テオがふと、柵に掛けたシャツを手に取った。広げて、首を傾げた。
「……乾いてる」
「そうですか」
「さっきまで絞ったばかりだったのに」
「風が通りますから、ここは」
テオが干し場を見渡した。シーツが揺れている。潮風が吹いている。テオはしばらく考えてから、シャツを着た。
「……まあ、いっか」
それだけ言って、走り去った。全速力だった。角を曲がる直前に一度だけ振り返ったが、リアロマと目が合うと手を振り、また走った。あっという間に見えなくなった。
リアロマは干し場に立ったまま、しばらく眺めた。
石畳の隙間に、干し場の縁に、窓枠の端に、棚の隅に。大小さまざまな貝殻が、朝の光を受けて白く光っている。全部、汚れていない。全部、ちゃんと洗えていた。
「……並の仕上がりですね」
シーツが、潮風を受けてゆっくりと膨らんでいた。




