第6話:クラスメイト? 友達?
予鈴のチャイムが鳴る中、栞凪は教室へと滑り込んだ。
ほとんどのクラスメイト達が登校していたのもあって、ちょっとだけ注目を集めてしまった。
(……ん?)
だが、向けられる視線の色に違和感を抱いてしまう。
「おはよう三環さん、こんなところで立ち尽くしてどうした」
「あ、いえ。……おはようございます、達宮先生」
後ろから声をかけられて咄嗟に振り向くと、不思議そうな表情を浮かべた昴が立っていた。
教室の出入り口を塞いでしまったのもあったが、昴が急かすようなことはしない。
挨拶をそこそこに、栞凪は急いで席に着いた。
「……?」
席に着き、ふとした違和感に気づく。
(誰か座ってたのかな?)
だからといって栞凪自身も潔癖症でもなければ、無断で席を利用されたことに怒るようなことをしない。
「では、出席を取る」
過った違和感は昴の声と同時に消え、栞凪はいつも通りの生活を送っていく。
「……」
そんな様子を、幸羽は静かにみつめていた。
「以上、学校側からの連絡事項だ」
そう昴は締めくくり、朝のHRを終えた。
(そっか、もう期末か)
教室を後にする昴と同時に、クラスメイト達が一つの話題を口々にしていく。
栞凪にとっても早い段階から、少しずつコツコツと取り組んでいくスタイルだ。
ただここで、一つの問題が生じた。
「……おはよう」
「えっ、うん。おはよう」
配られた期末テストの範囲と、当日の日程表を眺めていた。
不意に声をかけられて顔を上げると、幸羽がわざわざ挨拶をしに来ている。
幸羽が転校してきてから同じクラスで勉強をしてきたが、表立っての関わりをとっていない。
こうして挨拶どころか、会話すらもなかったのだ。
だがこうして、幸羽から接触を図ってきた。
驚きを隠せないながらも挨拶を返すも、幸羽の視線は栞凪の手もとに向いている。
「テスト対策なんだけど、どの時期から始めるべき?」
「それは人それぞれだろうけど……ちょっといい?」
「ん?」
さすがに幸羽の不意な訪問と、周囲からの視線に耐え切れず、栞凪は席を立った。
教室の隅でもクラスメイト達が声を潜めながらも、明らかに動揺した雰囲気を醸しだしている。
そんな周囲の視線や空気、栞凪の動揺を知らずか……。
「え、どこ行くの栞凪」
「か……栞凪?」
そこにさらに追い打ちをかける、栞凪の名前を親し気な下呼び。
脚を止めてしまいそうになりながらも、栞凪はどうにか幸羽を教室から連れだしていく。
「ちょっと、どういうつもりよ」
「……何が?」
クラスメイトと廊下で少し立ち話する感覚のつもりが、幸羽の発言がそれを良しとしなかった。
栞凪の勝手な思い込みや、過剰反応だったかもしれない。
それでも栞凪自身の保身をかけた行動が、幸羽を教室から離れ、さらには人目がつかない場所へと。
「……何か買うの?」
「そうじゃないけど……」
一階にある購買部。朝練を終えた運動部が空腹を満たすためHR前に立ち寄ったり、筆記用具を忘れてしまった生徒が訪れる。
今の次に一限目を控えている時間帯ともなれば、人通りは少ない。
大人しく後ろをついて歩いていた幸羽は、不思議そうな視線を栞凪へと向ける。
(なんなの……)
内心で動揺する栞凪をよそに、幸羽は自然体。
「てか、教室で話せない事?」
「それはそうでしょう。……今まで教室で話したことなかったんだから」
「……ああ、確かに」
知ってか知らずどころか、幸羽からすれば無意識だったのか。今さら気づいたように感心した態度を示す。
その姿勢に、栞凪は辟易した面持ちで肩を落とす。
「とにかく教室で話すのは――」
「だったら、これから教室で話せるね」
お互いの声が重なってしまったが、栞凪は耳を疑ってしまった。
「ごめん、何か言おうとしていた?」
逆に幸羽は首を傾げるだけで、これまでの姿勢を変えるつもりがなさげ。
それをどう制しようと考えたが、一限目を報せる予鈴が鳴った。
「戻らないとね」
「……うん、そうだね」
改めて言われる事でもなかったが、予鈴の音に身体が反応してしまう。
それでも教室に戻ろうという気が起こらない。
(……これ、間違ったかも)
幸羽に教室で声をかけられた時は冷静さどころか、保身のためにと動いていた。
そして今、こうして幸羽を連れだしている。
結果としては意味をなさず、時間となって教室に戻らないといけなくなった。
普段から教室での接点がない二人。
急に声をかけ、連れだされていく。
明らかに、幸羽との関係を疑われてしまう。
「何してんのさ、戻ろうよ栞凪」
栞凪の足取り重く立ち止まってしまう傍ら、幸羽は軽々しく階段を上っていく。
「せめてその呼び方は変えてよ」
「え、何で?」
「何でって……」
本来の目的として、幸羽が接触を図ってきたことを指摘するためだった。
それが意味を成すどころか、逆に立場を危うくさせてしまっている。
「はぁ、好きに呼んで」
「……そのつもり」
短めに嘆息する栞凪に、幸羽はただただ不思議そうに首を傾げるのだった。
(なんなのこの距離感……)
それから特に会話があるわけでもなく、栞凪達は教室へと戻った。
少し先を歩く幸羽だったが、栞凪の歩調に合わせるようなつかず離れずの距離感。
それに何か意図があるのかと勘ぐりながら教室を目の前に、幸羽が不意に視線を向けてくる。
「そういえばなんだけど期末テスト」
「ん? ああ、始める時期だっけか」
「そうそう、授業との並行じゃん。それに加えてさ」
現状を鑑みて言い淀む幸羽に、事情を知る栞凪としても思案する。
「その辺は達宮先生に相談してみるとか、そもそもを変えていくとか」
「なるほどね~」
ふむふむと頷いてみせる幸羽は、当たり前のように教室の扉に手をかけて横にスライドさせる。
「ありがと、ちょっと考えてみるね」
「う、うん……」
教室に近づくまで気が重かったが、幸羽からの相談に意識が向いていた。
だから改めて状況を認識させられると、教室への二の足を踏ませられる。
(し、視線が……)
既にクラスメイト達は席に着きながらも、授業の予習を雑談がてらしていた。仲が良ければ教室をでて話す必要もなければ、席だって立つ意味もない。
こうして栞凪達のようなクラスメイトがいないのもあって、注目の的となってしまった。
「じゃ、また後で」
「あ、うん。また、後で……?」
自然と言われて言葉を返してしまったが、遅れて意味を理解してしまう。
(待って。今回だけじゃないつもり……?)
朝偶然、立場上クラス委員というのもあって相談を持ちかけられた。
そうであれば、何となく納得するクラスメイトもいるだろう。
そこで下手に関係を疑ってくるどころか、たまに話したところで今みたいな興味の視線を向けてくることは減る。
だけど、幸羽としてはそのつもりがなさそうだ。
「よぉ~し、授業始めるぞぉ~」
動揺する栞凪をよそに、一限目の教鞭をとる男性教師の間延びした声を発しながら教室に姿をみせた。
(やばッ……今日のところ予習してたっけ)
それに慌てて、栞凪は授業の準備をするのだった。
「よぉし、今日はこの辺で終わりにする」
その男性教師の言葉と同時に、校内に予鈴が鳴り響いた。
たったそれだけで張り詰めていた教室内の空気もわずかに弛緩し、空気を入れ替えるかのように雑談程度の会話が始まっていく。
だがそのほとんどが授業の内容について。
「お疲れ~栞凪」
「……うん、お疲れ様」
その例にもれず、栞凪に声をかける幸羽。
朝と違って前の席にはクラスメイトが座っているため、栞凪の席横に立つ。
「それでさっきのテスト前の事なんだけど」
「え、まだ続いてたの」
「……うん」
授業の終わりと同時に、栞凪の元を訪れた幸羽に身構えてしまう。
(……またこの視線)
幸羽の言動に、クラスメイト達の視線が自然と集まってしまう。
その的となる栞凪。
立場上クラス委員ではあるが、過去を振り返っても無い不思議な感覚。
「ごめん、忙しかった?」
「そういうわけじゃないけど、どういうつもり?」
「……どういう?」
質問に質問で返され、幸羽は小首を傾げてしまう。
「今朝の件もだけど、やけに絡んでくるじゃない」
それに対して、栞凪は声音を潜めながらも問い詰めてしまう。
「……やっぱ、迷惑だった」
栞凪の様子に、幸羽はどこが申し訳なさそうに眉根を寄せてしまった。
「アタシとしては特に深い意味はないんだけど、こういうのって普通じゃない」
「普通……」
あくまでいちクラスメイト。
そんな中で交流もあれば友達、はたまた友人と呼べる間柄になるかもしれない。それは毎年のようにクラスが変わろうとも関わり合い、不意な訪問にも心休まらないことはないだろう。
だが幸羽とは、今年の4月からクラスメイトになったばかり。
事情はどうあれ、表立っての関わり合いは皆無。
それは、周知の事実でもある。
それが今日になって、幸羽の方から接触してくるのだ。
誰だって不信感を抱くだろう。
(わからない。……昨日の今日で蓮永さんの中で何があったの)
どこか落ち込んだ雰囲気の醸しだす幸羽を前に、栞凪は冷静を保ちながらも思考をフル回転させていく。
「学期的に範囲はそこまで広くないから、最悪山を張るのはアリだと思う」
「あ~ねぇ~」
顎に手を当てて頷く幸羽に、栞凪は続ける。
「それでももうちょっと点数を取りたいなら、苦手教科を重点的にやる。……かな」
「苦手教科を?」
これはあくまで栞凪にとっての勉強法でしかなかった。
それを堂々と、しかもクラスメイト達が注目する中で公言することでもない。
逆に栞凪とは考えが別で、得意分野にだけ注力する生徒もいるだろう。
それが一概に正しいとは言い切れない。
「苦手教科か……」
幸羽はさらに考え込むように眉根を寄せていく。
理解を得る得ない別として、幸羽なりに考えをまとめようとしている。
「とりあえず次の授業始まるから」
「あ、ホントだ」
栞凪の指摘に、幸羽は時計をみて顔を上げた。
「じゃ、また後で」
「う、うん……」
予鈴の鳴る少し前、幸羽は栞凪に小さく手を振って席へと戻っていった。
(……これ、今日一日続くのかな)
そんな気苦労が、栞凪の脳裏を過った。
だが気にしている暇もなく、2時限目が始まっていく。
気づけば4時限目が終わり、お昼休みを報せる予鈴が鳴った。
(な、何だったの……)
2、3時限目が終わるたび、幸羽は栞凪の元を訪れていた。
特に用件があるわけでもなければ、フラリとしたノラ猫のようなスタンス。
「か~んな、お昼にしよ」
「……」
しかも、幸羽の栞凪に対する呼び方も含めて軟化していく。
普段からの栞凪はお弁当組。
それもあって食べるところには困らず、大半のお弁当組は教室で摂る事が多い。それだけでも時間の短縮になり、3年ともなれば受験勉強に当てられる。
「はぁ~いはい、つぅ~めて」
「……狭いって」
どうやら幸羽も実家から通っているようだが、基本は学内の学食を利用している。
だけど今日は違った。
ひとり用の椅子に、どうやっても2人は座れない。
にもかかわらず、幸羽は栞凪に詰めるように促してくる。
その密着度と距離感に、さすがのクラスメイト達も無視しきれないようだ。
「てか、前の席使えば」
お弁当組だからといって、自クラスに残るとは限らない。
それもあってクラス内の席も空き、わざわざひとり用の椅子に座る必要もなかった。
「あ、そっか」
それに気づいてか、わざとなのか。
幸羽はお道化たように立ちあがり、前の空いている席に座った。
「……栞凪っていつもお弁当なの?」
「蓮永さんはいつも学食? だよね」
「ん~そうかも?」
お昼休みの時間を幸羽がどう過ごしているかは知らない栞凪。
それは幸羽も同様で、栞凪がどう過ごしているかを知らない。
あくまで4時限目の終わりから予鈴が鳴って、お昼休みの時間という限られた僅か。
そんな上辺だけの行動でしか知らない栞凪に、幸羽も得心がいったように傾げた首を正す。
「これまでもなんだけど、アタシってお弁当とか経験なくてさ。基本的にコンビニのパンとかで済ませてたというか、何というか……」
「……で、お昼ご飯は?」
「……持ってきてない」
自分が手ぶらであることに、幸羽はようやく気づいた。
「……どうするのよ」
さすがの栞凪も呆れるしかなかった。
既にお弁当という形でお昼を確保している栞凪と違って、幸羽の手もとには食べれるモノはない。
だからといって今から学食へと行くのも出遅れてしまっている。
「購買ついて来て」
「……ウソでしょ?」
まるで誘えばついて来てくれると疑わない幸羽に、栞凪は険し気に眉根を寄せた。
1階にある下駄箱から少し離れつつも、生徒や教師たちが毎朝のように目にする一角。まるで駅構内にある小さな売店のような陳列棚が数個あるだけ。学校側としても委員会の一種として【購買部】というの存在するが、金銭のやり取りもあるため教師陣が主に常駐している。
であれば、何のために【購買部】所属の生徒がいるのか。
「はい! 押さないで下さい!」
「列の順番は守ってください!」
「こっちに焼きそばパン3つ!」
「こっち、こっちにはカツサンド!」
ごった返す生徒達の群れ。
それを注意、整理しようとする生徒達。
「はい680円」
「700円ね」
「ちょっと、お釣り忘れてるわよ」
淡々と、それでいて粛々と。
まるで機械的な作業をこなすように会計を捌いていく教師陣。
手もとには電卓はなく、古き良きそろばんがパチパチと弾かれる音も聞こえてくる。
原則としてスマホの使用は禁止されているため、スマホの決済ができない。だからと交通系ICをわざわざ購入してチャージするのも、寮生が多いのもあって持っている生徒が少なかった。
その例に漏れない栞凪は通学定期として交通系ICカードを持ち、ある程度はチャージをしている。
何よりも、この生徒達の群れに飛び込む勇気がない。
「……学食並みの激混み」
「ほら、早く行かないと無くなるよ」
「え、着てきてよ」
「ここまで着いてきたでしょ」
本来であれば、ゆっくりと昼食を摂れている。
だけど、引っ張られる形で購買まで来てしまった。
そして目の当たりにする、お昼ご飯を求める飢えた生徒達の群れ。
大体が寮生で、恐らくお弁当をお願いする者が多いだろう。それでも食べ盛りの年ごとで、はたまた運動部に所属していればお腹が空く。そうなれば授業の合間に食べてしまい、お昼まで残っていない。
中には学食を選択する生徒もいるだろうが、購買部の方が安くてボリュームがある。
栞凪からすれば1個でお腹いっぱいどころか、食べ切れるかも不安なところ。
それを男子生徒達は2つ、3つと抱えるように奪い合う。中に女生徒も混じっていることに、栞凪は驚きを隠せずただ眺める。
「学食にすれば良かったかも」
「今から行っても座れるの?」
「……そう、だよね」
高等部に通い始めて1年、どの情報も耳で聞いただけ。
こうして遠目から眺める事は何度もあったが、決して自ら群れの中に飛び込んだことはない。
どうも、学食の席取りも大変とのこと。
「まぁ、健闘を祈っておくわね」
「う、うっす」
どこかの運動部っぽく小さく気合を入れて、幸羽は購買部へと向かって行った。
その後ろ姿を、栞凪は意外そうな表情を浮かべて見送る。
(何だろう。こういう光景を見ればテンションが上がるかと思ったけど、人混み苦手?)
かという栞凪も、さすがの光景を前に尻込みどころか避けたい。
生徒達の群れにもみくちゃにされる幸羽を視線で追いながら、しばらくの間帰りを待った。
「み、みて……何とか、か、買えた……」
待つこと5分と、幸羽が帰ってきた。
制服のところどこが乱れ、髪形も少し乱れている。肩で息をしながら戦利品を栞凪に見せびらかす。
「……これ」
「う、うん。……さ、最後の一個だったみたい」
「そ、そう」
幸羽が手にしていたのは、一見どこにでもあるチョコチップメロンパン。サイズはコンビニで売られる二回り以上と大きく、これだけで満腹になってしまうだろう。
そんなサイズに驚くどころか引きもせず、嫌な予感に表情を強張らせていく。
「もしかしなくても、限定メロンパン?」
「え、どうだろう。なんか棚の真ん中にドンって置いてあっただけだけど」
「それ、限定品」
「そうなの?」
キョトンと瞳を丸くする幸羽に、栞凪は自然と周囲に視線を向けてしまう。
(ああ、やっぱりだ。これって……)
栞凪としても購買部は無縁で、噂程度の品でしかないという認識でいた。
それがまさか、今日に限って売られているとは。
「なになに、そんなに珍しいの」
「そうだね。私も噂程度でしか知らなかったけど、暗黙のルールがあるんだ」
「なにそれ」
転校してきた幸羽が知らなくても当然だが、あまりこの場に長く留まってはいられない。それもあって教室へと戻ろうとするも、少し遅かった。
「そこの2年、それを買えるのは3年生だけだぞ」
「え?」
授業の関係もあって出遅れたのか、上階から降りてくる上級生の男子生徒が数人いた。その視線は鋭く、睨みつけるように向けてくる。
明らかに、幸羽が手にするモノへと注がれていた。
「しかもなんだその制服。校則違反だろ」
幸羽を頭のてっぺんからつま先まで睨みつけ、視線を手もとのチョコチップメロンパンへと戻す。
「最近転校してきて、制服がまだ間に合ってないです」
「ふ~ん。なら、学校のルールってやつも知らないだな」
「校則ですか? ……さすがに憶えきれは――」
「ちげーよ、購買部の限定品は最上級生の3年生しか買えないだよ」
「……そうなの?」
視線を向けてくる幸羽に、栞凪は肩を縮めるしかできなかった。
その態度に、幸羽は状況を理解する。
「なるほど、それはすみませんでした。けど、これはアタシが買った物です。何だったらしっかりとお会計も済ませてます」
付け加えるように、どの教師から買ったかと補足する。
「だから何だよ」
ただ、そんなことは関係ない。
威圧するように語気を強める上級生に、幸羽は臆するどころか堂々と立ち向かう。
「どんなルールかは知りませんけど、ケチつけて下級生から奪うんですか? それってカツアゲですよね?」
「おまッ!?」
「別にいいですけど、恥ずかしくないですか?」
あえて購買部にいる教師に聞こえるよう声を張った幸羽に、さすがの上級生達が慌て始める。
「……そこ、何か揉め事か」
「あ、いえ」
そのタイミングで、左腕に【購買部】の腕章を付けた男子生徒が歩み寄ってきた。
「先ほどこの先輩方が、アタシの持っているモノは最上級生しか買えないとケチをつけてきたんです」
「……そうなのか?」
一つ上とは思えない貫禄を持ちつつ、鍛え上げられた屈強な全身。同級生であるはずの男子生徒達も委縮し、ペコペコと頭を下げて去っていった。
「た、助かりました」
安堵したように胸を撫で下ろす幸羽は、深々と頭を下げる。
「いや、一部始終をみていた。……すまない」
「どうして謝るですか」
助けられたはずが、逆に頭を下げられる始末。
目を白黒させる幸羽に、男子生徒は顔を上げた。
「自分が入学する前からあるルールではあったのだが、そこに疑問を感じていてな。先生方とも話して、限定品に関した問題解決に取り組んでいるんだ」
男子生徒は未だ購買前に出来上がる生徒達へと視線を向ける。
「キミのように学年を気にせず、好きな物を買えた方が良いだろう」
「まぁ、アタシの場合は本当に知らなかったんですけど」
「いや、いい教訓を与えられたかもしれない」
どこか武骨な口調と振る舞いだが、親しみを感じられる男子生徒。
最初は助け舟と喜んだ栞凪でも少し近づきがたく、怖いなと距離をとってしまっていた。それが今では払拭され、一言も言葉を交わさなかったが好感が持ててしまう。
「いや~いい人だったね」
当の助けられた幸羽も、満面の笑みを浮かべていた。
「ホント、最初はどうなるかと思ったんだから」
抱えるように戦利品を胸にする幸羽に、栞凪は呆れたように肩を竦める。
「だったら先に教えておいてよね」
「私だって初めてみたんだもん、仕方ないでしょ」
何故か責められる栞凪は、足早に教室へと向かう。
「え、じゃあマジで珍しいモノなんだ」
追いかけるように、幸羽は小走りで追いかけていく。
「クラスで自慢できるくらいにはね」
暗黙のルールもあって、同級生で食べている姿を見たことはない。
もしあれば、幸羽の時と同様に何かしら絡まれるだろう。最悪の場合、カツアゲなんていうこともあるかもしれない。
それに臆することなく、幸羽は立ち向かってみせた。
最終的には助けられたものの、無事にお昼ご飯にありつける。
「ふ~ん、無茶したかいあったかも」
「……無茶?」
確かに人混みに飛び込み、ちょっとした死闘を繰り広げたというもの。栞凪であれば諦めるか、ある程度生徒がはけ、売れ残ったモノで済ますだろう。
だが幸羽はそうはせず、飛び込んでいったのだ。
「だって、上級生相手に普通はたてつかないでしょ」
「……そっち? てか、自覚あったの」
「ま、まぁ」
気づけば栞凪達の学年フロアに到着しており、突っかかってきた上級生たちが追いかけてくる様子もない。
それに安堵したのか、幸羽はその場にしゃがみ込む。
「いやぁ~慣れない事をするもんじゃないね」
「バカなの」
あんなにも堂々と、しかも臆せず立ち向かってみせている。
それが無謀だと隣にいた栞凪でも思えたが、幸羽の事だからどうにかするのだろうと勘ぐってしまっていた。
その実、強がっていただけのようだ。
(あの時助けがなかったらどうしてたんだろう……)
近くにいたどころか、ほぼ間違いなく“友達”と認識されたに違いない。
相手は上級生、しかも異性ともなれば手も足どころか、立ち向かうことすら危険。手荒いことはないにしても、あの威圧感に耐えられない気がする。
想像しただけでゾッとしてしまうが、幸羽はそれ以上なのかもしれない。
「ごめん、ちょっとだけ手貸して」
「二度はごめんだからね」
「わかってる」
辛うじて笑顔ではある幸羽だったが、握った指先は震えていた。
それを知りながらも、栞凪は揶揄うことなく手を握って立ち上がらせる。
「ほら、早くご飯にしよ」
「一人で食べ切れるかな……」
「今さら心配するの?」
幸羽の言動に、終始呆れされられる。
「ねえ、栞凪もひと口くらい手伝って」
「ま、まぁ、それくらいなら」
それでも、幸羽が得た戦利品には興味があった。
「え、素直……」
「悪い? 私だって食べたことないから興味があるの」
「へ~ちょっと意外。こういうの興味ないかと思ってた」
正直な話、栞凪の学生生活において無縁のモノだと思っていた。
だがこうして食べれる機会が目の前にある。
少なくとも、栞凪と同じ感想を抱く生徒はいるだろう。
「まあ、無理にではないから」
ただ入手したのは幸羽だ。気分次第で栞凪に分けてくれないかもしれなかったが、弄られてことにそっぽを向いてしまう。
「もぉ~ちゃんと分けるから拗ねないでよ」
そんな栞凪の素振りに、幸羽はどこか嬉しそうに抱き着く。
お昼休みが始まったばかりとはいえ、廊下には生徒達の多少なりの往来がある。2人のそんなやり取りと横目に、何人も通り過ぎていた。
教室に戻れば幸羽は一躍時の人のように注目を浴びることに。
その原因はやはり購買部で手に入れた限定品――チョコチップメロンパン。中には同じように購買で争奪戦にクラスメイトも紛れていたようだ。
やはり口々にするのは、暗黙のルールについて。
それに関して幸羽は素直に応え、ちょっとした出来事も脚色なく伝えた。反応としては様々だったが、一番は誰かが勝手に定めたルールが存在しないということ。それを無くそうとしている動きもあり、これからは気兼ねなく買えるという情報だけに沸きだすクラスメイト達。
(……食べ物って怖いな)
奮起するクラスメイト達の度胸に感心しながら、栞凪は自分の席で昼食を摂っていた。予定では幸羽も一緒の筈だったが、今は話題の中心にいる。
だから邪魔をしない。
4月に転校してきてから、幸羽という存在はなんだかんだクラスの中心にいる。
それは嫌でも同じクラスにいれば目に見えるし、もしかしたら栞凪の知らないところでクラス外でも似た現象が起きてるかもしれない。
「ねぇねぇ、スゴイねこの限定品って!」
「……そうだね」
気づけば興奮した様子の幸羽が、栞凪の前に戻ってきた。空いている椅子を引っ張ってきて、2人で使うには狭い一つの机を囲う。
「って、もうこんな時間!?」
「食べ切れるの?」
「そこは栞凪が手伝ってくれるでしょ?」
いそいそと袋を開ける幸羽の会話を耳にしたのか、さっきまでの野次馬たちが『一口だけでも』と群がってくる。
「ダ~メ、これは栞凪と食べるの」
「……いや、私はひと口で――」
「はい、食べるでしょ?」
既に栞凪は昼食のお弁当を食べ終えていた。お腹の具合としても程良く、これ以上は食べ過ぎて午後からは眠くなってしまいかねない。
それでも幸羽は、大きめにちぎったひと口を手渡してくる。
(食べづら……)
周囲からの視線に晒されながら食べるという、かなりの不快感を抱きながらも頬張る。
「ん、生地サクサクで美味しい」
「そうだね。時間が経ってるからペッタリしてるかと思ったけどそんなことない。このチョコチップいい感じに歯ごたえもあるし」
たったそれだけの感想に、購買にいたクラスメイト達は見悶え始める。
(……怖いよ)
何がそんなにクラスメイト達を狂わせるのかと疑問を抱きながら、栞凪はもうひと口と頬張ろうとする。
「……あれ、ふた口め?」
「……」
揶揄うような幸羽からの口調と視線に、栞凪はジッと睨むように齧り付いた。
そんな賑やかなお昼休みを終えれば、午後の授業が待っている。
だからといって栞凪からすれば特に変わった出来事はなかった。(朝のように休憩時間になれば幸羽が訪ねてくる以外は)
そして、放課後ともなればいつもの補習室へ。
「……隠してたんじゃなかったの」
「……何を?」
放課後となり、校内全体はどこか解放された空気が蔓延していく。
それは栞凪としても肌で、自身の意識としてもわかる。
ただそれも少し前までの事だ。
「……鍵借りてくるから」
「うん、待ってる」
授業が終わり、栞凪は幸羽の補習があるため職員室に向かおうとしていた。
いつもであれば時間をずらして教室をでていた筈が、今日に限っては堂々と声をかけてきたのだ。
それ自体は朝からというのもあってクラスメイト達の関心は薄く、勝手に内心で冷や冷やさせられた。
(ホント、今日の蓮永さんはわからない)
ようやく一人になり、栞凪はひっそりと息を吐く。
何も幸羽の言動に振り回されるのは今回に限った事ではないが、今日は特に精神的に疲れされられた。
「……どうかしたのか、三環さん」
「いえ、何でもないです」
いつまでも出入り口前で立ち尽くす栞凪を心配してか、昴の方から気遣うような声をかけてきた。
それに栞凪は首を横に振り、今日の補習範囲について話を始める。
それも事務的で端的に、既に用意されたプリントを済ませるだけ。
「それと達宮先生。ここから期末テスト前に入ります、このまま補習と並行していくか蓮永さんと話してもらえれば――」
「ん? その辺は2人で話し合ってくれて構わないぞ」
「はい?」
昴の反応に、栞凪は怪訝そうに眉を潜めた。
この補習はあくまで幸羽から申しでたことで、それに栞凪が付き合ってあげているだけ。
それを教師である昴の方針を無視どころか、一任させるという事態。
栞凪の知らないところで、何かが起きようとしている。
その真意を探ろうと、栞凪は黙り込むようにして目元を細めた。
「それは今ここで、補習を止めてもいいということですか?」
「ん、ああ、蓮永さんがそれを良しとするならだが」
急な申しでに驚く昴だが、取り乱すようなことはない。
逆に、冷静な面持ちで栞凪を見据えてくる。
「三環さんの考えていることはわかる。確かに急だったかもしれない。ただこっちとしても蓮永さんの学力は良くなっているらしいと耳にしている」
「そうなんですか?」
不思議そうな表情を浮かべる栞凪に、昴は本当に関している様子で頷く。
「各教科の担当からも授業態度はまじめ。抜き打ちの小テストも他の生徒と遜色なく、わからないところがあれば時間をみつけて聞きに来るそうなんだ」
「え……」
栞凪の知らない、幸羽の陰ながらの頑張り。
1日を通して教室で一緒に授業を受け、お昼休みは別でも、放課後となればこうして補習室で勉強をしている。
そんな時間もない中、どこでそんな行動がとれるのか。
「ただ蓮永さんとしてはまだまだ不安もあるからと言われててな、だから続けるかは2人で話し合ってもらって構わない。もし続けるのであれば、こちらとしては協力をしていくつもりだ」
「そう、ですか……」
状況を整理するため、少しだけ黙り込む栞凪。
ただ、いつまでも1人で考えていても答えはでない。
そうとわかれば行動は早く、栞凪は昴に一礼をして職員室を後にした。
「あ、お帰り~」
「……行こ」
職員室でのやり取りを知らない幸羽は、気の抜けるような声音で出迎えてくれた。
それは普段の幸羽らしく、変に取り繕った様子もない。
今すぐに問い質したい気持ちを押し留めながら、栞凪は先を急ぐように補習室へと向かった。
補習室に入ると、一気に空気が変わる。
生徒達の賑やかに話す声、運動部の活気あるかけ声、吹奏楽部の曲名がわからない金管と木管楽器の音色。
他にも様々な音が、補習室の中では遠くに聞こえる。
それもあって、2人っきり。
お互いに黙るだけで、微かな呼吸音だけが響く。
「ねぇ、どうかした?」
幸羽の何でもなさそうな問いかけに、栞凪は向き直る。
「達宮先生から聞いた。……この補習、続けなくてもいいんだって」
「……聞いたんだ」
決して隠すつもりのなさそうな口調で、幸羽はいつもの席に腰かけた。
「達宮先生からもこの短期間でかなり成績が伸びたって言われたんだ。アタシ個人としても授業にようやくついていけるようになった感じがするんだよね」
手持無沙汰のように指先を弄び、幸羽は栞凪と視線を合わせようとしない。
「ならどうする。続ける? 続けない?」
栞凪の真っすぐな言葉に、栞凪は動きを止めた。
それからしばらく黙り込み、ゆっくりと顔を上げる。
「……続けたい」
明確な意志の宿る力強い、幸羽の一言。
それを聞いただけで、栞凪は少し背筋がざわつく感覚に襲われた。
いつもであれば明るく能天気で、誰とでもすぐ打ち解けてしまえる振る舞いが目立つ。それ自体は本人が意識してかは定かではないが、クラスにあっという間に馴染んでいる。
それに加えてお昼休みの時だって、上級生を相手にしながらも気丈に振舞ってみせた。
そして今、おふざけや虚勢は見られない。
ただただ目的をしっかりと定め、自分には必要だと理解している様子。
「理由を訊いてもいい」
そんな幸羽の面持ちに、栞凪は向かい合うため席に腰かけた。
「あ、ごめん。そんなにマジで受け取らないでね」
「……いいから言いなさいよ」
すると逆に、今度は幸羽が慌て始めた。
さっきの態度とは打って変わり、栞凪は内心で白けさせられる。
(ホント、掴みどころがないというか……振り回されてるな……)
薄々と感じていた部分が、明確に自覚させられる。
それでも栞凪は冷かすことなく待ち続けた。
「その、単純な話なんだけど笑わない?」
「それでも続けたい理由なんでしょ? なら笑わない」
「……そう」
もじもじと両人差し指を絡め合わせ、視線を落ち着きなく右へ左へと泳ぐ。
それもしばらくすれば納まり、幸羽は長く息を吸って吐きだしていく。
「アタシさ、これまでまともに勉強してこなかったんだ。……する機会がなかったっていうのもあるけど、言い訳だよね」
恐らく、両親の仕事関係で転校が多かったことを含ませているのだろう。
事情を知る栞凪だったが、あえて触れずに耳を傾ける。
「実際にテスト期間に転校した学校もあってさ、教師から特別に補習的な感じで免除してもらったんだ」
だが今回はそんなことはなく、自ら補習を申しでている。
幸羽なりに考え、そういった行動をとった。
「ホント、周りが頭良くて困っちゃうよね」
「……それが理由?」
「うん。ちょっとだけガチで頑張ってみようかなって思ったんだ」
その結果、好調を期している。
だからそれを維持したい。
そうするには、この補習を続けなければいけないということなのだろう。
「栞凪。……三環さんには迷惑かけるかもしれないけど、この補習に付き合ってくれないかな」
「……」
改まった面持ちで背筋を伸ばし、幸羽は真っすぐと栞凪を見つめる。
それに対して、栞凪は黙った。
すぐに答えが出せなかったからではなく、真摯に幸羽の言葉を受け取るために。
(別にこの話、私じゃなくてもいいのでは?)
率直な感想として、そんな冷たい疑問が生じた。
転校初日はどこかバカっぽさが抜けずに明るく、学内の空気にそぐわない生徒だと感じたのだ。それは実際にそうではあったが、投じられた一石として周囲の空気は普段とは違った変化をみせた。
ただそれも一瞬で、勉強についていけないとわかれば腫れ物扱い。
それで次第に周囲から距離を置かれそうになるも、あり方を改めるように勉強を頑張るようになった。
それもあって今があり、こうしている。
栞凪としては巻き込まれたようなモノだが、ギスギスした空気よりはましだ。
それでも――、
「この話、少しだけ考えさせてくれない」
どうしても引っかかってしまう。
「……うん」
断られる覚悟はあったのだろう。
硬い声音で頷く幸羽だったが、表情はどこか切実さを醸しだしていた。
(……何だろう。やっぱり気になる)
そんな胸のモヤモヤが、幸羽の態度を目の当たりに膨らんでいく。
それからは変わらず補習が行われた。
「……」
「……」
だがそこには会話というものはなく、幸羽は黙々とプリントの問題を解いていく。それを栞凪は監視するような、何かあれば教えられるように見守る。
朝のような幸羽からのバグった距離感での接触はない。
それが妙に落ち着かず、栞凪は無言の時間を耐え続ける。
「……時間みたい」
「……そうだね」
すると、助け舟のように下校を報せるチャイムが鳴った。
ずっと同じ姿勢だったというのもあって、幸羽は両腕を上にして上体を後ろに逸らして伸びをする。栞凪も座り直すように椅子を少し後ろに引いた。
(すごい集中力……)
補習を続けるかの有無について話した後というのもある。口を開くどころか、視線すら向けてこない幸羽に対応が困った。真剣に勉強しているのもあって邪魔をしたくなく、息を潜めるように身動ぎ一つとれなかったのだ。
ひっそりと深呼吸を済ませ、栞凪は視線を幸羽へと向ける。
「プリント回収するけど……」
「ごめん、今回は持って帰らせて」
「……わかった」
いつもであれば補習の進捗を昴に報告するため回収していたのだが、幸羽はそそくさと鞄にしまってしまう。
その態度がどこか余所余所しく、栞凪は目元を細める。
(なんか、最初の頃に戻ったみたい……)
少しだけ懐かしく思えてしまう。
あの時の幸羽は刺々しく、栞凪を敵視している口ぶりだった。
それも今となっては無くなるどころか、こうしていることが当たり前。それどころか友達になろうなんて、高校生になって恥ずかしげもなく面と向かって申しでてくる始末。
急な掌返しのようにも思えたが、先にそうしたのは栞凪の方だ。
「カギは私がするから、先に帰ってもいいよ」
「いつもありがとう」
帰りの後始末を含めた施錠は栞凪の仕事だったが、それが終わるのを幸羽はいつも待ってくれていた。そして一緒に教室をでて、職員室の前で別れる。
それがいつもの流れであり、改まった感謝の言葉なんてなかった。
(……怒ってはないのかな)
妙な距離感に落ち着かないながらも、栞凪は幸羽を見送る。
それから少しだけ時間を置いて、帰り支度を済ませて職員室へと向かった。
「そうか、わかった」
「では、失礼します」
昴に事情を話すと、気にした様子もなく補習室の鍵を受け取った。
(……帰ろ)
これで今日の仕事は終わりかと思い踵を返すも、昴に呼び止められる。
「三環さん、すまない。これから帰るんだろうけど、一つ仕事を任せていいかな」
「……構いませんけど」
何事かと栞凪が眉間を少しハの字にさせると、昴は両手を擦り合わせるように軽く頭を下げてくる。
(面倒なことじゃなければいいけど……)
どこか既視感を抱きながら、栞凪は昴からの仕事を請け負うことに向き直った。
「これでわかるよね」
実際のところ、大した仕事ではなかった。
担任である昴からの許可もあり、栞凪は鞄からスマホを取りだして写真を一枚撮る。
カシャ。
その音と同時に画像がファイルに保存されるも、どうせすぐ消してしまう。
「これをクラスに流して終わりと」
教壇に両肘をつきながら、フリップを操作して文字を打ち込む。
撮ったのは前の黒板に貼った定期テスト範囲の改訂版。
どうやら教師同士の連絡ミスで急遽変わった。
学校側としては先んじて情報だけを生徒達へと流し、翌朝にはしっかりとプリントを配布し直すらしい。
これで終わりと、栞凪は鞄にスマホをしまおうとして動きを止めた。
「あれ、委員長。スマホ弄ってる」
「ほんとだ、珍しい」
まだ下校していなかったのか、幸羽の席から近い女子生徒の3人が姿をみせた。
「ちょっとね。達宮先生からテスト範囲のミスがあったらしくて、今クラスに送ったところ」
そういうと、何のためらいもなく女生徒達はスカートのポケットからスマホを取りだす。
「あ、ホントだ」
「ってかぁ~、気づかんくない?」
「明日の朝でもよさげ」
その光景に栞凪は黙り込む。
栞凪に投げかけてきた声音には注意するような、教師からであればヒヤリとさせられる質感があった。
だけど当の本人達は気にするどころか、手放せないアイテムかのように使用する。
放課後という時間もあるだろうが、あまりにもそれは堂々としていた。
だからといって、クラス委員という立場から注意はしない。
したところで、何も意味をなさないから。
「私もそうは思ったんだけどね、クラス委員として頼まれたから」
クラス委員という言葉を少しだけ強調させながらも、彼女達の意見に同意する。
「大変だよね、クラス委員って」
「けど、感謝~」
「うん、助かる」
これといって接点のない3人組というのもあり、栞凪はそれだけを告げて教室を後にする。
彼女達はすぐに帰る様子もなく、普段から利用する自席の方へと向かう気配を感じた。
「あ~、テストかぁ~」
「めんどぉ~」
「それもだけどさ、これってまた教えてって頼み込まれるんじゃない」
(……?)
仲の良い生徒同士で勉強を教え合うことはよくある事だ。
それは彼女達もそういった仲だと思えるのだが、どこか口調に違和感がある。
「ま、いつも通り適当に相手すればいんじゃない?」
「てかぁ~さっきのクラス委員が面倒みてくれるでしょ?」
「確かに、蓮永さんが三環さんと仲が良いのに驚いた」
(……そっか)
聞き耳を立てるつもりはなかったが、気づけば扉に背中を預けるように隠れてしまっていた。
それもあって点と点が繋がり、納得してしまう。
翌日、栞凪はいつも通り登校した。
「おはよう」
特定の誰かに対して向けた挨拶ではなく、不特定多数のクラスメイトへ。
朝のHRが近いのもあって、ほとんどのクラスメイトが席に着いている。それでも賑やかな会話が止むことはなく、栞凪の挨拶はかき消されていく。
(……?)
教室の敷居を跨いで、昨日に続いて今日も違和感に眉根を寄せる。
それは明確でありながら、栞凪からは何も言えない。
「そそ、それが昨日の帰りにあったんだ」
「そんなことある?」
「運が良いのか、悪いのか……」
「まぁ、そんなこともあるよぉ~」
話の内容はわからない。
だけど、幸羽がいつもの3人組と楽し気に話をしていた。
ほんの一瞬だが、3人組からの視線が向けられる。それもすぐに逸らされ、会話の和に戻っていく。
どこか含みのある、物言いたげな視線。
とはいえ以心伝心するわけもなく、栞凪だけモヤモヤさせられる。
(どう思われてるか知っててなんだよね……)
昨日の出来事がなければ、そのモヤモヤが増える事はなかっただろう。
視線を向けてくる様子の無い幸羽の姿を流し見、栞凪は席に着く。
すると予鈴が鳴り、後から昴が教室に姿をみせた。教壇に立つと一番にテスト範囲の修正について謝罪を済ませ、他の業務連絡を淡々としていく。
それも10分とかからずに終わり、早めに切り上げて昴は教室を後にした。
次の1限目まで時間があるとなれば、生徒からすれば自由に過ごせる。
だから、栞凪は身構えてしまった。
「1限目って英語だったよね?」
「う、うん」
幸羽の隣に座る1人が、少し戸惑ったように頷いた。
自然と残りの2人も集まり、いつもの光景が生まれていく。
だが、表情は困惑を隠せない。
チラリと、栞凪へと1人が視線を向けてくる。
(……それはこっちもなんですけど)
今回だけは無言の会話が成立してしまった。
「ここの文章なんだけど、さっぱり前後文と噛み合わなくてさ、どういうこと?」
教科書を開き、幸羽は眉根を寄せて質問をする。
「ああ、私もそこ不思議に思った」
「え、そこってここに繋がるんじゃないの?」
「あ~あ、そういうこと」
どうやら幸羽の抱いた疑問は、3人組も同様だったらしい。1冊の教科書を覗き込むように、あれこれと会話を弾ませていく。
(何だったんだ……)
朝からモヤモヤした気持ちを抱えながら、その日は幸羽と接触することなく過ごした。
それでも1週間、特別なことがなければ休校になることはない。
だから朝起きて、いつものように登校する。
「あ、おはよう。栞凪」
「……どうして?」
学校の最寄り駅の改札を抜けて、脚を止めてしまった。
チラホラと同じ制服に身を包む生徒が見受けられ、そこに幸羽がいても浮くことはない。
だけど、栞凪からすれば異様な光景でしかなかった。
「何してんの、遅刻するよ」
手にしていたスマホを鞄の脇ポケットに押し込み、幸羽が近づいてくる。
「何してんのはこっちのセリフよ。……何がしたいの」
「……え、一緒に登校だけど」
軽く眩暈のような感覚に陥りながら、栞凪は短く息を吐いた。
「ただのクラスメイトでしょ?」
「寮生の子達も一緒に登校してるらしいよ」
「それはそうかもだけど……」
小学生の頃、毎朝の登校は学区ごとで班を作っていた。1年生から6年生と、学年の枠を超えての交流があり。どこか友達のような近い距離感があった。
それから小学校を卒業し、今に至る。
こうして一緒に登校するというのも珍しく、慣れない感覚。
「ほらほら、急がないと」
「……うん」
急かされるように声をかけられるが、いつもギリギリに登校している栞凪。ここで悠長に脚を止めていられない。
「隣歩くの?」
「……ダメなの?」
向かう先は同じ。
それでいて教室も同じだ。
さらに加えると、放課後となれば補習に付き合ってあげている。
仲の良いクラスメイトかと問われると、少し異なる関係かもしれない。
だから栞凪の中で、幸羽との関係に未だ疑問を拭えないでいる。
当たり前のように隣を歩く幸羽を横目に、栞凪は学校へと向かった。
「ギリギリセーフ」
「そうだね」
両手を横に、幸羽はニカッっと笑ってみせた。
栞凪からすればいつもの事だが、今日だけは違っている。それでも急ぐことなく校門を潜り、下駄箱で靴を履き替えているあたりでチャイムが鳴った。
それに慌てる生徒もいるが、栞凪は流されない。
むしろ、教室へと向かう足取りが重かった。
それでも向かわないといけない。
校内にいながらも教室に向かわず、どこかでサボる。
なんて思考はなく、真面目にも教室で授業を受けるしかない。
「おはよう」
「おっはよ~」
特定の誰かに向けたモノではなく、何となく教室に入るための挨拶。それに反応して栞凪自身に注目してほしいわけではないのだが、隣にいる存在がそれを良しとさせない。
(やっぱり注目されるよね……)
既にほとんどの生徒が登校し、席に着いていた。
クラス担任の昴が来るまで談笑で賑わっていたが、一瞬の静寂が訪れる。
視線という筵に晒されながらも、栞凪は自身の席へと向かう。
「それじゃ、また後で」
「……うん」
生憎と幸羽とは席が遠いのもあったが、別れ際の一言が余計でしかなかった。
席に着くも、クラスメイト達からの注目が止まない。
だからといって問い詰めてくるようなことはなく、チラチラと視線だけを向けてくる。
「おっはよ」
「あ、うん。おは」
「……はよぉ~」
「珍しいじゃん、ギリギリなんて」
明らかに動揺しているいつもの三人組女子だったが、幸羽は気にした様子もなく鞄を机の脇にかける。
「ちょっとね」
苦笑いを浮かべる幸羽は席に着くと、それ以降は口を開くことはなかった。
「よし、ホームルームを始めるぞ」
タイミングとしても昴が教室に姿をみせたのもあり、一時的にだが栞凪への興味が逸らされた。
特に学校側からの連絡事項はなく、淡々と出席確認だけが行われていく。
「全員いるな。かなり早いがホームルームを終えるが騒がないように」
そういって昴は教室を後にする。
珍しくもない光景ではあるが、今日だけは少し違った。
「ねえ、栞凪。ちょっとだけいい?」
いつもだったら授業の準備がてらに予習をしているのだが、不意に聞き慣れた声に視線を向ける。
予想しなくとも、幸羽が教科書を手に声をかけてきた。
「授業の事?」
「それもだけど、テスト勉強もかな」
「……それはいいけど」
ほとんどのクラスメイト達は席に着いたままでいる。
それもあって落ち着いて教えられないのだが、幸羽の強引な行動に目を向いてしまう。
「ちょっと詰めてね」
「いや、狭いって」
「そうだけど、仕方ないじゃん」
(何がよ!)
声を大に叫びそうになるのを堪えつつ、内心だけで訴えた。
1人分の椅子に2人で座るのは狭いどころか、肩やら肘といった様々な身体の部分が密着する。
ちょっとした身長差もあって、栞凪が視線を向けると幸羽の可愛らしいつむじを見下ろすことができた。他にも微かに柔軟剤か、シャンプーの香りが鼻腔を擽ってくる。
(……何使ってるんだろう)
クラスメイトとそんな話をしたことすらなければ、家族との洗濯洗剤や柔軟剤は同じだ。シャンプーやボディーソープなんかは別々だが、栞凪自身は特にこだわっていない。偶然流れてきたテレビのCMか、無料動画の広告が気になったから買って使ってみている。
「ねぇ、聞いてるの」
「あ、ごめん。どこ?」
「もぉ~聞いててよ」
剥れた様子の幸羽だったが、声音はどこか楽し気。
ただ勉強を教えるにしては近い距離感で、友達同士という関係では収まりきらない。
それを自覚させられながらも、栞凪は指差された教科書に視線を向ける。そのまま問われた部分を教えると、幸羽は真剣な面持ちで頷いてみせた。
朝のHRと1限目の僅かな時間、仕方なく勉強を教える羽目に。
(……これくらいなら簡単に解けそうな気がするだけどな)
ここのところ幸羽の補習に付き合い気づいた。
幸羽自身、実は自頭が良いのではと。
そんなことをふと思いながらも、1限目が始まるまでの時間を過ごした。
一度目のチャイムが鳴れば授業が始まり、二度目が鳴れば終わる。それを繰り返し、気づけばお昼休みを迎えていた。
「栞凪、お昼にしよ」
「うん」
各授業との合間、幸羽は栞凪の元を訪ねてきた。
理由は特にないのか、ふらりと席にやってくる。会話も授業の内容ばかりで、話題のドラマや共通の話題で盛り上がる事なんてない。
ただのいちクラスメイトなのか、それとも友達なのか。
それとも――。
「それよりお昼持ってきたの?」
「それはもちろん」
そういって、幸羽はコンビニの袋を顔の横に掲げてみせた。
「なんか新商品っていうラベル貼られてたの買ってみた」
「食べ切れるの?」
袋の中をみせられ、栞凪は眉根を寄せる。
いくら食べ盛りだったとしても、1つや2つではない。菓子パンに始まりサンドイッチ、おにぎりもあれば、健康を意識したのかカップサラダもある。
幸羽自身の好みがないようで、本当に新商品のラベルが張られたモノばかりだった。
「……一緒に食べない?」
「……そういうこと?」
お互いにお昼を持ち合わせるのではなく、一方が買ってきたモノを食べる。
それもありなのだろうが、栞凪もお弁当を持たされていた。
明らかに2人では食べ切れない量がある。
「……どうしよう?」
「……どうするの?」
お昼休みが始まって数分間、栞凪と幸羽は見つめ合う。
「あ、飲み物買い忘れてた」
何かを思いだしたように、幸羽は袋を閉じた。
「それくらい自販機で買えばいいでしょ」
「そうだね」
食べ切れるかはさておきと、栞凪達は教室を後にした。
「ひぃ~今日もやってる」
1階の購買部を遠目に、幸羽は怯えたように震える。
「みんなお腹空いてるからね」
朝しっかりと食べたとしても、授業で頭を使えばお腹は空く。特に男子生徒ともなれば授業の合間におにぎりや菓子パンを食べている。
それでも足りず、毎日のように購買部で激闘を繰り広げているのだ。
「栞凪は何にする?」
「私はお茶があるからいらない」
流れで幸羽について来ていたが、栞凪はいつも水筒を持たされている。中身は変わらず緑茶で、季節問わず冷たい。
そこに不満を抱いたことはなく、毎日のように用意してもらって事に感謝している。
「てか、ここまで来たらあそこで食べない?」
「……いいのかな?」
体育終わりでもないのにスポーツ飲料を買う幸羽が、1階の奥にある扉を指差す。
正方形の曇りガラスがはめ込まれた、見慣れた2枚の扉。新学期が始まってから意識どころか、よく利用するようになった一室へと通じる。
「とりあえず先生に訊いてみるね」
「よろしく」
快活な口調で言われながらも、人任せな幸羽に栞凪はひっそりと嘆息してしまう。
それでも脚は職員室へと向かい、生徒達と同じようにお昼ご飯を食べていた昴に声をかけた。
(……ちょっと拍子抜けだったかも)
これといった事情を詮索されるどころか、昴は二つ返事で鍵を手渡してきた。
何かと成績面を重視する学校というのもあり、規律が厳しいモノだと勝手に思い込んでいたところがある。
掌に乗せた鍵を見つめ、栞凪は職員室を後にした。
すると、職員室前の壁に寄りかかって待っていた幸羽が手を振ってくる。
「借りられた?」
「結構、あっさりと」
カチャリと音を立てる鍵を見せつける。
「なら早くしよ、お腹空いた」
それを見て、幸羽は満足気に笑ってみせた。
「けどあれだね、毎回借りるのは大変かも」
鍵を持っているのは栞凪だったが、幸羽は先を歩き始める。それを追いかけるように続き、栞凪は手にしているお弁当の巾着を抱えた。
「静かに食べれるけど、移動してる時間が勿体ないよね」
「それはそれ、これはこれじゃない?」
いつも教室で楽し気に話す幸羽でも、たまには静かに過ごしたい時があるのかもしれない。
そう思えてしまう、含みのある口調。
それもあって、ちょっとだけ勘ぐってしまう。
補習室の鍵を開けると、向かい合う2人分の机と椅子が置かれていた。
だからいつものように向かい合い、お弁当を広げる。
「何か不思議な感じ」
「そうだね」
どこかワクワクと声音を弾ませる幸羽に、栞凪は短めに言葉を返す。
(……いいタイミングかな)
偶然とはいえ、今日は幸羽の補習に付き合う日。朝に駅前で鉢合わせ、もとい待ち伏せされているとは思わなかった。時間がないというのもあったが、ゆっくりと今朝の行動を含めた事情を訊くタイミングがなく、ズルズルとお昼休みまで迎えてしまっている。
それに――、
「食べながらでいいからさ、今後も補習を続けるか言わせてくれない」
「……うん」
栞凪としては昨日の時点で答えを持ち合わせていたが、幸羽と話すどころか接触する機会がなかった。
だからモヤモヤしながら今日を迎え、絶好のタイミングまで用意されている。
ここで後回しにして、放課後まで結論を引っ張るのは時間の無駄でしかない。
水筒の緑茶で喉を潤し、栞凪は幸羽を見据える。
「幸羽が続けたいなら付き合うよ」
そう伝えると、幸羽は驚いたように両眼を見開く。
「……いいの?」
買い込んだお昼ご飯に手を付けるどころか、幸羽はまるでその話をされることを待っていたように背筋を正していた。
(……もしかして、ね)
それがどうも奇妙に映ったが、栞凪は首を縦に振る。
「冗談でこんなこと言わないし、何も得しないでしょ」
「その、どういった気の変わりようか訊いても?」
確かにあの日、幸羽が補習を続けたい理由を知って思った。
それは一見冷たくもありながら、学級委員という立場。学校側の内申点を稼ぐという考えが少しはあった。
だけど幸羽の成績は短期間で見違え、授業で当てられても答えられるようになっている。
それに気づいているのは栞凪だけなのか、クラスメイト達は特に気にした様子もなく淡々と授業を受けているのだ。
昴に言われるまで気づかず、いつまで続くのかと疑問を抱いた時もある。
その終止符を後回しに、継続を選んだ。
「真面目に頑張りたいなら応援したいし、誰かに教えながらっていうのも私の勉強になるから」
あえて、あの3人組が話していた内容を耳にしてしまった事は告げない。
「それに、私の内申点にもなるからね」
「はは、そうだね」
今さら気にしていない内申点を話題にすると、幸羽も可笑しそうに笑ってみせた。
「あれかもね、ここの鍵を貸してくれたのもそれが一つかもよ」
「……それはそれで、ちょっと得したかも」
さらに乗っかってくる幸羽に、栞凪は机の脇に置いた鍵に触れた。
「じゃ、そういうことだから放課後ね」
「うん、よろしく」
これで話は終わりだと、栞凪はお弁当の包みを開く。
「とりあえず、賞味期限が近いヤツから食べちゃいな」
「食べ切れなかったら夕飯にでもしよ」
それは冗談なのか、本気なのかわからない。
それでも幸羽がいいのならと、栞凪は追及することをしなかった。
覚悟を決めたように意気込む幸羽は、袋の中身をひっくり返したようにお昼ご飯を並べていく。
「……ちなみに、食べたいのある?」
「一口くらいなら」
初めから食べ切れないと見越している幸羽に、栞凪は嘆息してしまう。
あまりにも計画性もなく、一緒にいると何故か巻き込まれて振り回される。それでも何となく関係を継続するために、補習の延長を請け負った。
決して、あの3人組の陰口に哀れんだわけじゃない。
陰で努力しているクラスメイトを、栞凪なりに応援したいからだ。
それが幸羽だったというだけで、他の誰かであっても変わらなかったかもしれない。
偶然でしかなかったのだ。
「そうだ、栞凪っていつもあの時間に登校してるの?」
「そうだけど、なに?」
自分なりにこだわった生活ルーティンがあるわけでもない。家にいても両親がとやかく勉強しろなどとは五月蠅くなく、学校でも何かを苦に感じるようなこともない方だ。
中等部からの友達もいるが、クラスが違うので交流自体は少ない。それでも学生生活は充実している。
今さら問われたことに疑問を抱く。
「何時の電車で来るのかわからなくてさ、駅前で待ちながら思ったんだ。栞凪の連絡先知らないなって」
「何時から待ってたの?」
「7時くらいから?」
「し、7時ッ!?」
何から食べようかとコンビニの袋を覗き込んでいる幸羽は、さほど待たされていたことを気にしていない。
それどころか、見切り発車。
逆に栞凪からすれば、勝手に待っていたとはいえ驚きを隠せない。
だって幸羽が駅前に到着した時間帯、栞凪はベッドの中で眠っていた。
「そうだ、どうして待ってたの?」
「え、一緒に登校したかったからだけど」
ようやく、朝の疑問を解消するタイミングが訪れた。
だがそれも、蓋を開けてみればさしたこともない。
「何か用が、補習の事で話があるのかって身構えてたんだけど……」
「それもそうだけど、純粋に一緒に登校したかっただけだよ」
幸羽の中で決まったのか、コンビニの袋から1個のサンドウィッチを取りだした。
特段変わり映えしない三角形に切られ、丁寧に包装されている。よく見ると新商品というわけではなく、増量キャンペーンの対象商品だったというだけのようだ。
「ん、連絡先交換しよう」
「別に、グループから登録してくれてよかったのに」
あくまで、校則でスマートフォンの使用は禁止されている。
それでも生徒達は教師の目を盗むように使用し、もし没収されたとしても一時的に預かるだけ。放課後になればちょっとした反省文を書くだけで返してくれる。
だけどここは補習室。
生徒の目どころか、教師すら普段から利用しない。
それもあって周囲を気にする必要もないからか、幸羽は何の躊躇もなく透明なカバーに覆われたスマホを取りだしてみせる。
慣れた手つきで画面のロックを解除し、1つのアプリを起動させた。
栞凪も見慣れたどころか、家族とのやり取りもそこでしている。
「あんまり気軽に取りださない方が良いよ」
「そんなお堅いこと……。ごめん、気をつける」
立場上、クラス委員というのもあった。
だからといって教師に突き出すようなことはせず、口調だけで注意しておく。
それを真に受けたのか、幸羽は少しだけ肩をすぼめる。
「成績が良くなってきてるのに、こんなところで目をつけられたら勿体ないでしょ」
「……確かに」
口では注意しながらも、栞凪も手帳型のスマホを取りだす。
そのままQR画面を表示させ、栞凪と幸羽は連絡先を交換した。
「この写真いつの?」
「……確か春休み前。この学校毎年のようにクラス替えあるから、その何人かでカラオケに行った帰りだと思う」
「へ~ちょっと意外」
「何がよ」
さっそく栞凪のアイコンをみているのか、幸羽は感心したように声を発した。
それが心外で栞凪は声音に怒気を含ませる。
それに幸羽は悪びれるところか、笑って誤魔化そうとしていく。
「いやだって、教室じゃあいつも自分の席にいるじゃん。席が近い人とは喋ってるところはみかけるけど、そこまで親し気な感じしないし。カラオケって、何歌うの?」
「確かに普段はそうかもだけど、クラスが別なだけで廊下とかですれ違えば話くらいはしてるよ。カラオケは……何となくドラマとかのワンコーラスくらい」
「あ~わかる。フルで知らない曲って多いよね」
ポップな曲調の口ずさみ始めた幸羽だったが、それも途中で止めて鼻歌でメロディーだけに変わっていく。
「そんな蓮永さんこそ、これ」
「そう、今期の新作! もう飲んだ?」
ここで知ってると聞かれなかっただけ、幸羽の中でも周知ということなのだろう。
実際、新作が出るたびにSNSで情報や、飲んでみたという写真が流れてくる。
「……まだだけど」
やけに食い気味の幸羽に、栞凪の直感が冴えた。
「帰りに寄ってかない?」
「そう来るよね」
「……?」
ボソッと呟いたつもりが、向かい合って2人っきり。
不思議そうに幸羽は小首を傾げる。
幸羽からすれば急遽思いついたどころか、誘う気だったのだろう。
それ自体はいいのだが、栞凪は戸惑い気味に訊ねる。
「同じヤツに2回も飲むつもり?」
栞凪はいつも1回だけお店に足を運び、飲みながら帰る。特にこだわったトッピングもしなければ、そのままを注文していた。
中にはこだわりにこだわったトッピングをした写真も見るが、未だ足を踏み入れたことはない。
もし幸羽がそういったタイプであれば、何かにつけて誘われる可能性があった。
「それもありだけど、トッピングとかこだわらないし。ん~気分で決めようかな」
「そう……」
内心で安堵してしまったが、気づいた時には行く方向で話が進んでいる。
だから――、
「しっかりと今日の補習範囲が終わったらね」
釘だけはさしておく。
今日は元もと栞凪が補習に付き合う日。
それなのに浮足立って集中できず、手が付けられなくては意味がない。
「それはもちろん。今後ともみてもらえるって言ってくれたのに、がっかりさせたくないもん」
「……それならいいけど」
屈託のない笑みの幸羽に、栞凪も似た表情を浮かべていた。
それから取り留めのない話をしながら昼食を摂り、お昼休みの終了を報せるチャイムにお互いに慌てて補習室を後にする。
余韻で賑わう教室の空気感に当てられながら、栞凪は授業の準備をした。
横目で幸羽の席をみると、同じようにしている。
(……気のせいじゃないよね)
席が近い3人組の1人と何かを話しているようだったが、短めに切り上げて教科書と向かい合う。
昨日のように教科担任が来るまで話すようなことはしていない。
幸羽の中で、明確なルールがあるのだろう。
そのまま放課後となり、幸羽はしっかりと補習に取り組んだ。栞凪もただ座っている時間が勿体なく教科書を取りだし、幸羽からの質問に答えながら勉強を始めた。
そして帰り道、学校の最寄りから数駅離れたチェーンのカフェへと向かう。
栞凪は期間限定品を注文し、幸羽は悩みながらもドリンクを選んだ。せっかくだからと店内で過ごし、少しの間だけ一緒に過ごした。
「じゃ、また明日」
「うん、また明日」
そういって手を振る幸羽に、栞凪も手を振り返す。
ただその明日は、こないだろう。
お互いに自宅の最寄り駅が違う方向というのもあってホームで別れた。
《次はカラオケとかもいく?》
「もう次って」
帰りの電車で、文面から伝わってくる幸羽の熱量に嘆息する。
既読がつけてしまったため返信をしないといけなかったが、どうするべきかと栞凪は頭を悩ませた。
《お小遣いの都合もあるから、またの機会ね》
こうしてクラスの誰かとどこかに寄る事は珍しくはないが、そう多くはない。
一番の問題は金銭面。
毎月のお小遣いを上手く遣り繰りしているが、高校生でしかない栞凪は悠々自適に過ごせるほどもらえていない。
だからといってアルバイトを始めようとも考えてはいなかった。
その理由は何となく、今は勉強が大事なのかなと思うから。
それは周囲も同じなのか、派手に遊び歩いている人の話を聞かない。
それでも幸羽は転校してきてから何かと交流が広いようで、いつもの3人組女子どころか、異性とも楽し気にしている。
《それもそうだよね! じゃ、またの機会にね》
もしかしたらと考えたくもあったが、どうやら聞き訳も良ければ、お財布事情は同じなのかもしれない。
そう感じながら、栞凪はガタゴトと電車に揺られながら帰路に就いた。
そして翌日。
「……んッ」
目が覚めた栞凪は、ベッドで大きく伸びをした。
いつもの時間に鳴るアラームを止めて、何となく幸羽からの連絡が来ていないかを確認する。
「そうだよね」
通知がないことにガッカリどころか、栞凪の中で確信へと変わる。
今日は幸羽の補習に付き合わない日だ。
だけど、学校には行かないといけない。
幸羽のためだけに通っているわけでもなければ、栞凪も同じ学生だ。
朝起きて顔を洗う。ゆっくりと朝食を摂りながらリビングで過ごし、会社へと向かう父親を見送る。キッチンで洗い物やらをする母親に急かされながらも、いつもの時間になれば学校へと向かう。
通勤ラッシュが少し遅れているからといっても座席は埋まっており、いつもながらつり革を掴みながらSNSを巡回する。
『次は~○○。お降りの際はお荷物のお忘れがないようにお願いしま~す。次は○○~』
そんな男性のアナウンスを耳に、栞凪は学校の最寄り駅に到着した。
改札を抜ければ見慣れた風景。
昨日のように幸羽が待っているようなことはない。
だから気にせず学校へ、同じ制服を着た生徒達のように向かって行く。大半が遠方からの寮で過ごす生徒が多い中、たまたま電車で通える範囲だったというのもある。
少しだけ寮が羨ましいなと思いながらも、聞くところによると相部屋らしい。共同スペース以外で上級生や下級生との交流はないらしいが、栞凪はどうにも誰かと一緒に生活するイメージが掴めないでいた。
だから今が正しいのだと思っている。
校門を潜れば学校の敷地内、どことなく今日という一日が始まった気分になっていく。
「おはよう」
特定の誰かに対して向けた挨拶ではなく、不特定多数のクラスメイトへ。
朝のHRが近いのもあって、ほとんどのクラスメイトが席に着いている。それでも賑やかな会話が止むことはなく、栞凪の挨拶はかき消されていく。
そこには、いつものように3人組女子と楽し気に話す幸羽もいる。
「そうだ、昨日のドラマ観た?」
「みたみた~」
「もう来週が待ちきれない」
「まった、私は終わってから全部見る派だからネタバレ禁止」
教室の一番後ろ側の窓際、聞き耳を立てる必要もなく内容が筒抜け。
「ウッソ、初めて知った。あれ、もしかしてネタバレしちゃってり……」
幸羽以外の2人は知っていた様子で、戸惑う姿を楽しんでいる。
「その辺は大丈夫。あえて触れてないから」
「よかったぁ~」
盛大に安堵する幸羽に、3人組女子は楽し気に笑ってみせた。
そんな様子を、栞凪は横目にするだけで席に着く。
一昨日のような困惑もなければ、昨日のバグった距離感にも納得がいく。
幸羽なりの学校での過ごし方なのだ。
その日、栞凪は幸羽と一言も話すことなく学校生活を過ごしていく。
ピロン。
そして日付が変わると、一通の通知音が鳴った。
《明日ってこの前と同じ電車の時間帯? 一緒に登校しない?》
「もし私が寝てたらどうしたのよ」
相手を確認する必要もなく、幸羽からの連絡だった。
そのことに嘆息しながらも、栞凪は寝る支度を整える。
《寝坊しなければ同じ時間帯。おやすみ》
そう返信を打ち込み、ぐてっと溶けたような猫のスタンプを一つ。そして既読を確認せずにベッドへと潜った。
いつもであれば、スマホのアラームで目が覚める。
「ん~」
だけど今日に限っては違った。
けたたましく着信音が鳴るスマホに手を伸ばし、画面をタップする。
『あ、おはよ~』
「……何時だと思ってるのよ」
開ききらない両瞼、眉間にシワを寄せながらスマホ越しの相手に問いかける。
『ん? 朝の7時になったところ』
「……そう」
まるで報道番組のアナウンサーかのように時刻を伝えてくるが、どうでもよかった。
「こんな朝早くに何よ」
寝起きで回らない頭を駆使しながらも、栞凪はベッドの上を転がる。
『え、寝る前に寝坊しなければって言ってたから起こしてあげたんだけど』
「そうだけど、起こしてなんて頼んでないだけど」
『ごめん、てっきり起きてるもんだと思って』
幸羽からすれば善意のつもりだったのだろうが、栞凪にとってはまだ寝ていたい。
「じゃ、寝るから」
『あ、うん』
若干の苛立ちと怒気を含ませた声音で通話を切り、栞凪は枕に顔を埋める。
「何なのよ」
愚痴の一つでも零さなければやっていられず、深い溜息と共に微睡みの中へと沈んでいく。
それから二度寝を決め込んだ栞凪だったが、時間になればアラームは鳴る。
「ん~」
まだ寝ていたい、けど起きないといけない葛藤に苛まれながらもベッドの上で転がる。せめてもとアラームだけは止めようと、枕元に置いているスマホに手を伸ばす。
「……?」
そのはずだったが、スマホがなかった。
栞凪自身としては寝相が悪い方だと思ったことはなく、スマホが枕元から転がり落ちていたということはない。
だから違和感に上体を起こし、音源を探った。
「こんなとこに置いたっけ?」
多少であれば気にならず、手を伸ばせばいいだけのこと。
それが今日に限っては反対側に転がっていた。
起き抜けの意識が徐々に覚醒していき、ちょっとした違和感に合点がいく。
「そうだ、起こされたんだ」
短めに溜息を吐き、スマホのアラームを止める。
スマホの画面上には通知が残っており、栞凪が二度寝を決め込んだ後にも幸羽からの通知があった。
《さっきはごめん》
《じゃ、駅前で待ってる》
トーク画面を開いて確認したことで、そんな短い文に既読がついてしまう。
これだけで栞凪が起きたことを報せることになる。
しばらく画面を睨めっこしながら、何か返信するべきかと髪をかく。
だけど悠長にしてはいられない。
「ま、行けばいっか」
グッと背筋を伸ばし、栞凪はベッドから降りて登校の準備を始めた。
寝間着から制服に着替えて、一階のリビングに顔をだすと両親が起きている。朝の挨拶を交わして、用意されている朝食を摂りながら今日の天気やトピックニュースを眺める。それから歯を磨き、顔を洗って軽くメイクを施す。そこまで凝るどころか、あくまで薄く、教師に目をつけられない程度。
中には毎日セットが大変そうな髪形やメイクの生徒もいるが、栞凪にはそんな労力が朝からなかった。
「いってきまぁ~す」
玄関先の姿見で身なりを確認して家をでる。
家から駅までは基本的には徒歩。父親の出勤とタイミングが合えば送ってもらえたりするが、稀であった。中学の頃は自転車も考えて試すも、今に落ち着いている。
休日に友達と遊ぶ時くらいにしか使わなくなった自転車を横目に、栞凪は駅を目指した。
特に電車の遅延はなく、時間通りに到着してくる。
それに乗り込むも、座れる席がないことにつり革を掴む。
学校までの道すがら、スマホでSNSを巡回する。フォローしているアカウントのポストをスクロール、次々とリポストや引用に目を通していく。
そんなことをしていれば電車は学校の最寄り駅に到着しており、空気の抜ける音に続いて扉が開いた。ぞろぞろと同じ制服に身を包む生徒達と改札を抜けると、見慣れた一人がガードレールに腰かけている。
「……おはよ」
「はよ~」
軽く飛ぶようにガードレールから降りる幸羽に、栞凪はジト目を向ける。
「朝から元気ね」
「……そうかな?」
「そうよ」
幸羽の顔を見て、今朝の事を思い出す。
「いつもあんな時間に起きてるの?」
「そういうわけじゃないけど、たまたま目が覚めたから起きてるかなぁ~って電話してみたんだ」
「行動力……」
思い付きで叩き起こされた事実に、栞凪としては釘を刺しておく。
「お願いだから朝はゆっくり寝させて」
「やっぱ遅くまで勉強してると大変だね」
「……そういうわけじゃないけど」
何だったら日付が変わった、幸羽からの連絡後すぐに寝ていた。しっかりと7時間の睡眠を確保し、朝のルーティン通りに行動している。
学校の雰囲気からして勉強に打ち込んでいると誤解されるも、上手い言い訳が思いつかない。
感心してみせる幸羽に、栞凪は顔を逸らす。
「とりあえず行こ」
「そだね」
歩きながらでも話せそうだと思い、栞凪達は学校へと向かう。
だからといって、特に話題がない。
同じように学校に向かう生徒達の間ではチラホラと会話をしている様子が見られるも、栞凪と幸羽は黙ったまま。つかず離れず隣を歩く。
周囲からの視線はない。
会話がなくても気まずく思わない。
このままでもよかった。
「あ~そうだ」
校門を潜ったあたりで、幸羽が何かを思いだしたように口を開いた。
「そろそろ期末の準備しようかなって思うんだ」
「……そうなると、放課後はどうする?」
栞凪としてもそろそろ始めようかと考えていた。
そうなってくると、一つの問題が生じてしまう。
そのことをお互いに察したのか、栞凪と幸羽は顔を見合わせる。
「栞凪としては、やっぱり負担だよね?」
先に口を開いたのは、幸羽の方だった。
最初の頃、栞凪とひと悶着あったのが懐かしい。今では補習という体で学校の一室を使い、お互いに授業の復習がてら教え合っている。(9割は栞凪が教えているが……)
昴から用意された補習のプリントは持ち帰り、自力で解いているらしい。
ここで終わらせても良かったのだが、延長を持ちかけられた。
それに対して、栞凪は了承している。
陰でクラスメイト達から笑われている事実を耳にしてしまったのもあるが、栞凪としても手放すには惜しいと思える環境でもあった。
「私はいいけど、どっちかに専念した方が蓮永さんにとっては楽じゃない?」
事実、栞凪は何一つとして負担だとは感じていない。
ただ椅子に座り、机に教材を広げるだけ。
それはほぼ授業と変わらず、場所が変わっただけの事。
だけど幸羽の場合は少し異なる。
通常の授業に加えた、補習のプリント。いくら授業の復習も兼ねたとしても、全てを並行しながらの学習は効率が悪すぎる。幸羽の事だから持ち帰った補習のプリントが終われば、翌日の授業範囲を予習しているに違いない。
一日どれだけの時間があれば事足りるのだろうか。
そのために睡眠時間を削るのは、ただただ悪循環を生みだしかねない。
「……達宮先生に相談してみる」
「そうした方が良いと思う」
顎に手を当てて考え込む幸羽に、栞凪は首を縦に振った。




