第7話:自他公認の秘密な関係
結果として、幸羽の補習という名目がテスト勉強に変わった。
そのため補習室の利用が出来なくなるかと思いきや――
「補習室の鍵なんだけど、このテスト期間中は三環さんに預けておくよ」
「……いいんですか?」
一生徒でしかない栞凪。
いくらクラス委員とはいえ、学校の備品を個人に預ける。
これまでそういった経験のない栞凪は驚くが、昴も声を潜めていた。
「本来はダメどころか、一個人を特別扱いする行為だ。それは俺自身も自覚あるが、3人だけの秘密にしておけば問題ない」
周囲に教師がいないかを確認するように、昴は一度顔を上げる。
「何よりこれからテスト期間に入るから、職員室への入室が制限されるだろ。頻繁に出入りするのは逆に怪しまれるどころか、明らかに不審がられる」
「まぁ、そうかもですね」
テストでわからないところがあるから教師に質問しに訪ねる、なんてことは珍しいことではない。
だが、昴は一クラスの担任。教科は体育だ。
何一つとしてテストに関係しない。
なのに、わざわざ訪ねる理由とは?
「わかりました。預かります」
「このことは蓮永さんにも」
「しっかりと釘刺しておきます」
幸羽の交友は広く、クラスの垣根を超えている。
それを栞凪は最近になって知り、意外と生徒同士の関係に聡い教師の昴も危惧するほど。
ひょんなタイミングで幸羽が口を滑らせようものなら、瞬く間に生徒間で広まり、教師の耳にも入るだろう。
そうなれば、学校側の問題になる。
そして、昴が罰せられてしまうだろう。
「じゃ、そういうことで」
「はい」
掌に乗せられた鍵を握り締め、栞凪は職員室を後にした。
「そういうことだから」
「オッケー、理解した」
それから補習室に移動して、栞凪は幸羽に事情を話した。
説明を受けた幸羽は右手の親指と人差し指でOKサインを作り、ニカッと笑ってみせる。
(……本当に大丈夫かな)
一抹の不安を抱きながらも、栞凪は補習と称したテスト勉強に取りかかる。
向かい合った机に1枚のプリントを広げた。
「範囲としてはこれだけど、不安な教科ってある?」
「ん~今のところ授業にはついていけてると思うかな」
その実感はあるようで、幸羽の物言いに胸を撫で下ろす。
「じゃあ、とりあえず範囲の復習がてらわからなくなったら教え合う。それでいい?」
「栞凪でもわからないところあるの?」
「……そりゃ、まぁ」
このテスト期間への方針は決まったが、なんとも間抜けな疑問を投げかけられて戸惑う。
「あくまで私が教えられる範囲でしか蓮永さんには教えられないし、これまでの補習プリントも私にとってはちょっとした復習がてらだったんだけど」
「それでもわかりやすかったし、聞けばなんでも応えてくれるし頭いいのかなって」
「……そういうもの?」
テストの成績としては学年全体を通しても、クラスでも一学期は真ん中だった。上をみればきりがないどころか、栞凪自身も自力の限界を感じている。かといって成績をあげようという焦りや、塾に通うといった考えはない。
今という現状に満足している。
「てことは、わたしが栞凪に教える場合もあるってこと?」
「あるかもね」
可能性としてはゼロではない。
それに複雑そうな表情を浮かべる幸羽。
「どうかしたの」
「……んん」
首を横に振る幸羽だったが、栞凪は気にせずテスト範囲のプリントに目を向ける。
「授業以外の時間って考えるとここで2時間くらい。家でだと、まぁ~ムリなくってはなるかな」
視線で問うと、幸羽は眉根を寄せた。
「2時間はとれるかな」
「それなら計4時間くらいってなるけど、全部の教科をまんべんなくやるとひと教科で2,30分しかできない」
無言で首を縦に振る幸羽に、栞凪は説明を続ける。
「苦手教科とかがあれば重点的に時間を割けばいいだろうけど、こうなると得意分野の点数を伸ばすか、まんべんなくやるのどっちかかな」
どうすると、栞凪は小首を傾げる。
「栞凪はいつもどうしてるの?」
対して幸羽も小首を傾げる。
まるで栞凪に方針を任せるような口ぶりに、少し困惑してしまう。
「私は、まんべんなくかな」
「じゃ、それでいこう」
幸羽の間髪ない返答に、定期テストへの方針が決まった。
「それでいいの?」
「ん? だって、そっちの方が栞凪としては教えやすいでしょ?」
「そうだけど、もっといい点とりたいとかないの?」
「今がその、過去最高点を更新中」
カニのようにピースサインを顔の両脇に二つ作り、幸羽は笑ってみせる。
「それならいいけど」
実際に成績が上がっているのは事実として、幸羽が満足しているならいいのかもしれない。
(ちょっと安心したかも)
この短期間の成長ぶりを鑑みるにまだ上を目指せるだろうが、当の教える側にも限界はある。
今、幸羽とテストの成績を競ったらどっちが勝つのだろうか。
「今日のところは予定を組むくらいにして、次回からってことで」
「はぁ~い」
どこか聞き分けの良い生徒を装って手を上げる幸羽に、栞凪は苦笑いを浮かべながら予定を組んでいく。
あれこれと30分程でテスト計画は出来上がり、解散の流れに。
「どこか寄ってく?」
「任せるよ」
何となくそんな気がしていた。
どちらから席を立つこともなく、無言の時間が続いた。栞凪としても帰ってすることといえば勉強くらいだが、テストが近いからと焦りはしない。
かといって、幸羽からの誘いを待っていたわけでもなかった。
流れのようなものを察しながら、席を立たずにいたのだ。
「この前はカフェだったけど、今回もそれでい?」
「……カラオケじゃないだ」
前回の事を考えると、必然的にそんな予想がついてしまう。
だけど違った。
「カラオケの方が良かった?」
提案した幸羽もまさかだったのか、瞳を丸くさせている。
「ほら、この前そんな流れだったから、そうなのかなって思ってたの」
「あ、そうだったんだ。え、じゃあどうしよう」
栞凪の不意な発言が混乱を発生させてしまったようで、幸羽は慌ててスマホを取りだす。
(……もしかして別のお店を決めてたとか?)
カフェと聞いて、前回と同様のお店を想像してしまった。
ただ何となく、幸羽の様子から気遣いを勘ぐってしまう。
「あ、今出ればどっちも大丈夫っぽい。……どうする?」
ホッとしたように胸を撫で下ろす幸羽に、栞凪は考え込むように一瞬目元を細めた。
「カフェにしよ。そこだったらちょっとくらい勉強できそうだし」
「え、そこでも勉強するの」
まるでその発想を予想していなかったようで、幸羽の表情には『真面目かよ』とあからさまに書かれていた。
「……冗談。どこか行きたいところあったの?」
「ま~そんなところ」
教室でのバカ騒ぎをしている時もだが、素で隠し事が苦手な性格なのかもしれない。全部が感情として一喜一憂、喜怒哀楽がコロコロと変わる。
そんな幸羽だから、ちょっとだけ悪戯心が湧いてしまった。
「んじゃ、いこっか!」
目的地が決まったことで、幸羽は勢いよく席を立つ。
「そんなに急がないといけないの?」
どこか手のかかるヤンチャな妹っぽい幸羽に、栞凪はヤレヤレといった雰囲気で立ち上がる。
「そんなことはないけど、ジッとしてるのって勿体ないじゃん」
「そうかなぁ~」
元もと教科書とかは机に広げていないから片付ける物はない。机の脇に下げた鞄を手に取るだけで、あっという間に帰宅できる。
それなのに急がせてくる幸羽に、栞凪はわざとゆっくりとした動作で補習室を後にした。
(なんだかんだ忙しなかったな)
帰宅した栞凪は、肩にかけていた鞄を机に置いて息を吐く。
連れて行かれたのは学校の最寄り駅から少し離れた、個人で営んでいる雰囲気のカフェ。住宅街にひっそりとお店を構え、通りかからなければ気づけない。路面に面していて車通りもあれば、近所の人がペットのお散歩に立ち寄ったりと、アットホームな場所だと感じた。
ただ残念なことに勉強をするための広いスペースはなく、幸羽と毎月変わる限定ドリンクを飲んだ。
それから取り留めもなく、最近のドラマや無料動画の話。少し気の早い夏休みの予定なんかも話した。
「……楽しかったな」
そう思い返していると、スマホが通知を知らせてきた。
その相手が容易に想像できてしまいながらも、栞凪は画面の通知バーをタップする。
《家着いたぁ~》
《これからべんきょ~》
「何の報告よ」
それが可笑しくて、なんて返事をしようか考えてしまう。
《よくあそこのカフェみつけたね》
《散歩中のワンちゃん可愛かった》
栞凪達がお店に行くと、常連なのか一人の老婦と一匹の柴犬がカフェにいた。
咄嗟に吼えられると身構えた栞凪だったが、人懐っこい性格なのか擦り寄ってくるも、飼い主にリードを引っ張られて阻まれる。栞凪としても触りたい欲求があったが、大人しくお座りする姿をただ眺めた。
《それね!》
《栞凪も触ればよかったのに》
「……確かに」
対して幸羽は、店員さんにドリンクの注文を済ませると、飼い主に断りを入れてその犬を撫で繰り回していた。犬の方もまんざらでもなかった様子で、お腹をみせてすっかり幸羽に服従してしまう。
今思うと、後悔でしかない。
《また機会があったら触らせてもらおう》
そんな決意と共に、自然と次の約束を取り付けてしまう。
《うん、今度こそリベンジだね》
それに気づいた時には遅く、幸羽からの既読と返信がついてしまった。
(ま、まぁ~次があればだけどね)
何かと理由をつけて誘ってきそうだが、お互いに所属するコミュニティがある。
こうしていつまでも補習という建前で続く関係じゃない。
《それじゃ、また明日!》
《うん、おやすみ》
幸羽からの終わりを告げられ、少し早いおやすみの挨拶を返す。
それから幸羽からの連絡はなく、宣言通り勉強に取りかかったのだろう。
「私も頑張ろう」
発破をかけられるように栞凪も意気込むも、とりあえず夕飯前に入浴を済ませておく。そうしている内に夕飯ができたと呼ばれ、何となく流されていた報道番組からバラエティー番組にチャンネルを変える。
特に面白いというわけでもないが、自然と流してしまう。
食べ終わった食器を自分で洗い、それからテスト勉強を始める。
「……」
ふと、幸羽からどこがわからないといった質問が着ているかとトークアプリを起動してしまう。
だがそれは杞憂で音信不通。
「よし」
それはいい事でもあるが、どこか補習室での名残で寂しさを感じてしまう。
だけど、他人の心配ばかりもしていられない。
テスト勉強もこなしながら、明日の授業も予習をしておく。
そんなこんなをしていると、あっという間に夜が更けていった。
気づけば、アラームより先に目が覚めている。
(……朝)
微睡む意識の中、枕元に充電しっぱなしのスマホに手を伸ばす。
これといって寝相も悪くなければ、寝落ち通話をするような相手もいない。それでも寝る直前まで動画をみたりするようになってからは、当たり前のようにサイドデスクが定位置になりつつあった。
もぞもぞとベッドの中で身動ぎながら、スマホを探す。
そんな栞凪の行動に呼応するように、スマホもアラームで居場所を伝える。
「……眠っ」
ゴロリと寝返りを打ちながら、手にしたスマホの時間を確認する。
昨日どころか、寝不足になるほど眠れない日がない。かといって寝つきが良いわけでもなく、ベッドに入ってからゴロゴロすることもある。
だけど今日に限っては、どこか頭が重い。
ただそれも束の間で、大きく伸びをすると薄らいでいく。
「起きよ」
いつまでもベッドの住人になっていられないと、部屋のカーテンを開ける。射し込む朝日に目を細めつつ、もう一度背筋を伸ばす。
どこからか漂ってくる朝食の匂いに誘われるように、栞凪は部屋をでた。
朝食を済ませたら身支度をして、遅刻しないように家をでる。
「……え?」
そしていつものように電車に揺られ、学校最寄り駅の改札を抜けた。
そこで目にした光景に、日付感覚が狂わされる。
「あ、はよ~」
「あ、うん。おはよう」
寄りかかっていたガードレールから降りた幸羽は、戸惑いを隠せない栞凪に近づく。
スマホで日時を確認し、栞凪は幸羽へと視線を向ける。
「今日って火曜日だよね?」
「うん、火曜日だけど?」
「補習、しない日だよね?」
「補習は、ないね」
「そう、だよね?」
現状確認の短いやり取りを繰り返すも、栞凪はさらに頭を抱えていく。
「どうしているの?」
「一緒に登校しようかなって思たんだけど、誰かと約束してた?」
「してはいないけど……」
思考を巡らせるため、栞凪はゆっくりと息を吸って吐く。
「補習のない日は別々に登校してなかったっけ?」
「うん、補習はないよ」
「……じゃあ、どうしているの?」
巡り巡った疑問を投げかけると、幸羽は得心がいったように手を打った。
「だって昨日、テスト勉強の予定経てたじゃん。だから今日からテスト勉強期間でしょ? ……それって、補習じゃないよね?」
実際に幸羽の補習は一度切り上げ、テスト勉強に専念しようという話にはなった。だから昨日の内にテスト勉強のスケジュールを組んで落ち着いたはずだ。
だから、補習の日と同じ感覚で勉強を教え合うとばかり思っていた。
「てなわけで、今日からテスト勉強に付き合ってね。栞凪」
「そういうあれね」
どことなく腑に落ちないが、幸羽の言っていることは最もだ。
「ほらほら、こんなところで突っ立てると遅れるよ」
「今行く」
今にでも駆けだしそうな幸羽の後ろ姿に、栞凪は呆れた様子で歩きだす。
せっかく昨日の内に組んだ勉強計画だ。それを初日から個人任せにするより、お互いにペースを合わせることで進捗がわかりやすい。
何よりも、教えることも1つの勉強方法でもある。
この関係がもうしばらく続くのだと、楽観的に思う栞凪だった。
「……」
「……」
定期テストが目前に迫ると、生徒達の勉強に対する意欲が目に見えて高くなっていく。
学校側も配慮してなのか授業のペースを落とし、中には一コマを自習時間とする教師まで現れる。それもあって教室内は静寂で、ノートの上をシャープペンが走る音。教科書や参考書を捲る音だけに支配されていく。
「ねぇ、栞凪。ここなんだけど」
「ん~」
時には生徒同士での教え合いも繰り広げられるが、それも全て小声で。
「教科書よりも授業のプリントがわかりやすかったと思う。……ほら、ここ」
「んっ」
中には席を移動して机を向かい合わせ、ちょっとしたグループを作りながらテスト勉強に勤しむ生徒達もいる。
だが生憎と栞凪と幸羽は、1人分の狭い机に2人分の教材を広げていた。
席の移動は生徒同士での話し合いで成り立ち、栞凪が座る前後と交渉したが断られてしまったのだ。仕方ないので同じ教科に取り組んでいるが、まったく範囲が違う。
それでも肩を寄せ合いながら、ほぼ栞凪が教える形で時間を過ごしていく。
そして授業が終わり、放課後となれば補習室へと直行する。
「なんかさ、ここで勉強するのって安心する」
「……そう?」
凝った肩をほぐすように首を回す幸羽に、栞凪は不思議そうな視線を向ける。
栞凪達の教室と比べれば補習室は閑散としていて、机と椅子も2組しかない。それにくわえて栞凪と幸羽の2人っきり。教室での喧騒もなければ、勉強に集中するにはかなり適している。
言い得て妙だが、あながち間違っていないのかもしれない。
特に幸羽の場合は、陰で悪口を言われているのを栞凪は耳にした。
今はどうかわからないが、あの時と比べると幸羽はクラスメイト達と遜色なく授業にもついてこれている。
「静かで集中できるっていう点においては同感」
いつもの席に着き、栞凪は教材を机に広げる。
「え、ちょっとは休もうよ~」
対して幸羽はさっきの授業で頭を使い過ぎたのか、机に突っ伏して駄々をこね始める。
それを見て、栞凪は肩を落とす。
「10分だけね。そしたらさっきの続きから」
「へぇ~い」
不満げに返事をしながらも、幸羽は鞄から教材を取りだす。それでも気力と集中力が湧かないのか、だらりと机に突っ伏してしまう。
(まあ、授業時間も仕えてるお陰でペースとしては順調かな)
それでも気は抜けない。
まだテスト前期間に入ってすらいないのだ。
(ちょっとくらいわね)
あえて休憩時間を明確に設けたが、幸羽の状況をみて発破をかけることにした。
そして本格的にテスト1週間前に突入すると、全部活動が中止となる。それもあって朝から教室には生徒達が多く、片手には教材を手にしている光景が当たり前。お昼休みや放課後となれば、図書室は自習室が解放されて常に満席。
雑談という雑談はなく、会話のほとんどが勉強一色に染まっていった。
「なんかさ、ここまでピリつくんだね」
「毎回の事だよ」
4月から転校してきた幸羽にとって、毎日のように騒がしく過ごしている生徒達の真剣な表情。肌を刺すようなピリついた空気感に、いつものおチャラけた態度は鳴りを潜めていた。
だが栞凪からすればよくある光景でしかなく、慣れ親しんだもの。
授業もほとんどはテスト対策として教師は教鞭をとり、一言も聞き逃すまいと一層と静寂さが増していく。
そんな息が詰まりそうな初日を終えて、栞凪と幸羽はいつものように補習室にいた。
「ダメ、色々な意味で疲れる」
「それ、いつも言ってない?」
背凭れに全身を預ける幸羽は、毎日のようにちょっとした愚痴をこぼすようになった。
昨日は――、
「ちょっと立ち上がっただけなのに睨むことある!?」
一昨日は――、
「わかんないから先生に訊いたのに、それってズルなの!?」
そのさらに前の日は――、
「廊下歩きながら勉強しないでほしいんだけどッ!!」
etc……。
幸羽自身も空気に当てられて追い込まれているのか、日を追うごとにピリついていた。
「よく栞凪は耐えられるね」
「そんなことはないよ。ちょっとしたことでイライラはするけど、そんな事に気を取られてないというか、気にしてられないというか」
実際、幸羽が愚痴る内容には共感できる。
この時期ばかりは自宅で勉強していた方が、心身的に健全で居られる気がしていた。
「はぁ~大人な考え~」
「バカにしてる?」
だから、幸羽の些細な言葉にも突っかかってしまう。
「……ごめん。そんなつもりじゃない」
「こっちこそごめん。……余裕なかった」
盛大に溜息を吐く栞凪に、幸羽は悪い笑みを浮かべて覗き込む。
「そういえばなんだけど、こんな噂知ってる?」
「ちょっと、下らない事だったホントに怒るからね」
ただ何となく、下らない事だろうなと予想がついてしまう。
たっぷりの間をおいて、幸羽は栞凪を見据える。
「私達、付き合ってることになってるらしいよ」
「下らない」
ニヤニヤとした幸羽の顔に、栞凪は容赦なく手で覆い隠す。
誰が誰と付き合おうが、栞凪にとっては隣の芝生でしかない。残念なことに好意を抱かれることも、抱いたことが皆無に等しい学生生活を送っている。
それが今になって、しかもこの浮かれていられない時期ときた。
「蓮永さんが勝手に言いふらしてるんじゃないでしょうね?」
「私、一言も同性愛者だって口にしたことないんですけど」
「私もだけど」
どこからそんな噂が広まったのかが気になるも、それはあり得ないことだ。
「少し前に別クラスの男子に告白されてたよね?」
「ん~いつだっけ?」
わざと惚けたわけでもなく、幸羽は本当に憶えていないようだ。
(蓮永さんにとってはそんな感じなんだ)
入学当初は、よくそんな話を耳にしていた。当人達は声を潜めていたようだが、色恋沙汰となるとリミッターが外れたように節度が無くなる。
その度に幸羽は断り続けていたようで、今もそのようだ。
当の幸羽が憶えていないことを掘り返すのも馬鹿々々しく、栞凪はここで話を終わろうとした。
「でもさ、どうしてそう思われたんだろうね」
だけど幸羽は続けたい様子で、栞凪に問いかける。
「周りからしたらクラスメイトっていう接点しかないけど、ここの事もだけど補習をしてるって――」
「うん、誰も言ってない」
キッカケはどうであれ、陰口を言われていることを栞凪は知っている。幸羽はどうかわからないが、勘と察しの良さから気づかぬふりをしていたのかもしれない。
それでも笑顔を絶やさず、毎日を馬鹿騒がしく過ごしていた。
(これくらいの噂、気にしないと思ってたんだけどな)
だから違和感を抱いてしまう。
栞凪からすれば、かなりのメンタル強者という認識が変わっていく。
「けどさ、実際にどう?」
「……どうって?」
ここで『何を?』と問うほど、栞凪は鈍感でも馬鹿じゃない。
だけど、そんなことをわざわざ訪ねてくる幸羽に呆れされる。
「いや……その……」
幸羽の方から降っておきながら言い淀んでしまう。
ちょっとした気分転換がてらの話題だったのかもしれないが、ここまで露骨な反応をされると困らされる。
「はい、この話は終わり。……今日のところは帰ろ」
「そうだね」
このままだと勉強に集中どころか、変な空気感に落ち着かない。
音頭を取るように手を叩いた栞凪につられ、幸羽は上体を起こして立ち上がる。栞凪もそれに続くように補習室を後にした。
(……前回よりも点数上がってる)
改めて成績を目の当たりにすることで、栞凪はそう実感させられる。
実際にテストの解答中も、自己採点も良かった。
だからといって特別な何かをしたわけでもなく、これまで通りテスト前の勉強をこなしただけ。
……いや、前回と一点だけ違う。
「ねね、テスト結果どうだった」
「まぁ、上々かな」
他人の成績表を勝手に覗き込もうとしてくる幸羽を追いやるように、栞凪は綺麗に折りたたんで机にしまった。
「なんだよぉ~見せてくれたっていいじゃん」
「だからって私は見せないからね」
一方的に幸羽がみせてこようとも、栞凪は頑なに首を縦に振らない。
その態度に諦めたのか、幸羽は露骨に肩を落とす。そのまま栞凪の座る椅子に身体をねじ込むようにして、半分を陣取る。
「これでテストも無事終わったことだし、今日くらいはゆっくりしたいかも」
「それは別にいいとして……狭い」
どうにか追いやりたいところだが、ここで下手に押し合って椅子からずり落ちて怪我をさせてしまう可能性がある。
そうなると、目前に迫る夏休みを台無しにしてしまうかもしれない。
ただテスト全体としては数日前に終わり、土日を挟んでの今日。出席確認がてらテストの成績が返されている。
「そういえばさ、夏休みってどうするの?」
「どうって?」
「えっと、寮生が多いじゃん。だけど学校はないわけだし、けど部活があったりするんじゃないの?」
まったく要領を得ない質問に、栞凪は考え込むようにして過去の記憶を遡る。
「他校は知らないけど、ウチは長期休暇中でも部活があるから先生方はいるよ。今回のテストで成績が振るわなかった人の追試もあったりとかで、お盆以外は学校でも勉強できるように一部開放されてるはず」
「へぇ~先生たちも大変だぁ~」
まるで自分は追試に該当しないからという余裕なのか、幸羽は興味なさそうに相槌だけを打つ。
「まあでも、私の知る限りでは部活に所属してない生徒はほとんどが実家に帰省してると思うよ」
「なるほどね~」
興味がある風に訊ねておきながら、幸羽の興味が向こうとしない。
ただ何故だろうか。ここテスト期間を一緒に過ごしたからなのか、何となく幸羽の思考が透けるようにわかってしまう。
だけど、触れない。
「ねえねえ、今日の放課後どこか寄ってかない? テストの打ち上げ的なさ」
「別に構わないけど……授業始まるよ」
「おっと、浮かれちゃいられない」
自覚があったらしく、さっきからクラスメイト達の視線が刺さるように痛かった。
当の幸羽は気づいていないのか、慌てたように席へと戻っていく。
(……何となくだけど、これが勘違いの原因なのかもしれない)
いつだったか幸羽が口にしていた。
『私達、付き合ってることになってるらしいよ』
事実として付き合っていないのだが、振り返ってみればクラスメイト達の様子が余所余所しかった。
◆ ◆ ◆
まだ本格的なテスト期間に入っていなかった週のある日。先生側の配慮もあって授業は自習となり、幸羽は栞凪の元を訪ねてきた。
それは予想の範疇で、しっかりと自分の椅子も持ってきている。
「あ、蓮永さん。よかったらここ使って」
「いいの? ありがとう」
栞凪の前に座るクラスメイトが譲ってくれ、机を向かい合わせてテスト勉強に勤しむことができた。
前回の時は譲ってくれるどころか、話しかける事すら無理だったのだ。
逆に話しかけられ、あまつさえ席すら譲ってくれた。
特に疑問を抱かなかったのだが、もしかしたら勘ぐられていたのかもしれない。
他にも、いつも幸羽とつるんでいる3人組の女子も露骨だった。
「ねえ、委員長。最近幸羽とよく一緒にいるよね?」
「もしかして何だけど……」
幸羽がお手洗いに立っている隙を窺ってなのか、半年近く同じクラスにいながらも話したことのない相手との遭遇に身構えてしまう。
何やら探るような視線に、栞凪は目線を逸らす。
「マジで勉強教えてたりするの?」
「……えっと」
補習の件は幸羽の沽券を守るために伏せないといけない。
だからといって堂々と勉強を教えているといっていいのかは、難しい所。
どう説明しようモノかと考えていると、もう一人が両手を合わせて頼み込んできた。
「もしそうだったらお願い、アタシらにも教えてくれない?」
「……へぇ?」
予想外の相手からお願いされ、返答に困らされてしまう。
「やっぱ、幸羽だけで手いっぱい、だよね」
「それは……」
特に問題はないのだが、そうなると補習室が使えなくなってしまう。
それはそれで場所を変えるだけで済むも、果たして栞凪に務まるだろうか。
少なくとも中等部からここに通う生徒であれば、多少なりとも勉強の仕方はわかっているはずだ。
普段の授業態度をみる限り、栞凪が教えなくても赤点はとらないだろうと思えた。
「ほらやっぱ、2人の邪魔しちゃダメだって」
「邪魔って、少しは気になるじゃん」
「ヤバッ、幸羽が戻ってきた」
ちょうど次の授業を報せる予鈴が鳴り、蜘蛛の子を散らすように3人組は去っていく。
「……何だったの?」
まるで嵐のような騒がしさは去っていき、栞凪はただただ困惑させられる。
「……?」
タイミング的に戻ってきた幸羽と目が合うも、何かには気づいていながらも不思議そうに小首を傾げた。
さらにはテストが目前と迫った週のとある日には――。
「よぉし、これでホームルームを終わる。テストも迫ってるが根を詰め過ぎず、体調管理には気をつけるように解散」
教壇に立つ担任――昴が、明日の連絡事項だけを告げると帰りのHRを切り上げた。
「ああ、すまん。クラス委員の2人、ちょっといいか?」
帰りのHRが終わればいつも通り、補習室で幸羽とテスト勉強をする。
だから帰り支度には急いでいなかったが、急な呼びだしに栞凪は手を止めた。
同じく呼ばれた男子生徒と視線を合わせ、昴のところへと向かう。
「ああ、三環さんもだったか」
「あ、はい」
いくら生徒数が多いとはいえ、請け負うクラスくらいは憶えていてもらいたい。特に補習室の鍵については、幸羽を含めた3人の秘密なのだから。
「何でしょうか、達宮先生」
昴の態度に栞凪が怪訝していると、もう一方の男子生徒は気づいた様子もなく尋ねる。
「忙しいのは承知の上なんだが、荷物を運んでほしくて。それもかなり重いから、すまない三環さんじゃない方が良いかもしれないな」
「え」
明らかな贔屓、強いては差別的なモノ言い。確かに男子生徒と比べれば力の差は歴然だが、1人で重いモノなら2人で運べばいいだけの事。
さっきの態度といい、何かしら気遣うような配慮。
あまりにも露骨すぎて口を開きかけたが――、
「それなら暇な奴ら連れてきます? お~い、お前ら暇だろ」
「誰がヒマ人だよ」
「全部聞こえてるぞ」
「まぁ~交渉次第かなぁ~」
クラス委員の男子と仲が良いであろう数人が反応を示すも、明らかに望んでいない様子。それでも交渉のようなモノをジェスチャーなので済ませると、大人しく昴の指示に従ってどこかへ行ってしまった。
「呼び止めてすまなかったな、勉強頑張ってくれ」
「え、あ、はい」
これから一仕事頼む昴が、何故かやり終えた感の表情で去っていく姿に、栞凪はただただ呆然とするしかなかった。
◆ ◆ ◆
など、と。
少なくとも栞凪のクラスメイトを含め、担任である昴も勝手に勘違いしている可能性が浮上してきた。
「……はぁ、めんどくさい」
ついつい重い溜息が出てしまう。
クラスメイト達から勝手に噂され、あれやこれやと探られるならまだしも。いい大人である昴も、どこか察しのいいフリをして気を遣ってくる始末。
今さら弁明どころか、否定しようにも外堀が既に埋まってしまっている。
幸羽とのテスト勉強に熱が入り過ぎていたのか、周りを気にする余裕の無さが仇となる結果となってしまった。
(まあ、夏休みも近い事だし、多少はうやむやにはできるのかな)
チラホラと聞く、夏休み前に付き合ったペアが別れるというケース。実際に経験のない栞凪だが、幸羽とは喧嘩とまではいかずとも、編入してきた当初までの距離感に戻せればと考えるのであった。




