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第8話:少し早いプチ夏休み


 いくらテストが終わったとはいえ、変わらず学校はある。だから授業も当たり前のように行われるも、どこか集中しきれない。


 それはちょっとした燃え尽き症候群なのか。


 それとも目前に迫る夏休みへの期待に浮足立っているのか。


「いやぁ~それにしたって進学校って凄いね~」


 放課後となり、帰路に就く栞凪達。


 大きく背伸びする幸羽の声音には活気があるも、表情はどこか疲弊している。


「ほとんどがテストの復習だったからね。短い時間のあれだけの量を詰め込まれると、普段以上に疲れるよ」


 同意する栞凪の表情もどこか疲れ気味だった。


 テストも終わったから思考を切り替え、形式上の補習へと戻す。


 なんて、意識が高い志向を持ち合わせていない。


「それで、どこに行くの」


 朝のHR前に幸羽が提案した打ち上げをするため、栞凪達は通学路を歩いていた。


「テスト中は午前だけでどこでも行けたけど、この時間だと限られるよねぇ~」


 徐々に日が長くなっているとはいえ、時間という概念は等しく変わらない。


 まだ明るい夕方の空を見上げる幸羽の横を、栞凪はただ歩く。


「……前行ったカフェ、開いてたりしないかな」

「……ああ~」


 いつも以上に頭を使って疲れすぎたのか、幸羽の反応はどこか鈍い。


 栞凪なりに提案してみたつもりが、乗り気じゃないテンションに棘を含ませてしまう。


「他のクラスメイトとはどこ行ったの?」

「……他?」


 急に立ち止まった幸羽に、栞凪は一歩遅れて振り返る。


「ごめん、怒らせた?」

「……そうじゃないけど、やっぱり別な日にする?」


 やたら他人の感情に機微な幸羽に、逆に嫌悪感を抱いてしまう。


 気まずく顔を背けた栞凪だったが、バシッという何かを叩く音に視線を戻す。


「気持ちとしては今日が良い。例のカフェだったらまたワンちゃんに会えるかもしれないし、ちょっとは癒されるかも」

「いや、何してんのよ」

「ん~? ちょっと自分に渇を入れただけ」

「だからって……」


 幸羽の両頬はあからさまに赤くなっている。


 そんな言動に、栞凪は目を丸くさせてしまう。


 目的地が決まったことでズンズンと進んで行く幸羽だったが、再び足を止めて鞄に手を伸ばす。


 するとスマホを取りだして画面をみると、真顔になった。


「ごめん、親から電話みたい」


 もし立場が逆だったら、栞凪も同じ反応をしただろう。


 道の隅っこで通話にでる幸羽の様子をぼんやりと眺める。


「ごめん、家族会議だって」

「家族会議?」


 それから数分と経たずに戻ってくるも、表情と雰囲気から何となく察しがついた。


 それでも耳慣れないワードに首を傾げてしまう。


「まぁ~恒例行事ではあるだけどね。……ごめん、また連絡する」

「うん、それは気にしないで」

「じゃ、急ぐから」


 顔の前で両手を合わせる幸羽は申し訳なさそうにしたが、去り際の表情があまりにも険を帯びていて息を呑まされる。


(……蓮永さんのあの表情、初めてみる)


 2人でいた時の空気感から、急に1人にさせられた栞凪。詰め込み過ぎた授業の疲れが吹き飛ぶ幸羽の奇行もだったが、これまでみたことのない表情が脳裏を離れない。


 いつもは何も考えていないような発言と、勢いのままに行動するほどエネルギッシュ。最初はそれに住まう世界が違うなと感じるだけだったが、今となってはクラスメイト達にはみせない一面を知っている。


 それは自負してもいいほどだろう。


 何よりも、勝手に付き合ってるという噂も流されるほどだから。


 だから余計に不安を感じてしまう。


(家族会議、か)


 似たようなことは三環家でも行われるが、大体が長期休暇や年末年始の過ごし方を話し合うくらいだ。


 栞凪は部活動に所属していないから、両親の実家にはいつでも顔をだせる。


 だけど両親は仕事が終わってからの合流だったりと、三人一緒に過ごすというのも稀であった。


 その日程調整をするくらいの家族会議だ。


 ただ幸羽の様子から、まったく異なる話し合いが行われるのだろうと察しがつく。


「……帰ろ」


 一抹の不安を抱きながらも、栞凪は真っすぐと帰路に就くのだった。



「……」


 それから家に着いても勉強をやるというモードにならず、ベッドの上でダラダラと無料動画の適当に流していた。


 入浴も夕飯も済ませれば、後は寝るだけ。


「…………」


 ゴロゴロと仰向けになったり、うつ伏せになったりと、いつか訪れる睡魔を待つ。


「次、何観よう」


 流していた動画が終わり、関連する項目が複数とピックアップされる。


 どれも似ているのもあって関心をわかなかったが、何か目的があるわけでもない。だから目についた動画をタップしようとした。


「……蓮永さん?」


 いきなり通話アプリが起動したのもあったが、仰向けで動画をみていたら驚いて顔にスマホを落としていたかもしれなかった。


「何かあったのかな?」


 気にならないと言えば嘘になるが、頭の片隅でどこか引っかかっていた。


 通話にでるボタンをタップして、栞凪はスマホに耳を当てる。


『こんな時間にごめん。今ちょっと外にいてさ』

「それは良んだけど、どうかしたの?」


 明らかに声のトーンが低かった。


 外だから控えているのかもしれないが、それを抜きにしても気力すら感じられない。


 わざわざ外にでてまで通話をかけてきたのだ、どこか緊急性を感じつつも耳だけを傾ける。


「……?」


『――――――――』


 だけど、いつまでたっての通話越しの幸羽は用件を伝えてこない。辛うじてアナウンサー音が聞こえる事から、どこかの駅にいるのだとわかる。


 後は微かな幸羽の息遣いと、無音に近い時間だけが続く。


「蓮永さん、どうかした?」

『ッ……』


 それにシビレを切らして栞凪が問いかけると、息を呑む気配だけがあった。


(これ、明らかに何かあったよね)


 別れ際に抱いた不安がどんどんと膨らんでいく。


 それからさらに間を置き、ようやく幸羽が何かを話そうとする気配を感じた。


『その、無理なら断ってくれていいんだけど、泊めてくれない?』


 どこか声は震えていて、もしかしたら栞凪よりも前に似たような電話をしていたのかもしれない。


 その度に断られれば、多少は自信を無くすだろう。


「いいよ。……どこに迎えに行けばいい」


 ここで理由を尋ねるべきなのだろうが、今ではないという直感が働いた。


『……い、いいの?』


 驚きを隠さない幸羽に、栞凪はベッドから起き上がっていた。


「うん。だからどこに行けばいい?」

『それじゃあ、学校最寄り駅まできて』


 両親に許可をとるのは後にして、気づけば身体が動いていた。ほぼ寝るだけ寝間着姿だったが、栞凪は薄手の上着を羽織るだけで家を飛びだす。


「栞凪?」

「こんな時間にどこ行くんだ」


 物音に何事かとリビングから顔を覗かせた両親を気に留めず、街灯に照らされる通学路を走った。



 体育の授業ですらも必死に走ったことはない。


「ハァハァハァ」


 肩で息を切らしながら改札を抜けて、目的地へと向かう電車の中で整える。時間帯的にまだ帰宅途中の社会人や大学生のような、栞凪よりも年上が多く目立つ。


 スーツや私服といった風貌の中、栞凪のような寝間着姿は注目の的になった。


 だからといって羞恥や委縮する余裕はない。


 流れる車窓をただ見つめ、漠然とした焦燥に駆られる。


 時間間隔からして、登下校とさほど変わりなかった。


 だけど焦る気持ちが感覚を狂わせ、栞凪は何度も時間を確認してしまう。


『次は――』


 到着を報せるアナウンスに、扉に張りつく勢いで迫る。


 そして扉がゆっくりと開ききるのが待ちきれず、栞凪は身体を滑らせるように電車を降りた。そのままホームを駆け、入れ違う人の波にぶつかりそうになりながら改札を抜ける。


「……栞凪」

「は、蓮永さん……」


 補導対象時間外というのもあって、幸羽は改札を抜けたすぐのガードレールに寄りかかっていた。


 肩で息をする栞凪の姿に、驚いたように瞳を丸くさせる。


「ど、どうしたの。そんなに慌てて」


 軽く息を整えようとする栞凪に、幸羽は慌てて駆け寄る。


「慌ててはないけど……どうしたのはこっちのセリフよ」

「アハハハハァ~」


 笑って誤魔化そうとする幸羽だったが、制服姿のままだった。


 かれこれと数時間経っている。


 栞凪のように寝間着で、家で寛いでいるのが自然だ。


 いくら家族会議だったからといっても、あまりにも違和感が拭えない。


「栞凪のご両親は、その、泊めていいって?」

「……わからない。けど、これから説得してみる」

「え」


 いきなり家を飛びだしておきながらも、栞凪の手もとにはしっかりとスマホが握られていた。見れば母親からの通知が数件届いており、短い一文を打つとすぐに既読が付いたのを確認する。


 その瞬間、栞凪は通話ボタンを押した。


「あ、お母さん」

『栞凪、急に出て行ったと思ったらどこにいるの』


 まるで何事もなかったかのような口調で電話をする栞凪だったが、すぐに表情を曇らせて謝り始める。


「……」


 迷惑をかけてしまった幸羽からすればいたたまれずに顔を伏せると、制服の右袖がつままれていた。


「とりあえず大丈夫だから。それで何だけど、今からクラスの友達連れてくね」

『今から?』

「そう、何日か泊めてほしいらしんだけど……」

『もちろん理由を聞かせてもらえるでしょうね』

「うん」


 ハッキリとは聞き取れなくとも、通話越しにいる栞凪の母親は物申したのだろう。


「いいよ、私の部屋で。うん、今から連れてくね」


 だけど栞凪は、半ば一方的に話を終わらせるような口ぶりで通話を切った。


「ふぅ」


 それから一拍おいて、摘まんでいた幸羽の袖から指を離した。


「夕飯ってもう食べた?」

「……いやいや、明らかにダメっぽかった会話だったけど」


 平然と装い過ぎて、幸羽はつい声のトーンを上げてしまう。お互いに駅の改札前というのを忘れ、周囲からの視線を集めていた。


「場所、変えよっか」


 一方は寝間着姿。


 もう一方は、ここからすぐの学校の制服姿。


 駅利用者は不思議がるだろうが、勤めている駅員からすれば怪訝に思う。声をかけてこないが、有人改札から視線を向けていた。


 それに栞凪は気づき、一度その場を離れる。


 幸羽も促されるように後ろを、少し足早で栞凪の隣を歩き始めた。



「……本当に良いの?」

「うん、問題ないよ」


 駅からはさほど離れず、とある一本の街灯下で栞凪達は足を止めた。


 恐る恐る訪ねてくる幸羽に、栞凪は呆れた様子で頷く。


「お母さんには急だから驚かれただけだし、ダメって一言も言われてないよ」

「ま、まぁ、普通は驚くよね」


 お願いした側としても、泊めてもらえることに驚きなのだろう。どこか申し訳なさそうにする幸羽に、栞凪は補足事項を続ける。


「あれこれ聞かれるとは思うけど、話すかは蓮永さんが決めて。私も無理には聞こうとしないから」

「えッ」


 泊める理由くらいは聞かれると思っていた幸羽だったが、ただただ驚かされてしまう。


「だからさ、ウチにおいでよ」


 状況を整理させる暇もなく、栞凪は幸羽に手を伸ばす。


「……お邪魔、します」


 それにつられるように、幸羽も栞凪の手を掴んでいた。


「……って、恥ずかしいか」


 改めて自分から手を差しだしておいて気づいたのか、栞凪は慌てて離そうとする。


「……もう少しだけ」


 だけどそれを幸羽が拒むので、複雑な表情を浮かべて周囲を見渡す。


「……」

「……」


 しばらく黙り込む栞凪達だったが、スマホのバイブレーションが振動した。


「……お母さんからだ」

「うん、でていいよ」


 そういって幸羽が手を離すと、栞凪は少し離れてスマホに耳を当てる。


 それから10数分と戻ってこない栞凪の姿を、幸羽はただただ見つめていた。



 話が纏まれば、後は向かうだけ。


「走ってきたから冷えてきちゃった」

「何かごめん。まさか走ってくとは思ってなかったの」


 栞凪が母親とひと悶着終えた頃には、夏とはいえ少し肌寒い風が吹いていた。


 一応上着を羽織っている栞凪だったが、二の腕を摩るように身を縮こまらせる。


 ここでもう一枚上着でもと、幸羽は視線を彷徨わせるも夏着の制服。それにシュンと項垂れてしまう。


「いやいや、気持ちだけ受け取ってく。ありがとう、蓮永さん」

「……」

「……蓮永さん?」


 ガンガンに冷房の効いた車両を避ければ問題ないと思いつつ駅へと向かうも、幸羽が急に足を止めた。


 不思議に思って振り返ると、不満の感情を露骨に表していた。


「いつまで蓮永って苗字呼びなの?」

「いつまでって……変?」


 クラスメイトであろうと、栞凪は一貫して苗字呼びが多い。


 だから幸羽に対してもそうだが、今さらのような気がする。


「さっき友達って言ってくれたじゃん。だから幸羽って呼んでよ」

「それは言葉のアヤというか……何というか」


 母親に説明するのに、放課後の補習に付き合っている関係上あながち間違いではないだろう。


 だけど事細かに説明するのも手間で『クラスの友達』と伝えただけ。


「私は栞凪って呼んでるけど、私の事は幸羽って呼んでくれないの?」

「呼び方に怒ってるの?」

「うん」


 あまりにも堂々と怒りを露わにされ、栞凪はたじろいでしまう。


(小学生じゃないだから……)


 内心で呆れるのを察したように、幸羽は詰め寄ってくる。


「2人の時だけでいいから、次から幸羽って呼んで」

「あ、うん」


 それだけを言い残して、幸羽は駅へと歩きだしていく。


 何が琴線に触れたのか分からずにいた栞凪だったが、先を歩く幸羽が振り返る。


「……で、栞凪のウチってどこ?」

「もぉ」


 勢いのままに行動する幸羽に、栞凪は呆れるのだった。


「とりあえず駅までは一緒。……幸羽」


 面と向かって下の名前を呼ぶことに恥じらいながら、栞凪は幸羽を追い抜いて駅へと足早に向かって行く。


「ッ!? え、えッ! 今なんて呼んだ。幸羽って呼んだ?」


 さっそく名前で呼んでくれたことに、幸羽は興奮した声音で栞凪を追いかける。


「呼んでない!」

「呼んだよね?」

「呼んでないってば!」

「呼んだってばッ!」

「しつこいッ!!」


 どっぷりと陽が暮れた夜道に、2人の言い争う声は近所迷惑お構いなしに響くのであった。



「……疲れた」


 栞凪は自室のベッドに倒れ込み、ゆっくりと瞼を閉じてこの数10分前を振り返る。


 ニマニマとした表情を浮かべる幸羽を鬱陶し気にあしらいながらも、栞凪は自宅に到着した。すると玄関先には仁王立ちして待ち構えていた母親がいたが、2人の間に割って入るように幸羽が頭を下げる。

「この度は急に泊めていただいてありがとうございます。4月に転入してきた蓮永幸羽と言います」

「え、ああ、ご丁寧にどうも」


 怒りの矛先が行方知らずにさせられながらも、栞凪の母親――三環(みわ)あび子も頭を下げる。


 濃い茶色のショートヘアー。すでにお風呂上りというのもあって半袖Tシャツに、どこかお下がりのようなジャージ姿。身体のラインはなくとも、どこか目もとが栞凪の面持ちがある。


「栞凪、後でいいわね」

「はぁ~い」


 幸羽を盾に後ろで隠れる栞凪を睨みつつ、あび子は二人を玄関に通した。


「残り物しかないけどお腹空いてる?」

「いただいてもいいですか」


 そのままリビングへと案内され、幸羽は申し訳なさそうにお願いする。


「栞凪は客間からベッドでも運びなさい」

「じゃ、そういうことだから」

「あ、うん」


 食卓につく幸羽を横目に、栞凪はそそくさとリビングから退散した。


「……ふぅ」


 他人の家というのもあって戸惑っていたが、怒られることを避けるために幸羽をリビングに残した。扉の向こうから会話が聞こえるが上手く聞きとれないが気にせず、栞凪は一階奥のあまり使われない客間へと向かう。


 途中でお風呂上がりの父親――三環宏人(ひろと)と鉢合わせたが、特にお咎めのようなモノはなかった。



 そして、今に戻る。


「ごめん、服まで」


 ベッドでうつ伏せになっていると、自室の扉が開く音に続いて幸羽の声が聞こえてきた。


「制服で寝るのも変だからね。……サイズがちょうど良さそうでよかった」


 ゴロリと寝返りを打って幸羽の様子を窺うと、お風呂上がりだからか少しだけ頬が赤い。


「制服姿だったことに驚いたけど、まさか手ぶらとはね」

「ちょっとね」


 責めるつもりもなかったが、駅前にいた時から気づいていた。栞凪の貸した夏用の寝間着に袖を通す幸羽だったが、少し大きかったかもしれない。


 だから揶揄ったつもりが逆効果だったか、幸羽は入り口の前で肩をすぼめてしまう。


「いつまでもそんなとこいないでさ、そろそろ寝よ」

「まだちょっと寝れそうにないけどね」


 それに慌ててフォローを入れて誤魔化して、床に敷いた布団へと招く。


 招かれるままベッドに座る幸羽を横目に、栞凪は天井を見あげる。


(……ここで話を聞くべきなんだろうけど)


 栞凪なりに気を遣って招く条件で【無理には聞かない】と口にしている。


 どうやら栞凪の両親達と話し込んでいるのは、往復で布団を運んでいる時に耳にした。だけど盗み聞きをするようなことはしていない。


「……」

「……」


 そうなってくると、何を話題にしていいか思いつかない。


「……友達の家に来るのって久しぶりかも」


 2人っきりというのもあって、不意に呟いた幸羽の一言を聞き逃さない。


「クラスで仲の良い人の部屋とかに遊びに行ったりしてないの?」

「あの寮に? うん、行ったことない」


 寝っ転がったままの体勢だった栞凪はベッドの縁に腰かけ、幸羽と顔を合わせる。


「どちらかといえば教室が多いかな。後は放課後にカフェの新作飲みに行ったり」


 ちょっと意外でもあったが、陰で色々というクラスメイト達だ。それでもなお、席が近いというのもあって関わり続けている。


 そこでふと、違和感に気づく。


「……もしかして、私以外にあの電話してないの?」

「あ~うん。寮って勝手に泊まっていいのかわからなかったし、そうなると栞凪以外いなかったって言うのもある」

「てっきり断られた末に電話かけてきたのかと思ってた」


 前例としてあるのか知らないが、寮内ではよくあるようで耳にする。暗黙のルールは存在しているとしても、外部生がというのはどうなのか。


 せめて学校側の許可はとるべきなのだろうか?


 幸羽の判断は正しかったかもしれないが、こうなってくるとあまりにも突発的な行動が過ぎるような気がしてくる。


「もし私が断ったらどうすつもりだったの?」


 これが一番の問題点でもある。


 少なくとも明日も学校はある。夜遅くまで徘徊しようものなら、補導対象となってしまう。運よく補導されなくても、荷物はどうするのだろうか。制服だったからいいものの、勉強道具一式を忘れるというのは変な意味で目立つ。


「そこは……どうにか……」

「はぁ」


 ただただ溜息しかでない。


 露骨に呆れる栞凪に、幸羽は屈託な笑みを浮かべる。


「だから栞凪にはスゴイ助かった」

「それは良かったね」


 力が抜けたように栞凪はベッドに倒れ込む。


(あの時何で焦ってたんだろう……)


 幸羽からの電話に出た時、あんなにも焦った理由がわからない。気づけば家を飛びだしたあげく、有耶無耶にはなってはいるがあび子からは怒られはしただろう。幸羽を泊めるにあたっても押し切り、今に至る。


「どっと疲れた」

「……そろそろ寝る?」


 深い溜息を吐くと、気を遣ったように幸羽が部屋の電気を消そうと立ちあがる。


 そんな無防備な後ろ姿に、栞凪は自身の枕を投げつけた。


「いた」

「……」


 仰向けに寝っ転がったまま状態で、決してコントロールも良い方ではない。速球もなければ、ただ偶然当たっただけで。


 それは幸羽もわかっての事だろうが、背中に当てられた枕を抱える。


「なに?」

「……なんかモヤッとした」

「……」


 抱えた枕を見下ろし、幸羽は構える。


「修学旅行ってこういうことするんでしょ!」

「ちょ!?」


 回避はできず、せめてもと顔を両腕で守る。


「……これであってる?」

「いや、私もしたことないけど」

「……そうなの」


 見事に命中して、多少は速球があって防いでも勢いで腕が顔に当たった。


 頭の傍に転がる枕に手を伸ばし、栞凪は起きあがって幸羽を睨む。


「先に投げたの栞凪でしょ?」

「けど、そんな勢いなかったと思うよッ」


 それを幸羽へと投げ返す。


「ッ!?」


 それを幸羽は危うげなくキャッチするも、驚いたように目を丸くさせる。


「案外楽しんでる?」

「これ以上騒がしくするならおい――」

「ふッ」


 今度は顔面に直撃した。


「ごめん、何か言いかけた?」

「……」


 膝の上に転がった枕に手を添え、栞凪は半目で幸羽を見据える。


「さすがに調子に乗りました」


 そんな栞凪の変容に、幸羽は両手を上げて降参する。


「座って、幸羽」

「ッ! は、はい」


 おずおずと布団の上で正座する幸羽だったが、栞凪はさらに異様なモノを見る眼差しを向ける。


「なんで嬉しそうなの」

「あ、いや。嬉しいとか、そういう癖じゃないよ」

「……どこからどうみても、そういった反応でしょ」


 ドン引く栞凪に、幸羽は捲し立てるように否定を始めた。


「さっきも言ったけど友達の家に泊まるのも久しぶりで、急だったのにご飯もだしてくれて美味しかったし。それにこう、何ていうか、修学旅行の定番まくら投げ? もできたし、正直楽しいというか」


 幸羽としては反省しているようだが、純粋に今という状況を楽しんでいる節もあるようだ。


「あとあと、栞凪が名前を呼んでくれた」

「なにそれ」


 それが一番の謎だった。


 無言で理由を問うと、何故か言いづらそうに両膝を擦り合わせる。


「教室だから名前では呼びづらいのかなって思ってたけど、補習室でも変わらないどころか、あんまり名前すら呼んでくれなくない?」

「……そう?」


 指摘され、栞凪は眉根を寄せる。


「そうだよ。まぁ~それでも私の事をしっかり認識してくれてる感は嬉しいけど。けどけど、やっぱり名前は呼んでほしいというか、何というか……」


 ここ一番の羞恥なのか、幸羽は顔を俯かせてしまう。それでも流れた髪に隠れていた両耳が赤くなっていることに、栞凪は片頬を人差し指でかく。


「今度から、意識して呼ぶようにするね」

「……ホント」

「……8……7割くらい」

「もぉ!」


 ただ人の名前を呼ぶだけなのに喜ばれ、口約束にすら期待を露わに向けてくる。


 恥ずかしいを通り越して、これまでにない感情に苛まれていく。


「はい、この話は終わり。寝よ」

「あ、逃げた!」

「うるさい、うるさい」


 もしも兄や姉、妹や弟といった家庭では普通のやり取りなのだろうか。


 それか近所に年の近い幼馴染がいれば、お互いの呼び方で一喜一憂をするのだろうか。


 1人娘として育てられ、近所に幼馴染という存在はいない。だから栞凪は幸羽をどうあしらっていいのかわからずに、逃げるしかなかった。


 ベッドから立ちあがって、入り口前の照明スイッチに触れる。


 ここで幸羽の妨害が入るのも想定したが何もなく、無事に照明を落とすことができた。


「……常夜灯の人?」

「ん? 真っ暗でもいいよ」

「そう」


 遅れて気を遣ったが、どうやら幸羽は既に寝る体勢に入っていた。


 それがあまりにも幸羽らしいなと思ってしまう。


 足を踏まないようにベッドへと戻り、栞凪は静かに息を吐く。


(明日の学校どうするつもりなんだろう)


 しばらく眠れそうになく、栞凪は天井をただ眺める。


 どれ位そうしていたかはわからない。


「……寝た?」

「……何」


 モゾモゾと動く気配に視線だけを向けるも、幸羽が寝返りを打っただけかもしれない。


 他人の家ともなると、すぐには寝付けないのだろう。


「……一緒に寝ていい?」

「黙って寝なさい」


 まだ修学旅行のノリなのか、呆れて栞凪は背中を向けて瞼を閉じるのだった。



「……んっ」


 翌朝、アラームの音で目が覚めた。


 枕元に置いているスマホに手を伸ばし、薄っすらと瞼を開く。だけどすぐに力尽き、再び眠りに入ろうとする。


 それを遮るように、数分後に再びアラームが鳴った。


「起きます、起きます」


 寝起きが悪い方ではないのだが、今日だけは倦怠感に苛まれていた。


 だからベッドの上を転がっていると、急速に意識が覚醒させられる。


「幸羽、朝……?」


 ベッドから上体を起こすも、そこはもぬけの殻。部屋の入り口付近には畳まれた布団一式があり、幸羽の姿はなかった。


「……」


 冷静に自室を見渡して、栞凪はゆっくりと深呼吸をする。


「ホントッ自由というか、何というか」


 後頭部をかきながら、再び鳴ろうとするスマホのアラームを止めた。それからカーテンを開けて朝日を浴び、漂ってくる朝食の匂いにつられるようにリビングへと向かう。


「あ、おはよう」

「いつまで寝てるのよ。さっさと朝ごはん食べちゃいなさい」

「……」


 リビングの光景に、栞凪は頭痛をアピールするようにこめかみを抑える。


「まだいたの」


 寝起きのガサついた声音で呆れてしまう。


 それは柄が悪く聞こえるだろうが、幸羽は臆する様子もない。


 それどころかあび子の方が目頭を吊り上げる始末。


「幸羽ちゃんをしばらく泊める件だけど、ウチとしては問題ないから」

「はぁ?」


 あまりにも寝耳に水過ぎて、栞凪は呆然としてしまう。


「ごめん、説明するの忘れてた」


 対して幸羽は悪びれる様子もなく、両手を顔の前で合わせ、チラリと左目だけ見開いて茶目っ気を醸しだす。


(……わざとだな)


 それがあまりにも苛立たしかったが、母親の手前。既に許可を得た状況というのもあって、栞凪があれこれ不満を言ったところで覆らなそうだった。


 何よりも朝から怒る気力も沸いてこない。


「わかった、好きにして」

「……ありがとう」


 嘆息する栞凪に対して、幸羽は申し訳なさそうに肩を竦めた。


「栞凪、いつまでも突っ立てないで朝ごはん食べちゃいなさい」

「はぁ~い」


 実の娘に対して厳しいあび子。


「幸羽ちゃん、遠慮なくおかわりしてね」

「いただきます」


 他人様の娘というのもあって甘いあび子。


「……」


 あからさまな態度の変わりように、栞凪は無言で食卓につくのだった。


「それで、荷物とかどうするの? 今日も学校でしょ」


 キッチンからの物言いたげな母親の視線を無視して、栞凪は幸羽の向かい側に座る。


「あ、それなら朝の時点で家から持ってきたよ」

「……」


 行儀悪く箸で示されたリビングの一角をみやると、栞凪も見慣れた学校の鞄。それと大き目なボストンバッグが一つ横たわっていた。


(どれくらいいるつもりなんだろう)


 明らかに友達の家に泊まりに来たというよりも、想像している合宿レベルの荷物量。恐らく栞凪が起きるよりも早く目が覚め、一度家に帰ったのだろう。


 だからといってわからせられる。


「……行動力」

「ん?」


 ついつい感心してしまう。


 だけどそれを口にすると調子に乗りそうなので飲み込み、栞凪は朝食を摂るのだった。



 それから朝食を済ませ、栞凪と幸羽は身支度を整える。


「いってきまぁ~す」

「い、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 栞凪からすれば知った我が家だが、幸羽からすれば他人の家だ。ただ家をでる挨拶に言い淀む。


「なんか変な感じ」

「そうでしょうね」


 玄関の扉を閉めるも、幸羽はまだ動きだそうとしない。


 幸羽の感想は最もだが、栞凪も同意見だった。


 普段であれば見送られるどころか、ゴミ捨ての1つを頼んでくる。


 だけど今日に限っては笑顔で手を振られ、朝食もやけに気合が入っていた。ゴミ捨ても免除されて、どこかうすら寒い恐怖を感じてしまう。


「とりあえず行こ、遅刻する」

「あ、うん」


 昨日の今日で栞凪は違和感を拭えず、どう立ち居振舞えばいいかわからない。


 それは両親も同じなのだろうが、まるで事前に準備していたかのように余裕すら感じられる。


 しっかりと2人分のお弁当まで用意され、幸羽からすれば至れり尽くせりだろう。


(……しばらく平穏であればいいな)


 それでも学校には行かないといけない。よく一緒に登校している姿を、クラスメイト達に(意図しない形だが)見せる事はあった。


 それがまさか、同じ屋根の下からとは誰も想像しないだろう。


 ただでさえ交際している噂がひとり歩きしている状況で、更なる薪をくべるわけにはいかない。


 周囲に細心の注意を払う必要とされるのだった。



 普段と変わり映えしない登校だったが、やけにテンションが高い幸羽を除けば気にならない。改札を抜けて、通勤通学電車に乗り込む。特に会話はなく、お互いにスマホの画面を睨めっこ。学校最寄りの駅に到着するアナウンスが聞こえれば、降りる準備を目配せし合う。


「そういえば一限目ってなんだっけ?」

「現国だったと思うけど、あ~何にも予習してないや」

「あ~私もだ」


 正確にはする気力も、暇もなかった。


 そんな事情を栞凪達以外が知るわけもなく、同じように登校する生徒達が改札を抜けていく。


 その流れに身を任せるように、栞凪達も改札を抜ける。


「こんな日が続けばいいのにな」


 ボソッと呟いた幸羽だったが、隣にいた栞凪にはしっかりと聞こえていた。


「何言ってんのよ、もうすぐ夏休みでしょ」

「……夏休み」


 幸羽はどこか遠くを眺めるような眼差しをする。栞凪からすればほぼ24時間前の、教室でそんな話をしたばかりだ。


 あの時はやたらテンションが高かった気がする。


 ただ実際に、あと1週間もすれば夏休み。


 だからこの1週間は授業に集中するどころか、休みの予定を組むことに浮足立つに違いない。


 それは周囲を行き交う同じ学校の生徒達が口々にしているから間違いないだろう。


(ま、今年も夏祭りくらいかな)


 去年も同じクラスメイト達数人と、学校近隣で行われている夏祭りに参加した。それ以外はほぼ家でゴロゴロとしていて、あび子からあれこれとこき使われた記憶くらいしかない。


「……勉強漬けは嫌だなぁ~」

「それは……どうだろうね……」


 あまりにも切実な要望だったが、今年からの幸羽がどう感じるのだろうか。


 少なくとも栞凪はコツコツと課題を消化し、最後の一週間くらいは遊ぶことができた。


「って、少し急ぐよ。……幸羽」

「あ、うん。栞凪」


 周りの目が気になったが、栞凪は急かすように幸羽を煽る。それに応じるように幸羽も歩きだすも、表情はどこか晴れずにいた。


 学校が近づくにつれて、当たり前のように生徒が増えていく。


 栞凪の予想通り夏休みの予定を話しているのが耳に届き、校門、昇降口へと進んで行くと空気感まで浮ついている。


「メリハリスゴイね」

「息抜きもあってこそだよ」


 忙しなく周囲を見渡す幸羽の反応に、栞凪は苦笑いを浮かべる。気持ちは周囲の生徒達と同じなので、多少は気が抜けている方だ。


「いっそのこと授業も自習でいいんだよ」

「そこまで言っちゃうんだ」

「……よくな?」


 大げさに驚く幸羽に、栞凪は冗談めかしく笑ってみせた。


 浮足立つ空気感の中を進み、下駄箱で上履きに履き替える。遠くからの喧騒もはっきりと聞こえなくとも、これからの事で盛り上がっている様子。


「おはよう、蓮永さん」

「……達宮先生?」


 そんな中、クラス担任の達宮昴が声をかけてきた。


 明らかに待っていた様子で、幸羽の姿に近づいてくる。


「すまないこんな朝早くから、ちょっとだけ時間いいか」

「……あ、はい」

「……?」


 2人の間に流れる雰囲気に、栞凪は視線を往復させる。


 テストの成績はクラスでも真ん中くらい、学年全体を総じても追試のラインはクリアしていた。


 だから呼びだされる要因がすぐには思いつかない。


「三環さんもおはよう。すまないが先に教室へ行ってくれないだろうか」

「おはようございます、達宮先生。……わかりました」


 隣にいながらも気づかなかったというわけでもないだろうが、栞凪への挨拶が後だった。そこに不満を抱かなくとも、疑問が湧いてくる。


 だけど栞凪はお呼びではない。


 このまま居座ったところで、ただただ生徒達の注目を集めるだけだろう。


 正しい判断としては、この場を去る事だろうと冷静に理解する。


「じゃ、また後でね。こは――蓮永さん」

「うん、栞凪」


 ほぼ口を滑らせてしまい、昴の勘違いを加速させてしまったかもしれない。それもあって足早にその場を去ろうとしたが、どうしても後ろ髪を引かれる気持ちが強まっていく。


(……幸羽、何かしたのかな?)


 チラリと視線を向けると、職員室へと入っていく幸羽と昴の姿を目にするのだった。


「ギリギリ~」


 それから朝のHRギリギリに幸羽が教室に姿をみせた。


 両腕をめいっぱい広げ、全身でアピールしてみせる。それにクラスメイト達の笑いが湧き、浮足立つ空気が加速していく。


「……」


 そのおチャラけた様子の幸羽に、栞凪はあえて声をかけずに視線だけを向けた。それに気づいた様子の幸羽も視線だけで応える。


「「「「「…………」」」」」


 そんな無言のやり取りを、クラスメイト達はただただ見守っていた。


「お~す、皆おはよう。もうすぐ夏休みだけど、気を抜かず頑張っていこう!」


 朝のHRを報せる予鈴が鳴ると、夏の陽射しに負けない活気の昴が姿をみせた。


(……何だろう。一瞬だけど静まったような気がする)


 微かな違和感に周囲を見渡す栞凪だったが、クラスメイト達は慌てて席に着こうとしている。


 どこか居づらさを感じながらも、今日も授業が始まるのだった。



 お昼休みを迎える頃には、外気温は最高地点に達する。世間は常に猛暑日と報道され、近年では留まるところを知らない。


「暑い……」

「朝もそれなりだったけど、空調効いてるのかな」


 だらりと机に突っ伏す幸羽を横目に、栞凪は設置されている空調を見あげる。


 ゴウゴウと冷気を放出しているようだが、クラスメイトの中にはハンド扇風機なんかを使って涼を取っていた。


「設定温度の問題かもしれないけど、さすがに全クラスってなるとね」

「とける~」


 一層増して溶けようとする幸羽に、栞凪は笑うしかない。


「それよりさお昼にしよ。時間なくなるよ」

「……残すのは、申し訳ない」


 多少原形を留めたように上体を起こす幸羽は、膝に乗せていたお弁当を机に置いた。栞凪も鞄からお弁当を取りだして蓋を開ける。


(……気合の入りからスゴッ)


 いつもなら夕飯の残りや、冷凍食品が多い。


 それでも毎日作ってくれることに感謝をしながら食べているが、今日は普段に増して力が入っているのが目にみえる。


 今日のメインであろうピーマンの肉詰め。添えるように玉子焼きにタコさんウインナー、ひと口大のポテトサラダと一緒に彩りまで考えられたミニトマト。

 

 それだけなら何かいい事があったのかなと予想がつく。


 2段目を開けると、表情も固まる。


 ただ白米を詰めました、それかふりかけがかかっているかの2択が多い。ほぼ前者が多く、いつも戸棚からひっそりと拝借している。


 今回は手の込んだ俵型に握られ、真ん中を細い海苔で巻かれていた。


 それが三色。


 一色目はシンプルに白米。二色目はゆかり。三色目は鮭フレーク。箸休めで沢庵と味噌大根が一切れずつ。


 シンプルに、豪華としか言いようがなかった。


「……なんか、いつも見るのと違くない?」

「言わないで……」


 たまにお昼を一緒に摂る幸羽も驚きを隠さない。


 頭を抱えたくなる栞凪だったが、作ってもらっている側として文句を言えなかった。


 だから、食べるしかない。


「いただきます」

「いただきま~す」


 お互いに両手を合わせる。


 幸羽と一緒に食べる機会が増えてはいるが、ほとんどはコンビニの総菜パンやお弁当が多い。


 本人曰く、購買で買うというのは控えているとのこと。


 経緯はどうであれ、こうして一緒のお弁当を食べるということは初めてだった。


「うまッ」

「……そう?」


 朝食の時にも気づいた、幸羽は何でも美味しそうに食べる。それはコンビニの総菜パンやお弁当でも変わらないのだが、今日は一段とテンションが高い気がした。


 栞凪としては、普段とのギャップに呆れさせられるばかり。


(……まぁ、普段以上に美味しいのは認める)


 ピーマンの肉詰めを頬張りながら、どこか釈然としない気持ちごと飲み込む。


「「「「「…………」」」」」


 そんな2人が同じおかずのお弁当を食べている光景を、同じように教室でお昼休みを過ごすクラスメイト達は見逃さなかった。


「……?」


 お弁当と一緒に水筒をだすのを忘れていた栞凪は鞄に手を伸ばしたが、視線を感じて顔をあげるも誰もこちらをみていない。


(今朝もだけど、気のせいじゃないよね)


 そう思うも、明確にしようもない。


 これまでの学生生活で変に注目を浴びたことのない栞凪でも、さすがに気づかないほど鈍感じゃなかった。


 だけど、対処の仕方がわからない。


「……」


 それでも気にしないようにお弁当を食べ進める。


「……」


 そんな栞凪の異変に、正面に座る幸羽が気づかないわけもなかった。



(……なんか疲れた)


 放課後になって、栞凪達はいつも通り補習室にいる。


 授業そのものはあまり進行せず、どこか時間だけを浪費する感覚に近かった。ただお昼休みを過ぎたあたりから、やたらと感じる視線に疲弊させられたに等しい。


「……どうかしたの?」

「ん? ん~どうかしたのかもしれない」

「……そう」


 正面に座っている幸羽は勉強の準備を整えていたが、教える側の栞凪が動かない。それに異を唱える事はせず、ただ大人しく見守っている。


「あ~ごめん。えっと、テストで間違ったところの復習だったよね」

「そうだけどいいよ? それくらいなら私だけでもできそうだし」

「そう。じゃあ、わからないところがあったら声かけて」

「うん」


 テスト最終日の終わりに補習室の鍵を昴に返した際、もう必要ないのではと疑問を投げかけられた。


 既に何教科の採点を終え、幸羽が一定ラインの点数が見込めていたのだろう。


 それは栞凪としても同意だったが、当人である幸羽を抜きに話を進められない。それを含めて話しておかないといけなかった。


 ただ今日は、幸羽のご要望でテスト問題の復習をすることになっている。


「ねえ幸羽。達宮先生と話したんだけどさ、そろそろこの補習が必要ないんじゃないかって言われたんだ」

「あ~それ似たようなこと朝話したなぁ~」


 今は現国の問題を解いているのか、幸羽は手を休めない。


「……それで、どうするの?」


 栞凪としてはこれで終わっても問題ない。


 実際に編入当初と比べれば目を見張るだろう。


 それだけ幸羽はここで、ここ以外でも努力を積み重ねてきた。


 何よりも夏休みが目前だ。長期休暇中どころか、明けてまでみてあげるほど優しくない。


 ただ、昨日から三環家にいる。


 こうして補習室を利用しなくてもいいのだ。


「……まぁ~さすがに潮時だよねぇ~」

「うん」


 純粋に認める。


 幸羽はこの短期間で成績もだが、自分で勉強する学習力をつけることができた。


 栞凪が教えるよりも、わからないところは先生に訊いた方が早いだろう。


「あと、私の家でもよくない?」


「……確かにね」


 誰かに聞かれる心配もないのだが、自然と前のめりになって声を潜めてしまう。


 手を止めた幸羽は顔をあげ、真っすぐと栞凪を見つめる。


「今日までありがとう。実際にマジで助かったよ、栞凪」

「な、なによ急に改まって」


 背筋を正して頭を下げる幸羽に、栞凪は照れたようにそっぽを向く。


「けど、実際にそうだし。……それに昨日の件も含めてさ」


 照れる栞凪の反応に、幸羽は微笑を浮かべる。


「もうしばらくお世話になるつもりだけど、色々とありがとうね」

「もぉわかったから! はい、この話は終わり。……とはいえクラスメイトであることは変わりないだからさ、これからもよろしく」


 話を終わらせるため手を叩く栞凪だったが、少なくともまだ半年と二年生は残っている。


 だから、これっきりというのわけではない。


 頬が熱を帯びていくのを感じて、幸羽を真っすぐとはみられない。


「うん。これからもよろしくね。……栞凪」


 急にしおらしい表情を浮かべる幸羽に、どこか引っかかりを覚える。


(……今朝も似た表情していたな)


 原因は、例の家族会議であることは明確だ。


 それから急に電話をかけてきて、泊めてほしいというお願い。口ぶりからすると期限は未定であるところから、それ相応に一大事なのだろう。


 それに今朝、担任である昴に呼ばれたことも意味をしているのか。


 考えるほどに疑念が晴れず、栞凪の気分を重くしていく。


「……やっぱり何か考え事してる?」

「あ、ごめん」


 勉強へのモチベーションが下がったのか、幸羽は机の上を片づけていた。


 これまでになかった態度に、栞凪は意識を切り替えるように頭を左右に振る。


「最後くらい駄弁って終わりでもよくない」

「……なんか、最近それが多くなって気がする」


 気を遣われながらも、それに感謝する栞凪。


「……」

「……」


 ただそうなると、何を話題にするべきかと悩んでしまう。


 扉の向こう側からの微かな喧騒が、やけに大きく聞こえてくる。


「栞凪が何考えてたか当ててみようか?」

「えッ」


 どこか確信をめいた表情で覗き込んでくる幸羽に、栞凪は慌てたように表情を作ろう。


「周りからの視線でしょ?」

「……ど、どうして――」

「わかるかって?」


 得意げに笑ってみせると、幸羽は続ける。


「朝の時点ではそうでもなかったんだけど、私も気づいた時には手遅れだったんだよねぇ~」


 タハッと一層増して笑う幸羽だが、声音はどこか困り気味。


 お互いに教室内で生活する上で、特別な振る舞いをしたわけではなさそうだ。栞凪としても普段通り幸羽に接していた。


 だから余計に焦らされ、答えを急かすように幸羽を見据える。


「答えはこれだよ」


 すると、幸羽は自分の鞄からお弁当箱を取りだした。


「……?」


 それは至って変わり映えせず、どこからどうみても普通のお弁当箱だ。


 不思議そうにする栞凪に、幸羽は笑顔を絶やさない。


「これってさ、今朝栞凪のお母さんが用意してくれたんだよね」

「うん」


 家をでる前、栞凪も一緒に渡された。


「私さ、お弁当箱の用意とかしてないんだ」

「うん。珍しいなって思った」


 それはお昼の時点で感じている。


「……ウソ、ここまで言って気づかない?」

「なにによ」


 眉間にシワを寄せる栞凪。


 その態度に、幸羽はゆっくりと息を吸って吐きだす。


「お弁当の中身、一緒だったって気づいた?」

「……」


 わざわざ他人の食べている姿を気にしたことのない栞凪。それでも正面に座っていれば自然と手もと、何を食べているかは目に入る。


 数時間前の記憶を振り返るように栞凪は瞼を閉じ、勢いよく鞄に手を突っ込んでお弁当箱を取りだした。


「だからか! どこか見覚えのあるお弁当箱だなって思ったのッ!」

「ようやく気づいた」


 まるで幼子が自身で答えを導きだしたことに喜び手を叩く幸羽。表情はどこか誇らしげだったが、それが栞凪にとっては憎らしく映った。


「てことはだよ、え、一緒に住んでるの……」

「勘づくだろうねぇ~」


 勢いだったのもあるが、あくまで不慮の事故に近かった。だから学校では普段通りに接していれば、ひとり歩きする噂だけで済んだに違いない。


 だがそれに薪をくべてしまった。


 それは夏の暑さが栞凪の注意力を散漫とさせたのか。


 それとも周囲の浮つく空気に当てられたのか。


 今となっては後の祭りでしかない。


「とま、明日からどうしよね」

「どうしようって……」


 噂の中心であり、巻き込まれただけの幸羽が笑いかけてくる。


 頭を抱えたくなる栞凪には、何が面白いのかわからない。


(これはアレだ、いくら言い訳しても手遅れだ。だからってどうする? 開き直って付き合ってるってことで勝手に賑わらせて、明けたら別れました的な風で……いやいやいや、それじゃあ一回付き合うことになるし! 元もと付き合ってないし!!)


 冷静さを醸しだしながらも、あまりにも気が抜けていた自分の迂闊さへの葛藤。状況を打破するために思考をフル回転させたところで、いい案がすぐには思いつかない。


「……そんなに、付き合ってるっていう噂、ダメ?」

「……はい?」


 耳を疑いたくなる疑問を投げかけられ、栞凪は真顔にさせられる。


「もういっその事さ、付き合ってるってことにしちゃわない?」


 反応を窺うような幸羽の覗き込む視線。声音はどこか諦観していて、栞凪を煽るような口ぶりをしている。


(なによ、余裕ぶっちゃって)


 あまりの素振りに睨みつけてしまう栞凪だったが、机の上で祈るように握り込まれた小さな両手が震えていた。


 それにどういった心情が含まれているのか、栞凪には知りようがない。


 それを確かめるには、煽りに乗っかるしかなかった。


「……なに、いろんな男子生徒に告白されてモテるからって余裕? 異性どころか同性とも付き合ったことない私を揶揄って楽しい?」

「……はぁ?」


 幸羽は露骨に眉根を寄せた。


「なにそれ、栞凪にとってそれがモテる基準なの? いちいち呼びだされては断るのも面倒なんだよ。チヤホヤされたい栞凪からすればわからないだろうけど」

「チヤホヤって、別にそこまで言ってないじゃん。揶揄って楽しいのかって聞いてるの!」

「からかってない」

「……え?」


 ピシャッと、幸羽は栞凪の言葉を否定した。


 次第に声量が上がっていたのか、栞凪の両肩は微かに上下している。


 それは幸羽もだったようで、落ち着かせるために呼吸を整えていく。


「私バカだからさ、もし栞凪の癇に障って怒らせたならごめん」


 両肩を窄ませる幸羽に、栞凪は目を丸くさせる。


(……私が怒ってる?)


 どこか煽るような口ぶりが癇に障った。それで言い争う形になってしまったが、冷静にさせられれば疑問が生じてくる。


 ただ漠然とした、怒り。


 それが何に対してなのかわからない。


「そんなに私と付き合うの、ダメなの?」

「……ダメというか、その……」


 一周回って考えさせられる。


 元を辿れば勝手に付き合っているという噂が出回っていることだ。それは無視し続ければいいだけで、今もそれは続けている。


 不注意の事故とはいえ、噂を確証へと裏づけてしまった。

 

 さらにはそれを事実にしてしまわないかという、なし崩し的な幸羽の姿勢。


(……そっか、それが嫌なのかな)


 だけど正確な答えがすぐにはでてこなかった。


「……」


 何かを期待したような幸羽の眼差しに、栞凪は覚悟を決める。


「……付き合うかは、少し考えさせて。さっきも言ったけど誰かと付き合った経験どころか、告白したりとかされたことないから」


 周りがどうであれ、栞凪にとっては未知の経験でしかない。


「告白は、今したつもりなんだけど」

「なに?」

「……いえ」


 真顔で事実を突きつけてくる幸羽を睨むと、シュンと肩をすぼめて小さくなる。


「だからといってなし崩し的にその、付き合うのも違う気がするの」

「うん」

「えっと、だから……」


 真剣に耳を傾ける幸羽に、栞凪は短く息を吐いた。


「友達の表現としては正しいんだろうけど、ちょっと特別な関係から始めない?」

「ちょっと特別な関係?」


 あまりにも抽象的な表現過ぎて、幸羽は言葉の意味を咀嚼するためにオウム返しをする。


「……」

「……」


 それから2人の間には沈黙が訪れ、時計の秒針だけがチクタクと音を刻む。


「それって、今とどう違うの?」

「今と……」


 そう問われると、確かにそうだ。


 ただのクラスメイトとはいえ、決められた曜日の放課後に補習を付き合っている。最初は監督役に近かったが、次第に教えを乞われるようになり、今となっては遜色なく授業にもついていけるようになった。


 それは幸羽が投げださずに努力を積み重ねたというのもあるが、栞凪にも当てはまる。


 いくらお願いされたかといって、ひと月以上も付き合ってきた。


 他のクラスメイトとは、明らかに関係が異なる。


「じゃあ聞くけど、幸羽はどうなりたいの?」

「わ、私ッ!?」


 待ちに徹するつもりだったのか、動揺が声にもでていた。


「そう。何かあるんでしょ?」


 それが少し可笑しくて、栞凪は挑発的な視線を向ける。


「どう。どうか……。うん~」


 瞼を閉じて腕を組み、首を左右に傾ける。さらに首をゆっくりと回して天井を仰ぐ。すると一つの真理に辿り着いたのか、真正面から栞凪を見据える。


「わかんない」

「ちょっと」


 キッパリと、ハッキリとした口調の幸羽に、栞凪は声音を鋭くツッコミを入れる。


「いやだって、私もよくわかんないんだもん」

「……わかんないって」


 先に挑発するような煽りをしてきたのは幸羽の方だ。


 にもかかわらず、わからないときた。


「もしここで私が断ったらどうしたのよ」


 よく聞く、別れた後の気まずい空気感。


 それは過去に同じ教室、とある男女のクラスメイト達を目の当たりにしたことがあるから想像してしまう。


 最初は冷かしだったのか、元もとそういった噂が出回っていたのか定かじゃない。


 それでも気づいたら付き合っていて、よく冷かされていた。何かあるたびにペアを組まされ、それを満更でもなさそうに堂々とイチャついていたと思う。


 それも数か月経てば日常の光景になるかと思えば、別れたという話が出回っていた。


 原因を知ることはなかったがお互いに避け、一切口も利かない。


 だから周囲も気を遣い、今となっては進級して別クラスになっているだろう。


「少なくとも今は私の家にいるでしょ? 気まずくなるとか考えなかったの」

「あ~」


 そんな気の抜けた幸羽の様子に、栞凪は盛大に溜息を吐いた。


「何となくそんな気がしていた」

「ちょッ! 私なりに頑張ったんだけどッ!!」


 声を荒げて前のめりになる幸羽の勢いに、面食らってしまう。


「……そ、そう」

「……う、うん」


 幸羽からの明確な熱量は定かではないが、冷やかしではない好意は伝わってきた。


 そのせいで空調の利いた室内にいるのに関わらず、頬が熱を帯びていくのを感じる。


(ホント、考えなしというか……その場の勢いで生きてるって感じ……)


 不満の一つでも言ってやろうと視線を向けるも、幸羽は顔を俯かせていた。だけどチラリと覗く耳が赤くなっていることに、同じ気持ちなのだろう。


「じゃ、じゃあ、お試し的な感じでよ、よろしく」

「表現としては微妙だけど、こ、こちらこそ」


 未だ定まらなかった距離感に、新たに関係値まで加わっていく。


「……」

「……」


 どちらも戸惑う空気感を漂わせながら、ひとまず補習室を後にするのだった。



「ん~生きた心地しなかったぁ~」

「なにそれ」

「イヤだって」


 昇降口を抜けて、幸羽は大きく伸びをした。


 その隣を歩く栞凪は、怪訝そうな視線を向ける。


「これまでの人生で誰かに告白したの初めてだよ。うぅ~思いだしただけでゾワゾワしてくる」

「……よくもまぁ明け透けなく言えるわね」

「終わった事だからね!」


 もし逆の立場だったら、今のように肩を並べて帰宅しないだろう。ましてやその時の心情を口にするほどメンタルは強くない。


 だから快活と笑ってみせる幸羽が奇妙に映ってしまう。


「実際のところ私としては満更でもないからね」

「……追いだすべきか」


 まるで堰を切ったように好意を向けられても、まだ素直には受け取られない。


「それだけは勘弁を」

「暑苦しい……」


 ちょっと脅しをかけただけで、腕にすがりついて泣き真似をかましてくる。


(なんか、変に身構えない方が良いのかな……)


 どこか微妙な距離感になるかと思いきや、まるでこれでもかとアピールが激しい。


 それがくすぐったくもあり、新鮮な気持ちにさせてくる。


「冗談だから、離れて」

「その冗談が今一番効くから止めてね」

「考えとく」


 追いやるように幸羽の腕を引き離そうとするが、さらに絡めてくる。


「ちょっと、歩きにくい」

「まぁまぁ」


 2人で並んで歩いても他の利用者の邪魔にはならない歩道だが、お互いに肩がぶつかり合うほど密着する必要はない。


 周囲に他人の目がないからとはいえ、幸羽の度が過ぎる行動。


「幸羽」

「はぁ~い」


 だから声音を強めて拒絶を露わにすると、素直に離れていく。


(ホント、手がかかる)


 もし妹がいて、仲が良ければ似たような距離感になるのだろうか。


 そうだったとしても、栞凪は無事に姉をやれるのかと想像してしまう。


「……手は、いいでしょ?」

「……手くらいは、ね」


 離れかけた腕を滑るように、幸羽の手は栞凪の指先に触れる。そのまま握ってくるのかと思えばそうではなく、人差し指だけを掴んできた。


「……逆に恥ずかしいんだけど」

「そうは言っても、手汗とか恥ずかしいし」

「まぁ、いいけど」


 どこか物語のように描いていた距離感との違いに、栞凪も戸惑うのだった。



「さてと」


 さらには帰路に就き、栞凪達は一番の問題に直面した。


 いつもだったら勉強机の椅子に腰かけるのだが、生憎と昨日から同居人がいる。


「勉強する分には床でもいいけど、今さら部屋を別にしたいって言いだしたら不思議がるよね」

「だったらいっそ――」

「本気で追いだすよ」

「はい。冗談です」


 真顔に加えて軽くドスを効かせると、幸羽は背筋のピンと正座する。


 これから未期間、幸羽と同じ屋根の下どころか、部屋が一緒であること。それが意味するのは寝食を共にあたり、余計に関係を拗らせてくる。


(……アレだ。何もかもが上手くいってない)


 軽い頭痛を堪えるように、栞凪は額に手を当てる。


「ねえ、栞凪。ここは1つルールを決めた方が良いと思うだけど、どうかな?」

「……ルール?」


 ここに来て真っ当な思考を振りかざしてくる幸羽に、栞凪は耳を傾ける。


「昨日の私もまさかこうなるなんて想像してなかったから、直情的でホントごめん」

「あ~うん」


 自覚がある事に感心させられてしまう。


「栞凪が悩んでるのは関係性もだけど、距離感もでしょ? さっきもだけど、調子に乗ってました」


「それは、節度の問題でしょ」


 多少なりとはいえ、一緒に帰路を歩いているうちに距離感を掴めたと思う。それに加えて、何となくだが幸羽のあしらい方も勉強した。


 ただそれを自宅でもとなると、心休まる時間が無くなってしまう。


「そう! その節度にルールを作るの」

「……なるほど」


 幸羽なりに自覚ある言動を振り返り、ルールを作る考えに至ったのだろう。

 お互いに手探りし合うのではなく、明確に決めてしまおうという考え。


「そうだね、それが良いと思う」

「じゃ、早速決めよう」


 方針が決まれば行動あるのみ。


 本棚と壁の隙間に押し込んでいる折り畳みの机を幸羽にだしてもらい、栞凪は適当なノートとペンを広げる。


「それじゃ、色々と案をだしてこう」

「はい!」


 向かい合っているにも拘らず、幸羽は元気よく手をあげる。


「寝る時は別々の布団」

「……」


 そんな幸羽の第一声に、栞凪は一瞬黙り込む。


「……当たり前でしょ」


 そして冷静に言葉を返した。


「え?」

「え? じゃないわよ。ただでさえ私のベッドは一人用なんだから、狭いでしょ」

「あ、うん」

「じゃ、それ以外にある?」

「……ん~」


 ついさっきの勢いはどこへやら、幸羽は顎に手を当てて真剣に考え込む。


「じゃあ、私から」


 そういって栞凪はペンを走らせる。


「……変に気を遣わない?」

「ちょっと漠然とし過ぎてると思われるけど、お互いに気を遣って生活するのって疲れちゃいでしょ?」


 まるで今の状況を指し示すように、栞凪は無言で問いかける。


 それに幸羽も気づいたのか、納得顔で頷いた。


「なんだかんだ、学校からそうだったかも……」

「でしょ? だからさ、なかったことにはできないけど、今まで通りでいよ」

「……うん。私もそれが良い」


 そういって幸羽が笑う姿に、栞凪も口角をあげる。


「後はそうね。……必要だったら書き込んでいくのもありね」

「すぐには決めないってこと?」

「だってすぐには思いつかないんだもん」

「……確かに」


 考えていくことは多いだろう。


 だけど、すぐには思いつかない。


 それでもお互いに頭を抱え、案を出し合ったところで、理想通りにはいかないことが多いだろう。


 何よりも、栞凪と幸羽にとってこの関係が初めてだらけ。


 クラスメイト達以上の親密な関係ではある。


 だからといって恋人という関係性ではない。


 友達以上恋人未満ではあるものの、どちらに気持ちが傾いているのか。


 大仰にノートを広げてみたが、結局決まったルールは今のところ2つだけ。


《寝る時は別々の布団》

《変に気を遣わない》


 お互いに確認し合うため、ノートに書かれた2行を黙読する。


「……疑問なんだけど、幸羽って1人で寝れない子?」

「違うから! そういった意味で提案したんじゃないからッ!」

「……そう」


 あまりの慌てっぷりに、栞凪は不思議そうに小首を傾げるのだった。


 それからは幸羽の要望だったテスト問題の復習をしつつ、明日の予習もこなしていく。そして夕飯の時間になればあび子に呼ばれ、一緒に食卓を囲む。どっちが先にお風呂が入るかを家主の娘だから、お客さんだからと譲り合い、あまりにもお互いに折れないことにルールが一つ追加された。


《ジャンケンで決める》


 あまりにも馬鹿々々しいと思いながら、栞凪は火照った熱を冷ましながらノートに書き留める。


「……なにこれ」


 お互いに決めておきながら、なんとも子供っぽいルールでしかない。


 こんなのがこれからも増えていくのかと思うと、呆れて笑うしかできなかった。


「あがったよ~」

「……髪、乾かしなよ」


 濡れた髪をバスタオルで拭くだけの幸羽に、栞凪は目じりをつり上げたのだった。

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