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エピローグ:それでも私達は貴方を想いながら

 これまで突発的な言動をしたことはなかった。


 それもあって小学生の頃は落ち着いた子、中学生になれば影が薄い。高校生ともなれば良くて優等生、悪くて陰気と後ろ指をさされていたかもしれなかった。


 高校の1、2年の頃は物静かな生徒という認識だろう。


 そこから受験に差しかかる高校3年は、堅苦しい気真面目優等生として順当に育っていく。


 と、両親や教師は想像するだろう。


 だけどその冬休み初日、栞凪はあび子に頼みごとをしていた。


「お願い、日帰りでもいいから行かせて」

「この大事な時期になにバカなこと言ってるのよ」

「大事な時期だってのは重々承知だけど、今行かないといけない気がするの」

「……幸羽ちゃんのところ?」

「うん」


 頑なに住所を明かしてこなかった幸羽が、昨日の夜に教えてくれた。

 

 しかも大事にしている日記帳を届けてもらうためだけに。


 無事に受験が終われば、晴れてこっちに引っ越してくる事実は変わらない。その時に返そうと思っていたが、こんな不自然な時期。


(絶対、幸羽に何かがあった)


 虫の報せか、栞凪の直感か。


 そう思って地図アプリでしっかり乗り継ぎまで調べ、スケジュール表も手がけた。


「だからってね」


 パート先のスーパーは繁忙期、しかも朝はあび子にとって一番忙しい。


 それを阻んでまでの、鬼気迫る娘の姿にはため息しかでなかった。


 手もとのスケジュール表を押し返し、あび子は目じりをつり上げる。


「もしそうだったとしてもダメなモノはダメ。幸羽ちゃんの方だっていきなり押しかけられたら驚くだろうし、ご両親に迷惑でしょ。受験が終わったら泊りでもなんでも許すから、我慢しなさい」


「受験が終わったらなんて……」


 押し返されたスケジュール表にシワを作る。


「お願い。幸羽ちゃんも大事だけど、私達にとっては栞凪が一番なの」

「……」


 俯く栞凪と真っすぐ向き合おうと、あび子が顔を覗き込んでくる。


「けど、少し嬉しかったかな」

「……なにが?」


 このままあび子の制止を振り切れたが、不意に笑う姿に眉根を寄せてしまう。


「だってそうじゃない。栞凪がこんなにもワガママまで言って、私の反対を押し切ろうとするのって」

「……そう、だっけ?」


 あまり覚えていないが、特に両親へ怒るような感情を向けたことがない。


 ちょっとした言い合いはあれ、それはコミュニケーションの一環。


「いつ反抗期が来るのかって身構えていたけど、これくらいなら可愛いもんね」

「可愛いって……別にお母さん達には感謝しかないよ」

「栞凪、今……」

(やってしまった……)


 咄嗟に口をついてしまったが、さすがに聞き間違いは苦しいだろう。


 頭に血がのぼっていく感覚と耳が熱を帯びていく。


「わかった、受験が終わったらにする」

「あら、もうちょっと反抗してもいいのよ」

「忙しいんでしょ! 私はもう一回寝てくる」


 栞凪は回れ右でキッチン、あび子から逃げるように自室へと駆け込んだ。


「泊まりに行くどころか、また泊めに連れて来てやる」


 勢いよく布団を頭からかぶりながら、あび子達を喜ばせるだけの宣言をしてふて寝をするのだった。


 それからしばらく、20時になればスマホを気にする癖が抜けなかった。


 ちょっとした悪戯で栞凪の方からかけたが、繋がることはなくただ虚しくアプリの方から切られてしまう。


 だから余計に心配と、あの時期が何度も脳内でリフレインしかけた。


 それでも何かあれば会いに行ける。


 それのお陰で暴走的な思考は踏みとどまれ、受験までの活力になっていた。


 そして無事に受験を終え、見事に元の志望校から二つ上の大学に合格した。


 受験の緊張から解き放たれたその翌日、栞凪は数日分の着替えを鞄に詰める。


「じゃ、行ってくるね」

「アンタってば、まったく……」


 あまりの宣言通りの娘に、見送るあび子は玄関先で呆れを通り越して観念したように半笑いだった。


「幸羽ちゃんによろしくね」

「連れてくるから」


 着替えを詰めた鞄とは別に、小さめなポーチには約束の日記帳も潜ませている。


 幸羽の事情を一切無視で、栞凪は謎のテンションでピースサインをあび子に向けた。


 3月に入って、3年生達は自由当校扱い。寮生は荷物をまとめたりと忙しそうだったが、実家から通う栞凪にとっては無縁。


 だけど身に付いたいつものルーティンが抜けず、登校するのと変わらない時間に家を出た。吹き抜ける寒さに身震いしながらもホームで電車を待ち、通学区間を超えた先の目的地へと向かう。


(いきなり行ったら驚くだろうな)


 今日の事は、一切幸羽には伝えていない。


 それも指定された受験が終わってからが、何時を示すか定めていなかった。だから報告するタイミングがなく、今に至る。


 通勤や通学で混み合う車内、中には栞凪と一緒で私服姿は少ない。


(不思議な感じ)


 自分だけが世間から切り抜けれた感覚に浸りながら、栞凪は電車に揺られた。



 慣れない電車の乗り継ぎに苦戦し、せっかく組んだスケジュールがズレていく。


「つ、着いた……」


 予定をしていた時刻はお昼を過ぎる頃だったが、既に太陽は沈みかけていた。


「あれ? 扉が開かない」


 目的の駅で電車が停まっているはずなのに、目の前の扉が開かない。


「お嬢さん、ボタンを押すんだよ」

「あ、ありがとうございます」


 利用客が少ないからか、時代の流れか。調べた電車表の更新が止まっており、かなり本数が減っている。


 挙げ句、電車の乗り降りも乗り合わせたご老人に助けられた。


 無事にホームの降り立ち、駅が無人であることに首を傾げる。


「この切符はどうすれば?」


 行き場のない切符にも困らされる。


 同じ駅で下車した人影がないことを確認し、栞凪は財布に切符をしまった。


「ま、記念ということで」


 それから地図アプリを立ち上げて、目的地までの経路を歩く。


「……それにしても静かなところだな」


 人通りどころか、すれ違う車も見当たらない。


 だけど点々と建つ家屋には生活感があり、どこかで夕飯を作っている匂いが漂ってくる。


「家の中から煙突が突き出てる。……あっちにも」


 栞凪の興味を引くには十分だったようで、時々足を止めながら進んで行く。


「ん、ん~?」


 そして気づく、目印になりそうにない建物がないことに。


 それもあって慣れない土地で迷子になってしまった。


(降りた駅がここで、真っすぐここを歩いてきた。そこから曲がって、ここら辺だとは思うんだけど……)


 地図が示す場所に近づいていると思いながらも、辿り着けずに立ち止まってしまう。


(こうなったら近くの住人に訊くしか……)


 幸いなことに住んでいる人がいるらしく、どこからか生活音も聞こえてくる。


 問題なのは、栞凪に他所の家を訪問する勇気があるかだった。


「……あの」

「は、はいッ」


 ずっと地図アプリと睨めっこしていたから、背後からの気配に気づかなかった。


 驚いて声を上擦らせながら振り返ると、チョコレート色のファーでモコモコなコートに包まれた少女がいる。


 物珍しいのか、不思議そうな表情で目を丸くさせていた。


(よかった、この子に訊こう)


「あの――」

「もしかして、栞凪さんですか」

「へ?」


 見知らぬ少女に対して勇気を振り絞ったつもりが、間抜けにも返事にならない声を発してしまった。


「お写真と間違いがないと思うですが……」

「は、はい。私が三環栞凪です。……えっと」


 相手は栞凪の事を一方的に知っているようだが、この土地には初めてきた。だから顔見知りがいるわけがなく、背筋に冷たいモノが流れる。


 ただ心当たりがあるとすれば、一人しかいない。


(幸羽の妹さん? ……けど、そんな話聞いたことないな)


 不安げだった少女は改めて背筋を正した。


「自己紹介がまだでしたね、私は源元望亜です。栞凪さんのことは義姉から恋人だと窺ってます」

「こ、恋人ぉ!?」

「……そう、と」


(なに勝手なこと妹さんに言ってるのさ! た、確かに恋人とかがするようなことはしてきたけど、まだじゃん!!)


 この場に居ない幸羽に苛立ちを覚えながら、目の前の望亜を怒れない。


「そのお姉さんに渡したいものがあるの、良かったら家まで案内してくれる」

「……わかりました」


(……あ、あれ?)


 人当たりの良かった望亜の笑顔に陰りが差したかと思うと、栞凪に背中を向けて歩き始めた。


 案内をしてくれる様子だが、どこか違和感を抱きながらついていく。


 それから5分と経たず、とある一軒家に到着した。


(お~THE古民家的な佇まい。あ、あの煙突もある)


 三環家の近所ではあまり見ない平屋の一軒家。


 他人様の家と知りながらも、しげしげと観察してしまう。


 そんな栞凪を置き去りに、望亜は玄関を潜った。


「ただいま帰りました」


(やば、幸羽にドッキリするつもりが)


 あたふたと周囲を見渡しても隠れられる場所はなく、終いには玄関先の望亜から奇妙な視線を向けられてしまう。


「上がってください、栞凪さん」

「えっと、幸羽はまだ帰ってないの?」

「……」


 栞凪の問いかけに応えることなく、望亜は家の奥へと消えていった。


「……嫌われた?」


 一人っ子として育てられてきたからわからない、弟や妹が兄と姉を取り合うような現象なのか? 

しかも姉である幸羽から、勝手に恋人と紹介されている。


 第一印象は人当たりをよくしながら、実は内心で嫌われていた可能性も。


(なんか、ちょっと傷ついたかも……)


 見知らぬ土地に来て、幸羽の妹と初顔合わせを済ませた直後にショック。


 他人様の玄関先とはいえ、栞凪は一人で傷つきながら立ち尽くした。


「あら、お客さんかい?」

「ん? 誰だこんな時間に」


 すると望亜が声をかけたのか、奥から老夫婦が姿をみせた。


「三環栞凪です。えっと、蓮永幸羽さんの友達です」

「……あら、そう」

「幸羽の……」


(……あれ、まただ)


 ついさっきの望亜もだが、目の前の老夫婦もどこか歓迎ムードじゃない。


「遠くからいらっしゃい、疲れたでしょ?」

「今日はもう遅い、泊っていくといい。親御さんには話しているのか?」

「あ、はい。大丈夫です」


 だけどそれも一瞬で、守山一矢とその妻香子と名乗った老夫婦に招き入れくれた。


 そのまま居間に通され、謎の煙突正体を知る。


「薪ストーブってやつですか?」

「なんだ、初めてみるのか?」

「はい」

「近づくのは良いけど、触ると火傷するわよ」


 座布団に座って新聞に手を伸ばす一矢は驚き、来客用の持ってきた香子からやんわりと注意を促される。


(……いいな、この空間)


 見ず知らずで初めて顔を合わせたはずなのに、ここまで親切にしてくれる。


 そんな人達のもとで、幸羽は一緒に生活を過ごしてきた。


 たった半日、学校がある日とかで両親と合わない時間は当たり前のようにあった。


 だけどこの家の住人に迎え入れられ、少しだけ寂しくなってしまう。


「……栞凪さん、こっちです」

「あ、望亜ちゃん」


 すると、コートを脱いで着替えに済ませた望亜が居間に姿をみせた。


 どこかへ案内してくれるのか、有無を言わせない雰囲気に立ちあがる。


 歩くたびにミシミシと床が鳴くのに不安を抱きながら、案内された一室の光景に脳が理解を拒んだ。


「……お義姉ちゃん、栞凪さんが逢いに来てくれたよ」


 嬉しそうに話しかける望亜に幸羽は応えない。


 それもその筈だ。


「何かの冗談だよね?」


 ようやく出た言葉がそれだった。


 喉が渇きを訴え、呼吸が次第に荒くなっていく。血の気は引くという感覚を、頭のてっぺんから足のつま先を駆け巡る。


 僅かな希望に縋る視線を望亜へと向けた。


「いえ、蓮永幸羽は去年の12月25日に睡眠薬の過剰摂取で亡くなりました」


 栞凪の側頭部を勢いよく振り抜くような、望亜からの粛々と告げられる現実。


(12月25日って……)


 震える指先でスマホを取りだそうとしたが、ついさっき居間で脱いだコートに入れていたと気づいて走った。


 慌ただしい足音に居間にいた一矢と香子は驚いたかと思うと、全てを察したように口を紡ぐ。


「だって、だって……その日は」


 指先が上手く動かない。


 どうにか開いたトークアプリ、その履歴をスクロールする。


「そうだよ」

「はい、栞凪さんが最後に義姉と通話した日です」


 追いついた望亜から、容赦のないとどめを刺される。


(ウソだって言ってよ、幸羽ッ!!)


 いきなり走り出したのもあったのか、栞凪は過呼吸気味だった胸にスマホを抱いて意識を失った。


―――


(……寝ちゃってた)


 なれない引っ越し作業に疲労がたまっていたのか、栞凪は自身の腕を枕に眠りに就いていた。


 全身のコリをほぐそうと、両腕を天井へと延ばして背筋をそる。


「充電終わってる」


 ふと視線を落とした先には、当時では新機種だったスマホが一台充電されていた。かれこれ数年の時を経て、今では型落ちで珍しさもある。


 それでも栞凪にとっては思い出の品であり、こうして手放すことができずにいた。


 今だって、ちょっと懐かしくなって充電を試みただけ。


 SIMも入っていなければ、テザリング機能で使えるようにはしていない。もちろんWi-Fiだって、まだ引っ越したばかりの新居では飛んでいなかった。


(繋がるわけないのにね……)


 自嘲気味に頬を緩ませながらも、栞凪の手はスマホを操作する。


 真っ黒な画面は起動を報せ、しばらくするとホーム画面に変わった。


 そして、無機質な機械音声が通知を報せる。


「……ウソでしょ」


 手にするスマホの画面を見つめながら、動揺の声が漏れる。


 過去に何度となく、祈るように鳴らし続けた。


 だけどそれは叶うことなく繋がらず、これで最後と自身に言いつけたのは社会人になる前に買い替えた時。


 だから脳では理解している。


 それでも願望が指先を動かす。


「……もしもし」


 スマホを耳にあてがい、問いかける。


――も、もしもし


(……う、ウソじゃないッ)


 返ってきた言葉に、栞凪は瞼を閉じる。


――えっと、三環栞凪さんのスマホで間違いないでしょうか?


 さらに追い打ちをかけてくる通話の主が、栞凪の琴線を容易に踏み抜く。


「そっちからかけてきておいて、何なの幸羽」


 栞凪は怒気を込めた声音で、ケンカ腰の姿勢を取る。


――いや、間違ってないかの確認しただけじゃん!

「はぁ? 間違うってなんでよ」

――それは……何といいますか。……自分でも確証がなかったからで……

「……あっそ」


 明らかに動揺している幸羽の声音に、栞凪は吐き捨てるように息を吐く。


(このやり取り、懐かしいな)


 事情はどうであれ、これが夢でないということを理解する。


 抓った太腿を摩りながら、栞凪は聞こえてくる声音に耳を澄ませた。


「久しぶり」

――う、うん。久しぶり。

「てか、約束の時間じゃないよね?」

――え、そうなの? ごめん、こっちだとあんまり時間感覚なくてさ。

「だからって急でしょ」

――……ごめん。


 高校で出逢った頃、栞凪が幸羽に振り回されていた。


 それは今でも変わらないのかもしれない。


「いいよ」


 だけど、栞凪の表情は穏やかだった。


「それで、どうしたの?」

――どうしたってわけじゃないけど、栞凪の声が聞きたいなって思って。

「……そっか」

――うん。


 栞凪は荷解きすることを忘れ、ベッドの縁に背中を預ける。


「そういえば私、無事に大学卒業したよ」

――え、そうなの。てことは、もう社会人?

「明日が入社式」

――入社式っていう言葉、ちょっと新鮮な言葉かも。

「別に、入学式的な感じで一緒でしょ」

――ん~そうかなぁ~そうなのかなぁ~

「そうでしょ」

――……そっか。


 どうでもいいやり取り。


 話したいことは山ほどある。


――それで、どんな会社で働くの?

「会社というか、学校かな」

――学校? ……え、先生になるの!

「なります」

――へぇ~学校の先生。そうなると、どの世代。

「小学校の低学年って言われた」

――うわぁ~ガキんちょどもだ。手がかかりそうぉ~

「ま、その辺は慣れてるかな……」

――ん? なんか、含みのある言い方じゃない?

「そんなことはないよ」


 だから、取り留めもなく花を咲かせていく。


「てかさ、元気してるの?」

――元気かって聞かれると、まぁ……自由に過ごしてるかな。

「ズルッ」

――そうは言うけど、自由過ぎるのもちょっと考えものかなって思ってるんだよ。

「なにそれ、チョー贅沢な話じゃん」

――なになに、栞凪ってもうちょっと現実的というか。規律に厳しく、堅実的な人生設計してるタイプだと思ってたんだけど?

「それは、そうなのかも? 教師っていう仕事も、公務員だからね」

――だからビックリというか、本当に栞凪なの?

「なに、ケンカ売ってる?」

――いや、そういうわけじゃないから。さっきからちょくちょく棘があるなぁ~。

「そんなことありません」

――ほら、今だって!

「はいはい」

――あ~アタシの知ってる栞凪じゃない! 何なのさ、アタシの知らないところでやさぐれてさ。

「現実を目の当たりにしたって言ってほしいわね」

――そこだよ! そういった考えというか、口ぶりも! あの頃の栞凪はどこに行ったのさ!

「さぁ? 元もとこういった性格だと思ってたけど」

――それは栞凪の主観でしょ! もしかしてアレ、人生の価値観を変えるような人と出逢ったとか?

「……そうかも」

――そんなの聞いてない!

「教える必要ある?」

――あるよ! だって……さ。


 食ってかかる勢いのあった幸羽の声音が途切れる。


「……だって?」


 別に意地悪をしたいわけじゃない。


 だけど栞凪は、確かめておかなければいけないことがあった。


 耳もとで言い淀む声音が微かに聞こえる。


――別に、栞凪の自由だからアタシがとやかく言う筋合いは今さらないけど。やっぱり、好きな人の事だから気になるじゃん。


 まるで小学生のような感性を突きつけられ、栞凪の頬が緩む。


「ホント、よく恥じらいもなく言えるね」

――恥じらいくらいはあるよ! けど、そのお陰でこうして繋がれたから。


 栞凪の知らない、何かしらのルールがある。


 少し考えれば想像がつきそうだが、栞凪は素直な言葉を口にしない。


 もしそうしてしまったら、認めてしまうことになるから。


「だったら自信持ちなよ」

――その余裕ムカつく。


 もしビデオ通話だったら、幸羽は頬を膨らませているかもしれない。


 そんなことを想像しながら、栞凪は次の話題を探し続ける。


 いつまでも、この時間が続いてほしいと願いながら。


 だけど独り占めはできない。


「そうだ、望亜ちゃんに変わろうか?」

――え、いいよ。今さらどの顔で話せばいいのさ。

「そうは言うけど、義妹(いもうと)なんでしょ?」

――うん、自慢の義妹だよ。

「だったらさ、余計に話すことあるでしょ?」


 微かに物音が聞こえてくる壁へと視線を向ける。


 栞凪が呼べばすぐにでも来るだろう。


――……待って。どうして栞凪が望亜ちゃんといるの? 口ぶりからしてすぐ隣にでもいるとか?

「どうしてって、これから一緒に住むからだけど……」


 怪訝そうな幸羽の声音に、栞凪は眉根を寄せてしまう。


――これから一緒に住む? まず、その時点でおかしいよね? 義姉(あね)であるアタシに何一つ説明ないけど。

「……まあ、連絡付かなかったし」

――だからって同棲ッ!? 何でさ! アタシとは一緒に寝る事だって許可してくれなかったのに! 望亜ちゃんならいいの? ……ま、まさか――

「待って待って、話しが飛躍しすぎだから」

――待たないよ、栞凪。これは一番大事なことだから、しょ~じきに答えてね。

「はいはい」


 鬼気迫る幸羽の様子に、栞凪は適当に返事をする。


――付き合ってるんじゃないんだよね?

「……怒るよ」


 語気を強めると、通話越しから安堵のため息が聞こえてくる。


――そうだよね、だよね。あの栞凪がアタシからのアプローチを全無視レベルで恋愛偏差値ゼロに等しい栞凪が。

「……怒っていいよね?」

――ダメだから、アタシの義妹なんだからね。


 まったく会話が噛み合わないことに、栞凪はため息しかでなかった。


「けど、幸羽が心配するくらい良い子だよね」

――そうだね。


 お互いの認識としてズレはなく、この場にはいない望亜を絶賛する。


「この際だから私の方から謝らないといけないことがあるんだ」


 栞凪はタイミングを窺っていた。


 もし逆の立場だったとしたら、今すぐにでも穴を掘って埋もれてしまいたい程だ。


 だけどこうして巡り合わせの機会を得られた。


「日記、読んだよ」


 上手い言葉が見つからず、事実だけを告げる。


――……そっか。なんか、恥ずかしいな。


 だが返ってくる言葉には怒りや恥じらいはなく、むしろ望んでいたかのような含みがあった。


「私、何にも知らなかったんだね」


 知っている。


 幸羽と出逢ってからの日々を。


 その先の、急に連絡が途絶えた期間も。


 そしてまた、形はどうであれ再開した。


 どんな経緯が、この結末になってしまったのかを。


――違うよ。栞凪は知らなくていいんだってば。

「そんなわけない。もし知ってれば、ウチで――」

――そうだろうね。

「だったらッ」


 何度となく繰り返した自問自答は後悔でしかない。


 持ち帰った事実に、あび子達はまるで我が子のように悲しんでいる。


 堰を切ったように感情が喉元を過ぎていく。


「なんで、私に相談してくれなかったの? 周りの大人に頼れなくても、せめて私にだけは打ち明けてほしかったよ」


 気づけば頬を伝う涙を、栞凪は袖で拭う。


――……ごめん。心配かけたくなかったんだ。

「幸羽ッ」

――栞凪、そんなに自分を責めないで。アタシにとってはあの時間だけで充分だったから。


 いくら嘆いたところで変えようのない事実。


 悟ったような口調の幸羽に、栞凪のスマホを握る指先が白んでいく。


「ホント、バカだよ」

――はは、そうだね。


 一切笑うところではない。


 だけど幸羽は笑ってみせる。


――栞凪。望亜ちゃんをよろしくね。

「……うん」

――良かった、栞凪が傍にいてくれるなら安心だ。

「なに人任せにしてるのさ。義姉なら、どこにいても見守ってやりなよ」

――……そうだね。


 まだ、伝えたいことはたくさんある。


 それなのに言葉がでてこない。


――ごめん、そろそろ時間かも。

「じゃあ、また明日。いつもの時間でいい?」


 叶うはずもないとわかりながらも、栞凪は気丈に振舞う。


――そう、できればいいんだけど。ごめんね。

「いっつも幸羽は自分勝手」

――そうかも。

「そうだよ」


 まるで仲の良い、恋人のようなじゃれ合い。


「せめて嘘でもいいから、約束できないの?」


 だから余計に縋りたくなってしまう。


――今の栞凪、ちょっと子供っぽくて可愛いかも。


 対して、こんな時まで軽口を叩く幸羽。


――好きな人には誠実でありたいから嘘はつかない。だけど、約束はしよう。

「……うん」

――いつまでもアタシは待ってるから。その時が来たらいっぱい話聞かせてよ。時間なんて多分、栞凪の話が尽きるくらいまではあると思うからさ。

「わかった。そうならないくらい、いっぱい話すこと書き留めとく」

――楽しみだな。


 夢のような時間はもう終わる。


 そう、理解できてしまう。


――栞凪、大好きだよ。


 耳朶を打つ幸羽からの告白に、栞凪は歳月を得て気づかされた想いを告げる。


「私も好きだよ、幸羽」

――……またね。

「うん、またね」


 どちらから通話を切ることはしなかった。


 だけど無情にも、栞凪の耳元から幸羽の声音が途切れる。


「……幸羽? ……幸羽ってば」


 何度呼びかけても返事はなく、耳にあてていたスマホの画面は起動しない。


「幸羽ってばッ!!」


 止めどなく頬を伝う涙を拭うことなく、栞凪はヒステリックに叫び続ける。


「か、栞凪さん?」

「……の、望亜ちゃん」


 防音対策に特化していない建物。ただでさえ壁を1枚隔てただけの賃貸物件は、容易に叫び声くらいは聞こえてしまう。


 怯えたように覗き込む望亜の姿に、栞凪はどうにか平静を装おうとする。


「何かありましたか?」

「ごめん、何も……」


 望亜の視線が、栞凪の手もとに向いていることに気づく。


 下手な誤魔化しをしたところで、意味もないだろう。


 だからといって、信じてもらえるかも定かではない。


「信じてもらえないかもだろうけど、さっきね、幸羽から電話があったんだ」

「……お義姉ちゃんから?」


 瞳を丸くする望亜に、栞凪は口角をあげる。


「そうだよね、信じろっていうのが無理あるよね。……私も、そう思う」


 充電コードを繋ぎっぱなしながらも、画面が真っ黒なままのスマホを握る。


「……信じますよ。だって、ひと騒がせな義姉ですもん」

「……確かに」


 栞凪と望亜で、幸羽に対して認識が間違っていないことに笑い合う。


「それで、義姉は何か言ってましたか?」

「望亜ちゃんの事は、自慢の義妹だって言ってたよ。しかも同棲するって言ったら、付き合ってるのかって疑われるくらいには、本当に大事なんだと思う」

「ん~それはそれで重いんですけど」

「そうかな?」


 サラリと拒絶される幸羽に、栞凪は今だけは通話が繋がっていないことに安堵する。


「それで、栞凪さんは話せましたか?」

「……私?」

「聞かなくても、何となく想像がつきそうですけど」


 察しのいい同居人に、栞凪は泣き顔で笑ってみせる。


「ぜっぜん話し足りない」


 いつも急で、こっちの気も知らずに振り回される。


 むしろそういった星の下で生まれ落ちてしまったのではと、疑問を抱いてしまう。


「だから約束したの。また会う時までには色々と話題を用意しておくって」

「……そうですか」


 幸羽の死を知り、栞凪はしばらく抜け殻のようだった。


 そんな期間を知る幸羽にとっては、少なくとも一歩ずつ栞凪は進んでいる。


 それが嬉しくもあり、こうして側にいるとお願いされた立場としては誇らしくもあった。


「栞凪さんって、本当に義姉――幸羽さんのことが好きですよね」

「それもあって、これまで出逢いの場面を蹴ってきた気がするけどね」


 過去を受け入れながらも、今を生きようとする栞凪の表情に晴れやかだった。

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