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閑話休題:最後に一言だけ、アナタの声を聞かせて


 たまに寝つけない日はある。


 だけどそのたまにが、ほぼ毎日のようになっていった。


(……こんな生活続けて、身体の影響ってどうなんだろう)


 栞凪との通話を終えてから眠りに就く。


 そのための錠剤を掌に乗せながら、幸羽はふとした疑問を抱く。


 AIアプリに相談して、第1に生活サイクルを見直した。

 起きたら朝日を15分くらい浴びる、元もと珈琲などといったカフェインの過剰摂取はしていない。


 それに加えてお風呂上がりの身体を動かす柔軟したり、おススメと表示されたサプリメントなんかも飲んだ。他にも無料動画サイトを利用してローファイBGMを流す、入眠への呼吸法だったりetc……。


 それ以外の睡眠改善方法をいろいろと試した。


 それでも改善がみられず、仕方なく市販の睡眠薬に頼る生活。


(……薬の効果って凄いな)


 少しぬるくなった白湯で睡眠薬を飲み、布団の上でぼーっと天井を眺める。


 次第に意識が遠のいていく感覚に身を任せて就寝した。



 学校によって高校3年生への対応が違うようだ。


(……ヤバい、眠くなる)


 滔々と板書する教師の声を聞いていると、ただでさえ寝不足の状態には耐えがたかった。


 室内に空調がないため窓を開け放っているが、吹き込んでくる風は生温かい。


 額の汗を拭いながら、幸羽は睡魔との格闘を1人続けていた。


 あれから、幸羽への対応は変わらない。


 むしろ悪化の一途を辿るかのように、顔も名前も知らない他クラスや他学年へと広まっている。


 この様子だと、教師陣にも知れ渡っているかもしれない。


 受験を控えているとは思えない教室内を、授業の終わりを報せるチャイムで気の抜けた空気が広まっていく。


「はい、ここまで。事前に連絡をしているように、今日の放課後から順番に進路指導を始めていく」


 クラスメイト達からの反応は様々だったが、教壇に立つ教師は気にした様子もなく出て行った。


(さてと、お昼にしよ)


 賑わうクラスメイト達を横目に、幸羽は荷物をまとめて教室をでた。


 どこの学校にも購買はあるようだが、食堂のような場所は見当たらない。ほとんどが教室で仲の良いグループでまとまって食べている。


 そんなグループに属さない幸羽は、その日の気分で校内の至る所でお昼と摂っていた。


 1番の穴場は、体育館の上にある踊り場。


 大きな窓を1か所開け放って、自然の風を身体いっぱいに浴びる。クラスメイト達の喧騒はなく、1人で過ごすには快適だった。


 いつだったかお昼寝がてらに過ごしていたら、放課後になっていた時もある。


 その日を境に、授業をサボる癖がついてしまった。


 もし栞凪がそのことを知ったら、口酸っぱく注意してくるだろう。


「今日はサボろっかな」


 放課後には進路指導があるが、授業の内容はついていけている。


 授業をサボりがちでも学年の上位を維持できている現状。それは栞凪のお陰でもあり、元もと勉強が出来る方なのかと思い込んでいる。


 香子が用意してくれたお弁当に感謝して、ちょっとした満腹感に瞼を閉じた。


「……眠れそうにないな」


 感覚として5分程度だったが、幸羽は諦めたように常備している睡眠薬を飲んだ。


「これなら眠れそうだ」


 そして再び、幸羽は瞼を閉じるのだった。



 元より生徒数の多くない学校というのもあって、部活動の数が少ない。


 だけど活発的だ。


(……うるさいな)


 体育館を使用するのは男女混合のバレー部で、賑やかな声がよく響く。


 無理やり起こされ、寝起きというのもあって機嫌が悪くなってしまう。短く息を吐きながら、存在を忍ばせるようにその場を後にする。


 放課後に進路指導があるため、時間まで校内にいないといけない。


 だけど行き場がなく、フラフラと彷徨うにしても広くない学校。教室は部活に行かないクラスメイト達のたまり場で、外は炎天下。


 それでも人気のない場所はある。


 1番に思い当たったのは図書室。


 そうと決まれば足取りは早く、すれ違う生徒達からの視線を無視して向かった。


(予想通り)


 ガラリと扉をスライドさせると、ヒヤリとした空気が肌を撫でた。


 陽当りはそれほど悪くないが、何故かこの空間だけは校内の隠れ避暑地となっている。


 そんな中、1人カウンターに座る図書委員の生徒と目が合った。


 面識もないから声をかける事はないが、相手側から目を逸らされる。


(ま、そうだよね)


 だからありがたく、広々とした長テーブルの一角を陣取る。


 長時間座っているのに適さない椅子に不満があれ、仕方ないと諦めるしかない。時間まで暇なので、鞄から1冊の教材を引っ張りだす。


 全体的に真っ赤な背表紙には大学の名前が印字されている。


 元もと栞凪の通う大学は知っていた。


 それを思いだして書店で購入して、年明けから取り組んでいる。


(ま、栞凪には内緒だけど)


 微かな折り目が使い込んでいる証の1冊に、幸羽は向かい合う。


 進路指導では授業をサボり気味であるところを指摘されるも、成績がいいのもあって強くは言われなかった。他にも進学先も聞かれ、とりあえず第1志望だけは伝えている。それにあたっての既に取り組んでいるという旨を伝え、帰路に就いた。


 だがそのことを、まだ母親である渚には伝えていない。


 いい加減伝えなければと、薄々と理解していた。


「……お母さん、ちょっと話があるんだけど」


 時どき帰りが遅かったりもするが、渚はスーパーでパートとして働いている。


 それもあって幸羽と生活サイクルが合わなかった。


 もしかしたら、合わせたくないのかもしれない。

 

 それもあって帰宅したタイミングで声をかけると、怪訝そうな態度をとられながらも話を聞く姿勢を向けてくる。


「それで、話しって?」

「進路の事で……今日先生と話したんだ」

「そう、決めたの」

「○○大学に進学しようかと」


 大学の名前を伝えてもピンとこないのか、渚は幸羽から手渡されたパンフレットに目を通す。


「……家を出るの?」

「……その、つもりです」


 つい数か月前、家族のあり方という話題で衝突があった。


 そのせいで両親は離婚して、今の生活を過ごしている。


 だからまた――、


「ちょうど良かったわ、お母さんも幸羽に話しておかないといけないことがあるの」


 無意識に身構えていた幸羽だったが、肩透かしを食らうくらいの平静っぷり。


 そんな渚の言葉に耳を傾ける。


「お母さん、少し気になっている人がいるの」

「……え?」


 あまりの唐突な台詞に耳を疑ってしまった。


「お付き合いまではいかないだけど職場の方で、中学の娘さんがいるらしいの。病気で奥さんを亡くしたらしくて、同じ片親として頑張ってるみたいなの」


 滔々と、顔も知らない誰かのプロフィールを聞かされる。


 だけど幸羽の耳には入ってこない。


(おかしいでしょ、そんなの……お父さんと別れたばっかりなんだよね? それなのに……)


 情報量に頭の中が混乱していく。


「だけどすぐにはじゃないから、この家を出ることになるわ」

「そ、そっか……」


 また何1つ相談もなく、この母親は我が子を振り回そうとしている。


 渚が自分の両親である香子や一矢に、離婚に至った経緯を話しているのかはわからない。


 この生活だって、幸羽なりにも気を遣ってしまう。


 なのに気にした様子もなく、香子と一矢は幸羽を孫として扱ってくれる。


 ようやく落ち着けると思った矢先のこれだ。


「幸羽の進学は応援するわ。だからお母さんの件も理解してね」

「う、うん。……わかった」


 抱えていたことを伝えたられて一息つけたのか、安堵する渚に幸羽はぎこちなくも笑顔を浮かべるのだった。


(また私の居場所が……)



 その日を境に、服用していた睡眠薬の量が増えていった。



 進路指導との面談が終われば、3年生達は慌ただしく動きだす。


 かと、幸羽は思い込んでいた。


 だがそんなことはなく、淡々と変わり映えしない風景。授業も粛々と教科書の内容をこなしていくようで、受験対策をする気配がなかった。


(……そんなことある?)


 1週間ほどクラスメイト達の様子を観察したが、誰1人として焦っていない。


 だから不思議に思って情報を集めようと声をかけようともした。


 だけど現状は変わっていない。


 むしろほぼ空気のような扱いになりつつある。


 それもあって自由があり、今日まで何となく過ごせていた。


 決して虐められている意識が幸羽にはなく、冷静に状況を把握していく。


(こうなると、自力で頑張るしかないか)


 せめてもの頼りは教師しかいなかったが、それでもいいと幸羽は受験シーズンへと突入していった。



 孤軍奮闘。


 それでも唯一の支えがあって頑張れた。


 栞凪と通話する時間だけは変な考え事をする必要もなく、心から楽しめている。


(けどさすがに、この顔は見せられないかな)


 寝付けない日々が続けど、それをうまく利用する。


 減りつつある睡眠時間を受験勉強に回し、明け方が近づけば睡眠薬を飲んで強引に眠りに就く。そしてアラームと格闘しながら朝起きて、学校へと登校する。回らない頭で授業何となく受けつつ、終わればすぐに帰宅した。そこから仮眠をとって、栞凪との通話時間を過ごす。


 そんな生活サイクルを過ごす中、母親の渚にも動きがあった。


「……結婚を前提」


 渚は珍しく両親である香子と一矢、幸羽を含めた四人で夕飯を囲んだ。


 いつもの事ながら唐突な出来事に、幸羽は食べる手を止めていた。


 それは幸羽だけではなく、香子と一矢も同様だ。


「そうだから、忙しいかもだけど幸羽。引っ越しの準備をしておいてね」

「渚」


 これまで温厚でよく喋る、だけど肝心なことは照れて口数が少なくなる一矢。初めて聞く険のある声音に、幸羽は目を丸くさせた。


 対して渚も機嫌を悪くさせていく。


「お前が家を出て行ったとき、好きにしていいといった。だけどな、娘の幸羽にとっては今からが大事な時期だと理解しているのか」


「してるわ! だけど、将来の事を考えると家族は大事よ」

「この生活だって、1つの家族という形でしょ?」

「ええ、そうね。そうだったとしても、幸羽は私の娘です。娘の幸せは、母親である私が決めます」


 宥めようとする香子にも食ってかかる渚を、幸羽は真顔で見据える。


(……この人は、何を言ってるのだろうか?)


 明らかに同じ二の舞をしているにも拘らず、実の両親に向かって声を荒げる。


 2人も強くでれないのか、渚に対して肩身を狭そうにさせていく。


「だからわしらも考えて――」

「今どき古いの親が決めた婚約者なんて!」


 この親子との間を隔てていた片鱗に触れた気がした。


「それはわしらも反省している。だから渚の自由にさせた」

「だからここに居づらくなったのよ」

(……だから居づらくなった?)


 癇癪を起す渚の言葉に、幸羽は内心で首を傾げた。


 両親が勝手に決めた婚約者。


 その相手に恋愛的な好意を抱いていなかった。


 だから拒絶したとして、どうして家を出るまでのことに発展してしまうのか?


 幸羽の想像力が足りないのか、断片的なピースではパズルは完成しない。


「こうして帰ってくるのだって嫌なくらいよ」


 夕飯も中途半端に、渚は居間から出て行く。


 吐き捨てられた一言に、一矢は顔を俯かせてしまう。その姿に香子は寄り添うように歩み寄り、小さくなる一矢の背中を摩る。


 そんな中、幸羽は何1つ口を挟めなかった。


 実の母、渚がどうしてそこまで嫌っているのか。


 そして今も、家族というあり方にこだわっている。


 それを知るには一矢達に、何があったのかと訊ねないといけない。


(……それを訊くのは、今じゃないんだろうな)


 だから冷静に、自身が置かれた状況を整理していく。


 この家から引っ越すことは変えられない。


 だけど、転校するという話は上がっていなかった。幸羽が進路の話をした時も、渚はその点には触れていない。


 出逢った場所がパート先だったとして、相手の住まいも近隣である可能性が高くなる。


(……中学生の娘さん)


 相手にも1人娘がいる。


 そうなると、学年がどうであれ転校手続きが必要となる。


 こんな中途半端な時期に、2人一緒には手間ではないだろうか。


 なによりも幸羽は、大学の進学を機に渚の元を離れると宣言した。


「そんなに悲しまないでよ、お爺ちゃんお婆ちゃん」

「……幸羽?」


 楽観的かもしれないが、どこか確証めいた予感があった。


 約1年、渚の代わりに幸羽の事を育ててくれた一矢と香子。


 渚との確執はどうであれ、幸羽にとっては間違いなく祖父と祖母にあたる。


 希薄だった家族という一片に触れた。


「たまには遊びに来るからさ、そんなに寂しそうにしないでよ」


 そういって、幸羽は笑顔を2人に向けるのだった。



 幸羽の楽観的な予想は的中する。


 どうやら相手方の娘さんは中学2年生。幸羽が通う高校に多くの友達の多くが進学先としていた。

来年には受験を控えているが、下手に環境を変えるのは精神的に崩れてしまう。


 だが1番に要因は、相手方には持ち家があるということだった。


「もうすぐ来るから、しっかりご挨拶するのよ」

「うん」


 空調の利いた店内、夏休みに入ったばかりというのもあって昼間から賑やかだ。


 そんな中、幸羽は渚と一緒に来店していた。


 仲良く親子での食事ではなく、交際相手との顔合わせが目的。


 あまりにも気が早いと思うが、それくらい渚はあの家をすぐにでも出たいのだろう。


(ま、私には関係ないか)


 引っ越しは夏休み中にするらしく、既に業者の手配は済んでいる。


 だが元々荷物を最小限にする癖がついている幸羽は、あれこれとモノを増やそうという考えがなかった。


 だから軽自動車1台くらいで済む程度しか荷物はない。


 そして半年後には、また引っ越しがある。


(私の人生って点々としてるな)


 そんな下らないことを想いついてしまう程度には、今日は頭が回っていた。


 念のため羽織っていた薄手のカーディガンだったが、店内の冷房が効きすぎているのか肌寒い。


「お待たせしました、渚さん」

「いえ、ついさっき着いたところです」


 来店を報せる音に続いて、息を切らした男性の声が聞こえてきた。


 それに応じるように立ち上がった渚。


 幸羽もゆっくりとした動作で顔をあげた。


源元陸斗(みなもとりくと)です。初めまして幸羽ちゃん」


 少し頬が痩せこけ、短く切りそろえられた黒髪にはチラホラと白髪が目立つ。しっかりと食べているのかと思えるほど細く、全体的に枯れ木という例えがピッタリだった。


 立ち上がるように促され、幸羽は背筋を正す。


「……初めまして、蓮永幸羽です」

「お話は渚さんから聞いてるよ」

「そうですか」


 笑顔で握手を求めてくる陸斗に、幸羽は恐る恐ると手を差しだした。


「そうだ、こちらが娘の――」

源元(みなもと)()()です」


 父親の紹介を遮るように、一人の少女が一礼した。


(……しっかりした娘だな)


 そう思わせる佇まい。


 黒い髪を後ろで小さく結び、おっとりと垂れた目じりの奥には意志を感じられる黒い双眸。校則をしっかりと守る優等生という言葉がピッタリだった。


「よろしく、望亜ちゃん?」

「こちらこそよろしくお願いします、幸羽さん」


 初対面とはいえ、これから義妹になる相手。咄嗟に呼び方を考えたが、下手に距離を詰めるのもおかしいかと疑問形になってしまった。


 対してビジネス的な堅苦しさでこられて、今後について冷静に考えてしまう。


(なんか、あの時の栞凪みたい)


 それから食事会の流れとなり、多少は言葉を交わした。


 盛り上がりは別として、初めての顔合わせを無事に済ませる。


 その数日後、幸羽は一矢達の家から引っ越した。



 元は新居だったとしても、10数年も経てば住人の生活感が窺える。


「今日からここが幸羽ちゃんの部屋だよ、自由に使って」

「……ありがとうございます」


 そういって陸斗に案内された一室を見回す。


 シンプルに1人用のベッドがあるだけで、それ以外の家具はなかった。


「勉強机は必要だよね? この引っ越しが終わったら買いに行こうか」

「そんな仰々しい勉強机じゃなくても大丈夫ですよ」

「そ、そうかい? 別に遠慮しなくても」


 既に家族という枠組みに入れられ、嬉しさを前面の陸斗に少し困ってしまう。


 人柄はいいのだが、あまりにも距離感が近い。


「遠慮というか、今どきこういったのもあるんで」

「ほうほう、今はこういうのもあるんだ」

「そうです」


 幸先を曇らせたくないと気を遣い、手早くスマホで検索にヒットした商品をみせる。


 それを顎に手をあてて感心する陸斗の真摯さに、幸羽は少しこそばゆい気持ちを抱いた。


(……これも家族っていうのかな)


 引っ越しの作業中、それをただ見守っていた一矢達の姿を思い返す。


 あそこでも家族という形で成り立っている。


 だけど渚とっては気に入らず、こういった状況になってしまった。


「今日からよろしくお願いします」

「こちらこそだよ、幸羽ちゃん」


 だから幸羽は、全ての感情を押し殺すことにした。



 これまで新しい環境での生活は慣れたもの。


 だけど――、


「あ、ごめん幸羽ちゃん」

「……いえ別に、鍵かけてなかったですし」


 お風呂の脱衣所で歯を磨いていると、不意に扉が開いたことに振り返った。


 すると陸斗が驚いたような表情を浮かべ、さらには低姿勢で謝ってくる。


 普段お風呂に入る時は鍵をしている。


 だから謝られる事ではなく、不思議に思ってしまう。



 夏休みも折り返しに入ったとある日。


 どの部活にも所属していない幸羽は、毎日のように自室にいた。義妹の望亜は部活があるらしく、渚と陸斗も仕事で家には一人。


 それでも気にせずお昼が過ぎた頃、急に陸斗が慌てたように帰ってきた。


「幸羽ちゃんお昼はもう済ませたかい?」

「はい、お母さんが作り置きしてくれていたので」

「そっか、ならよかった」


 職場は同じはずで、今朝も一緒に出勤する姿を見送っている。


 そして今、お昼休みなのか一時帰宅してきた。


 だけど幸羽が既にお昼を済ませたことを知り、陸斗はどこか満足した様子で職場へと戻っていく。


「……?」


 あまりの不自然さに、幸羽は首を傾げてしまった。



 また別の日。


 陸斗は休みらしく、仕事の渚を送り届けてからリビングで過ごしていた。


「幸羽ちゃん、この生活で何か不自由なことはないかい? これが欲しいとか、あれがしたいとか」


 少し遅めの朝食を済ませた幸羽が自室に戻ろうとすると、急に声をかけきた。


「……特に思い当たりませんけど」

「……そっか」


 どこかガッカリとする陸斗の後ろ姿に、幸羽はただ見つめた。



(……何だろう。少し居づらいな)


 渚での実家でいた時、一矢と香子はそこまで干渉的ではなかった。


 対して陸斗の常に幸羽を気にかけてくる。


 娘の望亜や渚にはそういった様子はない中、あまりにも過剰的。


 何度か栞凪と通話をしている時も、入り口前で気配を感じていた。


 まるで監視をするかのような素振りに、幸羽の神経が少しずつ削られていく。



「そういえば幸羽ちゃん、もしかしてよく眠れてない?」

「……何でですか?」


 条件反射的なのか、陸斗に声をかけられるだけで身構えてしまう。


 珍しく4人そろった夕飯終わり、幸羽はお風呂の準備をするため自室に戻ろうとした。


「……そうなの?」

「えっと、それは……」


 食器を片づける渚からの問いに、幸羽は鼓動が早くなっていくのを感じる。


「……」

「ッ!?」


 まだ夕飯を食べている望亜とも目が合ってしまう。


 冷静に思考を巡らせたかったが、心配する渚からの視線が刺さる。


「このパッケージ、市販の睡眠薬かなって」

「ッ!!」

「睡眠薬?」


 そして証拠を突きつけるように、陸斗は卓上に飲み終えた錠剤の入れ物をみせてきた。


(なんで、なんでそれを!? 部屋どころか、バレないようにゴミ捨ては私が行くようにしてるのにッ!!)


 鼓動がさらに早まり、冷房の効いた室内なのに喉が渇いていく。


「……幸羽、どうなの?」


 歩み寄ってくる渚が、顔を覗き込むように前屈みになる。


(どうするどうするどうする。どう言い訳をする? いや、それよりもッ)


 幸羽の反応を窺う陸斗に不気味さを覚える。


 特に興味を示した様子の無い望亜は、そんな父親と生活をしてきた。


 もしかしたら、そこは親子だからというラインがあるからなのか。


 だが、陸斗は渚が好きで選んでいる。


 その矛先を連れ子にも向けようとしているのか。


 脳内に鳴り響く警笛を静まらせつつ、幸羽は短く息を吐く。


「まあちょっと、勉強に根を詰め過ぎて寝つきが悪くて」


 だけど今は、この場を制さないといけない。


「幸羽が毎日勉強を頑張ってるのはわかるけど、お薬に頼るのは無理し過ぎよ。適度に息抜きはするべきよ」

「ごめんなさい」


 事実をしっかりと認め、渚を納得させておく。


「それに陸斗さんにも心配かけました。本当に私は大丈夫ですから」

「それならいいけど、無理はダメだよ」


 父親の素振りをする陸斗から逃げるように、幸羽は自室に戻って扉に背中を預ける。早鐘を打つ鼓動を落ち着かせるように深呼吸を繰り返し、ゆっくりと瞼を開く。


「……」


 元からあったシングルベッドに、後から買ってもらった簡易的な勉強机に椅子。それ以外の家具どころか、荷物も増やしていない。


 花の女子高生とは思えない、生活感の無い部屋だろう。


 だけど今は幸羽の部屋である。


 そこに断りもなく足を踏み入れ、果てにはゴミ箱でも漁ったのだろう。


(……栞凪)


 内側から鍵をするタイプだが、どこか心もとなくみえてしまう。


「……幸羽さん、今いいですか?」

「ッ!?」


 控えめな扉のノックだったが、今の幸羽には過剰な反応を示してしまった。


 これまで望亜が幸羽の部屋を訪ねてこなかったのもあって、警戒心を抱いてしまう。


 ここで陸斗だったら拒絶を示しただろうが、望亜には何も関係ない。


「ど、どうかしたの?」


 そっと扉を開けるが、室内をみせないように身体で隠す。


「すみません、父が何か気に障ったようなことをしたようで」

「そ、そんなことは……」


 何かを感じ取ったのか、わざわざ追いかけてきた望亜に言葉を濁してしまう。


 それが余計に悪化させたらしく、望亜はさらに申し訳なさそうに小さくなっていく。


「……とりあえず入ってよ、望亜ちゃんがそんな顔しないで」


 いつまでも部屋の前に立ち尽くしてしまいそうな望亜を部屋へと招き入れる。


 誰かを招くようのモノを用意していなかった幸羽は、望亜をベッドに座らせた。


「……部屋、あまり物がないんですね」

「そうなのかな?」

「はい、すっごく殺風景です」

「そ、そっか」


 比較対象が栞凪の部屋しかいないので反応に困るが、こうして誰かを招くというのは望亜が初めて。


 唯一の椅子を引っ張りだし、向かい合うように座った。


「私も正直、この生活には戸惑ってます」

「……そうなんだ」


 2人っきりで話す機会は少なかった。


 どこか様子をみられている気はしていたが、さらに踏み込んだ胸の内を打ち明けてきた。


「幸羽さんからすれば大事な受験もあって大変なのに、親のアレでこんな生活は負担じゃないですか? 私も来年は受験ですけど、今でも滅入ってます」

「……そ、そうだね」


 ストレートに親を毒づく口ぶりに、面食らってしまう。


「だけど、お父さんが幸せそうなんです」


 それでも幸羽の知らない陸斗を、娘である望亜の口から語られる。


「私が物心ついた頃、世間を騒がせていたウイルスでお母さんは死んじゃって。一緒にいたっていう朧げな記憶はあるんですけど、想い出がないんです」


 滔々と語る望亜の言葉を遮らずに耳を傾ける。


「それでもお父さんは私を育てるために家事や仕事で忙しくて、誰よりも悲しいはずなのに涙一つ零してないんじゃないのかなって思うんです」


(……それは、本当に大変なんだろうな)


 男手一つ、望亜をここまで育てきた。


 それだけを聞けば、立派な父親かもしれない。


 知らぬが仏ではないが、幸羽はついさっき陸斗がとった行動を呑みこむ。


「そんなお父さんが急に紹介したい人がいるって言われた時、正直嬉しさが勝ったんです」


 もしかしたら幸羽と同じ時期だったのかもしれない。


 だけど幸羽は、この生活には反対的姿勢を示している。


(望亜ちゃんは、私が残り半年もこの家にはいないって知ってるのかな?)

「だから今日まで、ただ見守ってきました」

(……おや、雲行きが変わったぞ)


 望亜の声音に、どこか怒気が孕んでいく。


「お父さんがこの生活を良くしようと頑張っているのはみていてわかるんですけど、あまりにも干渉的だなって思うんです。娘の私が言うのもあれですけど、正直キモイです」

「そ、そうだね……」

「そうですよね、そう思いますよね」


 少なくとも母親が一緒になりたいと好意を寄せている相手の娘に、同意を求めてくるには言葉が刺々しい。


 同意を示した幸羽に、望亜は前のめりで興奮していく。


「ここまでくると娘である私達の事なんて気にしないで、2人でどうぞって感じじゃないですか? いい年の、しかも実の親がって結構見るに堪えないんですよ」

「望亜ちゃん、下にいる2人には言わない方が良いかもよ」

「それはもちろんですよ」


 何故か、幸羽がフォローする立場に回っていた。


「けど1つ、良いことはしてくれたかなって思ってます」


 ようやく怒りの沸点が下がってきたのか、望亜が落ち着いてくる様子に安堵する。


「……」

「……?」


 望亜がみせた感情の起伏に、幸羽は戸惑ってしまう。


 急に落ち着きなさそうにして、顔を合わせづらそうにしていく。


「望亜ちゃん?」

「幸羽さん!」


 幸羽が心配して声をかけると、望亜は勢いよく立ち上がる。


 あまりの勢いに仰け反って椅子ごと後ろに転びそうになるのを耐え、両肩をプルプルと震わせている望亜と向かい合う。


「お姉ちゃんって呼んでいいですか」

「……」


 唐突に投げかけられた申し出に、幸羽はゆっくりと言葉の意味を咀嚼する。


「ダメ、ですか?」


 さらに追い打ちをかけてくる望亜は顔を赤く染め、真摯に見つめてくる。


(そこまで言われて拒否なんてできないよ)


 勇気を出すように向き合われ、幸羽が返さないわけには行けない。


「……私で良ければ、お姉ちゃんとか好きに呼んでよ。……望亜」


 自分でお姉ちゃんというのに抵抗はあったが、望亜の表情に花が咲く。


「じゃあ遠慮なく、お姉ちゃんって呼ぶね。……幸羽、さん」

「そうなると私は妹ちゃん? ……なんか、余所余所しくない?」

「それならちゃんか呼び捨てでいいです」


 改めて考えさせられるが、既に舌に馴染んだ呼び方がある。


「なら、望亜ちゃんって呼ぶね」

「わかった。お、お姉ちゃん」

「……」

「……」


 お互いに顔を見合わせ、どちらともなく声をあげて笑いだす。


「なにこの会話」

「思いました、変な会話」


 終始笑い合い、呼吸を落ち着くまで時間がかかった。


「そ、そうだお姉ちゃん。迷惑かもなんだけど、1つお願いいいかな」

「いいよ別に、1つじゃなくて」


 目じりの涙を拭う望亜に、幸羽は不思議そうな顔をする。


「自分の受験で忙しいかもしれないけど、私の勉強もみてもらえたり出来ないかな」

「……私が?」


 あまりにも縁遠いお願いに、幸羽は動揺を隠せなかった。


「お姉ちゃんが頭良いって渚さんから聞かされてて、ちょ~っと教えて貰えないかなぁ~タイミングを探ってたんですよ」

「……お母さんが?」


 どこが発信源かと思いきや、身内である渚である意外性。


 今日までの学期ごと通信簿は見せてはいたが、特に興味を示したような素振りを感じられなかった。


「……やっぱり難しいですかね」


 ふとした既視感を抱いてしまう。


 いつだったかの自分も、栞凪に勉強をみてもらえないかと頼み込んだ。一度は断られたのだが、急に引き受けたことを覚えている。


 あくまで栞凪の内申点という建前。


 それが次第に、教えて貰うのが当たり前となっていった。


(ここまでくるとズルすぎる)


 この短時間で少しは仲が深まったと思える、義理とはいえできた妹を無下にはしたくない。


「20時以降は難しいけど、それ以外だったらいつでも声かけて」

「……20時以降の場合は確認が必要ってことですか?」

「そうしてもらえると嬉しいかな」

「わかりました」


 いくら仲が良くなったとはいえ、わざわざ好きな人と通話しているからと教える必要を感じられなかった。


 しかも年頃であれば、カッコウの的として食い気味に聞いてくるかもしれない。


 だから今はと、言葉を呑みこむ。


「あ、それと連絡先交換しておきません」

「確かに、望亜ちゃんの連絡先知らないや」


 同じ屋根の下に住み始めて1週間くらいが経とうとしていたが、今さら気づく。


 どちらともなくスマホを取りだし、トークアプリの連絡先を交換した。


(……いい子だな)


 自室で1人になり、幸羽は頬を緩ませていた。


 だけど一息つき、第1の問題解決に思考を巡らせていく。



 その翌日から、望亜から甘えるように話しかけてくることが増えていった。


「おはよう、お姉ちゃん。今日部活が午前中だけなんで、お昼過ぎから勉強見てもらえますか?」

「そういえば、食べ物で好き嫌いとかないですか? 私は辛いのが苦手なんですよ。連れってもらった焼肉屋さんのキムチがトラウマで」

「お姉ちゃん、お風呂どうぞ~。上がったら一緒にアイスでも食べながらドラマ観ません? その、息抜きがてら」

「お姉ちゃん、勉強教えるの上手ですね。すごく解りやすいです」

(……望亜ちゃん、めっちゃ喋る子だ)


 そう思わされる1週間を過ごし、夏休みは終わりを迎えようとしていた。


 そんなある日昼下がり。


「……夏祭り?」

「はい、毎年この地域一帯の住人が出店とか開いて、花火もあるんです」

(栞凪の学校でも開かれるヤツと似てるのかな?)


 今年も開催されるらしいのだが、去年とは風向きが違うとのこと。


 主に受験で忙しいはずの高等部3年生が中心となって、規模的にはかなり盛大になると予定されている。

 

 栞凪も立花達に巻き込まれ、複数の出店を手伝わないといけないことを嘆いていた。


 それがどこか楽しそうで、一緒にいられないことを羨んでしまう。


「去年もあったんですけど、知りませんでした?」

「ん~花火の音は聞こえてたけど、ソレだったのかな?」

「たぶんそうだと思います」


 去年は居間でダラダラと夏の暑さに溶けていた。


 一矢や香子からそういった話は聞いていない。


「それで何ですけど、一緒に行きませんか?」

「……私と?」

「やっぱり迷惑ですか?」


 話の流れからそうなのかなと思っていたが、快く返事ができなかった。


(地域一帯ってなると、クラスメイトとかも来るんだろうな。……そうなると)


 この1年、まともにクラスメイト達と会話をしていない。それどころか関わりを持つまいと線引きする一定数がいる。


 親のあれこれを説明していない現状、夏祭りというイベントは周囲の想像を掻き立ててしまう。


 地域の繋がりが濃い環境、もしかしたら望亜に迷惑をかけてしまう可能性が出てくる。


「……ま、息抜きはしないとだからね」

「それじゃあ、オッケーってことで」


 嬉々として軽い足取りで二階へと戻っていく望亜を見送った。


「せっかくだし浴衣用意しようか?」


 午後から出勤の渚はお昼のご飯の片づけをしながら、幸羽と望亜の会話に耳を傾けていたようだ。


 望亜も話にあげたように、渚の雰囲気も去年よりも明るい。


 時々除く、母親としての表情。


 それがあまりにも、幸羽にとっては歪でしかない。


「……ジャージでいいよ」


 そう、素っ気なく返してお昼ご飯を済ませた。



 そして夏祭り当日の夕方。


「お姉ちゃん、浴衣じゃないですか!」

「え……」


 そんな第一声が、源元家のリビングに響き渡った。


「ほら言ったじゃない、今からでも着替えなさい」


 渚に着付けをしてもらったのだろう、呆れた表情を浮かべていた。


 手もとには恐らく浴衣が入っている、質のいい箱を持っている。


「行くとは言ったけど服装の指定なかったし、あと動き辛そうだもん」


 怒られると思ってもいなかった幸羽は、渋面をつくって反抗する。


「確かにそうかもしれないですけど、情緒とかあるじゃないですか!」

「そうかもだけど」


 見た目は校則をしっかりと守る真面目な雰囲気の望亜。


 だけど今日だけは別なのか、シンプルな水色の生地に帯はフリルのついた白い帯。そこからさらにキラキラとした装飾を輝かせ、髪もアップにしてまとめた金色の簪に目をひかれる。

対して幸羽は七分のTシャツに膝下丈のジャージ。


 普段から家で過ごす格好で、たまに一矢達の家に行く時も動きやすさを一番にしている。


「ほら、着付けてあげるから」

「……いい、このままでいく」

「お姉ちゃん!」


 構図としては二対一。いくら幸羽が拒絶しようが、グイグイと押し切られる未来しかみえなかった。


 特に、望亜に強くお願いされては断りにくい。


 だから戦略的撤退と称して、幸羽は足早に玄関へと向かった。


「ほら、足元くらいは合わせるから」

「納得いかない!」


 追いかけてくる望亜を納得させるべく、渚が用意していたのであろう下駄に足を通した。


(……ダメだったか)


 和柄の紅い鼻緒を見下ろしつつ、不満を口にする望亜に苦笑いを浮かべるのだった。


 カランコロンと、耳心地のいい音が熱されたアスファルトの上で奏でられる。


 渚が車をだしてくれると申し出てくれたが、幸羽は歩きたい気分だからと断った。望亜の意見を一切聞いていないことに気づくも、しっかりと隣を歩いてくれている。


「幸羽さんは、渚さんの事が嫌いなんですか」

「……どうしてそう思うの?」

「露骨に避けている節があるので」


 ここ最近気づいた、家族としての呼ぶ時はお姉ちゃん。それ以外の相談事なんかは、幸羽さんと呼び分けている。


 今はその後者。


(さすがにわかるよね)


 元より隠すつもりもなかった幸羽は、イタズラがバレた子供のように笑う。


「嫌いというか、昔と今のギャップにどう接していいのかわからないだ」

「親子なのに?」

「親子だから、かな」


 言ってしまえば、家族は身近な他人。性格や考え方、趣味嗜好がまったく一緒というわけじゃない。偶然、そういった星の下で生活を共にしているだけだ。


 そのことを、幸羽は渚から教わった。


 元夫を支えるために徹する、幸羽の事を見向きもしなかった渚の姿。


 少しずつ調子を取り戻し、母親として接してくる渚の姿。


 どれも同じ渚なのだろうが、幸羽にはそう見えていない。


 そんなことを望亜に語ったところで、不思議そうに首を傾げるだけだろう。


 そう思ってあえて語らない。


「……親子って難しいんですね」

「そうかもだけど、望亜は変わらず接してあげて」

「わかりました」


 物わかりのいい素直な望亜に、幸羽は少し歩み寄る。


「……どうしたんですか?」

「どうも。ただ、姉妹だったら普通じゃない?」

「……そうなんですかね」


 少し困惑したような望亜の表情だったが、声音はどこか弾んでいた。


(……浴衣で夏祭りは、栞凪といきたいな)


 後ろめたい気持ちを押し殺し、幸羽は望亜との夏祭りを楽しんだ。



 夏が終われば秋がくる。


 そんな考えは昨今では違うのか、9月になってもまだ蒸し暑い。


「お爺ちゃん、お婆ちゃん。来たよ~」

「いらっしゃい幸羽、学校帰り?」

「そんな感じ」


 引っ越しと一緒に荷物とした、一矢が用意してくれた電動自転車。持って行って正解だったと思えるくらい、かなり重宝していた。


 放課後のHRをサボったことは香子には告げず、幸羽は守山家を訪れていた。


 夏休みの時も何度か遊びに行き、学校がある日の帰りは毎日のように足を運んでいる。


「来たか」

「来たよ」


 出迎えくれた香子の声を聞いてか、居間の方から一矢が姿をみせた。


 あの引っ越しの日、少し寂しそうな顔をしていたのが記憶にある。


 だけど今はそんな影もなく、快活とした笑顔で出迎えてくれた。


(ここは落ち着けるな)


 居間でお茶菓子を食べながら、どこか時間の流れがゆっくりと感じられる空間に胸を撫でおろす。


「それで、上手くやっていけてるのか」

「新しくできた妹が素直でさ、毎日楽しいよ」

「そうか」


 何をと深堀してこない一矢だったが、聞きたいことはわかってしまう。


 もしかしたら、一生かかってもこの親子の確執は無くならないのかもしれない。


 そうだったとしても、娘の幸羽には関係の無いこと。


 毎回のように守山家に出かける幸羽に、いい顔をしない渚を知っている。


 幸羽なりの、ちょっとした嫌がらせだ。


「そうだ、今日もちょっと寝てくね」

「それは構わないけど、そんなに勉強大変かい? 無理はするんじゃないよ」

「無理をしているつもりはないけど、ちょっと心配かけちゃったんだ」

「なぁ~に、遅くなったらわしが自転車と一緒に送ってく、ゆっくりしていけ」


 香子にはいつも心配をかけてしまうので明るく振舞い、もしもを考慮して夕飯時の晩酌を我慢してくれる一矢には感謝しかない。


 いつもだったら部屋の直行するのだが、幸羽は足を止めて二人に改まって向かい合う。


 不思議そうにする一矢と香子。


「いつになるかはわからないんだけど、その内学校の友達連れてくるね。……それと、私の新しい義妹も」

「……そうかいッ」

「その時は盛大に出迎えないとな!」


 まるで自分の事のように喜ぶ二人の表情に、幸羽は短く息を吐く。


(望亜はすぐにでも連れてこれるだろうけど、栞凪は難しいかな)


 それでも淡い期待を抱いてしまう。


 ともに受験を頑張っている栞凪に、少しでもここでゆっくり過ごしてもらう。そう思える場所がここで、いつしか泊めてもらった恩を返したい。


(そうなると、受験が終わった頃がベストだよね)


 恐らく栞凪の方も佳境に入っている。


 毎日のように通話をしているが、微かにペンで何かを書く音は聞こえてくる。


 最初は寝付けず、クマが酷い顔を晒したくなかったのもあった。


 だけど今はそれが良いのか、互いの作業通話になっている。


「……もしそうなら、早いうちに言っといたほうがいいよね」


 幸羽にとって、栞凪との通話時間は欠かせなくなっている。それがあるから頑張れて、どんな状況にも耐えられてきた。


 それは今後、今のままだったら変わらないのだろう。


 だがそれは幸羽の自己満足で、もしかしたら栞凪の負担になっていないか。


 そんなことはないと言ってくれるだろうけど、怖くて聞けない。


「ダメダメ、今は余計なことを考えない」


 布団に横になり、幸羽はスマホのアラームをセットする。


「お婆ちゃん、お布団干してくれたのかな。フカフカで温かい」


 布団に頬擦りしつつ、鞄の奥底にしまっている錠剤ケースを取りだした。


 たまに飲まなくても眠れるようになってきた幸羽だが、陸斗との1件から欠かせなくなっている。


(……そういえば、1日の適正摂取量ってどれ位なんだろう)


 そんなことを気にせず、幸羽は掌に乗せた適当数の錠剤を水と一緒に飲み込んだ。



 学期末テストの成績は変わらず上位をキープし、志望校である大学にもこの調子なら合格できると言われた。


 それでも身に付いた習慣なのか、不安を拭うためなのか、勉強することを欠かせない。


 守山家でひと眠りした幸羽は、いつものように田んぼ道を自転車で漕ぎながら源元家への帰路に就く。


(……あれ、今日は遅番だって聞いてたけど)


 玄関には陸斗の靴が置かれていた。


 不思議に思いながらリビングに顔をだすと姿はなく、2階から物音が聞こえてくる。


(……まさかッ)


 嫌な予感で2階へと向かおうとするが、タイミング悪く降りてきたところだった。


「こ、幸羽ちゃん? どうしたんだい」

「……陸斗さんも、今日は遅番って」


 慌てる幸羽に、陸斗も驚いたように動きを止めた。


「僕かい? もうすぐ年の瀬だからね、それに必要な資料を取りに戻ったんだよ」

「……そうですか」


 手もとにはクリアファイルがあり、本当に忘れ物をしたのだろう。


 だけど不信感を拭えない幸羽は、目じりを細めて構えてしまっていた。


「……その、やっぱり僕との生活は嫌だったかい?」

「そんなことはないです。母も毎日楽しそうで、正直ホッとしてます」

「……そうだったらいいんだけど」


 不安げな表情を覗かせる陸斗に、幸羽はしっかりと事実を伝える。


「……」

「……」


 2人の間に僅かな重い沈黙の空気が漂い始める。


「ただいまぁ~あれ、お父さん?」


 玄関の扉が開く音に続いて、望亜の元気な声がよく響く。


 やはり望亜も不思議に思ったのか、幸羽と同じことを口にしてリビングに顔を覗かせた。


「……どうしたの2人とも? そんなところで立ち尽くして」

「お帰り、望亜。ちょっと幸羽ちゃんとクリスマスの話をしてたんだ」


 そう嘯く陸斗からの視線に、反応に困りながらも幸羽も乗っかった。


「私の家で祝うことってあんまりなかったら、どうしようか悩んでたの」

「そうだったんだ。お父さん、そういうことだからまた改めて聞けばいいじゃん。仕事遅れるよ?」

「そうだ、急がないと」


 背中を押されるように出社していく陸斗を見送り、リビングで望亜と2人きりなる。


「ごめんなさい、またお父さんが気に障るようなこと訊いたみたいで」

「それは別にいいの。友達とはカラオケとかでパーティーするけど、親とってなるとわからなくて」


 望亜の気遣いがいつものように発動してしまった。


 だからそれが申し訳なくて慌てて繕う。


「……もしよかったら、この家ではどんなことをしてたか教えてくれないかな? 今年は四人でってなると、去年とは変わるでしょ」

「……そうですね。それじゃあ、着替えたらリビング集合で!」


 幸羽が望亜の何かスイッチをしまったのか、テンションをあげる姿に胸を撫でおろした。


(……クリスマスか)

 去年は守山家で一矢と香子の3人で、ちょっと豪華な夕飯とケーキを食べた。プレゼントも一矢なりに考えたらしく、手袋とマフラーを貰って今年も愛用している。


 その前はどうだったろうかと思いだそうとするが、あまり印象的な出来事がない。


 そして今年は4人。


「……賑やかになりそうだな」


 特に望亜が騒ぎそうな予感がした。


 そうだったらいいなと思いながら、幸羽もクリスマスの事を考える。


「……」


 だがそんな楽しい気持ちは、見えない誰かのせいで一気に打ち砕かれてしまう。


 自室の入り口前、ひっそりと忍ばせていた仕掛けに動きがあった。


(……シャーペンの芯が倒れてる)


 押し扉の足元に、1本のシャーペンの芯を立てかけていた。これで誰かが入室すれば倒れるという仕掛けに引っかかっている。


 何かの拍子で倒れたのかもしれないが、思い当たる人物は1人しかいない。


「……お姉ちゃん? そんなところでどうしたの」

「何でもないよ。すぐ着替えてくるね」


 部屋からでてきた望亜は、ここ最近になってグッと冷え込み始めたとは思わせない恰好をしていた。


 全身がモコモコとした、淡いピンク色と白のストライプ柄のパジャマ。パーカー部分をすっぽりと被り、太ももを隠さないショートパンツ。それでも膝下まで隠れるルーム靴下で温かさを保っている。


 不思議そうにする望亜と一旦別れ、幸羽は静かに息を吐いた。


(……部屋は荒らされてない。薬は持ち歩いてるし、ゴミの捨て場所も隠している)


 ベッドシーツは毎朝整え、着た衣類は洗濯カゴに纏めてクローゼットの中に置いている。


 そしてゴミはなるべくリビングに持っていくようにして、睡眠薬のゴミはひっそりと学校で捨てていた。


 一通り室内を探索し、異常がないことを確認する。


「……さてと」


 肩にかけていた鞄を机に置いて、窓際のレースカーテンを開く。


「これに映っていないことを祈るばかりかな」


 手にしたのは小型のカメラ。


 ネット通販で購入し、こうして毎日窓際のさっし置いて室内を取っている。カモフラージュとしては心もとないが、レースの柄で隠せていることを祈りたい。


 背中部分のSDカードを引っこ抜き、スマホにはめ込んで中を確認する。


「……」


 アプリを起動させると、登校前の自分がデカデカと映しだされた。それはいつもの事なので早送りにしながら微かな動きを見逃さない。


「……やっぱり」


 だが数分後、幸羽の嫌な予感が的中した。


 ついさっきリビングで鉢合わせた陸斗が映っていた。手にはクリアファイルを持っているあたり、ついさっきまでいたのだろう。


 幸羽は謎の嫌悪感に口元を抑えながら、映像を流し続ける。


 入ってきたかと思いきやいきなり漁るのではなく、挙動不審の素振りで室内を見回す。だが元々荷物が少ないのもあって、陸斗は手にしていたクリアファイルを机に置いてクローゼットを躊躇なく開け放った。


 少なくとも、年頃の娘を持つ父親がする行動ではない。


(……これだけ集まれば十分だろな)


 カメラの死角に隠れてしまって何をしていたのかはわからないが、決定的な証拠が積み重なっていく。


 これをいつ、渚や望亜に露見させるか。


 それはこの生活を終わらせることにはなるが、幸羽はそれでも良かった。


(……お母さんは悲しませるだろうけど、望亜ちゃんはどう思うんだろう)


 今も尚、リビングで幸羽の事を待っている望亜を想像してしまう。


 交際している相手の連れ娘に手をだそうとしている。


 いくら親子でも、縁を切られてもおかしくないだろう。


 むしろ、望亜の身だって危ういかもしれない。


「……栞凪、もう疲れたよ」


 源元家に来て半年近く、最初の頃は上手くやっていけたと自負している。


 だけどいつしか、陸斗の方から不可解な言動をみせてきた。


 身支度をしている洗面所へと、デリカシーのない乱入。実の娘でも嫌がるほどの過干渉。確証はないが、夜な夜な他人の部屋を窺うように扉の前に立ち尽くす。


 そして人気のない時間に室内を探索する行為。


 あげればキリはなく、思い返すだけでも身の毛がよだつ。


「こうしちゃいられない」


 意識を切り替えるために頬を両手で叩いて起き上がる。


 制服から上下グレーのスウエットに着替え、リビングへと向かった。


 それから望亜とクリスマスについて話を弾ませ、あっという間に夜が更けていく。



(……長いな)


 学年全体がようやく受験生である自覚が持ち始め、どこか緊張感のある雰囲気が漂い始めた。


 誰よりも先に取り組んでいた幸羽にとっては遅すぎると思うが、明日から冬休み。


 これまでのツケをどれだけ挽回できるかが肝となる。


 上着を羽織っていても寒い体育館で、長々と休みの注意事項を話す教師をぼーっと立ち尽くしながら聞き流す。


 受験生らしく教本が擦り切れるくらい解き明かし、源元家で気が休められずに寝つけない日々を過ごしていた。


 唯一の避難所である守山家は、今日の昼から三泊四日で地域の慰安旅行で不在となる。


 もしものためと鍵を渡されたが、いくら孫とはいえ家主がいないのに上がり込むのは気が引けた。


「……帰りたい」


 おそらく全校生徒が抱いているであろう感想を、幸羽は代表するようにボソッと呟く。



 そんな昼下がり、源元家で事件が起きた。



 数日前から渚はクリスマスパーティーの料理に思考を巡らせ、望亜も幸羽とのプレゼント交換で何を買おうかと張り切っていた。


 その熱量に陸斗もあてられたのか、小さめのクリスマスツリーを買ってきたのだ。


 あまりの浮かれように、幸羽はどこか他人事のように見守っていた。


 それでも気持ちは浮足立ち、望亜との約束通りにプレゼント探しの日々。


「……」


 見慣れつつある一軒家に、朝はなかった車が一台停まっていた。


 ここ1ヵ月、陸斗の勤め先であるスーパーが繁忙期に突入して忙しそうにしている。同じ勤め先の渚も疲労の色を滲ませているが、しっかりと家事もこなしていた。


 お互いの立場もあって、仕事の量と質が異なる。


 今朝も栞凪が起床した頃には出勤していた。


 そして帰りも、日付けを跨ぐかの深夜になると渚から聞いている。


 にもかかわらず、陸斗の車が停車していた。


 少し前にも似たようなことがあり、寝不足の脳に負担をかけてくる。


(……もういい、終わらせよう)


 一周回った冷静さで思考を巡らせ、幸羽は音を立てずに帰宅する。


 玄関先には陸斗の靴が並べられていた。


 幸羽の足取りには迷いなく、2階の自室へと向ける。


「……」


 耳を澄ませると、微かな物音が聞こえてくる。扉も微かに開いており、息を潜めて覗き込む。


 姿は見えないが、誰かがいる。


 ここで泥棒だったら、身の安全を確保しながら警察に通報するのが1番だ。


 だけど相手は、将来的に母親と結ばれるはずの見知った人。


 鞄からスマホを取りだして、部屋の扉を押した。


「人の部屋で何してるんですか、陸斗さん」

「ッ!?」


 部屋のモノが少ないのもあって、漁る場所は限られる。


 毎回のようにクローゼットを開けられていることを知る幸羽は、スマホの掲げたまま部屋の奥へと進んだ。


 何気ない動作で鞄を机に置きながら、スマホは陸斗へと向けたまま。


「お、お帰り幸羽ちゃん」

「どうも」


 興味あるのは下着のようで、クローゼットの中を収納場所にしている洗濯カゴに手を伸ばしていた。


「これまでも人のクローゼットを開けてこんなことしてたんですね」

「そ、それは……」

「それにこういうの、今日だけじゃないですよね?」


 言い逃れをさせるつもりはない。


「私より年は下ですけど、年頃の娘を持つ父親がするようなことですか?」

「す、すまない。このことは――」

「もちろん、母には伝えます。もちろん、望亜ちゃんにも」


 目の前にいる罪人に対して、幸羽は情状酌量の余地なしで判決を伝えていく。


「言い逃れはないですよね」

「……」


 俯いて黙り込む陸斗の様子を注視する。


 いくら陸斗が見た目痩せていて、年齢も中年だからと気は抜けない。


 相手は成人男性。


 身長差もあって腕力にも違いがある。もしここで襲いかかられ、組み伏されたら手も足も出ないだろう。


 だけど臆さず対峙する。


「いくら払えばいい」

「お金で済む話じゃありません」

「君は、実のお母さんを悲しませることになる」

「自分の身を守るのが大事です」

「せめて望亜だけには――」

「往生際が悪いですよ」

「……」


 再び沈黙する陸斗。


 だが、僅かな間が合図だった。


「くそぉぉぉおお!!」

「ッ!?」


 今まで聞いたことのない陸斗の叫び声に、一瞬日和ってしまった。


 それでも覚悟は決めている。


 勢いよく立ち上がろうとする陸斗の顔をめがけ、机に置くふりをして構えていた鞄を振り抜いた。


「んッグゥ!?」

「はぁはぁはぁ」


 綺麗に顔面に直撃するとは思ってもいなかった幸羽は、床でのたうち回る陸斗に肩で息をしながら見下ろす。


 こうなってしまったら、残るは自身の身を守るしかない。


(このまま部屋をでて、望亜ちゃんの部屋に逃げ込む)


 向かい側への動線を確認し、勢いよく駆けだそうと動きだす。


「んッ!!」

「ッ!?」


 だけどそれを察したかのように、行き先を阻むように陸斗の足が壁を蹴った。


(この人、加減する気ない!?)


 反射的に後ろへと避けたが、床がフローリングというのもあって尻もちをついてしまう。


 それを見逃さなかった陸斗。


「捕まえたぞ小娘ェ!」

(マズイッ!!)


 当たりどころが悪かったのか、鼻から血を流す陸斗は勝ち誇ったようにマウントを跨る。幸羽もどうにか両手足を暴れさせるが、さすがの腕力には敵わない。


「妻が亡くなってから毎日毎日仕事に子育て。会社の方もいろいろと配慮してくれたが男手一つ、休む暇すらなく頑張ってきた。そんな時に似た境遇の渚さんに心惹かれて少しだけ浮かれてた」


 これまでの苦労を吐露されても、幸羽には共感できなかった。


「……それに、若い娘に欲情して何が悪い」

「クズがぁ……」


 さらにはドス黒いオスとしての本能を向けられたとて、知った事ではない。


 あまりの力強さで押さえつけられ、頭では理解しながらも恐怖が勝っていく。


「……お父さん? お姉ちゃん?」

「「ッ!?」」


 すると、部屋の入り口から望亜の声。状況が呑みこめず困惑し、声音も怯えたように震えている。


(ここしかないッ!!)


 その僅かな隙を見逃さなかった。


 幸羽は躊躇なく、跨っている陸斗の股間を蹴りあげる。呼吸を整える間もなく起き上がり、折り畳みの椅子を土手っ腹に突き刺した。


「望亜! 部屋に鍵かけてお母さんが帰ってくるまで出てきちゃダメ!!」

「ッ!!」


 突き刺した椅子で陸斗を床に固定して、そのままモップがけの要領で部屋の外へと追いだす。


 だけどその動線の先には望亜がいる。


 自身は守れるが、この状況を目の当たりにした実の娘はどうなるか。


 それでも咄嗟にガラついた声で叫び、睨みを利かせて有無を言わせず逃がす。


 土手っ腹に刺さる椅子を押し返そうとする力に全体重をかけ、望亜が向かいの部屋に逃げ込んだのを確認して両足で踏ん張る。


「よいしょぉおお!!」


 直感的な思惑が上手くいき、幸羽が加えた力の通りに陸斗が滑っていく。


 どうにか椅子ごと部屋の外へと押し返すと、微かに手応えがないことに気づいた。


「……」


 どこか力なく項垂れる陸斗を横目に、幸羽は自室に駆け込み鍵をかけた。


(ど、どうにかなった……)


 ほんの一瞬、陸斗に犯される未来が脳裏を過った。


 タイミングよく帰ってきた望亜に感謝を伝えたかったが、アドレナリンで興奮状態のもあって一気に力が抜ける。


(せめて、入り口は塞いでおかないと)


 鍵を閉めたからと安心できず、幸羽はクローゼットから衣装ケース引っ張りだして気休め程度のバリケードを設置する。


(……少しだけ、寝てもいいかな)


 もしもの時を想定し、バリケードに身体を預けながら幸羽は瞼を閉じた。



「幸羽、何があったの」

「……お母さん?」


 それからどれくらい経ったのか、渚の叫び声に目を覚ました。


 どうやら昼の休憩が終わっても戻らない陸斗に連絡をしたが繋がらず、念のためと家に戻ってきたらしい。


 そしたら2階で争った形跡がある。


 そこには陸斗の姿も、車もないらしい。


 事の詳細を伝えられるのは幸羽しかいなかった。


「お母さん、これをみてもガッカリしないでね」


 陸斗と争った拍子でスマホを手放していたようで、部屋の隅に録画をしていた映像を渚のスマホに送信する。


 よく見ると、扉の向こう側にいる望亜からも鬼のような通話が着ていた。


 だから一言、無事だと伝える。


 そして、渚にも送信した動画を送った。


(……これで終わり)


 どこか満たされた達成感に浸りながら、幸羽は再び瞼を閉じた。



(……この音は)


 どこから聞き慣れた着信音に、起き上がりたかったが身体が重い。


(ああそうか、もうそんな時間なんだ)


 だから床を這うようにして、暗闇の中で灯るスマホに手を伸ばす。


《もしもし》

「……も、もしもし」


 微かに掠れたような声音が聞こえてくる。


(ああ、栞凪の声だ)


 そんな短いやり取りに、胸の奥が熱を帯びていく。


《どうしたの、そんなに身構えて》

「そ、そんなつもりはないよ」


 まだ内心で気が立っていて、声にでてしまったのだろうか。


 どうにか平静を保とうとゆっくり息を吐く。


《……もしかしてタイミング悪かった?》


 不安がる栞凪の声だったが、微かに扉の前が賑わいだす。


(……マズイな、返事がないから望亜ちゃんが扉の前に張り付いてたかな)


 足音が遠ざかっていくのを耳に、さらに声を潜める。


「そ、そういうわけじゃないけど……ごめん、かけ直す」

《えっ》


 スピーカーの向こうで困惑したような声が聞こえたが、幸羽は素早く通話を切った。


(後は、お母さん達だ)

「幸羽、大丈夫なの」

「うん、大丈夫だよお母さん」

「お姉ちゃん、本当に大丈夫?」

「ホント、怪我とかしてないから」


 そういって安心させたかったが、2人には残酷な現実を突きつけている。


 なのに幸羽の事ばかり心配してくるのが不思議で、恐る恐ると訪ねてしまう。


「お母さん、それと望亜ちゃん。……あの動画なんだけど――」

「幸羽。ごめんなさい、気づいてあげられなく」

「え?」

「私も幸羽さんが何かに困っているのは知ってたけど、1人で抱えさせちゃってごめんなさい」

「ど、どうして2人が謝るのさ、私は2人の事を傷つけたんだよ」


 予想外の展開に動揺を隠せなかった。


「あれからどれだけ電話をかけても出ないの。職場にも戻っていないみたいで、あの動画について私は知らないといけないことがあると思ってるわ」

「いいのお母さん、それって」

「大事な娘を傷つけられて、怒らない親がいると思ってるの?」

「ッ!!」


 あれだけ好意を向けていた相手に対して、明らかに怒りの感情が宿っていた。それがあまりにも静かなモノで、扉越しでもゾッとさせられる。


(ああ、なんだかんだやっぱりお母さんなんだな)


 そのことを改めて思い知らされる。


 そんな人を幸羽は邪険に遠ざけ、挙句には傷つけてしまった。


「ごめんなさい、お母さん」

「なんで幸羽が謝るのよ」

「な、何となく」


 目じりが熱を帯びていくのを感じながら、誤魔化すように笑ってみせる。


「幸羽さん」

「……望亜ちゃん」


 どこか硬い口調の望亜に、幸羽は不思議に思って耳を傾ける。


「謝って許される事じゃないですが、私の父が本当にご迷惑をおかけしました」

「……そうだね。こんなことがなければもっと仲良くできたのに」

「……そうですね」


 気遣った言葉を欲していない、それは逆に傷つけてしまうと思ってあえて許さない。


 だけど娘に原因があるわけではなく、1人で抱え込んでほしくなかった。


 全ての現況は、父親の方だ。


 このまま雲隠れしてしまったら、いつまでも前を向けなくなってしまう。


 そうならない為にも、最初で最後の我儘をしてみる。


「ねえ、お母さん。このまま望亜ちゃんを養子にしたり出来ないのかな」

「そうよね。このままってなると児童相談所ってなりそうだし、そうなると学校も今のままは難しいかもしれないわ」


 大人が決めた詳しいルールは知らない。


 だけど手を差し伸べてあげることはできる。


「お母さんも役場の人に聞かないとわからないから、少し時間がかかるわね」

「うん、お願い」

「ま、待ってください。私はどうなっても――」

「望亜ちゃん、これは家族で話し合った結果だよ」


 幸羽にとって義理とはいえ可愛い妹。


 義姉として守ってあげるのは当然で、どうするべきかを考えるだけ。


 今度は扉の向こうで涙ぐむ声が聞こえてきたが、あえて触れずにひと段落つける。


「お母さん、私疲れたからこのまま寝るね」

「……そう、わかったわ」

「こ、幸羽さん」

「違う、お義姉ちゃん」


 涙ぐむ義妹に対して、少しだけお義姉さんぶってみる。


「お、お義姉ちゃん。また明日」

「うん、おやすみ」


 そう挨拶を交わして、2人の足音が遠ざかっていくのを耳に一息吐く。


(だいぶ時間かかっちゃったな)


 スマホの充電が切れそうなのに気づき、コードを手繰り寄せて端子を繋いだ。

 そして改めて通話ボタンを押した。


「……ごめん、今は大丈夫」

《……本当に?》


 怪訝そうにする栞凪の反応は、これまでを考えるとそうかもしれない。


《そうだ、メリークリスマス》


 あまりにも唐突だったので、改めてスマホの画面で日付けを確認する。


(せっかくのクリスマス、台無しにしちゃったな)


 渚は料理を、望亜はプレゼントを選んでくれている。プレゼントは幸羽も選んだが、普段から登校日かそうじゃないかで認識してきた。


「……ああ、そっか。メリークリスマス」


 まだ家族にもいっていない言葉を、1番大事な相手に送る。


 少し浮つく気持ちに浸りながら、耳朶を打つ声に耳を傾けていく。


《なに、勉強疲れ?》

「……ん~そんな感じ?」

《……そっか》

(気遣わせちゃったな)


 声音から何となく、栞凪が考えていそうな心情を読み取ってしまう。


「まぁ~そうだよね。ごめん、配慮が足りなかった」

《……そんなことないよ》


 予想していた反応で返ってきたことに、自分なら栞凪の考えなら何でも理解できるという感覚に陶酔してしまう。


《それだけがいいたかったの。……切るね?》


 いつもだったら小1時間は通話を繋いでいるのだが、今日はあまりにも早かった。


(ま、今日はクリスマスだしね。家族とのパーティーでもしてるのかな)


 残念なことに、そういった団欒の場を幸羽は一つ壊してしまった。


 そんな悪い子にサンタクロースがプレゼントをくれるわけがないと思いながら、少しだけワガママを口にする。


「もうちょっとだけ、話さない?」


 タイミング的に切られてしまったと、それでも良かった。


《……わかった》


 だけど、そんなワガママが叶ってしまった。


(はは、これ以上嬉しいことはないや)


 内心で力なく笑ってしまう。


 かといって何か話したいわけでもない。


 こうして声だけを聞けるだけで良かった。


 だからこのまま通話を繋げただけでもいい。


《……ねえ、幸羽。そんなに勉強辛い?》


 それなのにまだボーナスタイムが続いてくれる。


「そんなことは、ないかな……。知ってるでしょ? 私の成績」

《うん、ホント凄いよ》


 学期末ごとの成績は教えている。


 それでも根底にあるのは、栞凪とのあの時間があったから。進学校というのあって授業の進行が違い、ほぼ復習をするような毎日。


 だからテストの出題傾向にも予想が付き、ちょっとズルをしているような感覚だった。


 それもあって誰よりも先に受験勉強に取り組め、どうにか合格ラインに到達で来たともいえる。


 全て、栞凪のお陰なのだ。


 それを自覚しているのだろうかは、不思議なところである。


《もしさ、大学に合格したら何したい?》


 まるで合格することを確信めいた口調に、少しだけ想像を膨らませてしまう。


「え~気が早いでしょ」

《少しくらいいいじゃん》


 栞凪なりに何か考えているのだろうが、一番に思いついたことを口にする。


「そうだなぁ~。とりあえず、勉強はしたくないかな」

《受験が終わったらそうしよう》

「お、あの栞凪が許してくれた」

《だったら、自己採点でもしようか?》

「ひ~」


 あの、何かあれば勉強するが口癖の栞凪が寛容だった。


 だから調子に乗ったのが運の尽きらしく、さも当然という返しに笑ってしまう。


 そしてふと、上げた視線の先に目が留まった。


「……ねえそういえば、あの日記帳ってまだ持ってる?」

《中は見てないし、引き出しにしまってる》


 いつからか始まった日記を書く習慣。


 変わり映えしない毎日であっても、箇条書きでも出来事を書き留めておく。いつどこで誰と会ったかを忘れたくないから。


 転校した先々で日記帳を新しく買い替え、年月が積み重なれば増えていく。


 けど今、その1冊に空きがある。


「……そっか」

《なに、届けようか?》


 幸羽にとって1番鮮明で鮮烈な、短期間だったとはいえ想い出の日々を記録している。


(1人ぼっちは寂しいよね)


 その中心の人物、初めて好意を抱いた相手の手もとにある。


「……そう、してもらおうかな」


 後頭部をベッドに乗せ、真っ暗な天井を見上げた。


 間接的に会う約束を取り決めて、タイミングを見計らっていた用件を口にする。


《それと何だけど、ここからお互い大事な時期に入るから、この電話お休みにしない?》


 期間としては2ヵ月くらい。幸羽の方から連絡を絶っていた時期を考えれば、寂しい思いをさせないだろう。


 目頭が熱くなっていくのを感じながら、気丈に振舞ってみせる。


「……それは良いけど、無理しないでよ?」

《だいじょ~ぶ、栞凪もだよ》

「……うん」

《じゃあ、これ切ったら住所教えるね。着払いでお願い》


 そういって、幸羽の方から通話を切った。


(ああ、いつまでも栞凪の声を聞いていたいな)


 どこか名残惜しさを感じながら、約束通り住所を打ち込んだ。


 手にしていたスマホを無造作に放り、背中をベッドに預けて両手足を投げだす。


「もうなんか色々と疲れたな」


 すり減らし続けた幸羽の心を、ゆっくりとぬるま湯のような多幸感が満たしていく。


 どこか全身の力が抜けていくのを感じながら、足元の鞄を手繰り寄せる。そこからいつもの錠剤ケースを取りだして、躊躇いもなくすべてを口に放り込んだ。それらを水筒のお茶で流し込み、力なく床に横たわる。


「……これが全部、夢だったらいいのにな」


 そのまま意識を刈り取られるかのように、幸羽は瞼を閉じた。

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