第10話:繋がる距離、伝わる想い
既読は付いた瞬間、栞凪は迷わず通話をかけた。
「幸羽!」
繋がったことを確認せずに名前を呼ぶ。
《うぉ! びっくりしたぁ~急に大きな声出さないでよぉ~》
「急にって、声くらい大きくなるでしょ」
《そ、そういうもん?》
「そういうもん」
あまりにもマイペースな幸羽に、栞凪は盛大に溜息を吐く。
言いたいことは山ほどある。
だけど、何から話せばいいのかわからない。
高速で思考を巡らせるも、吹き抜けた冷たい風に身震いする。
「今外にいるの、かけ直すんだけど……いい?」
《そうだったんだ。わかった、いつでもかけてきて》
「ホント? 本当に出てくれる?」
栞凪は食い気味に、念を押すように確認を取る。
このまま通話を繋げたままにしようとも考えたが、家に着くまでの会話の間を保つ自信がなかった。
スマホを握る手に自然と力が籠る中、耳もとから快活とした笑い声が聞こえてくる。
《大丈夫、絶対にでるよ。……私も話したいこといっぱいあるから》
「わかった、30分後にかけ直す」
《うん、待ってる》
そういって、栞凪は通話を切った。
学校を出たばかり、最寄りの駅まで急げば10分とかからない。だけどそこからさらに自宅までの距離。
(ああ、何で今日に限ってッ!)
やり場のない感情を抱えながら、栞凪は急ぎ足で帰路を歩いた。
「ごめん、少し遅くなった」
《いやいや、そんなに時間厳守してないから》
電車が多少遅延していたことに苛立ったが、約束の時間を過ぎても幸羽が通話にでたことに胸を撫でおろす。
「えっと、それでなんだけど」
《うん》
通話越しの向こうから、落ち着きを払った幸羽の声が聞こえてくる。
(あれ、結局何から話せばいんだっけ?)
ただ無心で帰路を急いでいた栞凪。すっかり話すべきことを考えずにいたと冷静になり、暖房も効かせていない自室に立ち尽くす。
「……本当に幸羽なんだよね?」
《なにそれ、こわッ。私以外に誰がいるのさ》
「いや、だって……今日まで一切連絡取れなかったから、心配で」
《……心配か》
間抜けな質問かもしれないと思いながら、栞凪はしっかりと通話越しの相手が幸羽であることを確認していた。
それを幸羽は笑って返すと、少しの間をとって黙り込む。
微かな息遣いに耳を澄ませながら、栞凪は次の言葉を待った。
《心配かけてごめん、栞凪》
それを聞いて、栞凪の中で堰き止めていた感情が溢れていく。
「ごめんって、それですませるつもりじゃないよね? こっちがどれだけ連絡したと思ってるのさ。私だけじゃないだからね! 遊佐さんとか逢田さん、立花さんだって幸羽のこと心配してたんだから!」
《あっと、えっと》
「幸羽に何かがあったのは訊かないけど、せめて連絡くらいは返してよ。……本当に心配したんだからね。……バカ」
《……ごめん》
明らかに困惑している幸羽の声音を耳に、栞凪は静かに呼吸を整える。
「……元気にしてた?」
そして今度は口調を変えて問いかける。
《うん、風邪一つ引いてない。……栞凪は?》
「私も風邪引く暇もなく忙しかった」
夏休みが終わったと思いきや、あっという間に冬休みに突入。目まぐるしく学校行事に期末テストもあった。
充実した学校生活を送りながらも、頭の片隅では幸羽を忘れる事はない。
そして今日まで生活を過ごしてきた。
《うん、それは何となくトーク履歴遡って察してる》
「そ」
ほぼ一方的な報告を呼んでくれたことに、栞凪は素っ気なく返事をしてしまう。
だけど一つ、引っかかる点がある。
「……それで、急に連絡してきてどうしたの?」
《……》
そう、どうして今になって連絡を取ってきたのかだ。
これまでだって連絡をするタイミングはいくらでもあった。だけど既読すら付けず、まるでブロックでもされたのかと思わせる行動。
けど、そうしていなかった。
だから不安を抱いてしまう。
黙り込む幸羽に、栞凪は緊張の糸を張り巡らせる。
《……何かないと連絡しちゃダメなの?》
「……ダメじゃないけど」
それでは今までの行動に矛盾が生じてくる。
《強いてあげるなら、ようやくこっちの生活に慣れてきたからかな》
「……そっか」
あまりにも気の抜ける理由に、立ち尽くしていた栞凪はベッドに腰かけた。
幸羽の事だからどこに行っても明るく元気で、ちょっとおチャラけた態度でみんなを笑わせる。
たったそれだけで輪の中心となり、誰もが幸羽に好感を抱くだろう。
そんな光景を目の当たりにしている栞凪だったが、それは杞憂だったのかもしれない。
(……ちょっと意外かも)
1週間という短い期間、同棲のような生活を過ごして知らなかった一面。
どこか自分とは違うと抱いていた勘違いが、溶けていくような感覚に力が抜けていく。
遅れて、室内が寒いことに栞凪はエアコンのスイッチを入れた。
「ん~そうなると私から言いたいことは言えたかな」
《え、そうなの?》
「うん、とりあえず不満は伝えた」
《あ~うん、凄かった》
率直な感想に、栞凪は小さく笑う。
「私からは、だよ」
《え、待ってよ。怖いんだけど》
何かを感じ取ったのだろう、幸羽の通話越しからでも怯えているのがわかる。
「さてさて、3人から何を言われる事やら」
《そうだよねぇ~》
観念したのか、何か柔らかいモノに倒れ込む音が聞こえてきた。
《ブロック解除するの怖いから、栞凪経由とかじゃダメ?》
意味が分からない。
他人の事を緩衝材にしようとする幸羽に、栞凪は容赦しなかった。
「だったらせめて一回くらいは面と向かって話しておいた方が良いと思うよ」
《……はい》
大人しく提案を聞く幸羽の様子が、手に取るようにわかる。
ブロックを解除するかは幸羽に任せるとして、栞凪は立花達と話し合う場を翌日に設けて通話を切る。
それから立花達に連絡をすると、怒涛の通知に苛まれてしまうはめになった。
(ホント、人騒がせなんだから)
立花達がどれだけこの時を、自分と同様に待ちわびていたのかが伝わってくる。
そんな幸羽という存在に、栞凪は笑うしかなかった。
そして翌日。
「お邪魔します」
栞凪は初めて学校の寮に足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
「やほぉ~」
「その辺適当に座って」
「……うん」
普段は教室での恰好しか知らない3人に、栞凪は面をくらってしまった。
寮の中は食堂に浴場、学習室といった学年問わずの共有スペースあるらしい。室内も複数人での相部屋と、中々に窮屈さを感じられた。
だけど遊佐に逢田、立花達はまるで我が家のようにスエット姿で寛いでいる。
(逆に安心感)
学校内の寮というのもあって、栞凪だけは制服姿。
パッと見浮いているかもしれなかったが、今日は分け合って寮を訪れていた。
昨日の今日で話をしたのにも関わらず、相部屋の生徒にお願いして出払ってもらっているらしい。
それでも3人の寛ぎっぷりに、栞凪は手荷物をテーブルに置いた。
「とりあえず頼まれたのは買ってきたよ」
そういって栞凪は、コンビニの袋から複数のスナック菓子に飲み物を並べた。
「サンキュー栞凪」
「さっすがぁ~」
「……割り勘だからね」
「あはは~」
各々が頼んでいたモノに手を伸ばす姿に、栞凪はただ笑うしかない。
念のためスマホの時間を確認すると、まだ約束には余裕がある。
「……幸羽から?」
「ん? そうじゃないけど、念のため時間を確認しただけ」
「そっか」
目聡い立花に、栞凪は首を左右に振って準備を進めた。
とはいっても用意するのはスマホスタンドのみ。
後は時間になるまで待つのだが――、
「ちょっと早くても良くない?」
「さんせぇ~」
「それもそうか」
予定ではまだ10分以上あるのだが、3人は待ちきれなかったようだ。遊佐は何のためらいもなく、栞凪の起動させていたトークアプリをビデオモードにして通話をかける。
(ま、全部幸羽が悪いし)
これから開かれる幸羽への愚痴大会を、栞凪はただただ客観的に見守ることにした。
《……栞凪? まだ時間じゃ――》
「「「幸羽ッ!!」」」
《ッ!?》
狭い室内というのあって、耳を塞ぐ間もない3人の大声量に耳がやられる。
《さ、3人とも……》
通話越しではどう聞こえたのだろうか。
画面の前を占領している立花達のせいで幸羽の様子が窺えない。
「何で今日まで連絡しなかったのさッ!?」
「こんなにガチ無視とかぁ~激おこどころじゃないですけどぉ~」
「言い分は聞かせてもらえるんだよね」
《栞凪ッ!? これどういうこと!!》
スピーカー越しに助けを求められるが、栞凪は反応に困る。
想定としては学校行事でもある、生徒総会的な一問一答形式だった。
だけどそれは理想というだけで、栞凪と同様に堰き止めていたであろう3人組を前に共感しか抱けない。
「それじゃあ、しばらくスマホ貸しとくね」
そういって栞凪は一室を後にしようとする。
「充電器はあるから、心配しないで」
《栞凪!?》
長話になる前提で充電器をコンセントに差し込む立花。
「ヒマ潰すならぁ~勉強室が静かだよぉ~」
「そうなんだ。けど、寮に来る機会って少ないからちょっと見て回ろうかな」
《栞凪さぁ~ん》
スナック菓子をパーティー開けする逢田。
「お昼ご飯は寮の食堂でいいよね?」
「私寮生じゃないけど大丈夫?」
「どうなんだろう。……ごめん、ちょっと確認とってみるよ」
《もしもぉ~し、聞こえてます? 栞凪ぁ~》
栞凪が気を遣っていることを察する立花。
どこからか嘆きのような声が聞こえるが、栞凪はあえて無視してドアノブに手をかける。
「それじゃ、またお昼くらいに」
「「「いってら~」」」
《栞凪ぁッ!!~》
スピーカー越しから悲鳴を、そっと扉を閉めて聞かなかったことにする。
「……さて、どこから見て回ろうかな」
寮の案内をされることなく、この部屋へと招き入れられた。
それもあって栞凪の興味が至る所へと向く。
手もとにスマホがないのを心もとなく感じながら、栞凪はフラフラと寮内の散策を始めるのだった。
かれこれスマホを貸しだし、数時間が経とうとしている。
「なんかごめん、ずっとスマホ借りっぱなしで」
「退屈じゃなかったぁ~?」
「どこ行ってたの?」
とりあえず午前の部という形で終え、栞凪達は食堂で合流した。
「ん~色々と見て回ったけど、勉強室が1番だったかな」
途中で元・現クラスメイト達と鉢合わせて驚かれたが、教室で過ごす感覚で話し込んだしていた。
そんな中でも、勉強室は異様な空気感に放っていたのが印象的。
「他クラスだけじゃなくて、他学年もいるから少し参考になったかな」
特に受験を控えている高等部の三年生達。
中には推薦枠で受験をパスしている生徒も多いだろうが、一秒も無駄にしないといったピリついた空気感。
ちょうど見て回るところがなくて行き場を求めていて栞凪は、邪魔ならない隅っこで気になった参考書を読んでいた。
「こんな時でも真面目」
「まぁ~楽しそうならいんじゃない?」
「栞凪らしいね」
「……褒められてる?」
お盆に乗せられた、玉子のいい半熟具合の親子丼。付け合わせの小皿に沢庵、ワカメとお麩の味噌汁。
栞凪は両手を合わせようとして、立花達の反応に小首を傾げた。
立花が学食のおばちゃんに話を通すと、食べ盛りの男子生徒が多いのもあって大量調理をしているから問題ないらしい。
だけど寮生は学費とは別に生活費を払っているので、条件としてお昼の後片付けを申しつけられた。
家の手伝い感覚で了承した栞凪だったが、食後には後悔をさせられる。
「疲れた……」
食事を終えた栞凪は、立花達と別れて食堂の洗い場へ。
そこはちょっとした戦場と化していた。
ただでさえ中高一貫のマンモス校。その九割が寮暮らし、残り一割は実家からという比率である。
少し冷静に考えればわかることだが、同じ時間にまとまった人数が食事を摂る。料理は第一前提として、それを盛り付ける食器がなければどうしようもない。
その量に、栞凪はただ無心で手を動かした。
(まぁ~ちょっとした時間つぶしにはなったかな)
ちょっとした労働の疲労感に苛まれながら、食堂の1席に腰かける。
「はい、お疲れさん」
「あ、お疲れ様です」
立ちあがろうとする栞凪を、食堂のおばちゃんは片手で制する。
「冗談で手伝ってもらったのに、全部やらせてごめんね」
「いえ、手伝うって引き受けたので」
「……そうかい」
栞凪の返しに、物珍しそうに食堂のおばちゃんは目を丸くさせる。
「ここの寮生は手伝いたがらないのに、変わった子だね」
「……そう、ですか? 家でもたまに手伝ってますし、毎日こんなに美味しいご飯を作ってくれてるって考えると、担当制にするとかダメなんですかね?」
「……こりゃたまげた」
さらには口をあんぐりとさせて、栞凪を凝視する。
「……何か変なこと言いました?」
初対面の筈なのに、どこか距離が近い食堂のおばちゃん。親しみやすさもあって栞凪も長居をしているが、そろそろ立花達がいる部屋に戻って愚痴大会に参加したい。
「アンタ、名前は?」
「三環栞凪、高等部の2年生です」
「そうかいそうかい、栞凪ちゃんか! まだ寮にいるのかい? 良かったらおばちゃん達とお茶でもどうだい」
「え、でも……」
「若いのが遠慮しないの! ちょっと、今日のお茶菓子何だったかね?」
夕飯の準備でもしているのか、まだ厨房内にいる何人かに声をかける。
すると返ってきたお茶菓子に思案した。
(季節限定のハー●ンッツに巨峰!? 産地とか詳しくないけど、ブドウの種類だってのはわかる。それだけでも嬉しいのにあの、あの……)
脳内に天秤が用意され、栞凪の中で二択を迫られる。
「じゃあ、ちょっとだけ」
だが議論する間もなく、お茶菓子の誘惑が強かった。
(ま、幸羽とはいつでも話せるしね)
現在、午後の部として愚痴大会が開かれている。
状況を知る術がない栞凪だが、立花達がまだ語り足りないのだろうと察しがつく。
だから今日だけはと、栞凪は食堂のおばちゃん達のお茶会に参加しに行った。
冬の日暮れは早く、17時を過ぎると外は真っ暗。それに気温もぐっと下がり、厚着をしていても肌寒く感じる。
結局、栞凪が愚痴大会に参加することはなかった。
帰り際、夕飯もと食堂のおばちゃんに誘われたが帰路に就く。
そして今、帰宅した栞凪は自室で幸羽に泣きつかれていた。
《ひどい、ヒドイよ栞凪ぁ~》
「ごめん、ごめんって」
《本当にそう思ってる? 今日一日本当に大変だったんだからね》
スマホから耳を離しているはずなのに、幸羽の嘆き声が聞こえてくる。
「そうは言うけど、元はといえば幸羽が連絡無視してたのが悪いんじゃん」
《それは、そうだけど……》
「そうならない為にも、連絡に返すことだね」
《うう~》
愚痴大会の事を思いだしているのか、幸羽は頭を抱えて呻いている。
(これ、結構言われたな……)
3人の表情は快活としていた。
もしもの時はという含みのある口ぶりに、幸羽にしっかりと釘を刺しておく。
「それじゃあ、今日は疲れただろうから切るね」
《待って、栞凪とも少し話したい》
そういってスマホの画面に触れようとして、幸羽と目が合う。
《えっと、話したいっていったけど今じゃなくて、明日からもっていうか》
急にモジモジし始める幸羽に、栞凪は目を丸くさせる。
「なにさ急に、私もこれで終わりとか嫌だよ」
《……ッ!》
露骨に表情を輝かせる幸羽に、栞凪は意地悪な笑みを浮かべる。
「だって、私の事好きなんでしょ?」
《そ、それは……うん》
「……」
揶揄ったつもりだったが、素直に返されたことに画面をみれなくなる。
「じゃ、また明日」
《う、うん。また明日》
最後には目を合わせられなくなり、どちらともなく通話を切った。
(……なに舞い上がってるんだ、私)
ベッドに背中から倒れ込み、栞凪は熱を帯びていく頬に手を当てる。
各々が話すことがあるからと場を設けたのに、雑談程度の事で終わってしまった。
本当はもう少し話していたい。
だけどそれを裏づける――、
(明日か)
しっかりと約束を取り決められている。
これまで連絡を取れなかった時期を考えると、不安の種が解消された。
「まぁでも最後のは、余計だったかな」
通話の最後、幸羽がどんな表情をしていたのか見れなかった。
その逆で、自分もどんな表情をしていたのか見られていたのか。
悶々とした気持ちを抱えながら、栞凪の冬休みが始まった。
いくら冬休みで時間があるとはいえ、お互いの生活リズムがある。
それもあって都合がつかないことを懸念し、通話をする時間を決めた。
(……そろそろだ)
その初日。
栞凪は夕飯と入浴を済ませて、後は寝るだけの状態でスマホを手にしていた。
(……5分って長いな)
約束の20時までまだ数分。
それが長く感じられる。
スマホの画面を爪先でカツカツとリズムを刻む。
「……ちょっとくらい早くても」
だが待ちきれず、栞凪はトークアプリを起動させた。
「おッ!」
するとタイミングを計ったように、通話音が鳴り響いた。
画面に表示された相手をみて、栞凪は短く息を吐く。
「……まだ時間じゃないだけど?」
《けど、でてくれた》
咎める口調で通話にでると、どこ吹く風で笑い飛ばされる。
「……昨日ぶり」
《うん、昨日ぶり》
短めに挨拶を交わして、少しの間黙り込む。
久しぶりだからという気まずい空気感はない。ただこうしているだけで、お互いに満足できたような安心感。
「あ、そういえば訊きたいことがあったんだ」
《な、なに?》
(ああこれ、絶対に勘違いしてるな)
声音から身構えた様子の幸羽に、栞凪は昨日の事を思い返して笑いそうになる。
「たぶんなんだけど、家に忘れ物してない?」
《……へぇ?》
どこか間の抜けた声音に、栞凪は引き出しからそれを取りだす。
「……あれ、幸羽?」
すると通話が切れたのか、画面のタイマーが止まっていた。
間違って通話を終了にしてしまったかと思いきや、すぐに折り返しがかかってくる。
《みせて》
「あ、うん……」
画面に幸羽の緊迫した表情が映り、栞凪はそれを手もとに掲げた。
授業で使う大学ノートよりはしっかりとした焦げ茶色の表紙。だけど、手帳かと言われるとサイズが大きい。
2つの要素を足し合わせた1冊。
「これなんだけど、日記帳だよね? 私使ったことなくて――」
《中は見た》
「……さすがに見てないよ」
急に真剣な表情を浮かべた幸羽に、栞凪は心外と言わんばかりに眉間にシワを寄せた。
《本当に見てない?》
「いくら幸羽のだってわかってても、そんなことはしない」
信用がないのか、声音を低く問い詰めてくるに身構えてしまう。
(こんなことしたくないのに)
1番に確認をとらないといけない用件だったが、幸羽にとってそれほど大事なモノのようだった。
たとえそうじゃなかったとしても、他人のモノを覗き込むようなことはしない。
「……」
《……》
ましてや勝手に捨てるという選択肢はあり得ない。
それを真摯に伝えるため、画面越しの幸羽を見つめる。
《ごめん、さすがに疑い過ぎた》
「……別にいいよ」
微かに波打つ心を落ち着かせるように、栞凪は日記帳を脇に置く。
「それほど大事なら郵送とかするけど?」
《ん~どうしよう》
腕を組んで考え込む幸羽に怪訝に思う。
「大事なモノ、なんだよね?」
《大事かって言われるとそうなんだけど、送ってもらうほどかって言われると、ん~》
「なにそれ」
そうなってくると、いよいよこの日記帳の所在が不明となってしまう。
「それなら勝手に中身読むけど」
《……栞凪、それはさすがにラインを超えるよ》
「……じゃあどうするのさ」
冗談のつもりだったが、幸羽の威圧感にたじろいでしまう。
(やっぱり大事なモノなんじゃん……)
買ってから日が浅いのか、まだ真新しいのか表紙を撫でる。
不思議な沈黙が訪れたかと思いきや、幸羽がスマホの画面から消えた。
《よかったぁ~そこにあったんだぁ~》
どうやら後ろに倒れ込んだようで、声音もどこか安心しきっている。
「それで、これはどうするの?」
栞凪の問いかけに、モゾモゾという何かの上を這う音が聞こえてくる。
そしてスマホに近づいてきたのか、画角がブレて幸羽の顔が映り込んだ。
《……いつか届けに来てよ》
「届けにって、今どこに住んでるのよ」
《内緒~》
「はぁ」
そんな自分勝手な幸羽に、栞凪はため息しかでなかった。
それでもまた新しい約束が出来上がる。
「わかった、幸羽がいいっていう日まで大事にしまっとく」
《中は見ないでよ?》
「そんなに読まれたくないの?」
冗談っぽく捲る仕草をすると、幸羽の表情が険しくなっていく。
《じゃあ聞くけど、栞凪は私にスマホのフォルダとか全部見せれる?》
(そういえば私……)
よくよく考えると、栞凪は昨日、立花達にスマホを貸していた。何かの拍子で誤って操作してしまい、フォルダの中をみられていたら。
スマホ事態特別な操作が必要もないので、日常的に使用していれば簡単に開けてしまう。
《……そういうことだから》
「……わかった」
今すぐにでも保存しているファイルの中身を確認してみたくなる衝動に駆られながら、栞凪は日記帳を引きだししまった。
(大丈夫だよね? そもそも誰かに見られて恥ずかしいモノとか保存してないし……)
どこか上の空に思考を置きながら、通話を終えてベッドに入る。それでもすぐには寝付けず、ベッドの上をゴロゴロと寝返りを打ち続けた。
それからは毎日のように20時になれば、栞凪と幸羽はどちらともなく通話を繋げる。そして取り留めもなく、どうでもいいような会話をかわした。
「そういえば、立花さん達とは連絡とってるの?」
《それなんだけど、ちょっとお願いして栞凪経由にしてもらった》
「なんでさ」
《それは~そのぉ~》
何やら言いづらそうにする幸羽だったが、立花達の誰かに聞けばわかることだとあえて踏み込まずに納得してみせる。
《てか栞凪、クリスマスって何してた?》
「なに今さら? この時間には電話してたじゃん」
《そうなんだけど、どこか出かけたのかなぁ~って》
「ん~立花達からクリパに誘われてカラオケに入ったかな」
《え、ズルい》
「……ズルいって」
食い気味に画面に近づく幸羽に、栞凪は反応に困らされる。
「じゃあ来年……は受験で忙しいか」
《お願い、現実を見せつけないで》
「あけおめ」
《……ん、あけおめ》
「……寝起き?」
《初詣に行って、初日の出を見たところまでは覚えてる》
「だったらいつもの時間でもよかったんじゃない?」
時刻は朝の8時。
前日に幸羽からの要望で時間を変更して通話をかけていた。
どうやら、幸羽は無理が祟ったようだ。
「それじゃあもう寝なよ」
《ん、そうするけど》
「……けど?」
モゾモゾと蠢く音が聞こえてくる。
《栞凪、明けましておめでとう。今年もよろしくね》
「……なによ改まって」
《大事かなって思って》
「そうだね。幸羽、明けましておめでとう。今年もよろしくね」
《じゃ、今日の20時に》
「はいはい、おやすみ」
そういって通話を切った。
「なんかさぁ~冬休みって短く感じるよね」
《……そう?》
「その割には課題の量が多くてさぁ~遊ばせる気ないよね」
《……ソ、ソウダネ》
「……なんで片言なのさ」
《ソンナコトナイヨ?》
「……幸羽、いい子だから今の進捗教えなさい」
《栞凪の鬼! いいじゃん、ちょぉ~っとやらなくたってッ! てか、学校違くなったから勉強内容だって違うでしょ》
「けど同じ学年だし、範囲は変わらないでしょ」
《それは、ごもっとも》
「はい、今から勉強するよ」
《そこはせめて明日からにしてよ!》
《ねえ栞凪、進路ってどうした?》
「一応は大学に進学かな。って、この話したことなかったけ?」
《したような気もするけど、改めて今日担任に言われてさ》
「それで、幸羽も大学行くの?」
《そのつもりだけど、どこに行くかとは決めてない》
「そうなんだ。……てっきりこっちでとかと思ったけど」
《……なるほどね》
「……ウソ、これは私の考えだから」
《うん、参考にさせてもらう》
「あ、あくまで私の考えだからね」
《はぁ~い》
「新学期ってさ、不思議な感覚だよね」
《そっちの学校が特殊なのかもよ?》
「立花さん達とはクラスが別になったんだけど、なんか寂しさがないっていうか、なんていうか」
《それ、本人たちを前に言わない方が良いからね》
「言わないけど、何となく教室に遊びに来そうな気がするんだ」
《それは~想像できるかも》
「そっちは?」
《もともと生徒数が少ないからクラス替えはなかったかよ》
「それがいいよね~」
《……ちなみに訊くんだけど、私が急にいなくなった時はどう感じてた?》
降り返ってみれば、幸羽と出逢ったのは1年前の同じ時期。どのクラスメイト達よりも濃密な時間を過ごし、今もこうして続いている。
数か月前を振り返るように考え込み、栞凪は滔々と心情を口にしていく。
「……最初は何でって感じから、もう会えないのかなって諦めかけてた」
《……今は?》
「次同じようなことしたら、絶交かな」
《重い!》
「それに、いつかはこの日記帳を届けないといけないからね」
《……うん》
それは音信不通だった日々を埋めるかのように、2人は時間の許す限り通話を続けた。




