第8話:少し早いプチ夏休み#5
いつからか、土曜日の午前中も授業があって当たり前となっていた。
ただそれは時代が巡っただけで、戻ったという表現が正しいかもしれない。
「わざわざ終業式を土曜日にやらなくても良くない?」
「それは思った」
わざわざ1時間足らずの終業式があるからと、いつもの時間に起きなければいけない。挙げ句には気温があがっていく真昼間に帰宅する。
寮生ではない栞凪達からすれば、ただ無駄な汗をかかされた。
「そういえば打ち上げ、行かなくて良かったの?」
中にはこれから遊びに行く生徒達も多かった。
「栞凪こそ、声かけられなかったの?」
「私は……なかったかな」
終業式後、幸羽が他クラスも含めた生徒達から声をかけられていたのは目にしている。
だからといって栞凪もというわけではなく、こうして帰路に就いていた。
にもかかわらず、隣に幸羽がいる。
それが意外でもあり、どこか安堵してしまっていた。
「栞凪も~だったら行ったと思うけど、打ち上げでしょ? カラオケとかだったらいつでも行けるからね」
「……そういうもの?」
今を常に楽しむ姿勢の幸羽としては、どこか一歩引いたような考え。
そんな違和感を抱きながらも、栞凪はただ帰路を歩く。
「そういえばお母さんに夕飯の買いだしお願いされてるんだけど、付き合ってくれる?」
「……」
これといって気を遣ったわけではない。
勝手知ったる我が子というのもあるのか、栞凪が校内でスマホを利用しないことをあび子は理解していた。
まるでそれを狙ったかのような時間、栞凪達が学校敷地内に足を踏み入れたころ合いを見計らった通知。年間スケジュールを把握し、学校側からの連絡事項にもしっかりと目を通している。
いつ学校が午前授業で終わるかで、お弁当のなどの準備も必要となるからだ。
その逆を返すと、こうしておつかいも頼みやすくなる。
それもあって土曜日のお昼を自分で作り、買いだしをするルーティンが身についている栞凪。
ただそれを、幸羽が知る由もない。
「まあ別に、無理にではないから」
足を止めて黙り込む幸羽を、栞凪は気にも留めなかった。
ひょんなことから泊めることになったとはいえ、無理に付き合わせることもしない。家でのんびり過ごしてくれても問題はないし、付き合ってくれても構わなかった。
「いいよ、付き合う」
視線を幸羽へと向けると、笑顔を浮かべていた。
「……なんで嬉しそうなのさ。普通、嫌な顔するでしょ?」
最初、栞凪も苦言を呈した。
だけどもっともな言い分に包められ、今に至る。
あび子の一言『高校生にもなって甘えない』が、栞凪にとって意識的に自立心を芽生えさせた。
「え、そんなことはないよ。買いだしとか頼まれたこのないもん」
「……そうなんだ」
意外にも思えたが、何となくそんな気がしていた。
どこまでも自由気ままで、世間知らずな能天気振り。最低限の掃除や洗濯くらいはできるらしいが、料理ともなると疑問を抱いてしまう。
「ちなみにお昼ご飯なんだけど、なにが食べたい?」
「え、栞凪が作るの?」
「……まぁ、食べれるモノは作れるよ?」
かといって、両親以外に振舞ったことはない。
基本的には自分が食べるようで、味の濃さにもムラがある。それでも当初と比べれば成長していると自負していた。
「じゃあ、得意料理で」
「……それが一番難しいんだけど」
そして今、あび子の気持ちを理解させられた。
(今度から、なにが食べたいかしっかり要望だそう)
よく晴れた夏空の遠くを眺めるような視線を、幸羽へと向ける。
「え、なに?」
「……なんでも」
「いや、なんでもって顔してなかった!」
夏の暑さにも負けない幸羽の鬱陶しさから逃れるように、栞凪は足早に帰路を急いだ。
帰宅して、冷蔵庫の中を覗いてみると作れるモノが限られていた。
それでも文句どころか、あまり手の込んだモノを作れない。
だから作るモノが決まれば行動は早く、ひとまず制服から部屋着に。冷蔵庫にマグネットでくっつけたフックにぶら下がるエプロンを首にかける。
「お~いかにも料理できる人っぽい」
「今から作るんだけど」
大げさに手を叩いてみせる幸羽を、ジッと見据えてしまう。決して揶揄っているわけではなく、純粋に賞賛とした言動だった。
「それでシェフ、本日のお昼はッ」
そんな純粋さを、一瞬で払拭してしまう幸羽の悪乗り。
ひっそりと溜息を吐きながらも、栞凪は後ろでエプロンを結んだ。
「チャーハン」
「お~」
パチパチと拍手をした幸羽は、食卓にはつかずキッチンに立った。
「……なに?」
幸羽の不審な言動に、栞凪は眉根を寄せてしまった。
「……見学?」
手伝うつもりはないのか、幸羽は不思議そうな雰囲気で手もとを覗き込む。
「改めてだけど、こうして誰かが作るのって見たことないだよね」
「そんな大層なことでもないと思うけどね」
冷蔵庫から生卵と、朝の残りでラップされていた白米を取りだす。他にも目ぼしい食材がないかと探してみたが、これといってなかった。
(こういう日に限って冷蔵庫は空っぽなんだよね)
毎週の事でもあったが、いつも考えさせられる。午前中に学校が終わるのを良いことにお昼の用意もされなければ、ついでと言わんばかりに買いだしも頼まれるようになった。
これはちょっとした栞凪の自立を促す行為なのだろうが、今週は違う。
「私も料理できるようになった方が良いかな」
「まあ、損はしないと思うよ」
そういいながら、栞凪はフライパンを火にかける。サラダ油とゴマ油のどちらを使うかで悩みつつ、後者を選択して一周分を回り入れた。
「あ~いい匂い」
栞凪の隣から動こうとしない幸羽だったが、火の元に身を乗りだす勢いで鼻を啜る。
換気扇が回っている下であっても、ゴマ油の香りだけで空腹をそそう。
「幸羽、危ないから離れて」
押し退けながら、栞凪は生卵を溶いていく。
ここからは作り方が色々とあるだろう。
その中から様々な料理動画を参考に、栞凪なりに試行錯誤を繰り返している。
ゴマ油をフライパン全体に馴染ませ、白米を投入した。それをしばらく放置して、片面に焦げ目をつけていく。
「……焦げるよ?」
「うるさい」
ピチャリと幸羽の指摘を黙らせる。
頃合いをみて木べらでほぐしていく。所々に茶色い焦げが目につく白米をフライパンの外側に、ドーナッツホールを作りあげる。その中心部に溶いた生卵を流しいれ、一気に白米と混ぜていく。
「おお~中華っぽくなっていく」
「ちょ、本当に危ないから」
身を乗りだすどころか、栞凪を押し退ける勢いの幸羽。
それはさすがに危険を感じて火加減を弱めた。
「幸羽」
「……ごめん、ちょっと興奮した」
語気を強めた栞凪に、幸羽はシュンと肩をすぼめて小さくなる。
それだけで一難は避けられるが、栞凪にとって出来上がりに不満を抱く。
中華料理に対する、勝手な想像と印象があった。
火力が命。
動画で検索をかけて流れてくるのは飲食店の厨房が多く、一般家庭はあまり少ない。
だけど、その通りだと思っている。
「とりあえず座っててよ」
「邪魔しません、ここから踏み込みません」
ジト目を幸羽に向けるも、それが怯えさせてしまった。
謎にみえない一線を引いて後ずさりする。
「……気をつけてよ」
そういって火力を強火に戻す。
些細なやり取りをしている間、流し込んだ生卵が固まってしまった。しかも焦げ目までつき、これ以上は手を加えられない。
それでも木べらで細かく崩しながら、後ろの食器棚に手を伸ばす。
「……なにそれ?」
「……なにって、市販の素だけど」
栞凪にとっては必需品。
これがあれば万事すんでしまう。試行を凝らして胡椒やシャンタン、醬油なんかの調味料を使ったこともある。
その末に辿り着いた、一つの境地。
料理人でもないただの学生であり、ちょっとお昼ご飯を作るだけ。腕に自信があるわけでもなく、味覚が過敏というわけでもない。
究極に、化学調味料しか勝たんのだ。
「へぇ~結構種類あるんだね」
「私個人としては焼豚シリーズが好きかな」
「ほうほう」
味にこだわりはないが、同じだと飽きてはしまう。そのため種類を増やして、気分で変える。
(って、この味一袋しかないのか)
カラフルな食器棚の引き出し内を一瞥しながら、瞬間的に2袋を手に掴む。
「おお、プロっぽい」
「……なにそれ」
咄嗟とはいえ、悩んでいる間に焦がしてしまう。
いつもは1人分だが、今日は二人分。基準量の増減で味付けも変わってくる。味付けの微調整をするにも、さらに手間が増えてしまう。
(……別々の味を混ぜて作るって初めてだな)
切り口部分を上に、小袋の端を摘まむようにして人差し指の爪で揺らす。そして封を切り、2種類の味をフライパンの中へと投入した。
「あ~お腹空いてきた」
「そうだね」
炒める音と、立ち込めてくる匂い。
味にムラができないように木べらで混ぜ合わせる栞凪は、隣で必死に鼻を啜る幸羽の姿に口角を緩めた。
「もうできるから、食器用意して」
「はぁ~い」
急とはいえ、幸羽が泊まりに来てそろそろ1週間が経とうとしていた。半ば家出に近い形だが連絡は取っている様子はあるが、ここに居続けていることが色々と物語っている。
だけど栞凪からは訊かない。
あくまで幸羽の家庭問題であり、いちクラスメイトでしかない栞凪。大人でも子供でもないとはいえ、栞凪の発言1つで変えられるわけがない。
なにより、幸羽自身がどうしたのかわからないのだ。
下手に首を突っ込んでも、逆に気を遣わせてしまう。
「ん? どしたの」
「……何でもない」
まるで我が家のように食器棚から2枚のお皿を持ってくる幸羽に、栞凪は首を横に振って火を止めた。
「お店みたい」
それから幸羽の強いこだわり、我儘に付き合わされた。
とはいえ、それほど大したことでもない。
お皿の上に半球状に盛られたチャーハンを、幸羽はまるでミニチュアを覗き込むように視線を合わせていた。
「大げさ」
普段であればお皿に乗せるだけだが、そうしようとして幸羽からの待ったがかかった。
手間ではないとはいえ、洗い物が増える。いくら食洗器を使っていてもよ洗いは必要だ。
それでも幸羽の圧に、栞凪は折れるしかなかった。
「いただきます」
「いただきまぁ~す」
ちょっとお洒落に盛り付けた気分に当てられ、ついでで作った卵スープ。味付けはシャンタンを溶かすだけとシンプルに、湧いたところに溶いた玉子を流し込むだけ。
「栞凪って料理上手だよね」
「そんなことないよ」
半球状に盛られたチャーハンを崩すことに抵抗があるのか、幸羽のスプーンが空を彷徨っていた。
そんな様子を、栞凪は卵スープを1口飲みながら窺う。
「ただ炒めるだけだから幸羽でも出来ると思うよ?」
「出来るかなぁ~」
「……出来るよ」
実際、栞凪も最初からできたわけじゃない。
いつだったか、あび子が栞凪のお昼ご飯を作り忘れた時があった。その時も冷蔵庫の中は空っぽに近かったが、最低限のご飯は冷凍庫で保管されていたのだ。それもあって見様見真似、指折りの調理実習という経験を糧にチャーハンを作った。
素手では持てないくらいレンジで解凍しすぎたご飯。勢いで割った玉子は小さな殻が混入し、フライパンに入れすぎた油は飛び跳ねる。調子に乗ってフライパンを煽ってみたら、ご飯は、コンロ回りの至る所へ散らばってしまう。
最終的には目分量の味付けで、薄すぎて美味しいとは満足に言えなかった。
(懐かしいな)
帰宅したあび子からは叱られはしなかったが、かなり心配された。
「……いつかやってみる?」
経緯はどうであれ、同じ立場に幸羽が立とうとしている。
同じ年相手に、ちょっとした経験者としての物言い。
「うん!」
にもかかわらず、幸羽は嬉しそうに返事をした。
「……いつか、ね」
「うん」
ボソッと幸羽は呟いたつもりだろうが、向かい合って食卓を囲む栞凪の耳に届く。
(……?)
ふとした違和感に、栞凪は一瞬だけ食べる手を止めて幸羽を見据える。
「うまッ」
だがそんな違和感を払拭するほど、幸羽は美味しそうにチャーハンを食べる。
(……気のせいか)
考え込むように目もとを細めてしまう。
「どしたの。そんな難しそうな顔して」
「ん? そんなことはないけど、味付けどうかなって」
「え、美味しいよ。栞凪は?」
「美味しいよ。ただ、今回初めて味を混ぜたんだ」
誤魔化すように、栞凪はチャーハンを1口頬張る。
「そうなの? いつもあんな感じなのかって見てた」
スプーンに乗せたチャーハンを、幸羽は眉間にシワを寄せて睨みつける。
「いつもは私の分だけだからね」
「お世話になってます」
揶揄ったつもりだったが、幸羽としては気にしていたのか。軽く頭を下げる素振りを見せながら、パクッとチャーハンを頬張った。
「うまぁ」
「……大げさ」
終始、美味しそうに食べる幸羽とお昼の時間を過ごした。
いくら太陽の最高地点が過ぎたとはいえ、暑さが引くわけもない。
念のためにと日焼け止めを玄関先で塗り直す栞凪。それを幸羽にも手渡し、覚悟を決めた表情で玄関のドアノブに触れる。
そして、いつものように引く。
「うへぇ~まだ暑いねぇ」
「そうだね」
空調の利いた快適な室内から、容赦のない屋外へ。
ただの買いだしだが、外の熱気に気が滅入ってしまう。
それでも行かなければ、今夜の三環家は夕飯が抜きになる。挙げ句にはあび子からのお叱りを超えた、雷が落ちるだろう。
いつもの栞凪なら、多少は涼しくなる夕方を選ぶ。
だが今日に限っては、幸羽の我儘と圧が強かった。
それに加えた、あび子の作為的な要素。狙ったような大型複合商業施設で開催されている特売に、近くで済むスーパーから足を延ばさないといけない。
それを知った幸羽が、打ち上げがてらと遊びを提案してきたのだ。
誘われて嫌な気持ちにはならなかったが、ちょっとした疑念は抱いた。
幸羽はそれに気づいているのか。
「けどさ、ちょっと新鮮だよね」
ヒッソリと視線を横に向けると、幸羽は嬉々としていた。
口では暑いと言いながらも、どこか楽し気。他人様の家とはいえ、これから炎天下の中を買いだしに付き合わされる。
経緯はどうであれ、嫌な表情1つくらいはしてもおかしくないだろう。
「……それはそうかも」
言葉の意味を理解して、栞凪もどこまでも青い空を見あげる。
「ま、暑いけどね」
「そう、暑いけどね」
そういい合いながらも、栞凪達は買いだしへと向かった。
自宅から駅へ、そのまま電車に揺られて学校方面に。いつもは降りる学校最寄りから数駅、地下へと潜っていく車窓風景を眺める。
そのまま電車が減速していくのを感じながら、栞凪達はホームに降り立った。
「普段から来たりするの?」
「あんまりかな」
流行のファッションやお洒落に興味がないわけじゃない。ただブラブラと当てもなく、ウィンドショッピングをすることは苦でもなかった。
それ故に欲求が湧いてしまう。
それでも手もとのお小遣いでは買えないと断念するのだ。
「私はよく連れてこられてたかな」
「……そうだろうね」
クラス内でのやり取りを耳にしていれば、それとなく理解できてしまう。
エスカレーターに乗り、地下から地上へと向かう。
そうすればすぐ目の前には大型複合商業施設が建ち並ぶ。
「それで、何買うの?」
お互いに改札を抜けて、建物の日陰に逃げ込む。
「基本的には食材が多いけど、一番はこれかな」
「……特売品」
馴染みがないのか、幸羽はその三文字に眉根を寄せる。
そんな幸羽をよそに、栞凪はチラシに視線を落とす。
「近くのスーパーでも安い日とかはあるんだけど、どうしてもお一人様とかってあるんだ」
「これもだよね?」
「そうだね」
実際にはそうだ。
だけど、少し足を延ばさせた理由がある。
「いつもは私だけだけど」
「私がいる」
「そういうこと」
「……なるほどね」
あまりの強かさに、栞凪が申し訳なくさせられる。
それでも高騰し続ける物価もあって、上手く遣り繰りしなければいけない。
「その点は問題ないよ。お世話になっちゃってるから」
「うん、ありがとう」
快く受け入れる幸羽に、栞凪は苦笑する。
「ま、その特売まで時間があるわけで」
「付き合ってくれる?」
「うん」
条件でもないが、こうして打ち上げがてらの遊びに付き合うことに。
「それで、どこに行くの?」
「どこ行きたい?」
「え?」
「ん?」
まるで初めから目的があって誘っていたのかと思いきや、そうではなさそう。
不思議そうに小首を傾げる幸羽に、栞凪は眉間にシワを寄せた。
「冗談で言ってる?」
「うんうん、結構ガチ目でノープラン」
「はぁ」
ついつい重い溜息を吐いてしまう。
「ごめんてっば、いつもこんな感じだったから癖で」
「だったら私じゃなくてクラスメイトの人達と遊んだほうが良かったんじゃない」
目的がないとわかった栞凪は回れ右。せっかく買いだしで大型複合商業施設まで来てしまったとはいえ、時間の使い方は様々だ。
そんな栞凪を、幸羽は待ったをかける。
「怒らせたのはごめん。けど、栞凪と遊びたかったの」
「……私と?」
腕を掴む幸羽に、栞凪は困惑させられる。
「よくよく考えると栞凪と遊びに行くのって初めてじゃん」
「帰りに寄り道はしたでしょ?」
「そうかもだけど!」
僅かに声のトーンをあげた幸羽に、栞凪は瞬きを繰り返す。
「いつもいつも勉強ばっかで、こうして帰り道以外で出かけたことないでしょ?」
「……まぁ、そうだね」
元もと、勉強をみてほしいという要望あっての関係だ。
同じクラスメイトとはいえ、関わりも薄かった。
こうして一緒に出掛けるどころか、同じ屋根の下で過ごすなんて、当初は思いもよらずにいたのだ。
それに――、
「ちょ、ちょっとはここで良い所見せたいし」
食い気味だった幸羽の勢いは鳴りを潜め、落ち着きがなさそうに視線を彷徨わせる。
「……なにそれ」
改めて好意を向けられ、意識させられる。
(そうだった、私……)
当たり前のように寝食を共にして、学校でも一緒にいる時間が増えた。
それはいちクラスメイトという関係どころか、付き合いの長い親友にも近い距離感。
その枠に収まらず、伝えられた幸羽からの好意。
最初は揶揄い、冗談半分に受け取っていたが。
「……ダメ?」
力弱い幸羽からの問いかけに、栞凪はゆっくりと瞼を閉じた。
(これが、誰かを好きになるっていう気持ちなのかな?)
いつもは振り回されるほどにエネルギッシュな幸羽が、ここまでもしおらしい態度。もしクラスメイト達の前でこんな態度をしようものなら、噂を事実として加速させるだろう。
そうなれば、外堀は埋まってしまったようなもの。
(……けど、私にはまだわからないな)
クラスメイト達の勝手な言い分、憶測は好きにさせておけばいい。
これは栞凪と幸羽の問題なのだから。
当の幸羽はしっかりと好意を伝えてくる。
それに栞凪はどう応え、向かい合えばいいのか。
「……ノープランっていう時点で減点なんだけど」
「それは、ごめん」
栞凪の腕を掴んでいた手が離される。
シュンと肩を竦める幸羽に、栞凪は真っすぐと向き合う。
「その減点、巻き返せるくらいには楽しませてくれるんでしょね?」
「……」
ゆっくりと顔をあげる幸羽と目が合う。
「うん! こっから頑張るッ」
「そ、そう」
幸羽からの好意を試すような物言いになってしまいながらも、むしろ煽ってしまう形になってしまった。
両手を握り締めて意気込む姿を前に、栞凪はたじろいでしまう。
(……本気、なのかな……?)
湧きあがる疑問を直接ぶつける事はせず、飲み込むようにして幸羽と向き合う。
「どうかしたの?」
「……どうもしないよ」
真っすぐと向けられる視線に、つい逸らしがちに首を左右に振ってしまう。
そんな栞凪を気に留めず、幸羽は眉間にシワを寄せた。
「さてさて時間は限られてる。どうしようかなぁ~」
「それ、本人を前に呟く?」
「だってせっかくなんだもん。栞凪と色々楽しみたいし」
ニカッと笑みを作り、目線でも同意を求めてくる。
「……任せる」
その圧に照れくささを隠すために、肩を竦めて苦笑気に息を吐く。
「ちなみにさっき、どこに行こうとしてたの?」
「2、3時間くらいなら書店か、カフェで雑誌でも読もうかなって」
「書店。……ここでも勉強?」
訝しむ幸羽に、栞凪は目じりをつり上げる。
「ちょっとした雑誌よ。毎月お小遣いとかで買うのも勿体ないし、少しくらい興味はあってもいいでしょ」
「ご、ごめん。あんまりにも部屋に教材しかないから興味ないのかって」
「それは……」
実際にそうであり、今どきスマホのアプリでも読むことができる。某大手サイトのプレミアム会員に登録されている家族アカウントがあり、それを活用することが多い。
だけど、たまに書店にまで足を運んだりもする。
特にこだわりがあるわけでもない、その日の気分がそうさせていた。
かといって、それをここで説明する必要もない。
「ごめん、揶揄ったつもりだっただけど……怒った?」
まるで心の内を、感情の機微を見透かしたような問い。それはあまりにも怯え、下手にでる物言いだった。
(違う、そんな思いをしてほしいわけじゃない)
さっきまでの快活さは陰り、栞凪の一挙手一投足を見逃そうとしない。
「怒ってない」
どうにか振り絞った言葉も素っ気なく硬くなってしまった。
(……私、普段どう接してたっけ?)
栞凪は自身の身体を抱くように、左肘を右手で強く掴む。
「そっか」
安心したように笑みを浮かべた幸羽だったが、スッと目もとを細めた。
「よし、決めた! 栞凪、行こうッ」
「ちょ、ど、どこによ!」
力強く右腕をひかれ、あまりの勢いに躓きかけてしまう。
「ついてからのお楽しみ」
それに気づかず、幸羽はずんずんと施設内を突き進んでいく。
「ちょっと幸羽、歩くの早いってば」
「ああ、ごめん」
だけど待ったをかければ勢いが留まり、栞凪の隣を並ぶように歩調を遅めた。
「そんなに急がなくても、その場所は逃げたりしないでしょ」
「そうだけど、時間が限られてるから」
叱られる子供のように小さくなる幸羽に、肩を竦めてしまう。
「わかったわかった、少しだけ急ごう」
妥協というわけでもなかったが、事実として時間は限られている。それは経験則から学び、実体験から痛感させられた。
(せめて10分前には戻って来ておかないと)
まだ特売まで時間があるとはいえ、色々と巡り歩いているとあっという間に過ぎてしまう。それが特に楽しく感じれば時間すら忘れる。
「……なにしてるの?」
「アラーム。こうしておけば時間を忘れないでしょ」
「へぇ~マメだね」
「こういうのって結構重要なのよ」
感心気味にスマホを覗き込む幸羽から、ありありと伝わってくる。
(……大丈夫かな)
一抹の不安を抱きながら、栞凪はスマホをポケットにしまった。
「それで、どこに連れてってくれるの?」
「だ・か・ら、お楽しみだってば」
栞凪が悪戯気に問えば、幸羽は嬉々とした感情を全面に滲ませた。
何度となく訪れた場所で、過去にクラスメイト達と訪れたこともある。店舗の入れ替わりは稀ではあるが、全施設を巡ったことはない。
だから自然と興味を抱いてしまう。
少なくとも今のクラスメイト達の中で、一番ともいえる仲を築いている幸羽。短い期間とはいえ、同じ屋根の下に住んでいても全てを理解できるわけではない。
何が好みか。
何を嫌うか。
何に興味を引くか。
他にも色々と知らない事ばかり。
「じゃ、任せる」
「うん、任された」
いい年して手を引いてもらうほどでもないが、はしゃぐ声音に足取りを軽くさせた。
「……それで、ここ」
「うん、ここ」
そして連れて行かれたのは、アウトドアショップだった。
テナントの多くは上階に出展されているが、地下にもある。その多くは展示するのに広い場所を有するモノが多く、普通に過ごしていればあまり立ち入らないだろう。
その例にもれず、栞凪は辺りを興味ありげに見渡している。
「ちょっと意外な趣味ではあるけど、なんか納得かも」
「……なにが?」
目を丸くして小首を傾げる幸羽に、栞凪も同じ反応を返してしまう。
「好きだから連れてきたんじゃないの?」
「趣味ほどでもないし、ちょっとした興味があったから連れて来てみた」
「……え?」
どこか噛み合わない会話に、さらに疑問が増えていく。
「最近なんだけどね、SNSで流れてくるキャンプ動画にはまっちゃって。いつかは私もやってみたいなぁ~って」
「ああ、そういう」
ソロキャンや、キャンプ飯といった動画をみかけたことがある。
だけど栞凪の好みには引っかからず、いちトレンドという認識でしかなかった。
だがまさか、身近にはまっている人物が目の前にいる。
「最初は何となくだったんだけど、よくよく考えるとこういった学校行事とかあんまり参加したことないだよね」
「……そっか」
幸羽の含みある言い方に、嫌でも察してしまう。
学期どころか、季節の行事とも無縁な学生生活を過ごして来た。多少なりとも学生の楽しみを経験することなく、幸羽は今のままいる。
それが栞凪には想像できず、あまり共感できない。
「ちなみに修学旅行はどこだったの?」
「……冬の沖縄」
「なにそれ、体感バグりそう」
「うん。行きは寒いのに現地は暖かいし、かといって薄着でいくわけでも行かなかった」
そのせいで荷物はかさみ、お土産のほとんどは配送手続きをした。
栞凪の体感からして懐かしくもあるが、幸羽にはわからないのだろう。
「学校によっては海外とかもあるらしいね」
「私も少しは興味があったんだけど、こればっかりは学校側が決めることだから」
「……けど、一生の内にいけないわけじゃないよね」
「だから、ここ」
「そう」
いじらしく、ささやかな幸羽の願い事。
そんな願い事を、栞凪は当たり前のように享受してきた。
「だったら幸羽にも同じこと言えるよね」
展示品として建てられているテント、その前には肘掛けにドリンクホルダーのついた椅子が置かれていた。
座っていいのかと躊躇いながらも、栞凪はその一脚に腰かける。
「高校を卒業してさ大学生になって、そこで出来た同級生やサークルとかの先輩。もしかしたらアルバイトなんかも始めて職場の人なんかといけばいいじゃん」
「……なんでそこに栞凪がいないのさ」
将来的に築いていくであろう人間関係に具体性を持たせたが、幸羽にとって不満だったのだろう。
同級生ながら幼く不貞腐れる幸羽に、栞凪は苦笑する。
「え、だって虫とか無理だもん」
「それくらいは我慢してよ」
「え~ムリだって」
空いているもう一脚に腰かける幸羽と、たらればキャンプ話を始めた。
「今だったら手ぶらでキャンプもできるし、バーベキューも楽しめるんだよ?」
「それは楽しそうだけど、せっかくだしキャンプ飯とかも興味ある」
「だったらこの動画とかどう? 似た道具ならここにも売ってると思うよ」
スマホを操作する幸羽から動画をみせられ、栞凪も食い入るように注視する。
「これって火起こし大変そうじゃない」
「……手軽に火起こしできる道具とかってあるでしょ」
「手ぶらでも手間だね」
「それは、思った」
あれやこれやと話す2人の声は、閑散とした店内によく響いた。
だからといって店員さんからの忠告があるわけでもなく、むしろどこか生暖かな視線を向けながら仕事をしている。
「まぁ、何かの機会で気が向いたら考えとく」
「それ絶対に考えてくれないじゃん」
展示品であり、商品値札のぶら下がっている一脚を蹴る勢いで立ちあがる幸羽。
「そんなことはないかもしれないよ」
それを宥めるように栞凪は立ちあがり、改めて店内の散策を始めた。
「あ、これって」
「……なにこれ、どう使うんだろう」
ついさっき動画で観たはずの火起こし道具が棚に置かれていた。
ただそれでも種類が多く、似通っている。
一部手に取って試せるようだったが、栞凪と幸羽は早急にその場を離れた。
「そういえば、他に行きたいところとかってあるの?」
日常生活で触れることのないモノばかりで珍しく、これといった飽きを感じさせない。
だけど、幸羽の意気込みにしては違和感を抱く。
「メインとしてはここなんだけど、栞凪が楽しそうだからこのまま過ごすのもありかなって思ってたんだけど……」
幸羽は手持無沙汰を装うように商品に手を伸ばす。
(……いつもこうだ)
どこか自信満々に振舞い、周囲すらも巻き込んでしまう。だけど肝心なところ、個人に対して一歩踏み込んだ言動に躊躇いの色を滲ませる。
それは最初の、栞凪が幸羽の補習をみる話のくだりからだ。
拭えない違和感を抱きながらも、栞凪はボールを投げる。
「せっかくここまで来たのに勿体ない気がするけどね。そろそろ夏物とか見ておきたいし」
「……ッ!? そ、そう思う? ここも楽しいけど、私も夏物とか気になってたんだ!」
陰りの差していた表情が一転して、口角をあげて詰め寄ってくる。
「ちょっとだけ名残惜しいけど、他の場所もみて回ろう」
「だから、引っ張らないでってば」
まるで飼い主とのお散歩を楽しむ犬のように、栞凪と幸羽はアウトドアショップを後にしていく。
それからは目まぐるしいウィンドショッピングが始まった。
1件目では――、
「夏が本番ってことで!」
「……水着売り場」
見渡す限りの色とりどりな水着が、フロア一面を埋め尽くしていた。
幸羽と考えることが一緒なのか、年が近そうな女性客で賑わっている。中には付き添いなのか男性の姿がチラホラと窺えるも、どこか気まずそうな表情をしていた。
それは毎年の恒例でもあるが、栞凪としても落ち着かない。
「どうかしたの?」
「え、ううん。何でも――」
「ああ、気になるよね」
手近にあった水着を手にしていた幸羽は、栞凪の様子に目もとを細めた。それはどこか非難めいてもいるが、哀れんでいるようにもみえる。
「世間のカップルも大変そうだよね」
「そう、だね」
何を基準とした感想なのかわからない。
だけど、いつかは自分もと空想してしまう。
「……ねぇ、栞凪」
「な、なに?」
急に神妙な面持ちで詰め寄ってくる幸羽に、栞凪は一歩後退ってしまう。
「今は私との時間だよね」
「う、うん。そうだね」
「だったら他の事考えないでよ」
「え、え~」
圧が強めな我儘に、栞凪は困惑を隠せない。
口ぶりからしても今、栞凪の脳裏を過った空想を見透かしている。それに対しての嫉妬心だったとしたら、お手上げでしかない。
(……やっぱり、ガチなのかな)
向けられる幸羽からの好意に、どうしても疑問が過ってしまう。
「せっかくだしさ、お互いが似合いそうなの水着選んでみない」
幸羽からの予想外の申し出でもなかったが、今の栞凪には考えることが多すぎる。
だからなのか、余計なことに思考を割いて詰め寄られる始末に。
どこかで意識を切り替えないといけない。
今が、そのタイミングなのか。
「元より、そのつもりでここに連れてきたんでしょ」
「おお、急に乗り気だ」
「せっかくだしね」
考えないといけないことは多い。
だけど今は、何も考えずに楽しむ。
「時間的にそう悠長にはしてられないから、お互いに1着ずつってことで良い?」
「1着だけ……」
この手の事は経験則も含め、同性同士ともなればいくら時間があっても足りない。
その相手が幸羽ともなれば、テンションとパッションで押される未来が見えてしまう。そうなってしまうと、本来の目的を果たせなくなる。
険しい表情を浮かべる幸羽だったが、栞凪はあえて無視を決め込む。
「それじゃあ、10分後くらいに集合でいい?」
「その前に!」
「……なによ」
急に声を張り上げたものだから、栞凪を含めた周囲のお客さんも驚きの視線を向ける。
それに気づいたのか、幸羽は栞凪を手招いた。
(耳を貸せばいいのか?)
何やら恥ずかしそうにする幸羽の様子を怪訝に思いながら、栞凪は姿勢を前屈みに耳を傾ける。
「栞凪の胸のサイズ教えて」
「……え、急にオッサンにならないでよ」
ねっとりとした声音で囁かれ、危険を感じて右腕で身体を抱き締める。
「そ、そんな身構えないでよ。知らないと選べないじゃん」
「そうかもだけど、何か教えたくない」
「私も教えるからさ」
「そうじゃないだけど……」
「???」
言い淀む栞凪に、幸羽は不思議そうに小首を傾げる。
(いちいちこんなことで意識してるのも大概なのかな)
数日前の事ではあるが、土砂降りに打たれながら帰宅したのを覚えている。お互いにずぶ濡れで身体は冷え切り、すぐにでも温まらなければ風邪をひいてしまいかねなかった。
その時にお互いの裸を見てしまっている。
いくら同性とはいえ羞恥が勝り、まじまじとみる度胸もなかった。
それでも何となく、幸羽のシルエットを覚えてしまっている。
「……」
「え、なに」
「……何でもない」
勝手に意識させられて自己嫌悪に陥る栞凪は、覚悟を決めたように短く息を吐く。
「……Cカップ」
「……同じだ」
今度は栞凪の方から幸羽を手招きし、声音を潜めて告げる。
周囲に聞かれたわけでもないが、頬が急に熱を帯びていくのを感じながら姿勢を正す。
「じゃ、10分後」
「うん、10分後」
それから栞凪と幸羽は別々の方へと歩きだした。
とはいえ、それほど広くない店内。お互いがどこにいるかすぐにわかってしまう。
(……変なの選んでないよね)
こっそりと選ぶ振りをしながら、幸羽がどんな水着を吟味しているのかと視線を向ける。
生憎と手元まではよくみえなかったが、それとなく場所を覚えておく。
(そういえば、こうして誰かのを選ぶってあんまりないかも……)
だからといって栞凪も、幸羽の行動ばかりを気にしていられない。改めてずらりと並ぶ水着を前に、幸羽のを選んでいく。
そして、10分というのはあっという間に過ぎてしまう。
「それじゃ、お互いに試着ということで」
「……変なの選んでないでしょうね」
「……変なの?」
怪訝する栞凪に、幸羽は不思議そうな目で小首を傾げた。
実際のところ、目を離したつもりはなかったが幸羽を見失っている。それほど広くないはずの店内を見渡すも、時間ギリギリまでみつけられなかった。
だけど時間になり、こうして栞凪の前にいる。
その手にはしっかりと買い物かごを携え、選んできたであろう水着が入っているはずだ。
「そういう栞凪こそ、私に変なの着させようとか考えてないでしょうね?」
「はぁ?」
逆に疑われてしまったことに栞凪が眉尻を吊り上げると、幸羽はお道化たように笑ってみせる。
「だってそうじゃん。アタシの事を疑うってことは、栞凪も一ミリくらいはそういった気持ちで水着選びしてやろうって考えたってことでしょ?」
あまりにも侵害過ぎて、栞凪は手にしていた買い物かごを突きつける。
「そこまで疑うんだったら、先に試着してきなよ」
「……そ、そこまで怒らなくても」
幸羽にとっては冗談のつもりだったが、鬼気迫る栞凪の面持ちにたじろいでしまう。
これ以上は何を言っても弁解にならないと諦めたのか、幸羽は突きつけられた買い物かごを受け取って試着室に入っていった。
「……ベタだけど、覗いたりしないでよ?」
「……今さら」
カーテン越しに顔だけを覗かせた幸羽に、栞凪は額に手を当てて頭を振った。
ここ約1週間を振り返ると、家族でもないただのクラスメイトと同じ屋根の下で寝食を共にしている。だからといって着替えをみるようなことはないが、部屋の一角を幸羽の衣類が占領しているのだ。
嫌でも下着とかが目に入ってしまう。
いくら同性とはいえ、多少の気を遣ってみないようにしている。
「ま、見られても大層なモノはついてませんけど」
「……」
何故か不機嫌になってしまう幸羽に、栞凪は黙り込む。
(それは私もなんだけどな……)
ついさっき胸のサイズを教え合い、背丈もさほど変わらない。そうなってくると、まるで自分を鏡のようにして幸羽のあれやこれやと想像できてしまう。
「……」
着替えを待っている間は手持ち無沙汰で、幸羽が何を選んできたのかと気になってしまう。チラリ
と視線を向けるも、勝手に覗いてしまうことに気が引けた。
「ねえ、栞凪。アタシって、そんなに子供っぽく見える?」
「……着替え終わったの?」
幸羽の表情は見えずとも、声音だけで機嫌の悪さを窺えた。
静かにカーテンが開けられると、幸羽には恥じらう様子は一切見られない。
「似合ってるじゃん」
「それは、ありがとう」
栞凪なりに考えて選んだ、チューブトップのフリルがあしらわれた水着。幸羽を印象づける元気カラーとして暖色系をセレクト、それもあってフリルはどこか南国の花を連想させる。
さらにシミ一つない健康的な肢体が存在を主張し、夏の陽射しすら味方につけて周囲を魅了させかねない。
「何が不満なのよ」
堂々とした態度の幸羽に、栞凪は不思議そうに瞬きを繰り返す。
「いや、子供っぽくない? これでも現役女子高生ですけど」
「何その言い回し……知ってるけど?」
「だったら少し大人っぽいヤツとかさ!」
「大人っぽい……」
元はと言えば、お互いに似合いそうなの水着を選ぶことだ。どういったコンセプトにするかは当人、栞凪と幸羽次第でしかない。
だけど、それも込みでこの1着を栞凪は選んでいる。
「着た時気づかなかったの、胸のフリル部分――」
「気づいたよ? 気づいたんだけど、それでも子供っぽくないかなって」
「そう言われても……」
栞凪にとって、これを選んだ決定打でもあった。
胸もとのフリル部分、ここはあくまで飾り。その下には同系色で飾り気のない水着が隠れている。2Wayで大人っぽく、年相応にもできる使用となっているのだ。
そのことを今更ながらプレゼンすると、険しかった幸羽の表情は落ち着いていく。
「ふ、ふ~ん。そんなこと考えて……」
「あと、海みたらいきなり走りだったし、多少激しく動いても大丈夫なのように首のストラップは必須かなって」
「ねえ、やっぱり子ども扱いしてるでしょ」
ジト目を向けられる栞凪だったが、あり得そうな未来が容易に想像できる。
「んじゃ、今度は栞凪の番ね」
「……わかった」
隣の空いている試着室を指差す幸羽に、栞凪は覚悟を決めたように息を吐く。
(……これは)
手渡された買い物かごの1着に、軽い頭痛が生じた。
「着替え終わったぁ~?」
カーテン越しに聞こえてきた幸羽の間延びした声に、栞凪は押し黙る。
現状、着替えることを躊躇っていた。
「ねえってば~」
「うるさい」
既に水着から私服に着替え終わっているであろう幸羽からの催促を、ピシャリと黙らせる。
「ちなみに訊くんだけど、真面目に選んだよね」
「似合いそうだなって、アタシの直感が伝えてきたんだよね」
「……厄介そうな直感ね」
「そうかな?」
当の幸羽に自覚がないのだから、巻き込まれる方は本当に厄介でしかない。これまでを振り返ると、現在進行でそうなのだ。
(だからといって、これは……)
全身を映す姿見を前に、栞凪は眉間にシワを寄せる。
「ねえねえ、時間限られてるんだよ。あんまり悠長に――」
「ああ、もうッ!」
しつこい幸羽からの催促に、栞凪は自身に渇を入れて私服を脱いだ。
それから着替えること、五分もかからなかった。
これといった特殊な作りをしていない水着ではあるが、あまりにも近しく慣れ親しんだ一着。どういった意図で幸羽が選んだのか、直感のみぞ知る始末だ。
だから文句の1つも言ってやれない。
「……これで満足」
「おお~」
幸羽にお披露目する前に、もう一度姿見で全体を確認した。
水着としてはそういったデザインであり、明確な意図があって作られたに違いない。
だがまさか、栞凪自身が着るとは思ってもみなかった。
「なんで競泳水着なんて売ってるのよ」
不満を1つ漏らしながら、可能な限り両腕で身体を隠す。
ピチッと身体のラインを強調させるデザイン。黒を基調としながら、縁取るように白のラインがコントラストを描く。脚の曲線美をVラインが眩しく輝かせるも、栞凪は落ち着かないのか手で隠してしまう。
「あ、その事なんだけど、向こうの売り場から借りてきたんだ」
「なんなのよ、その行動力……」
確かに売り場で幸羽の姿を見失ったが、まさか別の売り場にまで範囲を広げている行動力。許可をとったところまでは常識を持ち合わせているようだが、あまりにも直感で動く節に制御が利かないようだ。
悪びれない幸羽に、栞凪は重い溜息しかでなかった。
「さてさて、このままの勢いで次にいこっか」
「好きにして……」
今回は試着が目的であり、お互いに選んだ水着を買うことはなくお店を後にする。
徐々にテンションが高くなり始める幸羽の隣を、栞凪は身の危険を感じながら歩く。
(こうなると、とことん付き合うしかないわよね)
先に煽ったのは栞凪だが、その時の自分を怒ってやりたい。
だけど、今さらだ。
「ねぇ、次はあそこ行こうよ」
「……そうね」
指差されたのは大手の服屋さん。学生や20代の若者をターゲットに価格も安く、四季によってデザインの凝った服のお披露目が話題を生む。他にも服以外で鞄や靴など、小物のアクセサリーも充実している。
栞凪も季節のトレンドを知る1つとして、よく足を運んでいた。
そこからは気の向くまま、2人はウィンドショッピングを始めていく。
「栞凪の部屋にこういった家具とかおいてもいいと思うんだよね」
「なにこれ……一生こうしてられるんだけど……」
アウトドアショップに置かれていたキャンプ用の椅子と同様に、お試し使用のソレ。栞凪もSNSで話題となり、よく流れてくるので知っていた。
興味はあったけど、買おうにも手が届かない。
そう、諦めていた。
「これは……本当に人をダメにする……」
蕩け切った表情を浮かべる栞凪は、人を堕落させる誘惑には争えずにいた。
「ちょっと、時間大丈夫なの」
「ん~大丈夫なんじゃない?」
「スゴイ……あの栞凪をここまで思考停止させるなんて」
「……なに言ってるのよ」
栞凪は寝返りがてら身体を横に、戦々恐々とする幸羽に失笑する。
「この今なら、なにをしても許されるのでは?」
「……?」
今すぐにでも意識を手放せば眠りにつける状態では、幸羽の独り言をハッキリと聞き取れなかった。
だけどそうする必要もなく、意識を強引に覚醒させられる。
「こ、幸羽ッ。人前だってば」
「これくらい大丈夫だよ。ちょっとふざけてるようにしか見られないって」
「ふざけすぎでしょ」
いきなり覆い被さってくる幸羽に、栞凪は体勢を戻そうとする。
だがそれが良くなかったのか、真正面に向かう形になってしまう。
「ねえ、栞凪」
「……な、なによ」
熱量の籠った幸羽の声音に、栞凪は身を強張らせる。
「今日はたくさん楽しんでもらえた?」
率直な問いかけに、栞凪は首を縦に振る。
「クラスメイトの子ともこうして遊びには来るけど、ここまでの距離感はないかな」
「それは私もそう」
「だったら――」
「今日はありがとね」
見つめ合っていることに込み上げてきた羞恥だったが、幸羽の素とした表情に冷や水を浴びせられる。
(……なに、この違和感)
ふとした胸騒ぎの原因を探ろうとする栞凪の思考を、どこからか流れる機械的な音声が遮る。
「……もうそんな時間なんだ」
覆い被さってきた幸羽が離れ、起き上がるのを助けるように手を差し伸べてくる。
それを掴もうかと一瞬だけ悩むも、栞凪は手を取った。
「ここからで間に合うかな」
「多少急げば行けるでしょ」
「そうだといいけど」
あまりの楽観的な幸羽の物言いだったが、それを栞凪は責められない。ほぼ任せる形でエスコートをしてもらい、最終的に魅入られてしまった誘惑に争えなかった。周囲からすれば悪ふざけのようなじゃれ合いもあり、本来の目的を忘れてしまっていたに近い。
(アラーム、かけといてよかった)
ポケットの中で震度するスマホを取りだし、改めて時間を確認する。
「ここでまともに買いだしできないと、今日の夕飯に影響するからね」
「それは困る」
脅すつもりではなかったが、驚愕する幸羽に栞凪は頬を緩める。
「急ごう」
「うん」
栞凪の方から自然と伸ばした手を、幸羽は瞼を大きく見開いて握り返す。
できうる限り栞凪達は急ぎ足で、周囲に迷惑をかけないよう人波を縫って歩く。
それでも大型複合商業施設を、女子高校生の歩幅で移動するのも限界がある。
「で、出遅れた……」
「……これは」
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまい、栞凪としては10分前のアラームに救われた。
だがそれは、甘い考えだったと痛感させられる。
ここは近所のスーパーと違って駅からも近く、平日や祝日に関係なく多くの利用客が足を運ぶ。
それは栞凪も知っている事だったが、今日に限って同じ目的の主婦(夫)が多い。
「この中に飛び込むの?」
「文句言わないの。色々と付き合ってあげたでしょ」
「はぁ~い」
覚悟を決める栞凪とは裏腹に、幸羽はどこか胡乱気なテンション。
(……大丈夫かな)
ある程度の売り場を把握している栞凪は、幸羽を先導するようにしてお店の奥へと進んで行く。
それからは大の大人に混じって特売品を巡って奔走した。
ほとんどがお一人様数点限りとされていたが、必ずしも手に入れられるわけではない。せめてもと手を伸ばすも、目の前で買い逃してしまう。
だからといってめげてはいられない。
「ねぇねぇ、特売の日っていつもこうなの?」
「ここまでではないとは思うけど、今日はなんなんだろう?」
毎回のように特売へと駆りだされているわけではない栞凪は、空調の利いているはずの店内で背中がしっとりと汗で湿っている感覚があった。
「なんか、ちょっと新鮮で楽しい」
「……そう」
人の多さに疲弊する栞凪とは対照的に、幸羽は嬉々としていた。最初は懸念していた幸羽のテンションだったが、全ての売り場で圧勝している。
運動神経の良さに、栞凪は羨むしかない。
「次で最後だから、よろしくね」
「まっかせてよ」
右手でVサインを作る幸羽があまりにも頼もしかった。
結果として、栞凪の母親――あび子は大満足だろう。全ては幸羽の働きとして、素直に報告しようと会計を済ませる。
「……あ、クラスメイトの子達だ」
「……」
意外と重くなってしまった買い物かごを乗せたカートで押す栞凪は、幸羽が指差した先に視線を向けた。
学校が終わってすぐに来たのか、制服姿は良く目立つ。人目を気にした様子もなく大勢で移動しており、談笑に浸っている。
「行ってくれば?」
「ん? ……あ~行ってくる」
クラスメイト達と違って栞凪と幸羽は私服姿で、気づかれていなかった。
だけど1人と目がったのか、人目も憚らず大きく手を振ってくる。栞凪か幸羽の名前を叫んでいるのだろうが、雑踏に掻き消えて上手く聞き取れない。
ただ何となく、幸羽の事を呼んでいる気がした。
だから幸羽の背中を押して、栞凪は戦利品をマイバックに詰めていく。
(……見られてる)
幸羽たちの様子が気になって視線を向けると、一部のクラスメイト達がしっかりと栞凪をみていた。さすがに同じクラスメイトだから無視するわけにもいかず、小さく手を振り返す。
既にクラスメイト達には幸羽の置かれている状況は知られている。だから今さら隠す必要もないのだが、向けられる視線がどこか生温かい。
(まあ、クラスの打ち上げを断ってこうして買い物に来ちゃってるし、ただ仲が良いとか、家出先っていう理由だけじゃ説明できないよね)
気を遣ってゆっくりとマイバックに戦利品を詰めたが、あまり無意味だった。
「これから合流しないかって誘われたけど……」
「さすがにこの荷物量を持ち運びしながらは、ちょっと……」
栞凪が戦利品を詰め終わったタイミングで、幸羽が戻ってきた。
何となく会話の内容を想像していたが予想通り。幸羽だけなら参加できるのだが、どうやら栞凪も一緒にという流れのようだ。
そのお誘い自体は嬉しい。
ただ残念なことに、マイバックの中には生ものが含まれている。いくら大型複合商業施設内の空調が回っていたところで、長時間の持ち運びは好ましくない。
さらには夏真っ盛り、炎天下の帰り道が待っている。
せっかく手に入れたのに傷んでしまっては、目も当てられないどころか、夕飯にまで影響が出てしまう。
加えて、あび子からのお説教も避けられない。
「……これくらいの荷物なら私だけでも大丈夫だから、幸羽は合流しても――」
「ま、これから夏休みだし、いつでも遊ぶ機会はあるもんね。今回は断ってくる」
「え、別に……」
幸羽だけでも、と声をかけるよりも行動が早かった。
遠目からでも残念そうにするクラスメイト達を見送った幸羽は、再び栞凪の元に戻ってくる。
「それじゃあ、帰ろっか」
「ああ、うん」
サバサバとした幸羽の態度に、栞凪は少し戸惑ってしまう。
ここ最近になって一緒に行動どころか、同じ屋根の下で過ごしている。最初の明るく元気なムードメーカー的な存在は変わりないが、あまりにも割り切りがいい。
「ちょっと意外」
「……なにが?」
1人で運ぶには少し重くなったマイバックの片側を持つ幸羽に、栞凪は少し遅れて歩きだす。
「こういう手伝いとかしない方かと思ってたから」
「……まあ、あんまりしてこなかったかな」
本当に思い当たらないのか、幸羽は上の空を仰ぐ。
「辛うじてコンビニくらいかな」
どこか羨ましくも思える環境だが、栞凪にとっては今さらだ。
「だからこういうの新鮮で、実はちょっと楽しかったりするんだ」
「それをお母さんが聞いたら喜びそう」
その功績がずっしりと手もとに存在している。栞凪としても非常に大助かりではあるが、他人様の買いだしを手伝うクラスメイトがいるのだろうか。
「……帰ろっか」
「……うん」
どちらともなく目が合い、再び炎天下の帰路に就いた。
結果――、
「ちょっと、スゴイじゃないの!」
帰宅したあび子の興奮した感想がリビングに響いた。
栞凪としては複雑だが、こればかりは覆りようがない。
「ほとんどは幸羽のお陰だけどね」
「すっごい楽しかったです」
隣で胸を張る幸羽に、あび子は瞳の色を輝かせる。
「栞凪、次から特売の買いだしに行くとき幸羽ちゃんを誘いなさい」
「お母さん!」
あまりにも恥を知らない親に対して、栞凪としては目が当てられなかった。
「え~アタシは別にいいから、機会があったら誘ってよ」
「……それでいいの」
嬉々とする幸羽に、栞凪は複雑な気持ちでしかなかった。
その晩の夕飯はあび子の、これでもかという腕が振舞われ、豪華という言葉では表現できない料理が並んだ。量の多さにも食べ切れないと判断し、一部は翌日に回された。




