第8話:少し早いプチ夏休み#2
そろそろ夏が本番を迎えようとしてくると、どうしても寝苦しい夜が増えてくる。
「……暑い」
部屋の入り口前に置かれた扇風機が首を左右に振っていた。少しでも栞凪達が寝苦しくないように夜通し頑張っていたのだろうが、それにも限度がある。
汗でペタリと張りつく前髪を払い、栞凪は枕元のスマホに手を伸ばす。
いつも起きる時間より少し早かったが、もう一度寝ようという気力が湧いてこない。
それよりも張りつく汗が煩わしく感じる。
「シャワーでも浴びよう」
ベッドから起き、部屋のカーテンを開ける。
「おっ」
「うっ」
軽く躓きかけて、まだ幸羽が寝ていることに気づく。
「ごめん」
足を蹴ってしまったようだが、幸羽は起きる様子はない。それどころか逃げるように寝返りを打って転がる。
「……無理に起こすのも可哀そうか」
カーテンを開けるの後回しに、栞凪はお風呂場へと向かった。
いつものように朝食を用意していたあび子に、早起きしたことに大袈裟くらいに驚かれ、ついでと言わんばかりにゴミ捨ても頼まれてしまう。
どこか散々だなと思いながらも、変わり映えのしない日常でしかない。
「おはよ~」
「あ、起きてきた」
「ん~」
シャワーを浴び終えてリビングでのんびりとしていると、まだ瞼が開き切っていない幸羽が起きてきた。
目もとを擦りながら、当たり前のように栞凪の隣へと座る。
「いや、顔洗ってきなよ」
「……ついでにシャワーも浴びてくる」
「そうしな」
栞凪と同様に寝苦しかったのか、寝間着が汗で張りついていた。
それが余計に、メリハリが薄い肢体でも煽情的に魅せてくる。
「……」
「どうかした?」
「何でもない。……ほら、シャワー浴びてきなよ」
無言で首を縦に振る幸羽を見送り、栞凪はソファに凭れかかる。
(……なに、さっきの感覚)
まだ幸羽の体温が残る腕に触れる。
「仲が良さそうで安心だわ」
「まあね」
台所にあび子がいるのを気にせず、2人だけの時間をみられてしまった。やましい関係ではないとはいえ、どこか居辛さを感じてしまう。
「それより幸羽も起きてきたしご飯にしよう」
それを誤魔化すように立ちあがり、栞凪は台所に向かう。
「珍しい、手伝ってくれるなんて」
「これくらいできますぅ~」
あび子の物言いたげな態度が煩わしく思いながら、栞凪は次々と食卓に朝ご飯を運ぶ。
それからしばらくして幸羽が戻ってくると、寝惚けていた様子から一転。
「にしても朝なのに暑いよね。うわ、今日も30度越えだって」
「そうだね」
夏の陽射しに負けないほどの熱量で、幸羽が朝のニュース番組を観ながら喋り続ける。
「……栞凪って占いとか信じる派?」
「なに急に」
「ほら」
箸でテレビを指し示す幸羽に、栞凪は目元を細める。
「行儀悪い」
「……ごめん」
すぐに箸を下げ、黙々と朝ご飯を食べ進める。
「……それで、占いだっけ?」
「あ~うん」
露骨に落ち込む幸羽に、栞凪は視線をテレビへと向けた。
「ふ~ん、朝から良いことがあるみたい」
「……何かあった?」
5位という良し悪しが判断しにくい順位。加えて仕事や勉強、恋愛といった運勢をみてもピンとこない。せめてもと捕捉されている項目を黙読するも、朝から散々なことばかりだった。
(案外当てにならないのかも)
特段占いを信じるような性格ではない。話題としてふられたから気にしてみたが、朝という時間はもう少しで終わってしまう。
もしかしたら栞凪と同じ星座のどこかの誰かにとっては、良いことがあったのかもしれない。
「私は10位だった。なんか、周りの意見に流されるなとかだった」
「……10位」
個別、総合といった運勢は全体的に低く、なんとも不穏に感じてしまう。
だからといって、今日の運勢だ。
明日になれば変わってしまう。
「結構信じる方なの?」
「ん~その日の気分かな?」
「なにそれ」
そんな朝の時間を栞凪達はゆっくりと過ごした。
だけどいつまでもそうはしていられない。
今日も学校があり、登校しないといけない。
「うへぇ~」
「……暑いね」
玄関をでると、外の茹だるような熱気に辟易させられる。
それでも栞凪達は歩きだす。
「それにしても栞凪のお母さんは料理が上手だよね」
「そうかな?」
「そうだよ」
あまり気にするどころか、友達の家に泊まる機会が少ない。だから比較する家庭がなく、言葉に困ってしまう。
ただ、そう思うほどに朝食は手が込んでいた。
片づけが面倒だと言いながらもだされる焼き魚。今日は鮭の切身だったが、朝からというのは珍しい。添えられていたほうれん草といりごまのお浸しは昨日の残りだとしても、味が染みて美味しかった。
それに幸羽は珍しがっていた、ナスの味噌汁。
栞凪からすれば不思議に思わないが、衝撃的だったらしい。
「こうなるとお弁当も楽しみだ」
「……そうだね」
昨日の不祥事を思い返してしまう。
だけど今さら誤魔化しようがないのだ。
(……平穏に過ごせるのかな)
朝の占いがまったくもって外れていることに、少しだけ恨みたくなってしまった。
束の間とも思える車内の空調がガンガンと利いていることに、二の腕を摩ってしまう。それでも降りれば熱気に当てられ、寒暖差に風邪を引きかねない。
いつものように改札を抜ければ登校する生徒達の流れがあり、学校へと伸びていた。
それに逆らわず校門を潜り、昇降口で靴を履き替える。
外の暑さにも負けず、生徒達の夏休みに対する熱気が増していた。
「おはよ~」
「……おはよう」
「「「「「………………」」」」」
だけど、栞凪達のクラスは多少の異色を放っていた。
それは教室に足を踏み入れた瞬間に察せられるほど、奇異の視線が向けられる。
(こういうの、苦手だな……)
別にやましいことをしていないのにもかかわらず、注目の的となる。
もしかしたら、四月の幸羽も似たような感じだったのかもしれない。
「ちょっと詰めて~」
「暑苦しいから……」
自分の席に鞄を置くと、幸羽は当たり前のように栞凪の元に戻ってくる。それだけなら良かったのだが、栞凪の椅子に座ろうと身体を滑り込ませてきた。
いくら空調が利いていたとしても、同じ体温同士が密着すると暑いだけ。
何よりも、違った熱量をクラスメイト達に与えてしまう。
「三環さんと蓮永さんって、いつの間にそんな仲良くなったの?」
(……やっぱりくるよね)
案の定、好奇心に駆られた1人の女子生徒が訪ねてきた。
短く切りそろえられた髪形はボーイッシュだが、同い年ながら身体のメリハリがしっかりとしている。
「このテスト期間中に勉強をみてもらってたのが大きいけど、芝さんも似たような子いるでしょ? ……これくらい普通じゃない」
懲りずに座ってこようとする幸羽を、栞凪は諦めて半分譲る。
「ま、まあ、確かにそうだったね。……けど、近くない?」
(そう思うよね~)
含みのある言い方は、お弁当の一件を探っているのだろう。
ただ、指摘はごもっともである。
どれだけ否定しようにも、その必死さが裏目にでてしまうだろう。
「あ、もしかしてあの噂を信じてたりする?」
(このバカッ!)
あの手この手で白を切り続ければ追及を逃れられたかもしれない。
が、あえて渦中に飛び込んでいく。
無言で幸羽の背中を小突くも、どこ吹く風。
真相を知りたがるクラスメイト達からの視線が、一層と増していく。
「実のところは隠しておきたかったんだけど、こうなると打ち明けるしかないよね?」
「……何を言いだすつもりよ」
栞凪に確認を取るように目配せしてくるも、幸羽の中では既に覚悟が決まっていた。
非難めいた口調で異を唱えたところで意味をなさない。
「両親と進路の事でケンカしちゃってさ、今家出中なんだよねぇ~」
口調としてはまるで今日の天気を訊くようだが、内容としては触れづらい。
「え」
「そ、そうなの」
急に止まりに来た真相を明かされた栞凪は驚くも、訪ねてきたクラスメイトも言葉を詰まらせる。
だけど幸羽は補足説明を続けていく。
「だって可笑しいでしょ、成績もこれまで以上に上がったのに勉強しなさいとか。そのためにこの夏は塾に通えって、勝手に決めるんだよ。私そんなに勉強好きじゃないのに」
まるで一部の生徒達が抱いていそうな本音を、幸羽は声を大に発言してみせた。
チラホラと、その声に同意するクラスメイト達が首を縦に振る。
「そんなこともあって家をでたんだけど、寮生のところに泊まっていいのかわかんなくて路頭を彷徨ってたんだ」
語りだす幸羽に、クラスメイト達は耳を傾けている。
「そんな時、勉強を教えてくれていた栞凪が寮生じゃないって思いだしてお願いしたんだ」
これで話は終わりと、幸羽は肩を竦めて視線をクラスメイト達に向ける。
「そうだったんだ……ごめん」
「うんうん、大丈夫だよ。そのことで達宮先生にも怒られたけど、私は断固塾に通いたくないからしばらく栞凪の家に泊まるんだ」
何を堂々と宣言しているのかと呆れされられるが、幸羽の意志は強かった。
「なんか、その気持ちはわかる。……その、応援してるね?」
「ありがとう」
タイミングよく朝のHRを報せるチャイムも鳴った。
「……バカなの?」
慌てたように自席へと戻っていくクラスメイト達を横目に、栞凪はジト目を向ける。
「……バカだよ?」
対して幸羽は、笑ってみせるのだった。
「栞凪ぁ~お昼にしよぉ~」
朝の一件を終えてから、幸羽の立ち居振る舞いは堂々としていた。
「……うん」
それが奇妙にも思えたが、多少は肩の力を抜くことができた。
教室の半数はお昼を求めて学食、もしくは購買へと向かって行く。それもあって空き席が増え、栞凪達は机をくっつける。
「さてさて、今日のおかずは何かしらぁ~」
「お母さんが聞いたら喜びそう」
ただ幸羽以上ではないが、栞凪もその恩恵を受けている。
お互いに両手を合わせ、お弁当の蓋を開けた。
「お~」
「これまた……」
ただ感心してしまう。
おかずの品数は少ない。
だけど、カットされた果物が目をひく。
アスパラにベーコンを巻き、表面をカリカリに焼いている。朝食にもでたほうれん草といりごまのお浸しと、彩りのミニトマト。
栞凪にとって、これくらいシンプルなのが当たり前。
それを覆すようにカットされたパイナップル、房から外された大粒のブドウ。さらにはこれまでで食べたことのないドラゴンフルーツ。
全て食べやすいようにプラスチックの串が刺さっていた。
箸を使わずに食べれるのだが、今日は先が割れているプラスチックのスプーンが入っている。
その意図を裏づけるように、下の段を覗き込む。
「オムライス」
「……スゴ」
焦げ目のない綺麗な玉子の表面。さすがに巻いていないようだが、下にはケチャップライスが隠されていた。ここにも彩りを考えたのかグリンピースにコーン、角切りのニンジンも散りばめられている。
「幸羽、ありがとうね」
「え、なに急に」
何故か感謝されたことに驚く幸羽だったが、栞凪は気にせずオムライスにスプーンを突き刺した。
夏の暑さに堪えるところはあるものの、お昼休みを過ぎたあたりから気持ちにどこか浮ついてしまう。
消化試合のような授業を終えて、栞凪達は帰路に就く。どこかに寄り道をするわけでもなく真っすぐと、少しでも早く暑さから逃れるため。
それもあって家に着いた頃には、まだ夕方を報せる放送が流れていない。
リビングのエアコンボタンを押し、栞凪はどこか静かな我が家を鑑みる。
「なんか不思議な感じする」
「……なにが?」
勝手知ったる我が家かのように、幸羽は鞄を食卓の椅子へと雑に置いた。
「だってほら、私って一応は帰宅部だから。遅くまで学校にいる事って珍しいんだよね」
「あ~うん」
まるで初耳といった様子で頷く幸羽。
キッカケはどうであれ、クラス委員という役職はさほど仕事はないのだ。毎日の授業準備を手伝い、クラスでの話し合いの場では進行をする程度。他にも年間行事で人手が足りなければ声がかかるだけで、毎日遅くまで残ることはない。
ここ数か月を振り返ると、栞凪のケースは稀だろう。
「いつも帰ってくればお母さんが夕飯の準備をしてくれてて、遅くにくたびれたようにお父さんが帰ってくる。別々に夕飯を食べることもあるけど、ほとんど一緒が多いかな」
どこかしんみりとした口ぶりと面持ちの栞凪。
「それは思った。栞凪の家族って仲いいよね」
「……そうかもね」
それがどこか眩しく見え、幸羽は直視できない。
「ごめん。今朝の事で幸羽を説得したいわけじゃないだ。……何だろう、急にそう思っただけ。そうだ、お風呂掃除でもしよう」
笑って誤魔化しても居づらくなったのか、栞凪は逃げるようにリビングから出て行こうとする。
「だったら私はお弁当箱でも洗おうかな」
「……いいの?」
「むしろ私の方が率先と何かやるべきじゃない?」
「じゃあ、お願いできる?」
そういって栞凪は鞄から自分の分を幸羽へと手渡した。
「……」
「……なに?」
「台所の使い方――」
「さすがに怒るよ」
一抹の不安から気を遣ったつもりが、それが幸羽の逆鱗に触れてしまった。
立ち去れと仁王立ちする幸羽をリビングに残し、栞凪は一度部屋に戻って着替えを済ませる。それからお風呂場へと向かった。
「よし、こんなもんかな」
さほど広くもないお風呂場もあって、15分とかからずに掃除は終わった。それに元々は、学校から帰宅したらする栞凪の仕事で手慣れたもの。
両親の帰りが遅くなることが多かった頃、ちょっとした勉強の息抜きがてらに始めたのが一つの習慣となった。
ちょっぴりだけ、お小遣いもアップしたキッカケでもある。
何よりもお風呂掃除が終わって、一番に入れるという特権が魅力的だった。
「幸羽には申し訳ないけど、先に入っちゃおう」
浴槽にお湯を溜めながら、せっかく決めたはずのルールを破ろうとする。
「栞凪ぁ~終わったよ~」
「ッ!?」
まるで心の声でも聞こえたかのようなタイミングの悪さに、栞凪は謎に早まる胸に手を当てて呼吸を整える。
「こっちも終わったよ~」
反響する声音から動揺は感じとれない。
「そうなの? だったら一緒に入らない?」
「なにが『だったら』よッ!?」
驚愕する栞凪の声量はそれほどでもなかったが、お風呂場という環境が多少は相乗させた。
扉越しからでも幸羽を飛びあがらせるほどに、拒絶感を抱かせただろう。
「じょ、冗談だよ~。ほら、色々と栞凪にはお世話になってるし、背中でも流してあげようかなぁ~ってさ。別に女の子同士だし問題なくない?」
「……そうかもだけど」
明らかに幸羽の声が震えていた。
栞凪としても、驚いただけで不慮の事故。
だけど、冷静に考えてしまう。
当たり前ではあるが、体育の着替えは男女別の更衣室。それなりにふざけたスキンシップはあれ、あくまで下着一枚で守られている。プールの授業であっても、個室のシャワールームで仕切られているのだ。
同性が着替える場にはいるものの、裸を見るというのは経験が少ない。
普段からジロジロとみているのも誤解を生んでしまう。
「ただいまぁ~……幸羽ちゃん? そんなところでどうしたの?」
「あ、お帰りなさい」
扉の向こうにいた幸羽が離れていく気配に、栞凪は胸を撫でおろす。
「た、助かった」
掃除が終わったばかりだったが、お尻が濡れるのを気にせず座り込む。
(……私、なにに安心したんだろう)
浴室内を立ち込める湯気を、ただぼんやりとみつめる。
それからは学校側からの課題量に悲鳴をあげる幸羽とこなし、夕飯ができたことに声をかけられてリビングに向かう。食べ終えたらジャンケンでお風呂の順番を決めるのだが、幸羽が気を遣ったように辞退した。
ここで再び幸羽が押しかけてくるかと身構えるも、杞憂に終わる。
後は眠くなるまでベッドの上でゴロゴロと過ごす。
「おやすみ」
「……うん、おやすみ」
明らかに幸羽が避けているのを気がかりに、栞凪は部屋の電気を消すのだった。




