助けて
「……ごめん」
風が森の葉を揺らしている。だが、そんなことは意識の端にもかけず、ただティールだけを、レンは見ていた。
小さく呟いた声。
それと同時に動いた腕の先に――短剣が、在る。
明らかな裏切り行為だ。仲間だと思っていた人間が、突然自分に牙をむく。想定外の出来事に出くわせば、どんな人間だろうと多少の動揺を見せるはず。
ティールはそこを突こうとしていた。
だが。
「――本心かよ」
一言。その一言だけを、レンはティールに向けたのだ。
ナイフの先がブレ、ピタリと止まる。
――目を見開いたのはティールの方だ。
その宝石のような青い目を揺らし、隠しきれない迷いがそこかしこから漏れ出ている。
震える手、震える声、震える瞳。
――止まるナイフに、一歩近づく。
驚きも動揺も、絶望や怒りも、何も。避けるつもりすら、無い。
――ただ、ティールの目を、見ていた。
刺す気があるならそれでいい。
本心ならば、それで、良い。
だが、そうでないなら――
「――でき、ない。……やっぱり、できないよ」
――そうでないなら、話を、聞きたい。
君の話を、聞き届けたい。
「――」
土の上に鈍い音を立てて、ナイフが落ちる。
ティールの手の震えは止まらず、しかし、何かを決意したように震える声で話し始めた。
「騙して、たんだ。……魔装具を使って君達に、取り入った」
言いながら体を包むボロ布をめくり、中に持っているある物をティールは見せてきた。
――それは、丸いガラスの中に宝石が収まっているような、そんな代物。高価なものであることしかレンはわからないが、今はそんな当たり前な所に口出しをするべき状況ではないと、よくよく理解して口を閉ざす。
――ティールが、言葉を続ける。
「……これは、『良き隣人を』っていう魔装具で。これを持ってると……ボクに対する不信感は親近感に変換されるんだ」
手に持つ宝石のあるガラス玉――『良き隣人を』に、ピシと、ヒビが入る。
抑えていた感情の発露か、ティールの手には、無意識に力がこもっていた。
――震える声で、ティールは続ける。
「ダンジョンのときより……あんなときよりずっと前から、ボクはあの人の『モノ』なんだ」
――ティールの脳裏に浮かぶ、買われたときのあの光景。
嗤いながら家族を焼き、金になるからと子供のティールだけを持っていった、あの日。
瞼に焼き付いて離れない、いつだって忘れられない、地獄の始まりの日。
抵抗する気力も逃げる気力も、ましてやそれを考えることだって。――いつしか疲れて諦めて。
ただ、死なないために命令だけをこなして。
そのうちの一つの命令が、ダンジョンでのあの出来事だ。
「ああやって、異形を押し付けて、何度も、何度も……っ、人を殺した……!」
口から止めどなく漏れ出る罪の告白は同時に、救いをも求める声音でもある。
悔しさか、罪悪感か。
――隠しきれない感情が、涙となってティールの眦を伝う。
「ボクは、裏切り者なんだ……今持ってる親近感も……この魔装具のせい。これを捨てれば君は……」
流す涙を拭おうともせず、ティールは手にある魔装具を振りかぶり――地面にぶつけて、割り壊す。
「君は……ボクのことを敵だと思える」
――敵だと認めて。
――裏切り者だと罵って。
――そうして、自分を、罰して、殺して。
そんな思いを抱きながら、ティールは散らばった魔装具の欠片達から、目の前にいる少年を見ようと顔を上げる。
きっと、憎んでいる。
きっと、怒っている。
きっと、恨んでいる。
きっと、きっと、きっと――ボクを、殺してくれる。
救いを求めるように顔を上げて、無抵抗に体を差し出して――
「――知ってたよ」
「……ぇ」
聞こえてきた言葉に、ティールは目を見開いた。
聞き間違いだろうか。
今、目の前の少年は知っていたと、ティールの裏切りの告白にそう返したように聞こえた。
それに、ティールに現実を信じさせない要素はもう一つある。
――魔装具を壊したのに、少年の目には不信感など微塵も無い。まさか、魔装具の効果ではなく本当に、唐突な現れ方をしたティールを信用していたとでもいうのか。
――あり得ない。
だがいくら否定を重ねても、目の前の少年の感情に変わりはない。
変わらず、こちらを信頼している目。
理解の追いつかないティールに、レンは言葉を続ける。
「あぁいや、知ってたっていうか……何か隠してんじゃねぇかってのは、まぁ」
紡がれる言葉は、やはりティールを信頼している態度の証拠にならない内容。
それどころか、だからお前を疑っていたに繋がるのが当たり前の内容で。
「じゃあなんで信頼なんか……!? 気づいてたのなら、なんでボクのことを信じてた!? 疑ってたなら、なんでボクを信用した!? おかしい……おかしいよ……!」
困惑が、ティールに声を荒げさせる。
意味がわからない。
疑惑が、疑念が、疑いがあったのなら、何故ティールを信じた。
「気づいてたんなら……最初から、捕まえて、問いただして……責めてくれれば、それで……」
――それで、アーガルズの情報を搾り取るでもして、有用に使えば良かったのに。
感情をそのまま強くぶつけるティールの言葉を、レンは静かに受け止め続けている。
対等に、まるで仲間のように、そんな顔をして。
そんな、詰め寄るようなティールの声に、レンは真っ直ぐ、射抜くようにこちらを見て、
「それでも――俺はお前を信じるって決めたんだ」
と、そう言い切ったのだ。
「だから……お前は、言っていいんだよ。――助けてって」
「――っ」
言葉に詰まる。だって、説明になっていない。
何故と問いかけたのに、その問いかけに答える言葉じゃない。
そんなの、おかしい。
顔を歪ませて、ティールはレンを否定しようとする。
おかしい、間違っている。今レンがするべきは、ティールを捕まえて洗いざらい吐かせることだと、自ら言おうとして。
――けれど、ティールの喉はか細く鳴るばかりで。
なによりおかしいのは、
「会話でも咄嗟のときでも、助けてって言わないようにしてただろ?」
――レンの言葉に、救われている自分がいることだ。
力無く、レンを見る。
レンの声音はそのまま意思の力強さを示しているようで、自分とは真反対だと、そう思った。
「一回でも言ったら、誰も助けてくれなくても、言葉に縋り続けたくなっちまうから。――だから、言わなかった」
否定しようとして、でも否定できなくて。
そんなことはないと、助けてなんて言わなかったのは、助けなど要らないからだと、強く強く、拒絶しようとして――でも、できなくて。
言葉は、続く。
「――でも、俺はお前を助けたい。助けたいと思ってる相手に助けてって言うのなんか、珍しくねぇだろ?」
「だから、言っていいんだ。助けてってな」
――風が、吹いた気がした。
レンの言葉が風になって、ティールの何もかもを吹き飛ばしたような、そんな気がした。
否定の言葉は、出てこない。
――もう、出そうとも、思わない。
わかった。理解したのだ。
目の前の少年は、ティールを仲間だと思っている。
そして助けたいと、そう思っている。
ならば、どれだけ拒絶しても、無駄だろう。
「――君は」
ティールの口から言葉が漏れる。
「……君は、すごいね」
「君になら、言える。……きっと、言葉通りに、してくれる」
きっと、なんてもんじゃない。
一言そう言えば、必ず助けてくれる。
諦めないだろう。だって、目の前の少年は諦めるのが大嫌いなのだから。
ダンジョンで、イノコとの戦いで、そんなこと、もうとっくに知っている。
一言告げるだけで、それだけで――
「……でも、言わない。やっぱり、言えないよ」
――それでも、ティールは助けを求めない。
目を合わせているからだろうか。
レンが目を見開いて、その顔に驚愕を映し出している。
ナイフを取り出したときに見せるだろうと思っていた顔を、こんな言葉で引き出せるとは思わなかった。
言わなかったティールは、言葉を紡ぐ。
「――だって、都合が良すぎるでしょ? 今までボクがしてきたこと……それを踏まえたら、そんなこと、言えないんだ」
「……っ、それでも」
「――だから!」
尚手を差し伸べてくるレンに、言葉を被せる。
「だから、これだけ言わせてほしいんだ」
ティールはそう言い、微笑んで前のレンを見る。
「大丈夫。絶望してるわけじゃないよ。君を信じて、言う言葉だ」
「――アーガルズを、ぶっ飛ばして」
「――」
「――そしてどうか、ボクに罪を償わさせてほしい」
諦めた笑顔ではない。
前を向いた笑顔で、そう願う。
「これが、ボクからの『お願い』だ」
憑き物が落ちたような、清々しいティールの顔を見て、レンは一瞬驚いたような顔をして――すぐに、決意を固めて笑顔を浮かべた。
そうして、力強く、一言。
「……わかった!」
と言い、レンは再び駆け出したのだ。
「……と、その前に」
数歩進んだところで止まり、引き返してきたレンは、ナイフを拾って懐に入れる。
「これ、使わせてもらうな」
「勿論。好きにしてよ。……そうだ。アイツについて知ってること、教えるよ」
「! 助かる」
「あ、ついでに、伝言頼まれてくれる?」
「ん? なんだ?」
「君がアイツをぶっ飛ばすなら、もうこの言葉を抑え込む必要ないから」
肩を落として、どこか安心したように言葉を切ったティールは告げる。
「言ってきて。――元々仲間じゃないって」
「――! おう、任せろ!」
■■■
そうしてアーガルズの情報とナイフを持って、レンは扉の前に立っていた。
脇腹に、傷はない。
「……裏切ったってバレちゃいけねぇかんな」
誰に聞かせるでもなく小さくつぶやき――直後、レンは躊躇いなく自分の脇腹をナイフで突いていた。
脳を焼く痛みは決して軽いものではない。だが、これでティールを守れるならば安いものだ。
――そうして場面は、アーガルズとの対峙に舞い戻る。




