月沈みの路地裏
視線、足さばき、構え。
全てを見て、視る。
太陽は沈み、石畳の裏路地は月も太陽も当たらぬ薄暗闇へと変貌していた。だが、それでも、お互いにわかっている。
――見ている。これだけは確かだ。
右手で二連撃。止められる。
殴打が飛んでくる。半歩下がって避ければ、起こる風がレンの前髪を揺らす。攻撃を避けられた以上意義のなくなった右手を意識から外し、残った左手を意識しながら、しかし次は自分の番だと攻守の意識を切り替え――意味のなくなった殴打は、流れるように肘打ちに変更される。
「――ッ」
舌打ちとも漏れた声とも分からない音を出しながら、レンは返しの肘打ちを左手で止め、膝でトーラルの腹部を蹴り上げる。
響く衝撃は、レンの膝蹴りが確かに当たったことを教えてくる。だが、感触に違和感。腹部とは違う沈み込み方だ。
見れば、レンの膝蹴りはトーラルの掌が受け止めていた。
――好機。両手が塞がっている。
刹那の迷いもなく、レンは残った軸足でトーラルを蹴り飛ばした。
「――がっ」
口の端から音を漏らしながら、トーラルが吹き飛ぶ。
決定打にはならない威力。だが、レンがトーラルに追いすがっていることを証明するには十分すぎる一撃だった。
蹴り飛ばした威力をそのまま空中縦回転のエネルギーに変換し、レンは危なげなく着地する。
「素人に押されてんじゃねぇの? さっきまで突進しか能のなかったやつによ!」
「……やっぱりきもちわりーな、君。最初っから、ずっと!」
「声荒げても傷は減らねえぞ?」
「勝つのは僕だ!」
口の端に垂れる血を無視し、苛立ちのままに声を荒げながらトーラルが距離を詰めてくる。
乗せられる声音はそのまま、白熱した感情と燃やされる命だ。
服でシルエットが隠れていて尚細いとわかる腕が振るわれる。その細さからは想像もつかないほどの威力があることなど、レンは既に身を持って経験済みだ。
「――」
――故に、避けない。
衝撃が貫き、骨身どころか体のすべてが軋むような感覚がレンを焼く。だが、それでも、後ずさらない。決して、後ろに、下がらない。
歯を食いしばり、力を込め、息が詰まるほどに衝撃を、一から百まで受け止める。
揺れる視界は威力をレンへ十全に伝えてくるが、しかし――この程度、倒れるに値しない。
「……!?」
直撃という達成感と、しかし倒れないレンへ驚愕を示すトーラルは隙だらけだ。
「言っただろ、慣れてんだよ……!」
「――ぶ」
吐血など気にせず笑うレン。
――直後に振り抜かれる拳は、トーラルの顔面を違うことなく撃ち抜いていた。
肉と、その奥の骨にすらも届いたという感覚。間違いなく、顔面に食らわせた。それは縦に回転しながら吹き飛んでいくトーラルを見てもよくよくわかることができる。
重力をものともせずに吹き飛んだトーラルの体は石壁に激突し、あたりに少量の砂煙が立ち込める。砕け散る石壁や砂煙、そのどれもがレンの一撃の威力を物語っていた。
顔面に直撃。正真正銘の、渾身の一撃だ。
だが――、
「……まじかよ」
「――ァ、ハァッ……負けたら、価値が落ちるだろ……!」
力強く気丈に。トーラルが、立ち上がる。
鼻血を出すその姿は、先の一撃が大ダメージであることを証明している。が、トーラルは立っている。流れ出る血など、受けた傷など、意にも介さぬという雰囲気で、夜の石畳にその両足で立っている。
その現状に、レンは瞬間、息を呑む。
レンは、自分が打たれ強い方に分類されるだろうと、心の何処かで思っている。それは慢心や傲慢ではなく、今ある知識に照らし合わせた上でくだした評価だ。
それは今も変わらない。だが、一つ、見誤っている点があったこともまた真実だ。
――この未知の世界に身をおいている人間が、弱いわけがない。
「……舐めてるわけじゃねぇけど、再把握、だな。」
しかと立つトーラルの姿は、いまだ彼の体力は底をついていないことを強く物語っている。
底が見えないわけじゃない。――だが、決して勝てると確信できる相手でも、ない。
そう気を引き締めるレンに対して、トーラルはなにかを決意したようにため息をつく。
「君みてーな素人に使いたくなかったんだけど、仕方ねーよな」
「――?」
意図の見えない発言に、刹那、レンが首を傾げる。
言葉通りに受け取れば、今このときまで何かを隠していたと取れる発言。
――レンはこの世界に疎い。この世界のルールに疎く、この世界の力関係に疎く、この世界の常識に疎い。
だから、知らない。知りようがないのだ。
「――ミドル・ブースト」
互角だった身体能力を大幅に強化する、『身体強化魔法』など。
――次の瞬間、強烈な致死の衝撃が、レンの体を吹き飛ばしていた。
■■■
できればシュウは人に剣を抜きたくない。
それは、至極単純で、簡単で、この世界の冒険者として生きる人間には似付かわしくない理由からだ。
それは即ち――、
「人を切る感触、嫌いなんだにゃー!」
自信満々に言い切り、キャープの体が直線的に宙を舞う。
縦横無尽に炸裂する爪が、シュウの剣とぶつかり甲高い音を響かせ、その手に痺れという接触感を残していく。
――賭けに勝ったと、内心でキャープはほくそ笑む。
――先から、二刀流であれば斬りつけることのできる隙がいくつもあった。致命傷とまではいかないものの、パフォーマンスを落とす傷を与えられるはずの、明確な隙だ。
だが、シュウはその隙に切り込んで来ず、神格での追撃しかしてこない。
わざと隙を晒す度、しかし剣ではなく神格が追撃に選ばれる。そして神格で追撃されるたびに、キャープの疑惑が確信へ固まっていくのだ。
その確信の中身は、先の言葉通り。
うねりを上げる爪を、神格と剣の二段構えで防いでくるシュウ。その顔には攻めあぐねているのがよくわかる、焦った表情が浮かんでいる。
戦闘開始時の余裕そうな態度はどこへやら。今のシュウの顔は終始、追い詰められている人間が浮かべる表情そのものだった。
――今ならその命に爪がかかる。
確信をするキャープが爪を光らせる。その煌めきは、そのまま命を奪う存在の主張で。だからこそ、敵の気を引く存在足り得るのだ。
キャープが爪を振るう。剣と遜色ないほどに尖るそれを薙ぎ、跳ね上げ、左右上下に撹乱。命を狙うのではなく、武器自体を狙って隙を作り出すのが狙いだ。
――銀閃が閃き、爪が寸分違わず跳ね返される。苦悩を見せるシュウはしかし剣筋が曇らない。だがそんなこと想定内とばかりに笑うキャープもまた、躊躇わずに爪を振るう。
迫り、弾かれ、跳ね上げ、返され、幾度も。隙と呼べるような空白など生まれず、一合を無限に繰り返す。
「にゃあっ!」
「……っ」
刹那、双爪がシュウの首元へ挟むように迫りくる。目を見開いて冷や汗を見せるシュウは手の甲に分厚い『神格』を纏わせてその爪を防ぐ。
視線が交錯。生まれるのはいつまで続くかもわからない、危うい緊迫した膠着状態だ。
場に反して、双方の思考は白熱の回転を見せる。
先を取るか、後に甘えるか、後の先を取るかはたまた――、
「――先手必勝だよ!」
刹那、言い切るよりも早くシュウがキャープに頭突きを食らわす。
脳震盪すら簡単に弾き起こせるだろうその頭突きは、軽く頭を振っただけとは思えないほどの威力を抱えている。
「――!」
だが怯まない。故に状況は、動かない。
この膠着状態、しかしそれこそキャープの望んだ『隙』であり――、
「獣人の特性、理解してるかにゃあ?」
「……特性?」
両手の甲で両手の爪を防ぎ、互いに動けない状況、キャープがにやりとほくそ笑む。
獣人の特性。――否、特性というより、多くの人間が目にしているはずなのに予測できない戦闘の一手。それが、
「――これ、好きにしまえるんだにゃあ」
刹那、キャープの爪が手に引っ込み、シュウはあったはずの手応えが消えたことで体勢が崩れる。
それを隙と言わずしてなんとするか。
――即座に再び生えた爪が、シュウの命を狙う。
「無くなった余裕も戻らずに無様に死んでいくにゃあ!」
「――」
余裕の無い表情、焦った顔、その全てを加味した上での勝ち誇った笑みと言葉。
その、全てが――、
「――演技だよ」
「は」
体勢が崩れた、のではない。崩したのだ。崩して、極端な低姿勢に。
頭上で凪がれる双爪を見届けるシュウ。その体が不自然に跳ね上がる。地を舐めるような低姿勢から、無理やり上半身を『神格』で跳ね飛ばし、不意を付く。その両手に、剣。
その双剣が、空き切ったキャープの首元へうねる。
「確かに僕は人に剣を抜きたくない。だって」
腕を振り切ったキャープは防げない。刃が薄皮膚を裂き、そして瞬きよりも早くその奥へ――、
「――神格があるのに武器を使うなんて主人公らしくないでしょ?」
月夜の裏路地、倒れ伏す影が石畳を赤く染める。
その首から、多量の血を流して。




