11月 烈火 ⑥
その日は、幸輔は神戸とともに警察署の近くにあるなじみのそば屋に出かけた。
昼時ということもあり、店内は背広姿のサラリーマンとOL風の女性で混雑していた。
ちょうど席が空き、2人はそこに滑り込む。幸輔はもりそば、神戸はカツ丼つきのランチセットを頼んだ。
この店は味は誉められたものではないが、値段は安く、料理が出てくるのが早いので、給料日前や時間がないときには重宝する。
ほどなくして、料理が運ばれてきた。
「そういえばさ、あれ、なんていうんだっけ、ブログに投稿するときの名前」
幸輔は何気ないふりをして尋ねた。
「ハンドルネームですか」
「そう、それ。前、日の出町のコロシと、ネンキンブログのコロシが一致するんじゃないかって言ってたろ? 日の出町のコロシと一致したハンドルネームって覚えてるか?」
「クジョレッドです」
「クジョレッド?」
「なんか、5人ぐらいでクジョレンジャーってのをやってたみたいですね。日の出町のコロシ、なんか進展でもあったんですか?」
「いや、実は俺の知り合いが、殺されたじいさんが、自分の息子の担任だったっていうんだよ。なんであんないい先生が殺されるんだって言ってたからさ。ちょっと気になってね」
「うーん、うちの管轄外ですからねえ」
神戸は、店の奥に「すみません」と声をかけた。そばのお代わりを頼むつもりなのだろう。神戸は線は細いが、見かけによらず大食漢である。
幸輔は自分のざるを神戸に差し出した。
「これ、食うか?」
「えっ、半分ぐらい残ってますよ」
「最近、胃の調子があんまりよくなくてさ。食欲ねえんだ」
「それじゃ、遠慮なくいただきます」
顔を出した店員には、「そば湯ちょうだい」と幸輔は声をかけた。
「大丈夫ですか、疲れでも溜まってるんですか」
「そうかもな。一度検査してもらったほうがいいかもしれない」
「温泉でも行ったらどうですか。この間の連休、友達と長野に旅行に行ったんですよ。蓼科温泉、なかなかよかったですよ」
「友達って、彼女だろ?」
「ええ、まあ」
神戸は照れ笑いを浮かべた。
そのとき、幸輔の脳裏で何かが警告音を発した。
――長野、旅行。長野……確かあいつ、長野に行ったことがあったんじゃないか。春スキーに行くって。あれは、いつだ。いつだった?
確か、春ごろに長野で事件があったよな。ばあさんと一緒に孫が殺されたって、マスコミで大騒ぎしていたニュースがあった。家の中で少女が強姦されて殺されたって聞いたぞ。
婆さんの遺体の前で孫を犯すなんて、鬼畜みたいな野郎だって思ったから、覚えてる。まさか、パソコンのあの少女の画像は、まさか、直行が、まさか。
「警部」
神戸に声をかけられ、幸輔は我に帰った。
「そば湯来てますよ」
「あ・ああ、そうか」
幸輔は動揺を隠すように、そば湯をそばちょこに注いだ。
「大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねる神戸に、「ああ、ちょっと考え事してただけだ」と幸輔は返した。手がかすかに震えているのを悟られないように、幸輔はそば湯をすすった。
警察署に戻ると、幸輔はトイレの個室に入り、手帳を取り出した。
――確か、直行がスキーに行ったのは、ゴールデンウィーク前の日曜だったよな。あれは確か、4月の……。
4月のページを見ると、23日がゴールデンウィーク直前の日曜日になっている。幸輔はトイレを出ると机に向かい、何気ない様子を装いながら、ネットで長野の事件を検索し始めた。
すぐに過去のニュースが出てきた。4月23日の日付で長野の老婆と孫の殺人事件のニュースが出ている。
幸輔はざっと目を通し、ネットを閉じた。それだけわかれば十分だった。
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「お父さん、お風呂どうします?」
正子に声をかけられ、幸輔は我に帰った。ソファでテレビを見ながら、物思いにふけっていたのだ。
「直行が明日の朝、早いんですって。先に入りたいって言ってるんだけど」
「ああ、じゃあ、先に入れって言って」
正子は直行に告げに行った。やがて、直行が一階に下りてきて、浴室に入る音がした。
幸輔は、つくづく自分がもっと鈍い人間であればよかったのに、と恨んだ。
神戸の長野旅行の話を聞いて、直行が長野に行ったことを思い出してしまうなんて。老婆殺しと関係があると気づいてしまうなんて。
――居酒屋で直行の昔の先生の話を聞いても、気の毒にな、って感じただけならよかったのに。あのコロシは直行の先生だったのかって、無邪気に驚いて、それですめばよかったのに。
だが、一度疑い出したら、止めようとしても疑惑の念はますます膨らんでいくばかりである。直行とは関係がないという証拠を見つけない限り、この疑念は消せないだろう。
直行は今、風呂に入っている。
幸輔は階段をのぼった。寝室に入るフリをして、足音を忍ばせて直行の部屋の前に立つ。
そこから先は、ためらわなかった。ノブを回し、すばやく部屋に滑り込む。外の音が聞こえるよう、ドアは薄く開けておいた。
パソコンはついたままだった。幸輔は椅子に座った。直行は、後10分は風呂から上がらないだろう。
デスクトップの「megami」というファイルを開け、先日見た、息絶えた少女の画像を幸輔は探した。気が焦ってしまい、なかなか見つけられない。しかも、画像の数が増えている。
――あいつ、何をやってるんだ。
やっと見つけて、その画像を撮影した日付を確認する。4月23日。何枚確認しても、すべてその日付だった。
――やっぱり。長野の事件は、あいつがやったんだ。ってことは、少女だけじゃなくて老婆もやったってことか。
そのフォルダを閉じたとき、デスクトップの「仕事」というファイルが目についた。
開けてみると、そこにはやはり画像が並んでいる。
最初の画像を開けてみると、横たわっている老婆の姿がパッと大写しになった。
その老婆は、背中に包丁を突き立てて、あきらかに息絶えている。同じ老婆の画像が、何枚もあらゆる角度から撮られている。
11枚目からは、違う老婆の画像だった。首にはひもが巻かれ、眼は見開かれ、開いた口からはよだれが垂れている。さらに、老爺の画像もある。
――まさか、これ、全部あいつが……?
幸輔は動悸が激しくなり、思わず胸を押さえた。
「やっぱり、見てたんだ」
ふいに背後から声がして、幸輔は心臓が止まりそうになるほど驚いた。振り向くと、ジャージを着て肩からタオルをかけている直行が立っていた。
――いつの間に!
幸輔は素早く立ち上がった。
「この間から、気になってたんだよね。親父が部屋に入ってデジカメを探したって日から、なんかおかしくてさあ」
直行はスタスタと机に向かって歩いてきた。幸輔は思わず後ずさりする。
「ここの引き出しがちょっと開いてたけど、ここを探したのなら、絶対に見つけてるはずなんだよね、これを」
直行は引出しをあけ、奥のほうにしまってあった煙草の箱を取り出した。幸輔にそれを渡す。
幸輔は恐る恐る箱を開け、眉をしかめた。中には乾燥した葉が入っている。
「……大麻か」
「そっ。それを買ったのは、学生の時だけど。それを見つけたら絶対に怒ってるだろ? でも、それを見た形跡がないんだよね。親父のことだから、この箱を開けないわけないし。だから、おかしいと思ったんだよね。何かほかのものを見つけて、そっちに気を取られてたんじゃないかと思ってさ。パソコンを閉じてなかったら、あの画像を見た可能性があるって推理したんだよ」
直行はベッドに腰かけた。
「やっぱりね。犯人は犯行現場に戻ってくるっていうけどさ、泳がせといたらまたパソコンを見るだろうなって思ってたんだよ」
幸輔は立っているだけで精いっぱいだった。
直行はいつもと同じで、表情は変わらない。パソコンを勝手に見たのを怒っているわけでもなければ、悪事が見つかって動揺しているわけでもない。いたって冷静である。
――俺は、今までに何度かこういう人間を見たことがある。ひっでえ悪事を働いておきながら、平然と嘘をつくやつらだ。取り調べでどんなに脅しても、眉をぴくりとも動かさない、根っからの性悪だ。まるで、悪いことをするために生まれてきたようなやつなんだ。
「んで、どうする?」
直行はタオルで髪を拭きながら唐突に聞いた。
「へ?」
幸輔は間が抜けた声を上げた。
「俺が殺された人間の画像を集めてるからって、変態だから警察をやめろって言うわけ? ネットで話題になってたから、見てみただけだよ。画像をダウンロードしたのはやりすぎかもしれないけど。オレから通報するのも変な話だしさ。なんで、そんな画像を知ってるんだって追求されたら、面倒なことになりそうだし」
幸輔はしばらく、直行の話を呑み込めなかった。
ややあって、直行が誤魔化そうとしているのだと気づいた。殺人を犯したのではなく、ただ画像を集めているだけという話にしようとしているのだ。
一瞬、幸輔の心の中で二つの感情が揺れた。
このまま騙されたふりをするべきか。それとも、真実を追求すべきか――。
騙されたふりをしたほうが、この先楽かもしれない。だが、膨らみすぎた疑惑の念が、それを許さなかった。




