9月 火焔 ⑨
「えっ、どういうことですか?」
鉄拳5が身を乗り出す。
順二は「どうせ二度と会わない連中だし」と思いながら、両親と祖母が心中したことをかいつまんで話した。その場はしんみりとなった。
「そうですか……そんな大変な思いをしたから、正義の怒りがわいてきたんですねえ」
鉄拳5はしみじみと言った。
「いやあ……それはつらすぎる」と、ホームレス中年は涙ぐんでいる。
「ホントなの、その話。ちょっと出来すぎてる気がするんだけど」
それまで黙々と料理を食べていた夜青竜が、口を開いた。どこかふてくされたような、不愉快な話し方をするので、順二はムッとした。
「できすぎも何も、俺の親は今年の5月に死んでしまって、うちはメチャクチャになってるんだけど」
順二は思わず強く言い返した。
こばけんが場の雰囲気を変えようと口を開いた。
「実は、俺は、犯罪を犯すようなやつってどんなんだろうって興味があって、今日は参加したんだよね。でも、正義の怒りさんは会っても、ふつーだなあって感じだよね。あんな大胆なことをしなさそうに見えるから、夜青竜さんが疑いたくなるのも分かるよ。でも今の話を聞いて、そういう思いが突き動かしたんだって、納得した」
「犯罪じゃないですよ。社会正義ですよ」
ホームレス中年が順二の目をまっすぐ見て言った。順二は思わず目をそらした。
そのとき、料理が運ばれてきたので、みな口をつぐんだ。
――どうしよう。適当なところで抜け出さないと、変なことに巻き込まれそうだな。
順二が必死で策を考えていると、
「俺と一緒に、何かやりましょうよ、正義の怒りさん」
と、ふいに憂国に肩を掴まれた。憂国の目は爛々としている。
「何かって、何を」
「職員宿舎を襲うだけじゃ、まだ生ぬるいっす。どうせなら、本丸を攻めなきゃ」
「本丸って」
「厚生省」
順二は思わず笑ってしまった。冗談かと思ったのである。
だが、憂国はニコリとも笑わない。
「冗談じゃないっす、本気なんすよ。かの三島由紀夫先生も、陸上自衛隊の駐屯地を乗っ取り、割腹自殺を図りましたっ。俺たちも、敵の本拠地に乗り込んで、自決覚悟で戦うべきじゃないっすかっ。それこそ革命でしょう」
憂国は興奮してきたのか、テーブルをバンバンと叩く。
「いや、そこまでは、ちょっと」
順二が戸惑っていると、「憂国さんは過激だなあ」と鉄拳5はたしなめた。
「いや、私は、賛成ですよ。厚労省の襲撃。そこまでするべきでしょう。そこまでしないと、きっとあいつらは分からない。もっと痛みを味わうべきですよ。素晴らしい。そのアイデアは、ほんっとうに素晴らしい」
ホームレス中年が憂国に賛同した。
「ホームレス時代の仲間も、正義の怒りさんには感謝してるんです。だから、襲撃に参加するよう呼びかけたら、きっと集まりますよ」
「いや、さすがに、厚労省を襲撃するのは無理でしょう。規模が大きすぎる」
鉄拳5が否定すると、ホームレス中年は身を乗り出した。
「人数さえ集まれば、できますって。大体、海外だったら暴動は普通ですよ。日本人はおとなしすぎるんです、私も含めて。私は、家も仕事もなくして、妻と娘にも愛想つかされました。それでも、何も文句は言わなかった。自分は運が悪いんだって、自分の要領が悪いんだってずっと思ってて……」
声が震えた。見ると、ホームレス中年は涙を流している。
「まじめに働いてたんですよ? 天下りなんか、会社になんてほとんど来ないんだから。高い給料もらってるくせにね。でも、まじめに働いているオレなんか、安い給料しかもらえなくて、しかも簡単にクビを切られて、何もかも失ったんです。おかしいじゃないですか。それもこれも、社会のシステムがおかしいからなんですっ」
涙ながらに熱弁をふるうホームレス中年を見て、順二はすっかり引いていた。
――ここにこれ以上いるのは、ヤバそうだな。
順二が逃げようと腰を浮かしかけたとき。
「その通りっ。社会のシステムがおかしいっ。ホームレス中年さんは何も悪くなんてないっす。悪いのは血も涙もない官僚だっ。官僚は高い給料をもらっておきながら、平気で国民を裏切りやがる。薬害エイズだって、C型肝炎だって、厚労省と製薬会社が招いた人災なんだっ。犯罪者なのにあいつら、ムショにも入らずにのうのうと暮らしてやがる。そんなの許されないっ、許すべきではないんだっ」
憂国がテーブルを叩きながら、店中に響き渡るほどの声で熱弁をふるった。何事かと店員が飛んできた。
店員に静かにするよう言われ、6人はしばらく黙って酒を飲んでいた。
順二はタイミングを見計らい、「俺、そろそろ」と席を立とうとすると、
「私、本気ですよ。私も今の社会を本気で変えたいんです。だから、やりましょう」
とホームレス中年が順二の腕をつかんだ。
「その通りっすよ。今何とかしないと、このままじゃ日本は崩壊しますよ」
憂国も順二の目を見据える。
「だからって、厚労省を襲うなんて、そんな無茶なこと」
順二がホームレス中年の手をほどこうとしていると、
「俺もやりたーい」
とこばけんが手を挙げた。
「正義の怒りさんなら、できますよ。一緒にやりましょうよ」
ホームレス中年は腕を握る手に力を込める。帰してもらえそうにもないと、順二は諦めて座った。
それを了解の合図だと思ったらしく、
「よし、この最強メンバーで、厚労省を叩きつぶすぞっ」
と憂国が握りこぶしを小さく振り上げた。
順二が慌てて「いや、俺は、別に」と否定しようとすると、
「とにかく、勢いだけでできるわけじゃないから、やるならやるで計画を練らないと」
と、鉄拳5が冷静に提案する。
――おい、マジかよ? 反対するやついないのかよ?
順二が夜青竜を見ると、夜青竜も「まあ、みんながやるなら、俺もやってもいいけど」とまんざらでもない顔で同意している。順二は頭がクラクラした。
――冗談じゃないよ。俺はもう普通に暮らしたいんだよっ。南、オレ、また、変なことに巻き込まれそうになってるよお。
順二以外のメンバーはお酒が入っているせいもあり、テンションが高くなっている。順二は必死で、この場から逃げ出す方法を考えていた。
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その日、原義男はいつものように母親を連れて散歩に出かけていた。
石神井川沿いの道を車椅子を押して歩いていると、近所の主婦とすれ違った。
会釈をして通り過ぎようとしたとき、「気をつけてくださいね。最近、高齢者を狙った犯罪が多いから」と声をかけられた。
「ああ、老人を殺したら1ネンキンもらえるとか、テレビでやってますねえ」
「ねえ、怖いですよね。うちの親は神奈川に住んでるんですけど、怖くて外出できないって言ってるんですよ」
「そうですか。まあ、この辺は人通りが多くて強盗も入ったことがないぐらいだし、大丈夫でしょう」
適当に会話を交わし、主婦と別れた。
義男は今年60歳になった。母は85歳になる。
母は5年前に病気で入院し、退院してから自宅でほぼ寝たきりの状態になってしまった。そのころから、痴呆の症状が現れたのである。
最初は妻に介護を任せていたが、精神的に追い詰められ、3年前に家を出て行ってしまった。
息子と娘はそれぞれ家庭を持ち、子育ての真っ最中なので実家を顧みるほどの余裕はない。義男は意を決して役所を早期退職し、母の介護に専念することにしたのである。
最近は公務員に対する風当たりは強いが、義男は誠心誠意をモットーとして役所で働いたという自負がある。勤勉に、コツコツ働く者だけが幸せになれるのだと、両親からは言い聞かされて育った。
だが、最近は「なんで自分ばかりがこんな目に」と悲観するようになっていた。
母の症状は日ごとに悪化し、もはや自分のことすらも分からなくなってしまった。
母は昔の思い出ばかりを語る。その思い出の中に自分が登場しても、今母のおむつを替えているのが誰かは分からないのである。空しい気持ちに苛まれて、眠れない夜が増えた。
「いっそ死のうか」
ここ数か月、そんな思いが頭を占めている。
母の命を絶ち、自分も命を絶てば、誰にも迷惑をかけないし、責められることもないだろう。残された息子と娘は悲しむかもしれないが、少なくとも将来介護の負担をかけなくて済む。
――一生懸命、生きてきたのに。こんな末路だなんて、哀れだな。
そう考えると、泣けてくる。今も、石神井川の水面を見ながら、ふと虚無感に襲われて涙ぐんでいた。
「暗くなってきたから、そろそろ帰ろうか」
声をかけると、母は「桜、きれいね」とつぶやきながら、虚空を見つめるだけである。9月のこの時期に桜など咲いていない。母の昔の記憶の中で咲き誇っているのだろう。
家は石神井川沿いの住宅地の一角にあった。
40年前に建てた家はリフォームする余裕もなく、屋根の色は剥げ、壁には亀裂が入り、すっかり古びている。母が丹精込めて手入れしていた庭も、今はすっかり荒れ果てていた。
車椅子を門扉の前に止めて家に入り、玄関に止めておいた室内用の車椅子の位置を整えていたとき。
母が叫び声をあげた。車椅子が倒れたのかと振り向くと、母の前に一人の男が立っていた。
その男の顔は、見覚えがある。同じブロックに住む住人の一人息子で、仕事を辞めてからは、働きもせずにブラブラしているという噂を聞いていた。
口ひげが生え、髪はボサボサに伸び、よれよれのシャツを着ている。目が異様に光り、肩で荒い息をしている。
その男の手に包丁が握られていると気づくまで、数秒かかった。
母は胸を押さえて突っ伏している。男は母の背に向かって包丁を振り上げた。鈍い音とともに、母が悲鳴を上げる。
義男は、しばらく金縛りにでもあったかのように動けなかった。男は何度も包丁で母を刺し、「1ネンキン、1ネンキン」と呪文のようにつぶやいている。
「痛い」「やめて」と、母親は泣き叫んでいる。
義男はとっさに玄関に立てかけてあった杖をつかんだ。
吠えるような声を上げながら男に突進し、杖で男の頭を打つ。男は頭を押さえながらしゃがみこんだ。
男をさらに何度も杖で打ちながら、「誰かっ、助けてくれっ」と義男は近所に聞こえるように叫んだ。
母はあちこちから血を流し、前屈姿勢になってうめいている。
「母さんっ、母さんっ」
義男は叩くのをやめ、母の血を止めようとしたとき、右足を男につかまれた。
「2ネンキン」
男はギラギラ光る眼で義男を見た。
義男は、つい先ほどまで母と心中しようと考えていたことなど、どこかに吹っ飛んでしまった。
――こんなやつに、殺されてたまるかっ。
杖を男の頭に向かって力いっぱい振り下ろす。男はうめき声をあげて崩れ落ちた。
騒ぎを聞きつけて、近所の人が家から飛び出してきた。血まみれの母を見て、悲鳴をあげる。
「救急車を呼んでくれっ、母さんが刺されたっ」
義男は噴き出ている母の血を手で押さえた。
「大丈夫だよ、すぐに救急車が来るから。大丈夫だよ」
何度も母に言い聞かせる。死なないでほしいと、生きてほしいと、義男は強く思った。
「ごめん、母さん、ごめん」
いつしか、義男は泣きじゃくりながら、母の傷口を押さえていた。




