9月 火焔 ⑦
その日の夜、雄太は新宿の喫茶店で胸焼けと待ち合わせをしていた。
雄太が10分ほど遅れて着くと、胸焼けはいつも通り優雅にコーヒーを飲んでいた。
「すみません、遅れて」
雄太は頭を下げた。
「いいんですよ。仕事、忙しいみたいですね」
「いえ、そんなに忙しくはないんです。ただ、社長の話が長くて、話が始まると途中で抜けられないんですよ」
「ああ、いますね、そういう人。サラリーマンは上司の機嫌をとるのも仕事ですからね」
雄太もコーヒーを頼んだ。
「これ、先月の横浜での作業の分です。ご苦労様でした」
胸焼けは封筒を雄太に渡した。
「あの、横浜のあの作業って、年金基金の職員宿舎を襲った荷物だったんですよね」
雄太は声をひそめて尋ねた。
「さあ、どうでしょう。何とも言えませんが」
胸焼けは涼しい顔をしている。
「すっげえ高そうなものばっかでしたよ。売ったらすごい金額になりそうな。官僚って、オレらの税金であんないい暮らしをしてるのかって思いましたよ。あの荷物、どうしたんですか? 中国に売り飛ばしたとか」
胸焼けは雄太の質問には答えず、
「昨日の電話はよかったですよ。名演技でした」
と話題を変えた。
雄太は得意満面、という顔になり、
「あれだけで10万円ももらえるなら、いくらでもやりますよ」
と、運ばれてきたコーヒーをブラックのまま口に運んだ。
「まあ、これで当分世間は大騒ぎになるでしょう」
「でも、わざわざネンキンのことを話す必要はあったんですか?」
「ロージンにはもっと不安がってもらわないと、ゲームとしては面白くないでしょ」
「まあ、そうですね」
雄太は大げさにため息をつき、
「でも、あまり怖がると家を出なくなるから、それも困るんですよ。電車に乗ってもロージンは見かけないし、老人ホームはもう狙えないだろうし、巣鴨もロージンはいなくなっちゃったし。退治したくても、ロージンが集まる場所がないんですよ」
とぼやいてみせた。
「そうですねえ。家にいるところを狙うとか」
「ロージンがいるかどうか確かめてから、一軒ずつ放火していくのは、ちょっとリスキーでしょ。時間かかるし」
「放火じゃないとダメなんですか?」
「オレ、血を見るのが苦手なんで、刺したりするのはダメなんです。放火なら、血を見ないから」
「なるほどね」
「だから、この間のクジョレンジャーの小学校の放火は羨ましかったですよ。オレも呼んでくれればよかったのに。学校に害虫が集まってるのを見て血が騒いだから、ガマンできなかったって言ってましたけど。害虫駆除はまた解禁ってことでいいですよね」
「そのことなんですが……」
胸焼けは優雅な動作でコーヒーカップを置いた。
「私はネンキン活動からは抜けます。本業が忙しくなってきたんでね」
「えっ」
雄太は危うくコーヒーを吹き出しそうになった。
「抜けるって、どういう」
「もう私からはネンキンを支払わないってことです」
「えっ、そそそんな、ちょっと」
「我々の計画は次の段階に移ってるんでね。あなたも相当稼いだでしょう」
胸焼けは澄ました顔で微笑んでいる。
「それって、ネンキン制度はもう終わりってことですか」
「それを決めるのは私じゃありませんよ。もともと、代表さんが立ち上げた活動だし。続けたいのなら、続ければいいでしょう」
「続けるったって、むねおさんのほかにカネを払うやつなんていないじゃないですか」
「どうでしょうね。まあ、クジョレンジャーの5人は、お金をもらえなくても続けるって言ってますし。お金がもらえなくてもやりたい人だけで続ければいいんじゃないですか」
「そんなこと、突然言われても」
「まあ、後のことは、代表さんにお任せしますよ」
胸焼けは伝票をつかんで立ち上がった。
「それじゃあ、今までお世話になりました。別途、ほかの仕事で声をかけるかもしれませんが、今日はこれで」
「えっ、ちょ・ちょっと待ってくださいよ」
「急いでるんで、これで」
胸焼けは料金を払うと、さっさと店から出て行ってしまった。雄太は口を半開きにしながら、胸焼けの姿を目で追うしかなかった。
突然のゲームの終わり。いつかは終わりが来ると思っていたが、あまりにも早すぎる。
雄太は動揺しながら、コーヒーを飲んだ。
――もうジジババを殺しても意味はないってことか。あー、それなら先月の小学校の放火、やっぱりオレもやっておきたかったなあ。最後に大金を稼げたのに。
雄太は足元からじわじわと焦燥感がこみ上げてくるのを感じていた。
――どうしよう。これぐらいのカネ、すぐになくなっちゃうよ。こうなったら、あんなショボイ不動産屋で働いてらんないな。まともな仕事を見つけないと、またネカフェに逆戻りになる。それだけは、絶対避けないと。
コーヒーを飲み干したものの、もはや味わう余裕はなくなっていた。
――こんな世の中、やっぱクソだわ。




