9月 火焔 ⑥
「この声、小峰君の声に似てない?」
ふいに名前を呼ばれて、雄太は顔を上げた。
勇蔵が部屋の隅のテレビを見ながら、扇子でしきりに顔を仰いでいる。
経費削減のため、事務所のエアコンの温度を上げているのだ。寒がりの道子には好評だが、雄太は汗をかきながら仕事をするはめになった。今も氷をなめながらパソコンに向かっている。
勇蔵は、テレビのワイドショーを見ている。
どこの局でも、昨日の討論番組で奥多摩の老人ホームの放火犯が電話をかけてきたことがトップニュースになっている。繰り返し、犯人の声が流された。
「この犯人の声、小峰君に似てるんじゃない?」
勇蔵がいたずらっ子のような表情を浮かべた。
本気で言っているわけではないと分かり、
「ええー、そうですかあ?」
と雄太はカン高い声を出しておどけてみた。道子が弾けたように笑った。
「もう、失礼ですよ、社長。雄太君が放火犯に似てるなんて」
道子は軽く勇蔵を睨んだ。
雄太が働き始めて1カ月も経たないうちに、道子は「雄太君」と馴れ馴れしく呼ぶようになった。雄太は内心うんざりしていたが、自分も「道子さん」と名前で呼ぶよう心がけている。
「冗談だって。にしても、こういう声の人はよくいるから、これだけで探すのは難しいだろうねえ。もっと変わった声の人ならともかく」
「そうですねえ」
「でも、この犯人の言ってること、本当なのかなあ。老人を一人殺せばお金をもらえるなんて、信じられないね」
「きっと、頭がおかしいんですよ、こいつ」
雄太は適当に勇蔵の話に合わせた。そのとき、杖を突いた高齢の男が一人、ガラス戸を開けて入ってきた。
「ああ、中川さんどうも、こんにちは」
勇蔵が愛想よく声をかける。
「あんた、言ってくれたのか?」
老爺は不機嫌そうに聞いた。背中が曲がっているので、睨むように勇蔵を見上げる。
「え?」
「あそこの新しい店の店長に、町内会に入るよう、話をしてくれるってことだったじゃないか。でも、一向に入らんじゃないか」
勇蔵はしばらく首を傾げて、
「ああ、カフェのオーナーのこと? 話はしましたよ。でも、自分の店のことで手いっぱいだから、町内会の集まりには行けない、だから参加しないって断られちゃってね」
と言った。
「そんな、向こうの都合なんて、どうでもいいんだよ。ここの商店街に入るからには、町内会に入るってのが常識なんだから」
「いやあ、昔はそうだったかもしれないけど、今はそんな常識、通用しないでしょ」
「そんなことはない。町内会に入らないのなら、ゴミ捨て場は使わせないって言っとけ」
「そんな無茶な」
勇蔵はあからさまに顔をしかめた。
「オレはそんなこと、言うつもりはありませんよ。言うなら中川さんが言ってくださいよ」
「会長はあんたじゃないか」
「それも、オレが仕事でいないときに、勝手に決めたことでしょ? オレはやりたくないって言ってんのに」
道子が老爺の前に冷たい麦茶を置いた。
すると、「なんで冷たいお茶なんだ。オレは温かいお茶しか飲まないんだ! 入れ直してこい」と老爺は声を荒げた。
「じゃあ、飲まないでください」
道子は冷静に返す。
「あなたはお客様でもなんでもないから、本当はお茶を入れてあげる必要はないんです。お茶を入れた人に感謝もできないなんて、随分心が狭いんですね」
「なんだと!?」
「まあ、まあ」
慌てて勇蔵が止めに入る。
「どうしたの、みっちゃん」
「いえ、今世間で襲われている高齢者って、こういう人なんじゃないかって思って」
「はあ? なに、なにを」
老爺は何か言おうとしたが、急に口を閉じた。
「襲われた老人を調べてみたら、元々周りから嫌われていた人が多いみたいですよ。殺される直前にもめごとを起こしていた人もいるって。今の中川さんみたいに」
「なっ、おまっ、そそそ」
老爺は動揺したのか、まともに反論できない。みるみる顔が赤くなっていく。
「みっちゃん、それはキツすぎないか?」
勇蔵が見かねて言うと、
「私、今起きている事件って、高齢者とそれ以外の世代とで分断されてしまったから起きたんじゃないかって思ってて。
若者が高齢者を軽んじてるってのもあるけど、高齢者は高齢者で、自分は年上なんだから敬えとか、自分が正義なんだって感じで、若者を排除するし。ゴミ捨て場を使わせないとか、ちっさなことを言ってね。
若者だって、高齢者が素晴らしい人物だったら、普通に尊敬しますよ。でも、そんな人はあんまりいない。それって、高齢者側の問題でもあるんじゃないですか」
と、淡々と道子は持論を述べる。老爺は何も言い返せない。
「もういいっ」
老爺は吐き捨てるように言って、出て行った。
「やるねえ、みっちゃん。助かったよ、あの人しつこいからさ」
勇蔵は大きく息をついた。
「別に、社長を助けたわけじゃないですよ。社長も、いつも中川さんの言うことを真剣に聞かずに『ハイハイ分かりました』って流してるから、いっつもトラブルになるんじゃないですか。嫌なら嫌だって言えばいいのに」
「まあ、そういうけどさ、町内会のつきあいも複雑なんだよ」
勇蔵は言葉を濁し、「お昼に行ってくる」と逃げるように出て行った。
道子はお茶を片付けている。
雄太はニヤニヤして、
「さっきの、カッコいいっすね。オレもあんなジジイ、襲われちゃえって思いましたよ」
と声をかけると、道子は眉をひそめた。
「別に、襲われちゃえなんて思ってないんだけど……高齢者を襲うなんて、卑怯じゃない」
道子の一言に、雄太は内心ムッとした。
「卑怯ってどういうことですか?」
「だって、相手は体力もないし腕力もない高齢者なんだよ? そんな弱い人を襲うなんて卑怯じゃない。言葉で反論すればいいだけだって思うけど」
道子の言葉は正論すぎて、雄太は「まあ、そうかもしれないけど」と弱くつぶやくのが精一杯だった。
時々、道子は毅然とした態度でしっかり反論することがある。弱いのか強いのか、分からない。
雄太は何も言い返せないと、ジワジワと悔しさがこみあげてくるのだった。




