9月 火焔 ④
「えっ、私、ですか?」
「それ、いたずらじゃないの」
鹿取が眉をひそめる。
「私もそう思って、電話に出てみたんですよ。そしたら、奥多摩のホームのことをやけに詳しく知っていて。玄関に書初めと鏡餅が飾ってあったって言うんですよ。書初めは『一歩、前へ』っていう言葉だったって」
「書初め?」
京子は目を閉じて、記憶の中から美園ホームの玄関の映像を引っ張り出した。
確かに、正月に園長の元が書いた書初めを玄関に貼っていた。毎年それが恒例なのだと、元は誇らしげに語っていた。
かなり達筆なので、「上手ですねえ」と京子は感心したのだった。
「介護の現場は大変なままで、国は全然動いてくれないけど、どんな状況でも前向きに生きていきたいっていう願いを込めたんだ」
元はその言葉を選んだ理由について、そう話していた。
「ありました、確かに。一歩前へっていう言葉でした」
「火事で玄関は焼けちゃったから、それを知ってるのは、火事の前にホームにいた人だけだろうって電話で言ってて」
ディレクターの言葉に、京子は大きく頷いた。
「確かに、そうです。それはお正月に園長さんが書いて貼ったので」
スタジオ内に緊張が走る。
「放火事件があったのはいつでしたっけ?」
「1月5日です」
「じゃあ、書き初めが飾ってあったのは、本当に数日間……」
京子は再度頷いた。緊張で動悸が激しくなってきた。
「本当なんですか、それ」と、鹿取は驚いて目を見開いている。
ディレクターは興奮した口調で、
「桂木さん、CMが終わったらその電話をスタジオにつなぐから、その電話の人と話してもらえませんか」
と京子ににじり寄った。
「えっ、急に言われても」
「警察にも連絡してあるんです。何か犯人につながる情報を聞き出せるかもしれないから、ここで出ないとチャンスを逃すことになる」
「でも、何を話せばいいのか」
「相手の話に合わせればいいんです。鹿取さんもサポートできますよね?」
「うん、わかった」
京子は鹿取とディレクターの顔を交互に見て、「分かりました」と言うしかなかった。
「すごいぞ、これはすごいことになったぞ」
ディレクターの顔は紅潮している。走ってカメラのほうに戻り、集まったスタッフに大声で指示を出している。
京子は目を閉じた。
「桂木さん、大丈夫だから。なんでもいいから話をすればいいから。何か聞きたいことがあったら、どんどん聞いちゃってください。僕もフォローします」
そう京子にアドバイスしながら、さすがの鹿取も緊張した面持ちになっている。
「CM終わりまーす」
ADの声がフロアに響き渡り、秒読みが始まる。京子は深呼吸した。鹿取が、少しうわずった声で話し出した。
「えー、桂木さんに話を伺っていたところでしたが、今、奥多摩の老人ホームの放火犯を名乗る人物から、局に電話がかかってきました。その犯人は桂木さんと話をしたいということですので、今、このスタジオに電話をつないでみます。電話はつながっていますか?」
鹿取がディレクターに確認すると、ディレクターは両手で大きく丸をつくった。
「もしもし?」
鹿取が問いかけると、数秒間、スタジオに沈黙が流れた。
「もしもし?」
再度呼びかけると、ひどい雑音とともに、「あー、もしもし」という男の声がスタジオに流れた。若い男の声である。
「あなたが、桂木さんと話したいと、電話をかけてきた人ですね」
「はい」
「奥多摩の老人ホームの放火は自分がやったと」
「そう、あれをやったのは、俺だから。1月5日の夜11時半ごろかな。玄関の植え込みにオイルをまいて、新聞紙で火をつけたんだよね」
男は高くて硬い声をしている。恐ろしい殺人を犯すような人物は、ドスのきいた低い声をしているのではないかと思っていた京子は、意外に感じた。
男は殺人を告白しているというより、まるで世間話をしているような調子で話している。
「ここにいる桂木さんは、美園ホームの職員だったと知っているんですね」
鹿取が質問を投げかける。
「テレビの報道で何回も見たからね。余計なことをしてるなあって思って」
「余計なこととは?」
「あんた、うるさいな。黙っててくんない? 俺は、そこにいる人と話をしたいんだから」
男は苛立ったように声を荒げた。鹿取の顔色が変わる。
「私と話したいって、何を話したいんですか?」
京子が呼びかけると、
「あんた、ロージンを助けようとしているでしょ。ムダなのにさ」
と、人を見下しているような口調で男は言った。
「ムダ? ムダってどういうこと?」
「今の日本はロージンが多すぎるから、数を減らしたほうがいいんだよ。今、俺達が払ってる年金は、今のロージンにつぎ込まれてるってこと、あんたも分かってんだろ? 俺達が養ってるようなもんじゃんか。
このペースでロージンが増え続けたら、俺達の金はどんっどん搾り取られていくだけだから。年金は必ずもらえるって政府は言ってるけど、俺達が年とったころのことなんて、政府が真剣に考えてるはずないし。そのときになって、一円ももらえなかったじゃ済まされないんだよ。
だから、今ロージンの数を減らして、社会のバランスをよくするのが一番だって」
「それなら、何も高齢者を殺さなくても、年金のシステムを見直せばいいじゃないですか」
「あんた、本気でそんなことできると思ってんの? 見直す、見直すってずっと言ってっけどさ、何も変わってないじゃん。それに、国民も年金特別便とかいうのをもらって、自分はもらえるんだって安心したとたん、何も言わなくなったじゃん。ダメなんだよ、誰も本気で考えてないって」
「でも、政権が変わったら、どうなるか分からないし」
「まあ、無理っしょ。公務員の改革だって、するするって言っておきながら、自由連合も民衆党もできなかったんだからさ。何もできないまま終わるね。
社保庁解体って言っておきながら、結局名前を変えて残ってんじゃん。だからロージンの数を減らして調節するしかないんだよ。
ロージンだって散々生きたんだからさ、もういいじゃん、ここらで死んでも。日本の将来のためにも、さっさとお亡くなりになってくれたほうがいいんだよ。100歳まで生きるなんて、冗談じゃない。ムダに長く生きても、迷惑なだけだからさ」
そのとき、京子の隣に座っていた高齢の元大学教授が、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「君ね、一体何様のつもりなんだ? 恥を知りなさい、恥を。戦後、日本をこんなに豊かな国にしたのは、私達なんだから。私達が一生懸命、汗水垂らして働いたから、日本は先進国になることができたんだ。君が今生活してられるのは、私達のおかげなんだっ」
「うるせえ、誰だよ喚いてるジジイは。お前も殺すからな、待ってろよ」
男から罵倒され、教授は次の言葉が出てこない。真っ赤な顔で体を震わしている。
――何か。何か言わなきゃ。
京子の体も小刻みに震えていた。足の指先が極度の緊張でじんと痺れている。




