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曇天。  作者: 凪


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9月 火焔 ②

 水野は会場をグルリと見渡す。


「私も早くあっちに移りたいんです。母もようやく乗り気になってきましたしね。

ですから、申し込みの受け付けは今月いっぱいとさせていただきます。期間が短くて申し訳ないんですけど。


 実は、先日別の場所でセミナーを開いたら申し込みがかなりありまして、オーストラリアの一戸建ては残り5棟、中古マンションが6部屋、それからシンガポールは……」


 水野が手帳を見ながら数字を読み上げると、会場に緊張が走った。残りの物件の合計は、今会場にいる人の半分もない。


「台湾は日本語が話せる人も多いし、食べものも日本と割と近いですね。だからとくに後期高齢者の方は台湾がいいかもしれません。オーストラリアやシンガポールは、週末にゴルフを楽しみたいとか、ショッピングを楽しみたいとか、まだまだ元気な世代にお勧めかもしれ」


「さっきの、さっきのオーストラリアの一戸建てで3番目に映ってた家、あれはいくらぐらい。あの青い屋根の」

 最前列に座っていた男が話を遮った。


「3番目……あれは……ちょっと待ってくださいね。資料では……ああ、ごめんなさい、あれはすでに予約が入ってますね」

「それじゃ、それじゃ、どの物件が余ってるの」


「オーストラリアの一戸建てなら、最初の緑の屋根の物件と、4番目と5番目の物件。4番目は赤い屋根、5番目も緑の屋根ですね」

「じゃあ4番目の物件はいくら」

「あれは……400万円です」


 男は立ち上がった。

「それ、申し込むわ。今ここで」


 会場がどよめいた。あちこちで「どうする」「そんな急には決められない」と相談する声が聞こえてくる。


 水野は満面の笑みを浮かべて、「ありがとうございます。それでは、セミナー終了後に残っていただけますか。手続きについてご説明します」と言った。


「それでは皆さん、本日のセミナーはここまでとなります。もちろん、今すぐに決めなくてもいいんですよ。お家に帰ってからご家族でゆっくりと話し合ってください。疑問点がありましたら、パンフレットにつけておいた名刺までご連絡ください……ああ、そうだ」


 水野は会場にいる人の顔を見回しながら、最後に声を落として付け加えた。


「今日ここで聞いた話は、絶対に他の人には言わないようにしてください。申し込みがこれ以上殺到すると、こちらも対応できませんし、皆さんに紹介できる物件が少なくなってしまうので。その点だけ、よろしくお願いいたします。それでは、本日はありがとうございました」


 水野が頭を下げるや否や、数人が前につめかけた。


「この台湾の物件について知りたいんだけど」

「シンガポールの中古マンションはいくらぐらい」


 それを見て、他の人もつられたように前に押し寄せる。会場から出ていく人は皆無だった。


「順番にお話は伺いますから、並んでお待ちください。私以外のスタッフも相談に応じます」


 水野は声を張り上げた。


「おい、押すなよ」

「ちょっと、並んでるんだから」

 あちこちで小競り合いが起こり、スタッフが慌てて止めに入る場面もあった。


***************


「榊原さん、今日の客はすごかったですねえ」


 榊原は煙草の煙を薄く吐きながら、ビルダーを睨んだ。


「この仕事をしている間は水野と呼べと言ったろ?」

「あっ、すみません。なんか、慣れなくて」

 ビルダーは頭をかいた。


「普段から慣れておかないと、気が緩んだときにポロッと出ちゃうからね」


 水野は煙草を消し、ウィスキーを一口飲んだ。一仕事終えたあとは事務所でウィスキーを飲むのが榊原の日課である。


「飲んでいいよ」


 榊原が空いているグラスを差し出すと、ビルダーは、「すみません、オレ、ウィスキーは苦手で」と申し訳なさそうに言う。


「ウィスキーって、どうもおいしいとは思えないんっす」

「このおいしさが分からないなんて、人生の半分は損してるな」

 榊原は軽く笑った。


「もう宿舎は襲わないんですか? 後はずっとセミナーだけ」

「そう。種をまくのは一瞬がいいんだよ。やりすぎると足がつくからね」

「なるほど。あの順君、なんだかんだ言って、宿舎の襲撃はまんざらじゃないって感じになってますよね」


「みんなが誉めてくれるからね。ああいうタイプは操りやすくて簡単だよ。小心者だし、騙されやすいし、ちょっと脅すだけで言いなりになるし。まあ、南にホレてるってのもあるけど」

「あんなビッチに、よくあそこまで入れ込めますよねえ。オレ、一回でいいやって感じでしたけど」


「それ、順君の前では、絶対に口にするなよ? 俺が寝たってのも秘密なんだから」

「分かってます。陰では公衆便所って呼ばれてるなんて、口が裂けても言いませんから」

「公衆便所でも、なくては困るからねえ」


 榊原はウイスキーを飲みほした。


「それにしても、今日はあんなに集まるとは思ってなかったね。前回のセミナーで『他の人には言わないでほしい』って言ったのが、こんなに効果があるとは思わなかったよ。言うなと言われたら、逆に誰かに話したくなる。『ここだけの話』って感じで、あちこちで話してくれたんだろうねえ」


「完売したって言った時、あいつらパニックになってましたね」

「完売も何も、元から存在しないのにね。きっと、買ってからも調べようなんて思わないんだろうな、あいつらは」

「ちょろいもんですね」


「ちょろいよ。これで明日からは忙しくなるな。事務所にジャンジャン電話が鳴り響いて、別の物件はないのか、問い合わせが殺到するからさ。そのときは、特別に用意したって言うようにね」

「ハイ」


 突然、電話のベルが鳴り響く。ビルダーが電話に出ようとしたのを榊原は制した。


「今日はいいよ。焦らすのも戦略のうちだからさ。明日対応すればいい」

「はあ」


 電話は20回ほど鳴って切れた。


「長かったですね」

「それだけ諦めきれないってことさ。今すぐに家を手に入れないと気がすまないんだろ」


 榊原が新しい煙草を取り出すと、ビルダーは素早くライターで火をつけた。榊原は「ありがと」と礼を言い、ゆっくりと煙草をふかした。


「そうだ、あのホームレスのおじさん、名前何ていうんだっけ?」

「山田とか言ってましたけど。名前は何でもいいって感じでしたね」


「山田さん、なんか演技うまくなってないか? 今日なんて、立ち上がって『買うわ』だって。最初のころは、棒読みって感じだったのにねえ」

「段々快感になってきたらしいですよ。自分の一言でみんなが騙されるのを見ていると、面白いって」


「ハハ、根っからの嫌なやつだね、あの人も。どっから見ても、くたびれたおっさんだし。いい味出してるよ」

「来週の大阪のセミナーはどうしますか?」


「そうだな。今までセミナーに参加した人がいたら困るから、適当に新しい画像を用意しておいてよ。名古屋でも福岡でも開くから、この調子で行ったら、数百人が来るかもね」

「分かりました」


「騒ぐだけ騒いでもらわないとね。俺らがこの国から脱出するために。そのために、あちこちで金を投資してるんだから」


 榊原は煙草の煙を天井に向かって細く吐き出した。


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