9月 火焔 ①
「本日は猛暑のなか、お集まりいただき、ありがとうございます。9月に入っても、まだまだ暑いですね。
皆さん、最近街を歩いていて異常だと思いませんか? お年寄りの姿が見えない。電車に乗ったら明らかですよね。優先席に座るお年寄りがいないから、若者が堂々と座っている。前は、うちの近くの公園で、お年寄りが集まってゲートボールをしていたんですよ。それが今は誰もいない。
お年寄りは買い物に出るのも怖がって、スーパーに配達してもらうようになったとか、生協の宅配サービスの利用者が急増したとか、ニュースで言ってました。本当に、恐ろしい世の中になったもんです」
都内の公民館の一室。50名ほど入る部屋に、立ち見が出るほど人が集まっていた。その多くは、60代から80代の高齢者である。ちらほら40代や50代の夫婦も混じっている。
「不動産コンサルタント 水野周」と書いてあるホワイトボードの前で、一人の男が熱弁をふるっている。みな不安そうな顔をしながらも、真剣に耳を傾けている。
部屋の外には、「不安に打ち勝つ自己防衛セミナー」と印刷された紙がドアに貼ってある。
「皆さんも、ニュースをご覧になって憤っているでしょう。罪もない高齢者をゲームのように殺すなんて、こんな狂った話はない。何でこんな世の中になってしまったんでしょう。
教育のせいですか?
政治のせいですか?
警察の取り締まりが甘いから?
いろんな理由があるでしょう。でも、政治が変わるのを待っていられますか? 教育なんて、もっと時間がかかる。
近々、解散総選挙があるっていう話もあるけれど、何も変わらないでしょう。政治家はみんな、自分が当選することしか考えてないし、与党になったらなったで、自分の親しい人にしか便宜を図らない。
私たちが爪に火を灯すような生活を送っているのに、首相の親友は補助金もらって豪遊してる。野党だって、与党になったとたん腑抜けになるのを、私たちは数年前に経験してますよね。政治じゃ、もう世の中を変えられないんです」
クーラーがついているにもかかわらず室内には熱気がこもっており、水野の額には汗が浮かんでいる。
話を聴きながら、ハンカチで汗を拭う姿や扇子であおぐ姿があちこちで見られた。
「もう、今の日本はどうしようもない。だから、自分の身は自分で守るしかないんです。私はね、戦後の日本を支えてきてくれたお年寄りが易々と殺されるのを見て、我慢ならないと思いました。戦時中は国のために戦った方もいるでしょう。もしかしたら、あなたもそうではないですか」
水野は、一番前の席に座っている80代ぐらいの男に声をかけた。
「そうです、私は満洲に行きました」
「そうでしょう。そうやって自分の命を犠牲にしてでもこの国を、自分の家族を守ろうとした方がいる。そんな方々を無節操に殺すなんて、そいつらは人間以下ですよ、犬畜生ですよ。つかまえて全員死刑にするべきです」
パラパラと拍手がわき起こる。水野に声をかけられた男は、何度も深くうなずいている。
「でも、しばらくこの混乱は続くでしょう。そこで私は考えました。一人でも多くの方に生き延びてもらうためには、どうすればいいか」
水野は教室の隅にいた男に目配せをした。その男は出席者に封筒を一部ずつ配り始めた。
「皆さん、お配りした封筒を開けてみてください。中には数冊のパンフレットが入っています。
私は以前、旅行代理店に勤めていたんです。台湾、シンガポールやオーストラリアといった海外の支店に勤めていて、そこで出会った現地の人たちとは今も交流を持っています。
その人たちに相談したんです。日本では今とんでもないことが起きている、日本人が一時的に避難する場所はないだろうか、と。そうしたら、何人かが賃貸マンションや分譲住宅を紹介してくれたんです。
これが、そのパンフレットです。台湾、シンガポール、オーストラリアの物件を紹介しています」
会場の人たちは戸惑った様子でパンフレットをパラパラとめくったり、互いに顔を見合わせている。
「つまりですね、一時的に日本から離れるということなんです。旅行とかではなく、数か月滞在する。もちろん、気に入ったらそのまま永住してもいいでしょう。
分譲も、今は世界的な不況の影響で、ものすごく安く買えるんです。日本に戻る頃には景気が回復しているかもしれませんから、高値で売却できるかもしれませんね」
会場にいる人々は、さらに困惑した表情になっている。なかには、眉をひそめて、明らかに不審そうに話を聴いている者もいる。
水野は敏感にその空気を感じ取り、
「いきなり海外に住むなんて言われても、戸惑いますよね。そんな簡単にできることじゃありませんから」
とフォローした。
「でも、このまま日本にとどまっていたら、明日は自分がターゲットにされてしまうかもしれません。巣鴨でおばあさんが刺され、日本のあちこちで買い物や農作業に出かけた高齢者が襲われている。
それじゃあ、老人ホームに入れば安全かというと、そうではないことは皆さんもご存じでしょう。老人ホームがターゲットにされてるから、逃げだす人が増えてるんです。
今でも、連日どこかで高齢者が殺されたというニュースばかりです。ニュースを聞いてもまたかという感じで、すでに国民の感覚は麻痺している。恐ろしいことです。
電車で隣に座っていた若者が、いきなり包丁で襲ってくるかもしれない。そんな恐ろしい世の中になったんです。それなのに、国は真剣に対策を考えているわけではない。これでは見殺しにされるようなもんです」
緊迫した表情で、大げさなジェスチャーを交えながら熱弁をふるった後、水野はふっと表情を緩めた。
「実は、私も海外に脱出しようと考えているんです。私はオーストラリアなんですけど、すでに向こうに家を買ってあります。妻と子供はもう向こうに行って暮らしてるんです。
昨日もメールが届いて、こっちはポカポカして暖かいって言ってました。向こうは南半球だから、8月が冬で、12月は夏なんですよね。今は冬があけて、春が来たころだから、移り住むのにちょうどいい季節なんです。
でも、肝心の親が向こうに行きたがらない。うちの母親は82歳です。だから、海外に行っても言葉がわからない、ご飯だって合わない、具合が悪くなって病院に行くときはどうすればいいんだ、そんなことばっかり言って、行きたがらない。
そこで私は考えました。高齢の母が安心して海外で住むにはどうすればいいのか。それについては、スライドをご覧ください」
部屋の電気が消され、ホワイトボードの横に設置してあったスクリーンに映像が映し出された。
「これが、私が買った家です。オーストラリアの首都、シドニーの街の中心地から車で30分ぐらい走ったところにあります。中古なので、日本円にして300万円ぐらいでしたね。安いでしょう。
実はこれ、失業してローンを払えなくなった人の物件を値切って買ったんです。日本と違って、海外は中古の物件は丁寧に手入れしてあるから、全然古い感じがしないんですよ。ホラ、リビングはこの広さ。15畳もあるんですよ」
映し出された部屋の画像を観て、あちこちから「ほう」と声が上がる。
「これがキッチン、これが書斎、これが寝室、バスルーム、庭はこんな感じです。ああ、ここに写っているのは私の息子です。庭にブランコがあるって大喜びで、引っ越しの荷物を解く前に遊んじゃってるんですよね」
会場に軽い笑い声が起きる。次々に切り替えられていく画像を、会場にいる人たちは身を乗り出し、食い入るように見つめている。
「ねえ、中古でも住むには十分でしょう。私はずっと住むつもりではなく、日本の混乱が収まったら家を売って日本に戻るつもりです。だから高い新築の家を買う必要なんかない。300万円で家族の命が救えるなら、安いもんです」
次に一軒の家の画像が映し出された。
「この家は、私が買った家の、お隣です。入口のところにフォーセールって書いてあるでしょう? ここも空いてるんです。実は、この界隈はこの手の物件がたくさんあるんです。ローンを払えなくなって、家を手放した人たちの家がたくさんある。
そこで、私はこれらの家を日本人が買えばいいんじゃないか、そうしたら日本人のコミュニティができるから、高齢者でも安心して住めるんじゃないかって考えたんです。やっぱり、まわりみんな外国人で、自分だけ日本人じゃ、心細いですからね」
スライドは物件の画像から、スーパーの画像に変わった。
「この周辺の環境はですね、車で5分ぐらいのところにこんな大きなスーパーがあります。病院は、総合病院がやはり車で5分ぐらいのところにありますね。ここでコミュニティをつくれば、お互いに助け合うことができる。
たとえば、足の悪いお年寄りと一緒に車で買い物に行ったりとかね。昔の日本はご近所で助け合って生きてたんだから、海外で助け合って生活すれば、お年寄りでもやっていけると思うんです。
で、効外だから緑が豊かです。環境は本当にいいですね。こんなに広い公園もある。
次は中古マンション。ご夫婦二人の場合、一戸建てじゃ広すぎるでしょうから、マンションがいいかもしれませんね。これもシドニーの物件です。市の中心地に近いんですが、静かでいいところです。ただ、値段はちょっと高めですけどね」
続けて、台湾やシンガポールの物件を紹介した。会場の人々は、時折感嘆や驚きの声を上げながら熱心に見入っていた。
「もちろん、海外で住むにはいろいろな手続きが必要です。それをすべて私の会社で代行いたします。
手数料は物件ごとに要相談なんですが、引っ越しはお金がかかりますから、私たちがいただく手数料は可能な限り抑えたいと考えてます。私も皆さんの隣人になるかもしれませんしね」
スライドが終わり、会場に電気がついた時、人々は夢から醒めたような顔をしていた。




