8月 火映 ⑧
順二は、会社の食堂のテレビをぼんやりと見ていた。
ざるそばを頼んだものの、まったく食べる気になれなかった。
テレビでは、一昨日の深夜に起きた、老人ホームを焼け出された高齢者が身を寄せていた学校の放火事件を報じている。
34人の死者を出し、78人が重軽傷を負って病院に運ばれたという。
学校には警備員がいなかったので、東京都の管理が甘かったのではないかと、さっそく都知事がやり玉に挙がっている。今、テレビでは年金機構の職員宿舎の話より、放火の話題のほうを大きく取り上げているので、順二は少し安堵していた。
「元美園ホーム職員 桂木京子さん」とテロップで紹介されている女性が、焼け焦げた校舎をバックに、涙ながらにインタビューに応じている。
「私も、ここに毎日来て、お手伝いしてたんです。私がいた、美園ホームの入居者さんも、ここで暮らしていて……。ホント、ひどいです。皆さん、行き場がなくなってここに来たのに」
「その、元のホームの入居者さんは、今どちらに」
「病院で手当てを受けてます。二人とも、2回も火事に遭うなんてって、すごいショックを受けていて」
涙を拭いながらも、インタビューにはしっかり答えている。
「この子、かわいいよな。京子ちゃん」
同僚の大野が、順二の前の席に座った。
「この子、本も出してたから、買っちゃった。読んでないけど」
「へえ」
順二は力なく答えた。
「お前、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
大野が心配そうに言う。
「ああ……実家で、いろいろあって」
「そうか、大変だな。何かオレにできることがあったら、言ってくれ」
「ありがとう」
大野は箸を割り、カツ丼定食を流し込むような勢いで食べ始めた。
学生時代にラグビー部だったという大野は体つきががっしりしていて、いかにも体育会系という雰囲気である。その名残か、いまだに早食いから抜け出せないという。
「そういえばさ、年金機構の強盗事件、あれ、すごいよな」
大野は口の中に食べ物が入っているのに、構わずにしゃべる性格である。
順二は軽く顔をしかめ、
「ああ、新聞で見た」
と返した。
「あれさ、カッコいいよな。ネットでも、すっげえ盛り上がってんだよ。官僚なんて、オレらの税金から給料もらってさ、いい暮らし送ってるんだし。年金だって、自分たちはガッポリもらえるんだろ? だから、ほかの年金機構の職員宿舎も、イタズラされてるんだって。落書きされたり、ゴミ捨てられたりしてるらしいぞ」
「へえ」
順二は、意外な成り行きに内心ものすごく驚いていた。
「でも、テレビでは昨日から放火事件ばっかやってるだろ? これ以上官僚が攻撃されたら困るから、強盗事件はなるべく報道するなって、官僚がマスコミに言ってるんだってさ。ネットでの噂だけど」
「へええ」
大野は高速で食べ終わり、席を立った。
「ごっそさん。ちゃんと食べないと、倒れるぞ」
「ああ」
大野の後姿を見ながら、順二は信じられない思いだった。
――カッコいいだって? 俺のやったことが? 本当か?
食堂を出て仕事に戻る途中、スマフォが震えた。着信の表示を見ると、一博からだった。
「元気か。なんだか、でっかい事件ばっか起きてるな」
一博は、張りのない声をしていた。両親が亡くなってから、ずっとこんな調子である。
「ああ」
「年金の職員宿舎を襲ったってやつ、ひさびさに胸がスッとするニュースだったよ。親父も公務員は大嫌いだって言ってたからな。税金泥棒だって」
「ふうん」
順二は平静を装いながら、相槌をうつ。
――大丈夫だ。どう考えても、兄ちゃんに俺が犯人だとバレるわけないんだから。
一博は改まった口調で、「ところで、仕事はどうだ」と尋ねた。
「ああ、まあ、なんとか」
順二は曖昧に返した。
「あのさ、言いづらいんだけど、金を少し貸してくれないか。かみさんに渡す生活費がなくてさ。少しでいいんだけど」
一博は、申し訳なさそうに言った。順二は榊原から追加でもらった金を思い出した。
「いいよ。どれぐらい必要?」
「そうだな、5万円貸してもらえると助かる」
「10万ぐらい貸せるよ」
「えっ、いいのか?」
「うん。最近、ムダ遣いしてないから、結構貯金があるんだ」
「悪いな、ほんと。この間借りた分も、余裕ができたら分割払いしてでも、必ず返すから」
「いいよ、いつでも」
順二は電話を切った。
――あんな犯行、世界中から責められると思ったのに。なんで、みんな誉めるんだ?
奇妙な気分だった。
どうやら、世の中の人は想像以上に官僚を憎んでいるらしい。
――あいつは、それを分かっていて、あそこを狙ったのかな。
だが、どう考えても、自分がやったことは取り消せない。順二は重いため息をついた。
その日の夜、順二は榊原に封筒を差し出した。
強盗した日、最初に榊原からもらった金である。
榊原は不思議そうな顔をしている。
「この、このお金、南に渡してもらえませんか」
順二は榊原の目を見られず、封筒を見ながら頼んだ。
「オレが南と会ったら、南に危害を加えるんですよね。だったら、あなたから、南にお金を渡してあげてください」
そばで聞いていたビルダーが、「ブホッ」と変な声を出し、咳き込んだ。榊原は、ビルダーを睨む。
「分かりました。そこまで言うのなら、私から南にお金を渡しましょう。知人の引っ越しを手伝ってもらったってことにしておきますよ」
「南、借金で困ってるんで、早く渡してあげてください」
「分かりました。すぐに連絡して振り込みますよ」
順二は軽く頭を下げて、隣の部屋に行った。
ビルダーが堪えきれずに、口を手で覆いながら笑い出す。
「おい、声を落とせ」
榊原が注意しながら、自分も「フッ」と噴き出した。
「すみません、ガマンできなくて……だって、その金、南に渡さないでしょ?」
ビルダーが声を潜めて言う。
「当たり前じゃないか。南は既にたくさんオレから金を借りてるんだから。投資した金を即回収するという、この見事な手際、我ながらホレボレするねえ」
榊原はニヤニヤしながら、スマフォをいじっていた。
順二が簡易ベッドの上で横になっていると、スマフォが震えた。
南からのメッセージだった。
順君、榊原さんから聞いたよ。
お金を送ってくれるなんて、ありがとう。
10万円なんて大金、嬉しい!
これで、今月は何とかなると思う。
日本に帰ったら、すぐ会いに行くね!
南からのメッセージを、順二は何度も読み返した。南の役に立てたのが、何よりも嬉しかった。
順二は、南に榊原のことを警告しようかと思った。
しかし、南が榊原を問い詰めたりしたら、何をされるか分からない。自分はここを生きて出られないかもしれない。
そう考えて思いとどまり、簡単なメッセージを送り返した。
南、会いたいよ。
順二がメッセージを送ると、すぐに「私も。明後日には帰るね」と返って来た。
「明後日……」
南に会いたい。会って、抱きしめたい。
だが、榊原には当分会うなと言われている。
「どうすればいいんだ」
順二は頭を抱えた。
部屋の中はうっすらとクーラーが効いているけれど、日中の暑さが残っていて、蒸し暑い。しかも、順二にあてがわれたスペースには窓がないので、余計に気が滅入る。
――頭がおかしくなりそうだ……。
「南ぃ」
順二は力なく天井を見上げていた。
年金機構の職員宿舎の襲撃事件から一週間後、首都圏の公園や地下道で、ホームレスに10万円ずつお金が配られるという珍事が相次いだ。
寝ているときに体の下や服のポケットの中に、お金が入った封筒が突っ込まれていたのである。
「神様が恵んでくれたんだ」と感謝するホームレスもいたという。
誰が、何の目的でお金を配ったのか。
それが明らかになるのは、まだ先の話である。




