8月 火映 ⑦
『日本年金機構の職員宿舎 襲われる』
順二は一面の見出しを読んだだけで、すぐに新聞を放り出した。
榊原は新聞を拾い上げ、満足そうに微笑みながら記事を読んでいる。
ここは榊原の事務所である。
鶯谷の古びた雑居ビルにある一室で、まわりを雑居ビルやマンションに囲まれているので、昼間でも日が差さずに薄暗い。ほかのフロアに入っている会社も、風俗店や実態があるのかどうか怪しげな会社ばかりである。
玄関から入ると小さなキッチンとトイレがあり、10畳ほどのフロアがあるだけの狭い部屋だ。そこを事務所と、順二が暮らすように命じられたスペースとで区切っている。
事務所には黒い革張りのソファセットと、パソコンが置いてあるデスクぐらいしかない。
「昨夜は、眠れましたか」
榊原は、「朝食に」とサンドイッチと牛乳を勧めたが、食べる気など起きない。
順二は無言でソファにぐったりと凭れかかっていた。
「まあ、環境が変わったら、慣れるまで時間がかかりますからね」
涼しい顔で言って、榊原はツナサンドを頬張りながら、スマフォをいじっている。
「ツイッターでは、昨日のニュースは大騒ぎになってますよ。カッコいいって」
「えっ、何ですか?」
順二はかすれた声で聞き返した。
「年金機構の職員宿舎を襲うなんてカッコいい、もっとやれって、盛り上がってんですよ」
榊原はスマフォを順二に渡した。見ると、確かにツイッターでは「年金機構襲撃」というハッシュタグがついて、投稿が殺到しているようだ。
すっげえ、カッコいい。だって、人を誰も傷つけずに、モノとカネだけ持ち出したんでしょ?プロだよなあ。
ホントは、こんなこと言っちゃいけないんだろうけど……官僚を襲ったって聞いて、ざまあみろって思った。久しぶりにスカッとした気分。
あいつら、人の年金でのうのうと暮らしてるんだろうな。俺たちが高齢者になるころは、年金なんてほとんどもらえないのに。だから、痛い思いをしたんだとしても、何とも思わない。
好意的な意見が圧倒的に多くて、順二は驚いた。
「ね、やった甲斐があるってもんでしょ。世の中の人はみんな、官僚に頭来てるんですよ。ムダな公共事業や天下りなんてなくす気配もないのに、あちこちから税金を取ってますからね。自分たちは高給取りだし」
榊原はアイスコーヒーを飲みほした。
「まあ、今日はまだお盆休みだし、一日ここでゆっくりしててください。明日からは仕事でしょ?」
――なんで、そんなことを知ってるんだよ。
順二はげんなりした。
「会社はここから通ってもらいますよ。もちろん、会社への送り迎えは、うちの者にしてもらいますから。くれぐれも、変な気を起こさないでくださいね」
「変な気って」
「警察に行くとか、ね」
「だから、行く気はないって……」
「ホントはねえ、私だって、こんなことはしたくなかったんですよ。でも、順二君、顔を見られちゃったでしょ? あれはマズかった。あれで、順二君は指名手配犯ですよ」
「えっ」
「だから、ここにかくまうのは、むしろ親切心なんですよ? 警察に見つからないようにしてるんです。そのことを忘れないでいただきたい。顔を見られたのは、あなたの不注意ですからね」
「……」
――いやいやいや。そもそも、強盗にオレを巻き込んだ、あんたが悪いんじゃ?
そう言い返したくても、できない。
両親を亡くした順二に目をかけてくれている、親切な男性だと今まで思っていた。どこかで父親のように思って慕っていた部分もある。
それが、何を考えているのか分からない、得体のしれない人物だったとは。
順二はビルダーに蹴られた腹の痛みに耐えながら、一晩中、今までの榊原の行動を振り返ってみた。
しかし、どこにも怪しげなところはない。
ツイッターで両親を亡くした家族会の集りに声をかけてくれたのも、他にも数件そういう誘いはあったので、珍しいことではないだろう。
――あの集まりに来てる人たちは、榊原が怪しい人ってことを知ってるのかな。みんなも、騙されてるんじゃ。南も、もしかして、陰でひどい目にあってるかもしれない。南に聞いてみないと。
「ああ、くれぐれも言っておきますが、昨日のこと、誰にも言わないでくださいね。南さんにも」
心を見透かされたようで、順二はドキッとした。
「昨日も言ったけど、南さんとは、古いつきあいで、それなりに信頼関係があるんでね。それに、あなただって犯罪に加担したなんて、知られたくないでしょ?」
「……」
「そういえば、順二君のお兄さんと弟さん、大変ですね」
「……え?」
「お兄さんは一博さんって言って、実家の印刷会社を畳んで、今は就活中でしょ? 自己破産もしたから、奥さんとお子さんは実家に帰ってしまってる。コンビニのアルバイトをして食いつないでるんですよね。弟の裕三さんは、親御さんが心中したショックで、会社に通えなくなってるんですっけ。お兄さんが面倒見てるんですよね。大変ですよねえ、本当に。そんな苦労を物ともせずに働くお兄さんを尊敬しますよ」
血の気が引くって言うのはこういうことなのか、と順二は思った。
――これって、脅し、だよな。
何もかも知られている。もう、逃げようがないのだ。
「え、あの、なんで」
「ハイ?」
「なんで、オレに、こんなこと」
――オレ、あんたに恨み買うようなこと、何もしてないよね?
榊原は順二が何を言いたのか悟ったようで、気味の悪い微笑を浮かべた。
「それは、順二君が適任だと思ったからですよ。まじめで一生懸命な順二君なら、きっと私の仕事をサポートしてくれるだろうって思って」
――そんなの、仕事によるよ!
「南さんにも、しばらく会うのは難しいでしょうね」
「そ・そんな、南は関係ないじゃないですか」
「でも、南さんに会ったら話したくなるでしょ?」
「いや、そんなこと」
「まあ、おとなしく従ってくれるのなら、誰にも危害は加えませんよ。私も鬼じゃないですから」
榊原は、カラカラと乾いた笑い声を立てた。
順二は思わず天井を仰いだ。
――なんで、こんなことになったんだろ……。




