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曇天。  作者: 凪


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6月 火影 ⑦

 松金フミは、町田から友人4人と共に、巣鴨に遊びに来ていた。 


 雨が強くなってきたが、今さらスケジュールを変えるわけにはいかない。

 傘を差し、横一列に広がってのんびりと歩きながら、高岩寺に向かっていた。早くとげぬき地蔵に行って、甘味屋であんみつでも食べようとみんなで話していた。


「それにしても、何の罪もない老人が襲われるなんてねえ。老人ホームに入れないなんて、今は元気だけど、何かあった時に困るわよね」


 とげぬき地蔵に向かいながら、フミは友人に話しかけた。


「ほんと、恐ろしい世の中になったわ」

「昔は、もっと世の中がのんびりとしていたのにねえ」

「そうそう、車もこんなに走ってなかったしねえ」


 友人が口々に話し出す。


「お地蔵様に守ってくださいって、しっかりと拝まないとね。後、赤いパンツを買うの。今年のお正月に来たときに買ったら、すごく履き心地がいいのよね、暖かくて。東洋医学では、赤い色は体を温めるって言うでしょ。だから、赤いパンツをはくだけで丹田に力が自然と集まって、健康になれるんですって」


 フミがもう何度話したか分からないパンツの話をすると、友人はみなうんうんと頷き、「その店に行くのが楽しみねえ」「早くお参り済ませないと」と応じた。


 高岩寺に着くと、年寄りが数人、傘を差しながら、洗い観音をタオルでこすっていた。


「斉藤さん、とげぬきに来るの初めてなんでしょ、こっちこっち」


 フミは友人の一人を洗い観音の前に連れて行き、「これでこするのよ」とタオルを渡した。


「あら、たわしじゃないの?」


 その友人がタオルを受け取りながら尋ねると、

「昔はたわしでこすってたんだけど、観音様がすりへっちゃって、お顔がなくなっちゃったのよね。だから、これは二代目なの」

 とフミは教えた。


「へえ、そうなの」

 感心する友人の様子に、フミは満足した。


 フミと友人達は丁寧に観音をこすり、フミは観音様に向かって手を合わせた。


 ――最近は高齢者が狙われる怖い事件が相次いでいます。どうか、何事もなく寿命をまっとうできるよう、お守りください。それから、娘夫婦の家族もお守りください。孫は今年大学受験で……。


 数分間、祈っていただろうか。

 祈りを終え、目を開けると、友人達の姿は消えていた。フミのお祈りが終わるのを待ちきれずに、どこかを見に行ってしまったのだろう。


 ――もう、何も分からないのに、勝手に行動して。


 心の中で舌打ちをし、歩き出した時、レインコートを着た若い男が前から歩いてきた。


 ――アラ、珍しい。こんなところに若い男の子が来るなんて。


 フミは何気なくその男の顔を見た。

 野球帽を深くかぶっているので、表情までは見えない。背は低めで、かなり太っているのはレインコートの上からも分かった。

 フミは、その男も観音様をこするのだろうと思った。


「あの」


 すれ違いざまに、話しかけられた。フミは立ち止まり、振り返った。


 その時――。


 胸の辺りに衝撃を受けた。何かがぶつかったのだろうと胸を見ると、包丁が突き立っている。男は素早くその場を立ち去った。

 フミはそのまま動けずに固まっていた。


「フミさん、ねえ、あっちに」


 呼びに来た友人がフミの姿を見つけ、近寄ってきた。そして、フミの胸に突き刺さっている包丁を見た。


「えっ、やだっ、ちょっと、フミさん」


「何、これ」


 フミはつぶやき、友人の顔を見て、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。傘が手から滑り落ちる。

 友人の叫び声が辺りに響き渡る。


 ――赤いパンツを買いに行かないと。隣の大木さんにも、二丁目の原田さんにも頼まれているから、全部で5枚。大木さんには2枚、原田さんには1枚、私の分は……。


 薄れゆく意識の中で、フミは最期に「……パンツ」とつぶやいた。



 その日、透は6時過ぎに戻ってきた。玄関の鍵を開けて家に入り、階段を静かにあがって自分の部屋に入ろうとした。

 二階の廊下にいた久美子はギクリとして足を止めた。


「……ああ、ビックリした、暗かったから」


 久美子は慌てて壁のスイッチをつけた。廊下が明るくなる。

 透はアニメのキャラクターが書いてある紙袋と、コンビニの袋を持っていた。


 久美子はコンビニの袋を見て、「ご飯、買ってきたの?」と小さな声で尋ねた。

 平静を装おうと思っても、声に震えが出ている。あわてて咳をしてごまかした。


「うん」

 透は短く答えた。


「そう」


 それきり久美子が黙っていると、透はドアを開けて部屋に入った。久美子は全身で息をついた。いつの間にか、脇の下に嫌な汗をかいている。


 ――大丈夫、あの袋を見つけたことには、気づくはずはないんだから。大丈夫よ。

 自分に言い聞かせて、階段を下りた。



 透は部屋の電気をつけると、かすかな部屋の異変に気づいた。

 

 ――なんかおかしい。

 

 あちこちを見回し、ベットの脇に積み上げられているマンガの山に目をやった。

 

 ――順番が違ってる。オレは『みるき~うぇい』を一番上にしていたはずなのに。


 同じように積み重ねてはあるが、順番がバラバラになっていた。


「あいつ、部屋に入ったな」

 透は舌打ちした。


 そして、「もしかして」と床に張りつき、ベッドの下を確認した。そこには、ゴミ袋が押し込んである。引きずり出し、中を確認してみる。


「これには気づかなかったんだな」


 つぶやき、またベッドの下に押し込んだ。

 ベッドに座ると、スマホでLINEにコメントを打ち込む。


 みるき~   

 報告遅くなりました。

 巣鴨で一人やってきました。

 とげぬき地蔵に来ていたババアです。

 紫の髪の色の派手な害虫でした。

 包丁を刺したまま逃げてきました。

 これで証拠になりますか?


 メッセージを送信してから、ベッドに横になる。

 久しぶりに遠出をしたせいか、疲れで体が重い。たちまち眠気に襲われた。


 目覚めると、8時を過ぎていた。いくつかメッセージが届いていた。


 胸焼け   

 巣鴨の事件、3時ごろには報道されてましたね。

 うちのメンバーじゃないかな、と思ってました。

 包丁は刺さったままという情報と、被害者の顔写真は、夜のニュースで出ました。

 確かに髪は趣味の悪い紫色ですね。

 みるき~さん、これで二人目ですね。

 前回のネンキンもまだお支払いしてないので、2ネンキンをお渡しします。

 都合がよくなったら、いつでも連絡してください。


 代表   

 すごいですね、真昼間の巣鴨で、よく顔を見られずに逃げられましたね。 

 みんな害虫駆除を控えていたから、久々の快挙です。


 クジョレッド 

 巣鴨で殺すなんて考えつかなかった。

 そうだよな、あそこはジジババがウジャウジャいるんだから、

 いくらでも殺せるよなあ。

 でも、これだけ騒ぎになっちゃ、難しいか。


 透は読みながら口元がほころぶのを感じた。嬉しくて、何度もメッセージを読み返す。

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