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曇天。  作者: 凪


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6月 火影 ⑥

 昼休みに「昼を食べたら、そのまま取引先に行く」と部下に言い残し、隆太郎は家に戻った。久美子が青い顔をして出迎える。


「透は」

「まだ帰ってきてない」

「そうか」


 二人は透の部屋に入った。部屋の様子を見て、隆太郎は「なんだ、ひどい有様だな」と顔をしかめる。

 久美子はベッドの下からゴミ袋を取り出した。隆太郎は結び目を解き、中からジャンパーとジーパンを取り出す。


「――確かに血だな」

「ええ」

「ほかには何も入ってなかったのか」

「ええ、それだけ」

「そうか」


 隆太郎は服をゴミ袋に戻し、元のように持ち手を結んだ。手が震えて、結び終えるまで時間がかかった。


「これって、やっぱり、この間公園で殺されたお婆さんの」

「さあな。怪我しただけじゃないか?」

「そんな、怪我したのなら、隠す必要ないじゃないの。それに、こんな血が出るほどの大怪我だったら、さすがに言うでしょ」

「ひきこもってるんだから、何が起きても俺には分からんよ」


 隆太郎はゴミ袋を久美子に渡した。


「警察には電話するの? それともこれを直接持って行く? この間来てた警察の人、なんて名前だったかしら」

「警察? 冗談じゃない」


 隆太郎は目を吊り上げた。


「凶器があるわけじゃないし、これだけじゃ何とも言えんだろ。思い込みだけでそんなに騒ぐなって」


 久美子は目を見張った。


「あなたまさか、このままにしておくつもり?」

「当たり前だ。透の血だったら恥かくだけだぞ」


「だから、こんなに大量の血が出てたら、普通は気がつくでしょ? それに、ベッドの下に服を隠してるなんて、おかしいじゃないの。一度警察に相談したほうが」

「お前、今の状況が分かってるのか?」


 隆太郎は苛立ち、声を荒げた。


「俺は数年後には常務になれるかもしれないんだぞ。常務になれば、ゆくゆくは社長にもなれる。ここまで来るのに、どれだけ苦労したと思ってるんだ。ここでもし、息子が殺人犯だなんて話になってみろ、昇格どころか地方に飛ばされるぞ。それどころか、リストラされるかもしれない」


「そんな、だって、それじゃ殺されたおばあさんの家族はどうなるの? 犯人を探してるんじゃないの?」

「この間の話じゃ、嫌われてたみたいじゃないか。家族もいなくなってホッとしてるんじゃないか? むしろ犯人に感謝してるかもしれないし」

「そんなの、分からないじゃないの」


「そんなに責任取りたけりゃ、お前が一人で取れよ。オレは関係ないからな。何も見てないし、知らないと言い張るからな」

「関係ないって、何よそれ。それじゃ、あなたは人殺しと一緒に住んでいられるって言うの? 私は、嫌。あの子、何考えてるのか分からないじゃない。自分も狙われるかもしれないのに」


 久美子は隆太郎に詰め寄った。


「私は警察に言うから。このままにしておくなんて、怖くてできない」


 隆太郎は思わず久美子の頭を拳骨で殴った。久美子は「痛っ」と頭を押さえる。


「お前な、もっと現実を見ろよ。もし透が捕まったら、ここにはもう住めなくなるんだぞ。近所からは好奇な目つきで見られて陰口を叩かれ、それでも平気で暮らしていけるか? まだローンも残っているこの家を売り払って、どこに行くつもりだ? それに、俺が仕事を干されたら、どうやって生活していくんだよ。お前はそこまで考えて警察に言うなんて言ってるのか? ガーデニングなんて、もう一生できなくなるんだぞ」


 久美子は頭を押さえたまま、俯いている。


「それに、今さら警察に行ったところで、なんで今まで隠してたんだって疑われるかもしれないじゃないか。俺らも共犯にされるかもしれない。冗談じゃないよ、そんなの。お前は捕まってもいいのか? 刑務所暮らしをしてもいいと思ってるのか?」


 隆太郎がまくしたてると、久美子は体を震わせて泣きだした。

「そんなに、責めること、ないじゃない」

 嗚咽を漏らしながら、隆太郎に抗議する。

 その様子を見ると、隆太郎は一転して、優しい声音でゆっくりと言い聞かせた。


「いいか、黙っていれば、誰にも分かりゃしないんだから。透にもな。透も、外では人を傷つけたのかもしれないけど、俺たちには何もしてないだろ? 知らんふりしてりゃ、今まで通りですむんだから。そのばあさんには、気の毒だけどな」


 久美子は涙に濡れた瞳で隆太郎を見上げた。

 昔は、久美子が涙を見せたら隆太郎は慌てふためき、必死で慰めて抱きしめたものだった。だが、今はうっとうしいという感情しかわいてこない。


「な、黙ってれば、誰にも分かりゃしない。大丈夫だから」

 隆太郎は久美子の肩を軽く叩いた。

「悪かったな、ついカッとなって、殴っちゃって」


 久美子は、なおもしゃくりあげる。隆太郎は腕組みをして黙り込んだ。壁にかかっている時計の音が、やけに大きく響き渡る。


「それじゃ、私たちは何も知らないってことにすればいいのね?」

 ややあって、久美子が涙を拭きながら低い声で呟くように言った。


「ああ」

「あなたが、そう決めたんだからね。私はどうなっても知らないから」


 久美子は口をへの字に結び、ゴミ袋をベッドの下に押し込み、部屋から出て行った。

 隆太郎は大きく息をついた。


 ――まったく。あいつは、目先のことしか考えられないんだから。いつかあいつも、この決断が正しかったってことに気づくだろう。


 隆太郎も床に積み上げた本を崩さないように、部屋の外に出た。


 ――親不孝者め。なんで、あんな息子が生まれちまったんだ。本当に俺の子かよ。ったく、久美子の子育ての仕方が悪かったんだろうな。


 窓の外では大粒の雨が降り始めていた。雨粒を見ながら、もう二度と透とは関わりあいになるまいと隆太郎は心に決めた。


 ――就職なんかさせたら、会社で何するかわからんな。もう、あいつは一生部屋に閉じこもっていればいいんだ。それが一番、世間に迷惑をかけずにすむ方法なのかもしれんな。

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