6月 火影 ②
隆太郎は家に入ると、怒りを隠そうともせず、ドスドスと足音を立てて階段を上る。久美子は慌てて後を追う。
寝室に入ると、
「あなた、どうしましょう」
と、久美子は小声で言った。青くなって震えている。
「あの子、まさか」
「バカッ、透が人を殺せるわけないだろ。あいつは昔から、虫さえ殺すのを怖がるぐらい、臆病だったんだぞ」
「そうよね、そうよね」
久美子は自分に言い聞かせるように頷いた。
「ったく、引きこもりってだけで、人の息子を異常者扱いしやがって。近所のやつも、何を考えてるんだ、失礼な」
「でも、あなた」
久美子は言いづらそうに、隆太郎の顔を見た。
「なんだ」
「あの子、夜中にちょくちょく出かけてるみたい」
「はあ?」
隆太郎は眉を吊り上げ、目を見開いた。
「出かけてるって……どこに?」
「たまに、コンビニでお菓子を買ってきて、食べてるみたい」
「は? そんなカネないだろ? ひきこもってるんだから」
久美子は気まずそうに顔をそらした。
「お前、カネ渡してるのか? 前、ひきこもりには小遣いは必要ないって言っただろ?」
「でも、あの子、たまにアニメのイベントとかにも出かけてるのよ。そのときはお金が必要だろうから」
「お前、何考えてんだよ。ひきこもって働こうともしないやつに、遊ぶカネを渡すなんて、マヌケもいいところじゃないか。そりゃあ、一生働こうとしないだろうがっ」
久美子は黙り込んだ。
透にも聞こえているかもしれないが、構わないと隆太郎は思った。
隆太郎は荒い息をしながら腕組みをしてしばらく考えた後、
「いいか、このことは誰にも言うなよ」
と、声をひそめて言った。
「このことって?」
「透がコンビニに出かけてることだよ。変に誤解されたら、話がややこしくなるから、誰から何を聞かれても、知らぬ存ぜぬで通せ」
「……ハイ」
「それと、もうカネは渡すなよ」
「……ハイ」
隆太郎はわざとらしくため息をつくと、ゴルフバッグを持って部屋を出て行った。ややあって、玄関のドアが乱暴に閉まる音が響き渡る。
久美子はベッドに座り込んだ。家の中は静寂に包まれている。
透はそっと窓から離れた。外が騒がしいので、カーテンの隙間から外の様子を伺っていたのでだ。
――オレ、映ってたんだ、防犯カメラに。
ベッドに寝転んだ。
部屋中そこかしこに漫画やアニメの写真集、ゲームのケース、お菓子やジュースなどが転がっているので、唯一ベッドだけがくつろげるスペースだった。
――つかまるかな、オレ。
警察につかまる様子を想像してみたが、恐怖心も焦燥感も何も感じない。
――まあ、つかまったら、その時はその時か。しょうがないよね。
ボリボリと体をかいた。
――それよか、さっきの夢の続きを見たいな。
そう思い、目を閉じたが、空腹で腹がグウウと鳴り、仕方なく起き上がった。
隆太郎が家にいるときは、久美子は部屋の前に食事を置いてくれない。
それを見るたびに、隆太郎が「こんなやつに、食事なんて与えるな! 甘やかすから、出てこないんだ」と盆をひっくり返すからである。
こういうときのために、コンビニで食料を買いだめしてある。
コンビニの袋から菓子パンを取り出し、ぬるくなった水で流し込みながら食した。
――いい夢だったのになあ。国がテロリストに侵略されそうになって、俺が銃撃戦でそいつらをやっつけてさ。みるき~に似たかわいい女の子を助けてさ。理想的な展開だったなあ。
みるき~とは、透が気に入っているアニメのキャラクターである。
こんないい夢を見られるのなら、いつまででも眠っていたい。起きる必要なんかないのに、と透はいつも思うのだった。
夢の中では、自分は自分として生きていられる。
仲間と楽しく会話できるし、笑ったり泣いたり本気で怒ったり、時には人とケンカすることもある。
仲間に頼られ、尊敬されることも、人を愛し、人から愛されることもある。こんなに充実した世界は、現実にはない。
遅い朝食を食べ終えると、久美子が階段を下りる音が聞こえた。ドアを開け、誰もいないのを確認してから、向かいのトイレに滑り込む。
透の一日は、6畳の部屋で始まり、その部屋で終わる。
部屋の外に出るのは、トイレに行く時と歯磨きする時、ごくたまにシャワーを浴びる時ぐらいである。
それも、なるべく親が出かけている間に済ませているので、数ヶ月間親と顔を合わせないこともざらにある。最近は、隆太郎や久美子の顔をよく思い出せなくなっていた。
透は隆太郎がなぜ透を責めるのか、理解できなかった。
――親に暴力ふるってるわけじゃなし。家でじっとしてるだけなのに、何がいけないんだろ。




