6月 火影 ①
武山久美子は、趣味は何かと問われたら、間髪入れずに「ガーデニング」と答える。
レンガ色の家を取り囲むように、エントランスにも庭にも、四季折々の鉢植えを飾っている。素焼きの人形も鉢の周りに並べ、にぎやかな風景をつくるのが大好きだ。
道行く近所の人が足を止め、「丹精込めて庭造りをしているんですねえ」「見ているだけで楽しくなります」と声をかけてくれるのが、何よりの楽しみだった。
――植物はいい。何も文句を言わないし、丹精込めて育てれば、きれいに花を咲かせてくれるから。
久美子はいつも心の中でつぶやいていた。
結婚して娘と息子を授かり、丹精込めて育てたつもりだが、現実には思い描いていたのとはまったく違う結果になってしまった。
息子の透は武山家の長男なので、ことさら大切に育てた。
名門幼稚園には落ちてしまったが、付属小学校のある私立幼稚園に何とか通わせ、将来は東大に入れるために小学生のときに家庭教師もつけた。
英会話やバイオリン、公文など、習い事にも力を入れ、同級生に引けを取らないようにもした。
ところが、高校に入るとといじめに遭い、ひきこもりになった。
そのころは毎朝透の部屋の前に立ち、なぐさめ、怒りの言葉を吐き、懇願したり、泣いたりもした。どんなに訴えかけても、部屋のドアが開くことはなかった。
高校二年で中退し、それから7年間もひきこもっている。
成人しても働くそぶりすら見えない。夫の隆太郎のコネで知り合いの企業に就職できるよう手配しても、面接をすっぽかす始末だった。
透より10歳上の長女には、あまり愛情を注げなかった。
久美子は大学時代にミスコンの候補に選ばれるぐらいの美貌の持ち主だが、長女は美男とは言い難い夫の隆太郎に似てしまった。
だから連れて歩くのが嫌で、小学校に上がるころから一緒に外出するのを避けるようになったのだ。
隆太郎はかわいがっていたが、久美子はどうしても冷たく当たってしまい、長女も早い段階でそれに気づいていた。
さらに、透が生まれてからはすべて弟のほうを優先させたので、溝はさらに深まった。短大に入ると同時に家を出てしまい、それ以来、家に帰って来ない。
――しょうがないじゃない。私に似なかったんだから。
隆太郎が長女のことで久美子を責めても、心の中でそう言い返していた。
隆太郎は、大手食品会社の本部長である。いずれ社長になるのも夢ではない。お金に不自由したことはなく、透が欲しがるものは子供の頃からすべて買い与えてきた。
透がいじめに遭っていると知ったとき、久美子はショックを受けた。
いじめている相手を聞き出して親に注意しようとしても、透は何も教えてくれない。
クラスを替えてもらえばいいと担任や教頭に訴えかけたが、「学年の途中で別のクラスに移ったら、却って目立って、またいじめの対象になりますよ」と言い聞かされ、断念した。
そんな騒動の最中も、隆太郎は「いじめられて泣き寝入りしているほうが悪い」と非協力的だった。久美子は精神的に追い詰められ、当時は病院で精神安定剤をもらって飲んでいたぐらいである。
――私はこんなに透のために頑張っているのに。どうしてみんな分かってくれないんだろう。
久美子は今でも当時のことを思い出すと、歯軋りをしたくなるぐらい悔しくなる。
その日も、久美子は庭に出て、ガーデニング作業にいそしんでいた。
そろそろ関東も梅雨入りする。
アジサイが涼しげな青い花を咲かせ、久美子の大好きなクレマチスが白、紫、ピンクの鮮やかな色で庭を華やかにしている。
――きっと、秘密の花園はこんな感じだったんだわ。
時々、久美子は庭を見ながらウットリするのだ。
汗をぬぐいながら花壇の雑草を抜いていると、「すみません」と誰かに呼びかけられた。
見ると、門扉の外に、スーツを着た男が二人立っている。歳のころ40代の男と、その部下と思われる20代ぐらいの男で、二人とも初めて見る顔だった。
――何かのセールスかしら。
久美子はとっさに身構えた。
「武山さんの家の方ですよね」
年長の男のほうがにこやかに話しかける。
「はあ」
「私、浦安署の品川という刑事です」
「えっ、刑事?」
「ええ、1月にこの近くの公園でお婆さんが殺された事件がありますよね。あの件で、近所に一軒ずつ聞き込みをしているところなんです。ちょっとお話を伺えませんか」
「ちょ・ちょっとお待ちください」
警察の者だと分かり、久美子は動揺して家に駆け込んだ。
今日は土曜日なので、隆太郎が家にいる。二階に駆け上がると、隆太郎はゴルフ練習場に打ちっぱなしに行くのか、出かける準備をしていた。
「あなた、刑事さんが来ているの」
久美子は荒い息をしながら隆太郎の背中に呼びかけた。
「はあ? 刑事?」
隆太郎は眉間にしわを寄せて振り向いた。
「1月に、公園で起きた殺人事件について話を聞きたいって」
「何で、うちに聞きに来るんだ。関係ないだろ」
「それが、近所にも一軒ずつ話を聞いて回ってるんですって」
「面倒くさいな」
隆太郎はチッと舌打ちをして階段を降り、外に出た。
二人は隆太郎に会釈をした。年長の男が、「浦安署の品川です」と再度挨拶をした。
「1月の末に、バス停の近くの公園で殺人事件が起きたのはご存知ですよね」
「まあ、えらい騒ぎでしたから」
「そのことで、2・3伺いたいんです」
品川は、1月28日の深夜に犯行が行われた可能性があると説明し、そのころ付近で不審者を見なかったかと聞いた。
「さあ……そんな時間に出歩きませんから」
「そうですか。奥様は」
隆太郎の後ろにいた久美子はおずおずと、
「私も、そんな時間には出歩きませんから」
と答えた。
「そうですか」
「それにしても、どうして殺されたんですか、そのお婆さんは」
「どうやら、そのお婆さんは性格がきつくて、よくまわりの人に怒鳴り散らしてたらしいんです。近所でも疎まれていてね。まあ、年寄り特有の偏屈な性格なんでしょうけど。だから、近所でも亡くなってホッとしたっていう人が結構多いようです」
「はあ」
隆太郎と久美子は困惑して顔を見合わせた。
「そのお婆さんとは何の面識もありませんし、お答えできるようなことは何もありませんが」
隆太郎が言うと、
「そのおばあさんはバス停の近くのコンビニに、よく顔を出していまして。それも夜中にね。まあ、軽い痴呆症だったようです。そこでも、店員や客を怒鳴るので、迷惑ババアって陰では呼ばれてたそうなんですけど。そのコンビニで、お宅の息子さんをよく見かけるという情報があるんですよ」
と、品川の目が鋭く光った。
「は?」
隆太郎は露骨に眉をしかめた。
「仰ってる意味がよく分かりませんが」
「近所で聞いたんですが、お宅の息子さん、なんでも高校のときから引きこもりで学校に通ってなかったとか」
「それが、何か関係あるんですか」
「いえ、まあ、別に。バス停近くのコンビニで、深夜に息子さんをよく見かけるという話を聞きまして、確認のために」
「誰がそんなこと言ったんですか? ひきこもってるんだから、外になんか出ませんよ」
隆太郎は興奮して、徐々に声が大きくなっていく。
「そうですか? 奥さんも息子さんが夜中に出かけることはご存じない」
「は・はい……私、夜寝るのは早いので」
「そうですか。とりあえず、息子さんにお話を伺えませんか」
「話って、何を」
「ですから、1月28日の深夜に出かけたかどうかの確認を」
「そんな必要ありませんよ。うちの息子は何の関係もありませんから」
「そうでしょうか」
品川は意味ありげな笑みを浮かべた。
「コンビニで防犯カメラを確認したところ、1月28日の深夜12時から1時ごろにかけて、男性がコンビニで立ち読みしている姿が映っているんです。立ち読みって言っても、やけにそわそわしていて、挙動不審なんですけどね。その日も、亡くなったお婆さんは来てるんです。その男性は、あきらかにお婆さんの後を追って店を出てるんですよ。で、遺体が見つかった公園はコンビニの目と鼻の先なんです」
「だから、何ですか? それが息子だとでも?」
隆太郎は完全に頭に血が上り、顔が赤くなっていた。
「じゃあ、その映像を、ここに持ってきてくださいよっ。俺が息子かどうか、判断するからっ。それと、何か? コンビニでおばあさんと一緒に店を出たら、人殺しになるのか? そんな理由だけで、人殺しって決めつけるわけか? それでネチネチ尋問して、息子を犯人に仕立てようと? うちの子はおとなしいから、尋問なんかしたら怯えて、やってなくてもやりましたって言うに決まってる。そんなの、冤罪じゃないかっ」
「まあ、落ち着いて。まずは、参考のために署でちょっと話を聞かせてもらいたいだけですから」
「あんたら警察がどんな卑怯な手を使うのか、知ってるんだぞっ。こっちは弁護士を立てる。話はそれからだっ」
「まあ、お父さん、そう怒らずに」
「うるさいっ、帰れ! 警察を呼ぶぞ」
隆太郎が怒鳴ると、品川と部下は顔を見合わせて苦笑した。
「私たちが警察ですが」
「いいから、帰れ!」
「ハイハイ、分かりました。それじゃあ、改めて伺いますから」
二人は素直に辞去した。




