5月 飛び火⑦
「順二君、こっちこっちぃ」
人ごみの中で、南が手を振った。
「ああ、ごめん。遅くなって。上司につかまっちゃって」
「ううん。忙しいのはいいことだよ。私の友達で派遣をしてた子は、派遣切られて大変だって言ってたし。仕事があるだけで幸せだよね」
南は満面の笑みを浮かべた。
「早く食べに行こ。おなかすいちゃったあ」
とたんに順二は目尻が下がり、鼻の下が伸びた。南にメロメロになっているのは自分でもよく分かっていた。
南とはLINEでやりとりを続けて、勇気を出して食事に誘ってみたのだ。
あっさりと、「行きたい!」とOKしてくれたので、順二はそのメッセージを読んで、「よっしゃー!」と雄たけびを上げてしまった。
今日は5月最後の金曜日である。
この一カ月は激動の日々だった。
「老人ホーム落ちた、日本死ね」のツイッターが拡散された後、国会で野党の議員が取り上げ、順二のツイッターのフォロワー数は5万人に達していた。
それまで身の回りで起きた小さなことしかつぶやいていなかったので、意識して高齢者に関するニュースについてつぶやくようになった。
そうすると、共感した何十、時には何百もの人からリツイートされる。それが嬉しくて、今は毎日、高齢者関連のニュースをチェックするようにしている。
マスコミからも何件か、取材の申し込みがあった。だが、それほど話をできる材料はないと自分でも分かっていたので、丁重に断った。
今までの人生で、こんなに人から注目を集めたことはなかったので、高揚した気分が続いている。今週は珍しく会議で発言して、上司から驚かれた。
そして、南とのデートである。
――俺の人生、急に上向きになったのかもしれない。
「順二君、なにかいいことあった?」
南が顔を覗き込んだ。LINEでやりとりを始めてから、互いを名前で呼び始めた。それも順二には嬉しい。
「あ、いやちょっと、部長に誉められたこと思い出して」
「へえ、よかったねえ。仕事でいいことあったんだあ」
二人は予約していた居酒屋に入った。
「よっ。いらっしゃーい」
ドアを開けたとたん、若い店員が一斉に声をそろえて出迎えてくれる。店はほぼ満員の状態で、賑わっていた。
「次の給料が出たら、もっといいお店に行こう」
ビールで乾杯しながら順二が言うと、南は
「ううん、いいよお。お金大変でしょ? 一人暮らしは、なるべくお金かかんないようにしないと。この店は安いし料理がおいしいから好きなんだ」
とビールをおいしそうに飲んだ。
安い店でも喜んでくれる、その心遣いが順二には嬉しかった。
二人は運ばれてきた料理を分け合いながら食べた。
順二は最近会社で起きたことをあれこれ話し、南は「へえ、すごーい」「大変だねえ」と相槌を打ちながら真剣に耳を傾けてくれる。
順二は「幸せ」という言葉をしみじみと噛みしめた。今まで味わったことのない幸福感だった。
――人生、捨てたもんじゃないよな。やっぱ、まじめに生きてきたから、神様がごほうびをくれたのかもしれない、つらいことばっかじゃないよって。親父、お袋、オレ、何とか生きていけそうだよ。
食事を済ませ、店の外に出ると12時を回っていた。道路のあちこちで、酔っぱらった人たちが騒いでいる。
南は足がふらついている。
「大丈夫?」
「うん、これくらい、なんともなーい」
南は完全に酔っぱらっている。
「タクシーを拾わなきゃ」
大通りに向かって歩いていると、南は順二の腕にからみついてきた。豊満な胸が、腕に押しつけられる。
「ねえ、順二君の部屋に行っていいぃ?」
「えっ」
順二は思わず立ち止まった。
「い・いいの?」
「うん、私の部屋、今散らかってるしぃ。順二君の部屋に行きたいなあ。迷惑ぅ?」
「ううん、迷惑なんかじゃないよ」
順二は下半身が熱くなってくるのを感じた。
「じゃ・じゃあ行こうか」
ちょうどそのとき、通りの向こうから空車のタクシーが来た。
手を挙げて、止まったタクシーに乗り込む。
「高田馬場までお願いします」
そういった声が、すっかり裏返っている。
後部座席に乗り込むと、南がしなだれかかってきた。甘い香りが鼻をくすぐる。
順二は逸る気持ちを抑えるために、窓の外に目をやった。道を行き交う人たちは、みな笑っている。
――ああ、みんな幸せそうだな。日本死ねって言っちゃったけど、やっぱ、そんなに悪くない国だよな。
順二は、満ち足りた気持ちに包まれていた。




