6月 火影 ③
引きこもりを始めた日のことは、今でもよく覚えている。
いじめが始まったのは、高校に進級してからだった。中学の時はアニメやマンガの話題で盛り上がれる仲間がいたが、高校でクラスがバラバラになり、一緒に行動する友人がいなくなってしまった。
高校では、周りのクラスメイトは女子高の生徒と合コンを繰り返し、「この間、●●高のコとヤッた」と自慢げに話すような輩ばかりだった。自然と周囲から浮いてしまい、イジメの対象になるまで時間はかからなかった。
それでも一年間は我慢したのである。
「大学に行けば、楽しいことがあるに違いない。卒業まで我慢しよう」と思い、いじめられても気にしないふりをしていた。
だが、それも限界だった。
高校2年になったばかりの頃、体育の時間の出来事だった。
サッカーをしていた時、透の背中にボールがぶつかった。蹴ったボールが反れたのかと思ったが、振り向くとクラスメイトがニヤニヤしていたので、わざとぶつけたのだと気づいた。嫌な予感がした。
案の定、また背中にぶつけられた。
今度は、透は振り向かなかった。すると、「ゴール!」という掛け声とともに、強烈な一打が背中に当たった。前のめりに地面に倒れこむと、頭上を笑い声が飛び交う。
透は無言で体を起こした。そこをまたボールが襲う。
今度はあちこちから立て続けにボールをぶつけられ、透は頭を腕でかばいながら地面にうずくまった。それが余計に格好の的となり、ボールが次々と降り注ぐ。
ボールをぶつけながら、みんなは笑って罵っていた。
「キモいんだよ」
「死―ね、死―ね」
実際は、数分の出来事だったかもしれない。体育の教師が止めに入るまで、透は数十分もボールの嵐を浴びせられているような気がした。
一言も発せず、砂の中に頭を隠すダチョウのように、ひたすら嵐が通り過ぎるのを待つだけだった。
体育教師は「大丈夫か?」と心配することもなく、透を助け起こそうともしなかった。
「お前もなあ、なんで黙ってやられてるんだよ。情けないだろ、男のくせに」
フラフラと起き上がった透に向って、あきれた口調でそう言い放ったのである。
「だって、こいつ、男じゃないし。チンコないっすから」
誰かが言って、その場はどっとわいた。体育教師も一緒になって笑っていた。
透はみんなに背を向けたまま、力なく歩き出した。涙すら出ない。
「おい」
体育教師に声をかけられたが、振り返らなかった。そのままグラウンドを突っ切り、学校の外に出た。
――死にたい。
ちょうど、前をトラックが走ってきた。
その前に身を投げ出そうかと思ったが、体は無意識に避けてしまう。
――俺は、死ぬ勇気さえないんだな。
透は「ハハ」と乾いた笑い声をたてた。
それが学校生活最後の日だった。
翌日から、透は学校を休んだ。
ドアの向こうで隆太郎や久美子が何度も呼びかけ、ドアを叩き、久美子が泣きながら懇願しても、ドアを開けなかった。理由を尋ねられても、話す気になれなかった。
透は自分でも意外だったが、ひきこもることで開放感を味わっていた。
敗北感や挫折感もなく、わずらわしいものすべてから逃れられた自由を噛みしめていた。
――もっと早くにひきこもればよかったな。外に出なければ、人と会って話すこともないし、傷つくこともない。なんで、みんなわざわざ外に出ようとするんだろう? みんな、ちょっとしたことでムカついたり、傷ついたりしてんのに。誰とも会わなければ、ムカつかないし、傷つかないし、信じて裏切られたりもしない。人と話さないほうが、ずっと楽なんだな。




