表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
曇天。  作者: 凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/129

3月 埋み火⑦

「ババア、どけよ」


 老婆は、自分が言われたのだと気付かず、本から顔を上げなかった。


「どけってば、バ・バ・ア」


 頭の上から声がして、見上げると、茶髪の若い男と、小さい子供を抱えた金髪の女が、老婆を睨んでいる。

 老婆は戸惑いながら、振り向いて窓に貼ってあるマークを確認した。ここは間違いなく優先席である。


「あの、これ」


 男たちが気づいていないのかと思い、マークを指すと、

「だから、こっちは子供を連れてるんだからさ、譲るべきだろ?」

 と、男は言った。 


「子供をつれてるって……私は高齢者だけど」

「だから何? あんたは数年後にはお亡くなりになるけど、子供はこれから社会を背負っていくんだから。こっちが優先されるべきだと思わん?」

 

 老婆は驚き呆れ、返す言葉がなかった。

 優先席に座っている他の乗客は、関わり合いたくないように寝たフリをしたり、新聞を読むフリをしている。


 老婆は迷ったが、無視することにした。

 本に視線を戻すと、

「無視すんじゃねえよ、害虫がっ」

 と男は激昂した。


「害虫?」

「お前ら、害虫じゃん。世の中の役に立たないのに、年金で養ってもらって。俺らがその金を払ってんだぞ? せめて邪魔にならないように生きろよっ」


 老婆はワナワナと震えだした。今まで生きてきて、ここまで侮辱されたのは初めてだった。それも、見ず知らずの男に。


「もう、手がしびれたよお」


 二人のやりとりをニヤニヤ見ていた女は、あろうことか老婆の膝に子供を立たせた。


「ちょっと、何するのっ?」

 老婆が声を荒げると、

「あっ、ごめーん。手がすべっちゃってえ」

 と、女はヘラヘラ笑い、子供を抱えあげた。


 老婆のスラックスには、子供の靴の跡がくっきりとついた。

 老婆はたまらずに立ち上がり、二人を押しのけるようにして車外に出た。目には涙がにじんでいる。

 同時にドアが閉まり、電車はガタンと大きな音を立てて動き出した。

 すかさず、女は子供を抱えて席に座った。


「ホント、面白いね。ババアをいじめるのって」

「まあね。優先席撲滅運動のためにも、ジジイやババアはこまめに追い出さないと」


 男はニヤニヤ笑いながら、スマホを取り出した。


 クジョピンク

 優先席撲滅運動のため、ババアを一人優先席から追い出しました。

 ネンキンもらうほどの悪党じゃなかったのが、ちょっと残念。


 ***************


「ここに来るまでに、気づいたことはありませんでしたか」

 

 邦雄にふいに尋ねられて、京子は首を傾げた。


「そうですね、桜がそろそろ咲く頃かな、って思いましたけど」


 邦雄は苦笑して、

「そうじゃなく、街を歩くお年寄りの数が少ないと思いませんか」

 とコーヒーを飲みながら言った。


「そういえば」

 京子は電車の中もすいていたことに気づいた。


「今、お年寄りが外出を控えてるんですよ」

「そうなんですか? やっぱり、老人ホームの放火が怖くて」

「それもあるんでしょうけど、最近、優先席に座っているお年寄りが狙われるらしいんですよ」

「優先席に座ってる人が?」


 京子は眉をひそめた。


「ついこの間、ツイッターで優先席撲滅運動をしよう、というコメントを書いたやつがいたらしいんですね。すぐにそのツイッターは削除されちゃったらしいけど。1月に代々木上原でお爺さんが殺された事件がありましたよね。あれもどうやら、優先席でトラブルがあったらしいんです。そのお爺さんは、電車で優先席に座っている若者を見つけると、嫌がらせをするので有名だったらしいんですね。殺された日も、妊婦さんを怒鳴って立たせたそうなんです」


「へえ、それは知りませんでした」

「まだ犯人はつかまってないみたいだけど。もしかして、優先席撲滅運動にも関係してるかもしれないな」


「何なんですか、その運動は」

「わがままな年寄りをなくすために、優先席をなくそうっていう運動らしいですよ。優先席に座っているお年寄りに嫌がらせをするらしいです」

「ホントですか? 何をしたいのか、意味がわかんないですね」


「今、地方でも老人を狙った事件が相次いでいるでしょう。だから、買い物に出かけるときも近所で連絡しあって、みんなでスーパーに行ってるって、この間テレビでやってましたよ。それで、新潟のどこかの町で、85歳のおじいさんが運転する車に5人で乗り込んでスーパーに向かう途中、雪でスリップして田んぼに車ごと落ちちゃって、乗っている人全員が大怪我をしたって」


「そんな……ひどいですね」

 京子は思わず胸に手を当てた。

「なんでそんなに、老人ばっかり狙われるんですか」


「警察も専門家も首をひねってるんですよ。お金目当てではないし、怨恨でもないし。これだけあちこちで起きているんだから、単独犯ではないだろうし。おかしいやつが多いって言っても、こんなに同時に多発するわけないですからね」


「怖いですよね、本当に」

「まあ、人が少ないほうが電車も座れるし、それはそれでいいんですけどね」


 邦雄は話しながら取材の道具を片づけ始めた。

「今日の取材はこれで終わりということで。お疲れ様でした」

「ハイ、お疲れ様です」

 京子は背筋を正して頭を下げた。


「ところで、桂木さん、テレビに興味はありませんか?」

「え? テレビは、最近は時間があるから、結構見てますけど」

「そういう意味じゃなくて、出演してみないかって話です」

「出演!?」


 京子は驚いて声が裏返ってしまった。


「僕の知り合いに、テレビの制作会社に勤めている人がいるんです。その知人が、福祉や介護をテーマにした番組を作ることになって、介護の現場で働いてる若い人を探してるらしいんです。桂木さんがピッタリなんじゃないかって話したら、ぜひ話を聞きたいって乗り気になって」


「そんな、私、今は失業中ですよ」

「2か月前までは働いてたでしょう。今も仕事を探してるわけだし、まだまだこの仕事をやる気はあるんですよね」


「でも、何を話せばいいのかわかんないです」

「それは大丈夫ですよ。実際に自分が体験したことを話せばいいだけですから。事前に、どんな話をしてもらいたいのか、プロデューサーから話があると思うし」


「でも、うまく話す自信はないです。今の取材でさえ、メタメタなのに」

「それも大丈夫。スタジオで大勢の前で話すわけではないから。たぶん、会社の会議室でも使って撮るんじゃないかな。言い間違えても撮り直しができるし、編集もあるし、何とかなりますよ。僕もそばでフォローしてもいいし」


「本当ですか?」

「もちろん。本を出すなら、少しは顔を売っておいたほうがいいと思うんですよね。それも戦略の一つです」

「その……安藤さんにフォローしていただけるのなら、出てもいいです」

「そうですか? よかった」


 邦雄は顔をほころばせた。


「それじゃあ、さっそくプロデューサーに話をしてみます。彼も喜ぶな、きっと」


 京子は体が汗ばみ、鼻の下に軽く汗をかいているのを感じた。

 ハンカチを取り出し、そっと汗を拭う。降ってわいた話にすっかり興奮していた。

 本の出版、テレビの出演。予想もしなかった話が次々と舞い込んでくる。


 ――次の仕事が見つからなくて落ち込んでたけど。こういうの何ていうんだっけ。捨てる神あれば、拾う神あり、だっけ。だとしたら、幸運の神様に拾ってもらったのかもしれない。大吾に話したら、ビックリするだろうな。


 面接のことで言い争いをして以来、大吾とは会っていない。

 面接がどうだったのかを聞いても来ないし、京子も話せずにいた。話したら、「ほら、やっぱり」と言われそうで、気が進まないのだ。


 ――テレビの話をしたら、喜んでくれるかも。確か、前に大吾の店がテレビで紹介されたとき、大騒ぎしてたもんね。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ