不敗の聖女~前編~
前編 不敗の聖女が生まれるまで
序章 教科書
ずっと後の時代の歴史の教科書に、その反乱のことは三行だけ書かれている。
転生者による改革によって様々な税が撤廃され、民衆の暮らしは大きく改善された。 しかし改革を利用し、その名をかたって私腹を肥やす者がいた。 民衆はこれに反抗し、多くが犠牲となった。不正を働いた者は、のちに転生者によって残らず処罰された。
書かれていることに、間違いはない。
一 麦畑の娘
村の娘の朝は、パンを切るところから始まる。
厚く三枚。父の分と、弟二人の分。自分の分は端を薄く。それから梯子を半分上って、屋根裏の毛布を剥ぐ。
「ほら、二人とも。起きなさい」
「あと少し」
「少しって言って、昼まで寝てたのは誰」
二人を井戸へ追い立て、父と畑へ出る。夏の終わりで、麦は重く垂れていた。刈り入れの日には村じゅうが同じ畑に出て、同じ歌を歌う。麦刈り歌である。誰が作ったのかは誰も知らない。家ごとに少しずつ歌詞が違い、毎年どこかで言い争いになる。
日曜日には教会へ行く。神父は、娘が洗礼を受けたときから同じ人だった。説教は長く、ときどき同じ話を二度する。
説教のあとで、神父が言った。
「ちゃんと毎晩、祈っていますか」
「昨日は寝ちゃいました」
「正直でよろしい」
神父は笑った。
「弟たちは、今日も居眠りをしていましたね」
「すみません。あとで叱っておきます」
「叱らなくてよろしい。私の説教が長いのです」
「……それは、そうかもしれません」
「そこは、否定するところです」
転生者が来る前、村は税を二度払っていた。王に納める税と、教会に納める十分の一である。転生者はそれを一つにした。国が集め、その中から神父に給金を払う。神父は国に登録され、役人と同じ扱いになった。
払う額は、目に見えて減った。
「転生者様になってから、楽になったな」
夕食のとき、父が言った。娘もそう思っていた。
上の弟が、パンを頰張りながら聞いた。
「転生者様って、どんな人?」
「知らん。会ったこともない」
父は言った。
「山を割るらしい」
「山を割って、何するの」
「さあな。畑にでもするんだろう」
「ぼくも山、割りたい」
下の弟が言った。
「その前に、自分の皿を片づけなさい」
父は笑って、窓の外の暗い畑を見た。
「来年は、もう少し種籾を残せるな」
二 自称・転生者
男が村に来たのは、刈り入れの少し前だった。
四十をいくつか過ぎた、痩せた男だった。上着は肘が抜けていて、靴は左右で色が違った。村の誰にでも気安く話しかけ、誰の家の軒先にも平気で座った。そのくせ、妙に堂々としていた。
三日目に、井戸端で言った。
「俺、転生者なんだ」
誰も信じなかった。転生者は山を割ると聞いていた。男は山を割らなかった。火も出さなかった。便利な道具も作らなかった。娘の家の壊れた桶を直そうとして、もっと壊した。
ただ、男は妙なことをよく知っていた。あちこちを歩いてきたらしかった。
東の郡では、行政官が戦争を口実に、中央の知らない税を取っている。神父の任免が国の仕事になったのを使って、気に入らない神父を外し、自分の親族を据えている。抗議した村長が牢に入れられた村もある。
娘は桶に水を汲みながら聞いた。
「でも、転生者様が知れば、何とかしてくださるでしょう?」
「ああ。たぶんな」
「なら大丈夫ですよ」
「知ればな」
男は柄杓から水を一口飲んだ。
「転生者様は、王都にいるんでしょう?」
「今は北だ。戦をしてる」
「じゃあ、終わったら」
「終わったらな」
娘は桶を下ろして、男を見た。
「……あなた、本当に転生者なんですか」
「本当だとも」
「じゃあ、何ができるんです」
男は少し考えた。
「歩ける。いくらでも歩ける。それと、話を聞ける」
「それ、誰でもできますよ」
「そうなんだよなあ」
男は笑った。笑うと、前歯が一本なかった。
「一緒に来ないか。あちこち見て回ってるんだ」
「行きません。刈り入れがあるし、弟たちもいるし」
「そうか」
男は翌朝、村を出ていった。
三 村にも来た
徴税隊が来たのは、刈り入れの十日後だった。
役人が一人と、銃を持った兵が八人。役人は広場で紙を読み上げた。対魔王軍戦時特別負担金。一戸につき、穀物で三俵。
男たちが顔を見合わせた。
「税は一本になったはずだ」
「先月納めたぞ」
役人は紙から目を上げなかった。
「アレン様の戦争である」
父が前に出た。
「その紙を、見せてもらえませんか。中央の判は――」
兵が二人、父の腕を取った。納得しなかった男たちが、ほかに四人連れていかれた。
「お父さん!」
駆け寄ろうとする娘に、父は首を振った。
「弟たちを頼む」
「でも」
「すぐ戻る。紙を見せてもらうだけだ」
役人が、初めて顔を上げた。
「見せる紙はない。郡庁で聞け」
それきりだった。
翌日、神父も連れていかれた。民を行政の命に背かせた、という罪だった。日曜の説教で、払う前に確かめなさいと言っただけだった。
次の日曜日、教会には知らない神父がいた。郡の行政官の甥だという。説教は短かった。
「戦時に税を惜しむ者は、転生者様の敵である」
新しい神父は、説教の終わりにそう言った。誰も頷かなかった。
娘は弟二人を両脇に座らせ、最後まで聞いた。帰り道、初めて口に出した。
「……おかしい」
上の弟が見上げた。
「転生者様が、こんなこと命じるはずないもん」
自分に言い聞かせるように、娘は言った。
四 どういうこと
男が戻ってきたのは、その週の終わりだった。広場の様子を見て、だいたいのことは察したらしかった。
「一緒に行こう」
今度は、娘は頷いた。
反乱を起こすつもりはなかった。父と神父を返してほしい。それから郡の役所へ行って、聞きたかった。どういうことなんですか、と。
弟二人は隣の家に預けた。下の弟が泣いた。すぐ帰るから、と娘は言った。
村を出たのは十四人だった。
隣村でも、同じことが起きていた。三十人になった。次の村では神父が追い出されていた。百人になった。その先の村では、種籾まで戦費として持っていかれていた。五百人になり、千人になった。
隣村の女が言った。
「うちの人も連れていかれた。郡に聞きに行くなら、あたしも行く」
種籾を取られた村の老人は、黙って鍬を担いで列に加わった。
「爺さん、聞きに行くだけですよ」
「分かっとる。来年の種を、返してもらいに行くだけだ」
娘は男の袖を引いた。
「……多すぎません?」
「俺もそう思ってる」
「どうするんですか、これ」
「どうもしない。郡庁の前で、みんなで聞く。どういうことですか、ってな」
「こんなにいたら、怖がられませんか」
男は少し黙った。
「……怖がられるだろうな」
郡都の見える丘に着いたとき、もう誰も数えていなかった。三千とも、五千とも言われた。
鍬を担いだ者がいた。猟銃を持った者がいた。棒を持った者がいた。どこかの教会から持ってきた旗が、先頭で揺れていた。
誰も、自分たちを軍だとは思っていなかった。請願に来たのだと思っていた。人数が多いだけだった。
五 反乱だ
郡の行政官は、役所の窓からそれを見て青くなった。
数千の請願を受けてしまえば、中央から調べが来る。調べが来れば、全部出る。存在しない税。消えた金。親族ばかりの人事。神父のすげ替え。中央へ送った、嘘の報告。
行政官は机に戻り、書記を呼んだ。
「反乱だ」
その日のうちに、中央へ早馬が出た。転生者を自称する男が、農民数千を煽動し、郡都へ進撃中。郡の守備隊が門を出た。
丘の上で、娘は守備隊が横に並ぶのを見ていた。意味が分からなかった。
馬上の士官が叫んだ。
「解散せよ! 解散しなければ撃つ!」
「何もしてないだろう!」
「話を聞いてくれ!」
「父ちゃんを返せ!」
声が重なって、どれが誰の声か分からなかった。
「待ってください!」
娘は前に出て、両手を広げた。
「私たちは、話を――」
銃声がした。
娘の隣にいた男が倒れた。名前も知らなかった。昨日の夜、焚き火で芋を分けてくれた人だった。
二発目が来る前に、後ろの誰かが猟銃を撃ち返した。
それで、決まった。
役所が反乱軍と名づけた人々は、その日の昼、本当に反乱軍になった。
六 男の最期
戦いは夕方まで続いた。
男は強くなかった。剣も使えなかった。その代わり、ずっと走り回っていた。怪我人を後ろへ運ばせた。この辺りの道を知っている者を集めて、どこへ回り込めるかを聞いた。泣いている若者の肩を叩いて、いいからそこにいろ、と言った。
娘は、その後ろを走りながら叫んだ。
「どうして、こんな!」
「知らん! 俺が聞きたい!」
「逃げましょう!」
「どこへだよ!」
男は振り返って、娘の肩をつかんだ。
「怪我人を見てやれ。お前、パンを切るのが器用だからな」
「パンを切るのと一緒にしないでください!」
「一緒だ。やれ」
日が沈むころ、男は撃たれた。
娘が見つけたとき、男は畑の畦に座っていた。腹を押さえた手の下から、血が止まらなかった。娘は男の頭を膝に抱えた。
「なんで……」
声が震えた。
「私たち、聞きに来ただけなのに……」
男は笑った。歯に血がついていた。
「お前に、俺の能力をやる」
「……え?」
「決して、戦に負けない運だ」
男は娘の手を握った。
「それが、お前の力だ」
手から力が抜けた。
男が本当に転生者だったのかどうかも、娘は最後まで分からなかった。
七 不敗の聖女
だが、周りにいた者たちは聞いていた。
「転生者が、力を譲った」
「負けない力だ」
「聖女様だ」
声は畦から畦へ、焚き火から焚き火へと渡っていった。
翌朝、守備隊が崩れた。
理由はいくつもあった。指揮官が夜のうちに二人逃げていた。兵の半分は、去年まで同じ郡の百姓だった。反乱の側には、この辺りの畦道を一本残らず知っている者がいた。行政官は、援軍を待たずに打って出ろと命じていた。
それでも、群衆には一つしか見えなかった。
「本当に勝った!」
娘は首を振った。
「違います! 私には何も――」
誰も聞いていなかった。
「聖女様!」
昼前に郡都の門が開いた。役所の地下牢から、父と神父が出てきた。父は痩せていた。神父は片足を引きずっていた。
娘は神父に抱きついて泣いた。子供のように声を上げて泣いた。父が、その背中に手を置いた。
「……弟たちは」
父が言った。
「隣のおばさんのところ」
「そうか」
神父が、娘の頭に手を置いた。
「祈っていましたか」
「……昨日は、寝てません」
「そうでしょうね」
その後ろで、何千という声が叫んでいた。
「不敗の聖女!」
「不敗の聖女!」
娘は涙を拭いて、困った顔で振り返った。




