帰還予定なし
一 死んでこい
魔王城は、あと十日で落ちると言われていた。言っているのは魔王軍の参謀たちだった。
司令部は地下の三層目に移っていた。上の二層はもうなかった。人間の連合軍は城を三重に囲み、その真ん中に転生者がいる。山を割り、軍勢を丸ごと壁で包み、兵糧を一度も切らさない男である。この二年、魔王軍は一度も勝っていなかった。
残った手は一つだった。
司令は挺身隊の隊長を呼んだ。隊長は四十過ぎの鬼族で、角が片方折れていて、声が大きかった。
司令は地図を指した。敵陣の真ん中に降りる。狙いは転生者一人。退き口はない。援軍もない。うまくいっても迎えは出せない。
「了解しました」
隊長は顔色も変えなかった。司令のほうが、少し黙った。
「……何か、言い残すことはあるか。家の者への言づてでも構わん。できる限りのことはする」
隊長は真顔になった。
「よろしいのでありますか」
「ああ」
「では、一つ」
司令は椅子の上で背を伸ばした。
「一発殴らせろ、この野郎」
地下は静かだった。どこかで水が垂れていた。
「……俺をか?」
「ほかに誰がいるんだ馬鹿野郎」
「お前、いま了解しただろ!」
「命令だからな!!」
戸口に並んでいた隊員たちが口を出した。
「隊長だけですか」
「我々にも権利が」
「ない!!」と司令は言った。
隊長は殴った。本当に殴った。司令は椅子ごと後ろへ倒れて、床に尻をついた。
隊長は手を振った。痛かったらしい。
「よし。行くぞ、野郎ども」
敬礼をした。隊員たちも敬礼をした。司令は頬を押さえたまま、床から言った。
「……必ずやれ」
隊長は振り返らなかった。
「当たり前だ、馬鹿野郎」
二 四十七
挺身隊は四十七名いた。
角のあるのがいて、毛の生えたのがいて、羽のあるのがいて、天井に頭のつかえる大きいのがいた。種族はばらばらだった。揃っているのは、十年このかた、隊長に「この野郎」と呼ばれ続けてきたことだけだった。橋を落とし、砦に火をつけ、敵の将軍の寝床に蛇を入れた。たいてい帰ってきた。帰るところまでが仕事だと、隊長はいつも言っていた。
今回は言わなかった。
副長は痩せた悪魔族で、頭が切れて、口が悪かった。
「隊長、この作戦、雑じゃありませんか」
「うるせえ。お前が考えろ」
「俺だったらこんな作戦、やらないですね」
「この野郎」
魔術師は小柄で、爆破の係だった。いつも何か食べていた。
「帰ったら酒おごってくださいよ」
「帰る予定はねえぞ」
「じゃあ前払いで」
「馬鹿野郎」
隊長は懐から小瓶を出して放った。魔術師は受けて、一口飲んで、顔をしかめた。
「安酒じゃないですか」
「馬鹿野郎、文句があるなら返せ」
「返しません」
出撃は夜明け前と決まった。誰も遺書を書かなかった。書く相手のいない者が半分で、残りの半分は字が下手だった。
夜中に、若い獣人が厠で吐いていた。隊長は隣で小便をしながら言った。
「怖えか」
「……怖いです」
「俺もだ馬鹿野郎。さっさと寝ろ」
三 出撃
魔王軍には、荷運びの老いた飛竜が三頭残っていた。腹に鉄の籠を吊るして、一頭に十六名ずつ詰めた。一名余った。余った大きいのは、籠の屋根にしがみついた。
城の裏の崖から飛んだ。
人間の陣は、上から見ると灯の海だった。丘ごとに信号の塔が立って、光を瞬かせていた。竜が包囲の一重目を越えたところで、その光が一斉に速くなった。
弩の矢が上がってきた。人の腕ほどある矢だった。
左の竜が、首を射抜かれて落ちた。籠ごと落ちた。
「一番竜、落ちました!」
「見りゃ分かる!」
「降りる場所がずれます!」
「どこでも同じだ!」
「そんなわけあるか馬鹿野郎!」
最後のは副長だった。
残る二頭は翼を穴だらけにされながら、三重目の内側まで飛んだ。降りたというより、落ちた。籠は天幕を二つ潰し、荷車を一台潰し、横倒しになって止まった。
扉が歪んで開かなかった。屋根にしがみついていた大きいのが、外から蹴った。扉は蝶番ごと飛んだ。
「開きました!」
這い出すと、四方が全部、人間の陣だった。松明が集まってきていた。
隊長は首を鳴らした。
「よーし」
「何が」
「着いた」
「帰れませんけどね」
「知ってる。数えろ」
三十八名いた。
四 敵陣
走った。
本営は丘の上に見えていた。白い大きな天幕で、灯が多かった。そこまでの間に、人間の軍が二万いた。
通りがけに兵糧の山へ火をつけた。弩の置き場を壊した。信号の塔を一つ倒した。塔は倒れながらも光っていて、隣の塔がすぐに代わりを始めた。
「止まりませんよ、あれ」と魔術師が言った。
「よく出来てますね」
「感心すんな馬鹿野郎」
人間は強かった。慌てたのは初めだけで、すぐに列を組み、道を塞ぎ、横から矢を入れてきた。教えた者がいいのだった。時が経つほど囲みは厚くなった。
二十九名になった。
十七名になった。
昨夜吐いていた若い獣人が、腿をやられて膝をついた。
「隊長! 先に行ってください!」
「馬鹿野郎!!」
隊長は襟首を掴んで担ぎ上げ、そのまま走った。三十歩ほど行ったところで、肩の上が急に重くなった。矢が背中から胸まで抜けていた。
隊長は足を止めた。若いのを地面に下ろした。目を閉じてやる暇はなかった。
「……行くぞ」
九名になった。
五 世界最強
丘の上に着いたとき、七名だった。
天幕の前に、男が一人立っていた。
若かった。黒い髪で、鎧も着けていなかった。困った顔をしていた。
「やめてください」
「あなた方の狙いは、僕でしょう」
「そうだ」
「なら、僕が相手をします。ほかの者には手を出させません」
「最初からそのつもりだ、この野郎」
七名が掛かった。
十年やってきた連中だった。合図なしに散り、大きいのが正面から殴りかかり、その影から二人が足を払い、羽のあるのが上から落ち、魔術師が地面ごと吹き飛ばし、副長が煙の中で背中に回った。隊長の斧は、男の首の一寸手前まで行った。
一寸手前で、止まった。壁があった。
男は手を一度振った。大きいのが丘の下まで飛んで、戻ってこなかった。
もう一度振った。五名になった。
四名になった。
男は誰も嬲らなかった。一人ずつ、早く、済ませた。済ませるたびに顔が曇った。
三名が残った。隊長と、副長と、魔術師だった。
六 三人
隊長の斧は柄だけになっていた。副長は片目が開かなかった。魔術師は左の腕が肘までしかなかった。
丘は幾重にも囲まれていた。松明で昼のようだった。
男は手を下ろした。
「もう終わりです」
三人は黙っていた。
「あなた方は十分に戦いました」
隊長の眉が、少し動いた。
「武器を捨ててください。命は保証します。捕虜としても、きちんと扱います。傷も治させます。戦争は、もうすぐ終わるんです」
嘘は一つもなかった。この男が約束を破ったことがないのは、魔王軍でも知られていた。
「降伏してください」
三人は顔を見合わせた。
誰も何も言わなかった。
副長の口の端が歪んだ。
「……ぷっ」
魔術師が吹き出した。
「ははっ」
隊長まで肩を揺らしはじめた。
男は戸惑っていた。
「……何がおかしいんです」
「聞いたか」と隊長が言った。
「聞きました」
「命を助けてくださるそうですよ」
「親切だなあ」
「本当に」
「僕は本気です」
三人はまた顔を見合わせた。三人とも、歯を見せていた。
隊長が一歩、前へ出た。
「「「バーーーーカ!!」」」
男の顔が変わった。
「待――」
丘が白くなった。
七 戦果
煙が晴れると、丘の上が擂鉢になっていた。土が硝子のように焼けていた。
真ん中に、アレンが一人で立っていた。服の裾が少し焦げていた。
三人の姿は、どこにもなかった。
翌日の報告は短かった。
敵挺身隊、四十七名。全員死亡。当方の損害、死者百十余名、兵糧集積所一、弩二十四基、信号塔一。総司令官に負傷なし。作戦への影響は軽微。
それで合っていた。攻囲は一日も遅れなかった。
アレンは少し調子を崩した。熱があるわけではなかった。夢にうなされたわけでもなかった。ただ、三日ほど飯が進まなかった。
「アレン殿、お加減が」
「大丈夫です」
匙を置いた。
「……あの人たち、笑ってましたよね」
「はい」
「降伏を勧めたんです」
「はい」
「命も保証すると言いました。本気でした」
「存じております」
アレンは冷めた粥を見ていた。
「……何がおかしかったんでしょう」
誰も答えなかった。
戦争は、それから七日後に終わった。




