友と行く
一 説得
友将が来たのは、麦刈りの終わった頃だった。
供は二人だけで、先触れもなかった。門番は顔を見て、何も訊かずに通した。三十年来、そういう客だった。
武将は庭で槍の穂先を研いでいた。自分で研ぐのが好きな男だった。
「やめろ」と友将は言った。
「いきなりだな。茶ぐらい飲め」
「挙兵するそうだな」
「耳が早い」
「やめろ」
友将は座敷に上がると、懐から紙を出して畳に並べた。字の細かい男だった。
「兵が足りない。お前の手勢が三千、味方すると言っている連中を全部足して二万。向こうは八万だ。金もない。お前の蔵は秋まで保たん。それと、味方すると言っている連中の半分は、負け始めたら逃げる」
「半分も残るのか」
「冗談を言ってる場合じゃない」
紙はまだあった。
敵には転生者がいる。山の向こうから魔法を落とす。弾を込め直さずに撃てる銃を、もう五千挺揃えている。兵糧を切らしたことがない。大陸の七割を呑んで、負けたことが一度もない。
そのうえ、呑まれた土地の百姓は前より食えている。
「あいつが天下を取って困る奴より、お前が戦を起こして困る奴のほうが多い」
「そうだろうな」
「分かってるならやめろ」
「嫌だ」
友将は頭を抱えた。
日が傾き、茶が三度替わった。友将は数字を言い換え、順番を入れ替え、紙の裏に図を描いた。武将はいちいち頷いた。話はよく分かる、という顔だった。分かったうえで動かなかった。
「十回やって十回負けるぞ!」
「十一回目は?」
「そういう話をしてるんじゃねえ!!」
襖の向こうで小姓が首をすくめた。
武将は研ぎかけの穂先を光にかざした。
「俺はあいつに膝をつきたくない」
「それだけか」
「悪いか」
「悪い。大馬鹿だ」
「知ってる」
友将は紙を集めて、懐に戻した。手が少し乱暴だった。
二 酒
夜は酒になった。
武将が自分で瓶を提げてきた。友将は不機嫌なまま杯を受けた。三杯目あたりで、武将が言った。
「お前は向こうへ行け」
「……は?」
「あいつのところへ行け。お前なら重く使われる」
「俺はお前を止めに来たんだぞ」
「止まらなかっただろ」
「威張るな」
武将は笑わなかった。
「俺はたぶん負ける」
「たぶんじゃない」
「負けたら、俺についてきた連中の家の者が残る。領地も荒れる。向こうの中に、話の分かる奴が一人要る」
「勝手に仕事を押しつけるな」
「昔から得意だろ」
「お前の尻拭いがな」
二人とも少し笑った。
武将が杯を上げた。
「じゃあ、最後の尻拭いを頼む」
「高くつくぞ」
友将も上げた。
それからは普通の酒だった。十九のとき二人で落ちた堀の話をした。同じ女に惚れて、二人とも振られた話をした。その女にいまは孫が七人いるという話をした。武将の酒の趣味が悪いという話を、友将がした。
「お前、老けたな」
「鏡を見てから言え」
「俺は昔から老け顔だ」
「便利だな、それ」
瓶が三本空いた。鶏が鳴く少し前に、二人とも座ったまま寝た。
*
朝、友将は発った。
武将は門まで出た。二日酔いの顔だった。
「向こうで上手くやれ」
「お前こそ上手くやれ」
「無茶言うな」
「自覚あるじゃねえか」
友将は馬に乗った。坂の下で一度振り返った。武将はまだ門の前に立っていて、手を上げた。友将も上げた。
それから馬は街道を南へ行った。南には転生者の都がある。
三 戦場
四か月後、武将は丘の上で負けていた。
友将の紙に書いてあったとおりだった。
朝のうちに魔法が三つ落ちて、前衛が形をなくした。新式の銃は布を裂くような音を立て、槍の列が端から寝ていった。昼前に伝令が続けて来た。
「東の備え、退きます!」
「右翼が崩れました!」
「川向こうの御味方、陣を払って北へ!」
川向こうは、味方すると言った連中のうちでいちばん声の大きかった侯だった。
「だからあいつが言っただろ」と武将は言った。家臣は誰のことか分かったので、黙っていた。
武将は手を打った。左を下げて丘の裾に寄せ、予備を右の穴に入れ、荷駄を先に北へ出して退き口を空けた。どれも間違っていなかった。どれも、半刻ずつ負けを遅らせただけだった。向こうは兵が替わっても、飯と弾が切れなかった。
遠眼鏡を覗いていた家老が、妙な声を出した。
「……殿」
「どうした」
「あの方の旗です」
武将は遠眼鏡を取った。
敵の本陣、転生者の馬印のすぐ左に、見慣れた紋があった。三十年、戦のたびに隣に立っていた旗だった。兵は千ほど。よく揃っていた。いい場所をもらっていた。
武将は遠眼鏡を返した。
「……ちゃんとやってるじゃねえか」
それきり、その方角を見なかった。
四 敗北
昼を過ぎて、残っていた味方がまた二つ旗を巻いた。一つは逃げ、一つは向きを変えてこちらへ撃ってきた。
戦線が真ん中で裂けた。本陣の脇を、槍を捨てた兵が走り抜けていった。
「殿! お退きください!」
「どこへ」
「城へ! まだ籠もれます!」
「城の連中まで巻き込むだろ」
「では北へ!」
「北に何がある」
家老は答えなかった。北には山があり、山の向こうは転生者の領分だった。
武将は丘の下を見た。旗本が四百ばかり、まだ槍を立てていた。逃げ遅れたのではなかった。退けと言われていないから立っているのだった。
「まだ兵が残ってる」
「ですが!」
「あれを置いて俺だけ逃げるのもなあ」
武将は兜の緒を締め直した。うまく締まらなかった。指が震えていた。小姓が代わりに締めた。
「自分で始めたんだ。仕舞いまでいる」
五 旗
そのとき、敵の本陣で何かが破裂した。
魔法の音ではなかった。火薬だった。煙が上がり、整っていた旗の列が波打った。
「何だ!?」
「敵本陣で戦です!」
「どこの手だ。誰か回り込んだのか」
誰も回り込んでいなかった。そんな兵はもうどこにもいなかった。
二人目の伝令が、馬から落ちるように降りた。
「同士討ちです! 敵の内で!」
「どこの隊だ」
伝令は名を言った。
武将の顔が変わった。
「……は?」
*
友将は四か月、向こうで働いた。
よく働いた。軍議に出て、数字を並べた。兵糧の差配を任され、一度も滞らせなかった。転生者は人を疑うのが下手な男で、有能な者はすぐ近くに置いた。それで友将の千は、馬印のすぐ左という場所をもらった。
勝ちが決まったその刻に、千は向きを変えた。
狙いは一つだった。首である。あれさえ落とせば八万は烏合になる。
奇襲としては申し分なかった。旗本が気づいたとき、先手はもう幕を踏み倒していた。槍が十本、弾が百、火薬の樽が二つ、十歩の距離から一人の男に集まった。
全部、壁に当たって落ちた。
転生者は幕の残骸の中に立って、友将を見た。怒った顔ではなかった。ひどく驚いた顔だった。
「どうして」と言ったらしい。
友将は答えなかった。答える暇がなかった。旗本が左右から寄せ、新式が向きを変えた。千は六百になり、四百になった。友将は馬の首を返し、囲みのいちばん薄いところを抜いて、戦場を斜めに横切った。
その先には、丘が一つあるだけだった。
六 奇策
血と泥にまみれた兵が、丘の裾になだれ込んできた。武将の旗本は槍を向けかけて、紋を見てやめた。
先頭に友将がいた。鎧の袖が片方なかった。馬は尻に弾を受けて、びっこを引いていた。本人の額からも血が流れていた。
武将が幕から飛び出した。
「お前!!」
「よお」
「なんであんなことを!」
友将は馬を降りようとして、鐙に足を取られた。
「痛て」
「痛て、じゃねえ!」
「いやあ、やれると思ったんだがなあ」
「何を!」
「首だよ。あいつの」
「取れるわけねえだろ!!」
「俺も今そう思ってる」
武将は口を開けたまま、次の言葉を探していた。
友将は肩をすくめた。
「すまん。駄目だった」
振り返って、連れてきた兵を見た。三百といなかった。向こうでは灰色の列が、もう丘を囲みはじめていた。
「俺の一世一代の奇策、破れたり」
「笑ってる場合か! お前を向こうへやった意味がねえだろ!」
「行ったよ。頼まれた件も済ませた。お前の領地の者は咎めなし、先月あいつの判をもらってある。判を反故にする男じゃない。そこは四か月見てきた」
「だったら!」
武将の声が割れた。
「だったらなんで戻ってきた!」
友将は少し考えた。大した理由も見つからない、という顔だった。
「お前がまだいたからだよ」
武将は何か言おうとした。出てこなかった。風で幕がばたばた鳴った。
「で?」と友将が言った。
「……何が」
「まだやるんだろ」
「まあな」
「じゃあ俺も混ぜろ」
「馬鹿だな、お前」
「知ってる。昨日お前に言った」
「昨日じゃねえよ。四か月前だ」
「そうだったか」
二人は笑った。それで終わりだった。肩も叩かなかった。
友将は地べたにしゃがんで、小枝で図を描いた。武将の兵と友将の兵が、その上から覗き込んだ。朝まで撃ち合っていた者同士だった。
「正面は行くな。あいつ本人は放っておけ、どうにもならん。左の騎馬が浮いてる。あれを崩す」
「今さら勝てるのか」
「勝てん」
「じゃあ何でやる」
「兵がまだいるだろ」
「それもそうだな」
七百人が丘を下りた。
あとは泥だった。矢が来て、弾が来て、魔法が一つ落ちた。左の騎馬は本当に浮いていて、本当に崩れた。それで何が変わるわけでもなかった。旗が倒れ、誰かが立て、また倒れた。武将は槍を折って刀を抜き、友将は馬を失って歩いていた。どちらも強くはなかった。五十を過ぎていた。
一度だけ、人の波が割れて、二人は顔を合わせた。
「まだ生きてたか!」
「お前もな!」
「酒、残してあるぞ!」
「嘘つけ!」
「ばれたか!」
波が閉じた。
七 戦のあと
日暮れ前に終わった。
転生者の軍は首を数え、旗を数え、書役が帳面につけた。逃げた侯の名、降伏した侯の名、死んだ将の名。武将の馬印は丘の裾で見つかった。竿が折れていた。友将の兜は、そこから百歩ほど川に寄ったところにあった。緒が切れていた。二人の家臣は、そのあいだに大勢倒れていた。
二人の骸だけがなかった。
転生者は探せと命じた。三度探させた。三度とも見つからなかった。
兵はいろいろに言った。
「最後に二騎で突っ込むのを見た」
「いや、歩いてたぞ」
「川のほうへ行った」
「もう一度本陣に掛かったって話だ」
「さすがにそれはねえだろ」
書役が筆を止めて訊いた。
「では、討死でよろしいので」
誰も答えられなかった。
帳面には一行だけ残った。
両名、戦場にて消息を絶つ。
*
翌朝は雨だった。
兵が骸を集めていた。川べりで、一人が泥の中から瓶を拾った。
「なんだそれ」
「酒だ」
「残ってるか」
兵は瓶を逆さにした。雨水が少し垂れた。
「空だよ」
「捨てろ」
兵は捨てた。瓶は泥の上を少し転がって、止まった。




