百人の意地
一 議会
降伏は昼前に決まった。
議場は朝から怒鳴り声で埋まっていたが、中身はいつもと変わらなかった。誰が使者に立つか。城門の鍵は誰が渡すか。備蓄の麦は帳簿どおりにあるのか。ないなら誰がくすねたのか。数百年続いた議会の最後の議題は、おおむね麦だった。
戦うかどうかは、ほとんど議論にならなかった。
相手は大陸の九割を呑んだ軍で、その先頭には転生者がいる。山を割ったとか、一晩で城を消したとか、話の半分は嘘だろうが、半分でも多すぎた。しかも呑まれた国はどこも前よりましになっているという。関税が消え、街道が延び、魔物が減り、王族の首は繋がったまま。断る理由を探すほうが難しかった。
いちばん年嵩の議員が、杖にすがって立った。
「街を焼いてまで守るものではない」
それで終わりだった。軍の代表は三人いて、三人とも床を見ていた。反論はなかった。反論に使える数字がどこにもなかった。
採決のあと、議員たちは疲れた顔で廊下に出て、昼飯の話をした。
布告が広場に貼り出されると、人垣から大きな息が漏れた。泣く者はいなかった。子供を抱き直す母親がいた。革屋の親父は「これで明日は店を開けられる」と言い、隣の女に「あんたの店は開いてても客が来ないだろ」と返された。誰も議会を腰抜けとは呼ばなかった。議会の悪口なら皆いくらでも持っていたが、その日の分には入っていなかった。
夕方、都市軍は兵舎の前に並んで武器を置いた。槍は槍、剣は剣で山にされ、書記が数を数えた。
数は合わなかった。
書記は二度数え直し、三度目はやめて、帳簿に「概ね良し」と書いた。
二 一日目
城壁から北へ歩いて半刻、丘の上に古い砦がある。百年前に用済みになり、いまは羊飼いが雨宿りに使うだけの石積みだ。
翌朝、そこに百人ほどの男がいた。
昨日まで都市軍だった連中である。鎧は揃っていない。革の者も鎖の者も、鍋を被っている者もいる。四十を越えた古参がいて、髭もまだ生えない新兵がいて、腹の出た炊事係がいて、あと半年で退役のはずだった片足の悪い男がいた。誰が呼び集めたわけでもない。夜のうちに一人二人と丘を登ってきて、朝になって数えたら百いた。
指揮を執っているのは髭面の男だった。位は高くない。声が大きいので、そういうことになった。
昼前、統一軍の使者が馬で登ってきた。旗持ちを一人連れた、身なりのいい若い士官だった。
「都市は既に降伏した! 武器を置け!」
百人は顔を見合わせた。
「武器を置けだってさ」
「わははは!」
「俺たち軍人なんですけどー、武器を置くってなんですかー?」
「昨日除隊したから軍人じゃねえぞ」
「じゃあ無職かよ!」
「最悪じゃねえか!」
使者の顔が赤くなった。
「降伏しろと言っている!」
髭が胸壁から身を乗り出した。
「じゃあお前、俺たちに降伏するか?」
「……何?」
「降伏しろ」
「できるわけがないだろう!」
「だろ?」
髭は剣を抜いた。錆が浮いていた。
「じゃあやるしかねえじゃねえか。俺たちの武器が欲しけりゃ、自分で取りに来い!」
「「「ウーーラーーー!!」」」
使者は馬を返した。旗持ちが少し遅れた。
*
統一軍は二百を出した。百人の残党に二百なら昼飯前に済む。誰でもそう数える。
砦への道は一本で、荷車一台ぶんの幅しかなかった。先頭が門の手前まで来たところで、上から油が降ってきた。灯り用の安い魚油で、火はつかなかった。ただひどく滑った。坂で二十人ばかりが折り重なって倒れ、そこへ石が落ちてきた。石のあとは便壺の中身だった。
「汚ねえぞ!」と下から声が上がった。
「知ってるよ!」と上から返事があった。
裏手の羊道から回った一隊は、草に隠した溝に足を取られ、そこを十人ほどに横から突かれた。突いた側はすぐ逃げた。追うと別の溝があった。
まともな戦にはならなかった。嫌がらせだった。それでも槍は刺されば死ぬ。日が傾くころ、統一軍は三十人近くを坂に残して引いた。
砦の側は十四人死んだ。
死体は中庭の壁際に並べた。並べ終えると、男たちはその横で飯を食った。ほかに座る場所がなかった。
「こいつ、俺に銀貨三枚借りたまま死にやがった」
「じゃあお前の勝ちだな」
「何がだよ」
隅で新兵が吐いていた。昼に隣の男の頭が割れるのを見た若いのだ。吐くものがなくなっても、まだ背中が波打っていた。
髭がパンをかじりながら言った。
「帰りたきゃ帰れ」
脅しでも試しでもなかった。塩を取ってくれ、と同じ声だった。
若いのは帰らなかった。代わりに、所帯持ちの槍兵が二人立ち上がった。一人は何か言いかけて、やめた。
「女房によろしくな」
「お前が自分で言えよ」
「俺は帰らねえからな」
「そうか」
「そうだよ」
二人は暗い坂を下りていった。誰も背中に何も言わなかった。炊事係が、二人ぶん浮いた豆を鍋に戻した。
三 都市
統一軍は同じ日の朝に入城した。
火は出なかった。女は攫われず、蔵は破られなかった。兵は四列で大通りを進み、広場で止まり、命じられた宿舎に分かれた。井戸水を飲む前に代金を訊いた兵がいて、訊かれた婆さんのほうが困った。
昼には市場の半分が開いた。夕方にはほぼ全部が開いた。魚屋は占領軍の炊事兵を相手にふだんの倍の値をつけ、値切られて、ふだんの値で売った。
路地では子供が棒を振り回していた。
「俺たちは都市軍だ!」
「統一軍を倒せー!」
「こら! しっ! やめなさい!」
洗濯物を放り出した母親が、走ってきて口を塞いだ。角を統一軍の兵が二人通り過ぎた。こちらを見なかった。
手のひらの下で子供がもごもご言った。
「だって、父ちゃんまだやってるじゃん」
母親は何も言わなかった。手も離さなかった。
*
議会は午後に声明を出した。城外の砦に籠もる武装集団は本市といかなる関係もなく、本市はその行動に一切の責任を負わない。書記が三枚清書し、一枚を統一軍の本営に届け、一枚を広場に貼った。
読んだ市民はうなずいた。当たり前だ、と言った。あの馬鹿どものせいで話がこじれたらどうする、早く帰ってこい、とも言った。本気だった。
その晩、兵舎裏の倉庫から槍が二十本と矢束が九つ消えた。
翌朝、統一軍の主計が帳簿を持って来た。倉庫番は耳の遠い爺さんで、三度訊かれて三度とも「知らんなあ」と言った。鍵は掛かっていたかと訊かれると、掛かっていたと答えた。では誰が開けたのかと訊かれると、「鼠じゃないかね」と答えた。
同じ晩、東通りのパン屋は売れ残りを籠に四つ「廃棄」した。パン屋の女将は三十年、売れ残りを出したことがないのが自慢だった。
夜明けに、砦の門の内側に籠が四つあった。槍と矢もあった。誰が運んだのかは、砦の連中も知らなかった。知りたがる者もいなかった。パンは昨日のだった。
「硬え」
「文句言うな」
「女将の顔みてえに硬え」
「それ本人に言えよ」
「言えるか。殺される」
四 二日目
二日目、統一軍は千を出した。弓兵と、魔術師が六人ついた。
坂は登らなかった。矢の届く距離に並んで、撃った。
「雨だぞ!」
「傘持ってこい!」
「昨日、城に忘れた!」
「取ってこいよ!」
「占領されてんだよ!」
笑い声が上がって、その端にいた男の喉に矢が立った。男は座ったまま、驚いた顔で横に倒れた。隣で笑っていた男は口を閉じ、倒れた男の盾を拾って、自分の頭の上にかざした。
昼過ぎから魔法が来た。石壁は火では燃えないが、中の人間は別だった。東の塔が崩れて、九人が下になった。掘り出せたのは三人で、うち一人は掘り出されてからしばらく「いてえ、いてえなあ」と言い続け、やがて言わなくなった。
誰も気の利いたことを言い残さなかった。「水」と言って死んだ者がいた。「母ちゃん」と言って死んだ者がいた。何か言おうとして、血しか出なかった者がいた。片足の悪い古参は、胸壁の陰で「ちくしょう、あと半年だったのに」と言った。それが何の半年なのか、周りの者は知っていたので誰も訊かなかった。
昨日吐いていた若いのは、今日は吐かなかった。腹に矢を受けて、夕方まで泣いていた。泣きながら石を投げていた。
それでも砦は落ちなかった。千人が一度に通れる道がないことに変わりはなく、門に取りつくたびに上から何かが落ちてきた。石が尽きると瓦が落ち、瓦が尽きると崩れた塔の残骸が落ちた。夕方には炊事係の大鍋が落ちた。鍋は一人殺した。
「俺の鍋!」
「いい鍋だったな」
「明日の飯どうすんだよ」
「明日の飯が要る気でいるのか」
夜、数えると五十二人いた。
瓦礫の下から酒が一本出てきた。誰かが隠していたらしいが、隠した本人はもう名乗り出られなかった。
「死ぬ奴から飲め」
「じゃあ全員じゃねえか」
笑った。昨日より短かった。瓶は一口ずつ回って、四十人目あたりで空になった。残りは文句を言った。
火は焚かなかった。暗がりの中で、誰かが小便をする音と、腹をやられた若いのが浅く息をする音が長いこと聞こえていた。明け方には片方だけになった。
*
丘の下の天幕でも、眠れない者が多かった。
「なんであいつら、まだいるんだ」
「街はとっくに降りてるんだぞ」
「何のためなんだよ」
「知るか。狂ってんだ」
死者は二日で百四十を超えていた。国ひとつ落とすのにそれだけ出なかったこともある。明日の先鋒を割り当てられた隊では、腹が痛いと言い出す者が急に増えた。坂の途中で笑い声を聞いた、と言う兵がいた。聞いた、ではない。あれは今も聞こえる、と言った。
本営に、アレンはいた。
黒髪の、まだ若い男だった。地図の前で次の国の話をしていた。最後に残った一国。そこを落とせば、戦というものがこの大陸から無くなる。そういう話だ。
古くからの仲間が天幕に入ってきて、地図の端を指で叩いた。丘の印があった。
「お前の力で終わらせてくれ」
「えっ、俺が?」
「こっちの被害が出すぎてる。本命がまだ残ってるんだ。ここで兵を磨り減らすわけにいかない」
「……百人だろ?」
「五十人だ。今は」
アレンは丘の印を見た。しばらく見ていた。
「そうか」
「頼む」
「分かった」
気の進まない声だった。仲間はそれに気づいたが、何も言わずに出ていった。
五 三日目
朝、数えると三十一人いた。夜のうちに傷で死んだ者と、黙って丘を下りた者がいた。どちらが何人かは誰も数えなかった。
坂を、男が一人で登ってきた。鎧も着けず、旗持ちも連れていなかった。
見張りが怒鳴った。
「おい! 大将じゃねえか!」
残りが胸壁に寄ってきた。寄れる者だけが寄った。
「本物か?」
「黒髪だ。本物だろ」
「三日も待たせやがって!」
「茶も出ねえぞ!」
アレンは門の手前で止まった。油と血と、その他のもので坂は酷い臭いがした。彼は顔に出さないようにした。
「降伏してくれ」
爆笑が返ってきた。
「またそれかよ!」
「お前んとこ、それしか言えねえのか!」
アレンは笑いが収まるのを待った。
「悪いようにはしない。誰も罪には問わない。街はもう普段どおりだ。パン屋も開いてる」
「知ってるよ。食ってる」
「……もう十分だろ。意地は見せただろ」
髭が胸壁の上に肘をついた。左の耳が半分なくなっていて、布を巻いていた。
「誰に?」
「え?」
「誰に見せたって?」
アレンは答えなかった。
「お前に見せるためにやってんじゃねえよ」
風が吹いて、坂の臭いが少し流れた。
髭は、三日前に使者に言ったのと同じ調子で訊いた。
「じゃあ訊くがな。俺がお前に降伏しろと言ったら、お前はするのか?」
アレンは黙った。使者はすぐ答えた。アレンは長くかかった。
「……しない」
髭は笑った。歯が何本か欠けていた。
「だろ? じゃあやるかい」
アレンはもう何も言わなかった。頷いて、坂を下りた。
*
門が開いたのは昼前だった。
三十一人のうち、歩けたのは二十六人だった。残る五人は槍を持たせてもらって、門の内側に座った。
隊列と呼べるものはなかった。包帯のない者がいない。盾は半分が割れていた。馬は初めからいなかった。炊事係は鍋がないので、鍋の蓋を持っていた。
坂の下には統一軍が三千、弓を引いて並んでいた。その真ん中に黒髪が一人立っていた。
誰かが言った。
「俺、いま滅茶苦茶帰りてえ」
「俺もだよ馬鹿」
「じゃあ帰るか?」
「それは嫌だ」
「面倒くせえ野郎だな」
「お前もだろ」
髭が前に出た。振り返らなかった。
「俺たちはなんだ!」
「自由市民!」
「目の前にいる奴は誰だ!」
「俺たちの敵!」
「行くぞテメエら! 何も残すな!!」
「「「ウーーラーーー!!!!」」」
走った。坂は下りだった。それだけが有利だった。
矢が来た。最初の斉射で七人が転がった。二度目で五人。転んだ者を踏み越えて残りが来た。膝に矢を立てたまま走っている男がいた。走りながら笑っている男がいた。何が可笑しいのかは本人にも分からなかった。
統一軍の前列にいたのは、村を出て一年かそこらの兵たちだった。国へ帰れば畑がある。戦はもう終わると聞かされていた。
「来るぞ!」
「止まらねえ!」
「なんで笑ってんだ! なんで!」
誰かが槍を捨てた。それを見た隣が捨てた。
「ひけえええ!」
誰の声だったか、あとで調べても分からなかった。前列が崩れ、崩れた前列が二列目を押し、三千の真ん中に大きな穴が開いた。士官が剣の腹で兵を叩いたが、叩かれた兵はそのまま逃げた。
穴の真ん中に、アレンだけが残った。
坂を下りきったのは十一人だった。
髭は額から顎まで血で濡れていた。自分のか他人のか分からなかった。息を切らして、あたりを見回して、それから吹き出した。
「おい大将! 部下みんないなくなっちまったぞ!」
「……そうみたいだな」
「お前は逃げねえのか?」
「逃げたら、お前らに笑われるだろ」
「ははっ! 分かってんじゃねえか!」
十一人が掛かった。
ここに書くことは多くない。アレンは山を割る男で、相手は三日食い足りていない歩兵だった。剣は一本も届かなかった。鍋の蓋も届かなかった。奇跡はなかったし、隠していた手もなかった。水を一杯飲むほどの間で、立っている者はアレン一人になった。
彼は手を抜かなかった。
終わったあと、アレンはしばらくそこに立っていた。逃げた兵たちが、遠巻きに戻ってきはじめていた。誰も近寄らなかった。
坂の途中と下とで、息のある者が四人見つかった。統一軍の軍医が診た。二人は翌朝までもたなかった。
髭は、その四人の中にいなかった。
六 数日後
市場はすっかり元に戻った。
東通りのパン屋には、朝から統一軍の兵が並ぶようになった。黒パンが国のものより旨いという評判が立ったのだ。女将は相変わらず愛想がなく、釣り銭を投げるように渡した。
その朝も、若い兵が一人、丸パンを二つ買った。
裏の路地で子供の声がした。
「俺たちはなんだ!」
「じゆうしみん!」
「目の前にいるやつは誰だ!」
「てき!」
「とーいつぐんを倒せー!」
「こらぁ! やめなさいって言ってるでしょう!」
木靴の音が路地を走っていった。子供の笑い声と、母親の怒鳴り声が遠ざかった。
兵は釣り銭を受け取ろうとした手を止めていた。顔をしかめていた。坂の上から来るものを待っているような顔だった。
「何だい」と女将が言った。
「……いえ、何でも」
兵は銅貨を握って、足早に出ていった。
店の奥では、粉袋に腰かけた女が、女将の妹を相手に喋っていた。槍兵の女房だった。一日目の夜に帰ってきた二人の、どちらの女房でもない。
「あの馬鹿。結局帰ってこなかった」
「そうだねえ」
「誰かに銀貨三枚貸したままだって、出がけに言ってたんだよ。誰にだか聞いてない。どうすんのさ、あれ」
「どうもならないねえ」
「馬鹿だよ。ほんとに馬鹿」
女は前掛けで顔を拭いた。粉がついていたのかもしれない。
女将は何も言わず、焼き上がったばかりの丸パンを一つ、女の膝に置いた。それから表に向かって怒鳴った。
「次! 並んでんなら早く言いな!」
七 ずっと後
アレンは皇帝になった。
最後の一国はあの秋のうちに降り、大陸から戦がなくなった。関税のない街道の交わるところに街があれば、街は太る。都市は三十年で五倍になった。城壁は二度建て増され、三度目に取り払われた。北の丘は、気がつくと街の中にあった。
丘の上の砦は、いまも残っている。
帝国の決まりでは、使われていない古い砦は崩して、石を道普請に回すことになっている。この砦についても取り壊しの書類は何度か起こされた。そのたびにどこかで止まった。どこで止まるのかは、役人たちも知らない。
門のところに小屋が建って、銅貨二枚を取る。脇には屋台が並ぶ。鍋の蓋の形をした焼き菓子と、歯が立たないほど硬い黒パンが名物ということになっている。パンのほうは、文句を言うと売り子の婆さんに睨まれる。
晴れた日には、ずいぶん人が登ってくる。遠くの州から来た夫婦や、絵描きや、教師に連れられた子供の列だ。胸壁に立つと街がまるごと見える。たいていの者は景色を眺め、崩れたままの東の塔の前で少し足を止め、パンをかじって顔をしかめ、帰っていく。
案内の札は立っていない。
子供は放っておくと胸壁によじ登って、下に向かって叫ぶ。
「ウーーラーーー!」
誰が教えたわけでもないが、ここではそうするものだと、子供はみんな知っている。
「こら! 降りなさい!」
教師が叱る。子供は笑って逃げる。
坂は石畳になった。それでも雨の日には、どういうわけかよく滑る。




