反乱罪
一 嫌な書類
司法庁の法務執行部は、朝がいちばん静かである。
受付の事務官が前の日の書類に判を押していると、戸が開いて、法曹が一人入ってきた。
三十半ばの、痩せた男だった。暗い顔をしていた。怒っているのではなかった。何かに燃えているのでもなかった。歯医者の順番が来た者の顔だった。
抱えてきた書類の束を、受付の台に置いた。厚さが三寸あった。
「何の件です」
「……反乱罪について」
「はん、らん」
事務官は顔を上げた。そんな事件が起きたという話は聞いていなかった。
「だ、誰のです」
法曹は少し黙った。
「陛下です」
事務官は判子を持ったまま止まった。
「…………」
「…………」
「誰?」
「アレン陛下です」
事務官は束のいちばん上を取った。現行の刑法の写しだった。朱で線が引いてあった。
国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他国法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として、暴動及び武力を行使した者は、反乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
一 首謀者は、死刑に処する。
二枚目は年表だった。几帳面な字だった。
帝国軍との武力衝突、計四十一回。
帝都攻略。
帝国政府機構の解体。
皇帝の統治権の排除。
新政府の樹立。同政府による権力の行使。
首謀者――アレン。
事務官は二枚を見比べた。もう一度見比べた。
「…………これ、当たってません?」
「だから持ってきたんですよ」
法曹の顔は、さっきよりもう一段暗くなった。
二 現行法
昼までに、部屋には十四人集まっていた。皆、まず逃げ道を探した。
「こんなもの、帝国の頃の法律だろう!」
「帝国法から引き継がれています」
「なら今は無効だ」
「現行法です」
「改められてないのか」
「一字一句」
「なんで!」
理由は単純だった。新政府が法律を洗い直したとき、悪法は百四十ほど廃された。だが、武力で国を覆す者を罰する条文は、これからの国にも要る。だから残した。
「誰が残したんだ!」
「法制審議会です」
「どこの政府のだ!」
「陛下の政府です」
「自分で自分の首を絞めてるじゃないか!!」
法曹は頷いた。その通りだと思っている顔だった。
「私も、旧法だろうと思いました」
「だろう?」
「三度調べました。改正の履歴も見ました。審議会の議事録も読みました」
「で?」
「駄目でした」
三 大喜利
三日後、大会議室に四十人が集まった。次官、局長、大学の教授、枢密の顧問。陛下は南の州へ視察に出ていて、何も知らなかった。
議題は一つだった。どうすれば反乱罪が成り立たないことにできるか。
「あれは反乱ではない、革命だ!」
「両者を分ける法の上の根拠は」
誰も答えなかった。
「帝国は暴政だった!」
「暴政に対する反乱を除くという規定は、ありません」
「民が支持した!」
「支持の多寡は、犯罪の成立要件ではありません」
「陛下は訴追されない、という条文があるはずだ!」
「ありました。帝国法では、皇帝は法に問われませんでした。三年前に削られています」
「誰が削った!」
「陛下です。法の下に例外を置くな、と」
何人かが天井を見た。
「恩赦だ! 恩赦がある!」
「恩赦をお出しになるのは陛下です。ご自身に、お出しになりますか」
誰も答えなかった。
「それに恩赦は、有罪が決まってからの話です」
「結果として国は豊かになった!」
「政策の良し悪しと、罪になるかどうかは、別です」
「何万人も救ったんだぞ!」
「存じております」
「なら!」
「それとこれとは、別でしょう」
法曹は終始、申し訳なさそうだった。申し訳なさそうなまま、一つも譲らなかった。
四 継ぎ目
四日目、大学でいちばん切れると言われる教授が手を挙げた。
「こう考えられませんか。帝国は革命によって消滅した。そこに新しい法秩序が生まれた。新しい国家が、自分を生んだ行為そのものを、消えた国家への反乱として罰することはできない。罰する主体が、その行為から生まれているのですから」
会議室が静まった。
筋が通っていた。皆が法曹を見た。
法曹は、すぐには答えなかった。初めてのことだった。
「……一晩、いただけますか」
束を抱えて出ていった。その晩、会議室の者たちは久しぶりによく眠った。
翌朝、法曹は戻ってきた。前の日より嫌そうな顔だった。
「……どうだった」
「駄目です」
「なんでだよ!」
法曹は紙を配った。
「新政府は、帝国から次のものを引き継いでおります。外国との条約。国の借金。土地の所有。婚姻。商いの契約。役人の資格。それまでに出た判決」
一枚目だけで項目が六十あった。
「帝国の頃の夫婦は、今も夫婦です。帝国の頃の借金は、今も返しております。つまりこの国は、前の国と法の上で続いている、という立場を自分で取っております」
教授が目を閉じた。
「都合のよいところでは前の国を継ぎ、陛下の件だけ『あれは別の国です』とは、申せません」
隅のほうで、誰かが小さな声で言った。
「……そこを何とか」
「できません」
五 新聞
話は漏れた。四十人も知っていれば漏れる。
内閣は青くなった。もし新聞に「陛下、反乱罪で死刑相当」と出たらどうなるか。軍が司法庁を囲むかもしれない。帝国の残党が騒ぐかもしれない。外国は政府が割れたと見る。陛下を慕う者が暴れる。
「新聞を止めましょう」
「どうやって」
「戒厳令を」
「待て。この件を隠すために戒厳令を出すのか」
「では、各社に自粛を求めては」
「それは政府が圧をかけるということだろう!」
法の国を守ろうとして、一手ごとに法の国でなくなっていった。誰かがそれに気づいて、全員が黙った。
新聞のほうにも話は届いていた。
「大特ダネですよ!」と若い記者が言った。
「大特ダネだから困ってるんだ!」と主筆が言った。
書くべきか。まだ訴えも起こされていない。書けば裁きに口を出すことになる。世を騒がせる。だが政府が隠しているなら、なおさら書くべきではないか。しかし裏が取り切れない。司法庁の誰も、何も言わない。
主筆は三晩悩んで、原稿を引き出しにしまった。誰に言われたのでもなかった。
政府も、新聞も、司法庁も、皆まじめだった。だから皆、困っていた。
六 法曹
十日目の夜だった。
卓の上の茶は、三度淹れ直されて、三度とも冷めていた。目の下の黒くない者はいなかった。
局長が、椅子に沈んだまま言った。
「……お前さ」
「はい」
「陛下を、殺したいのか」
法曹は目を丸くした。
「まさか」
部屋じゅうが彼を見た。
「陛下には感謝しております。私の郷里は北の州で、兵隊に麦を持っていかれなくなったのは、陛下のおかげです。登用試験がなければ、百姓の倅の私は、ここにおりません。裁きの仕組みを改めたのにも、賛成です。今の世のほうが、前よりずっと良い」
少し言いよどんだ。
「私だって、陛下に死んでほしくはありません」
「じゃあなんで死刑なんだよ!!」
法曹は困った顔をした。訊かれている意味が、本当に分からないらしかった。
「法曹だからです」
それだけだった。
局長は額を卓につけた。しばらくして、そのままの姿勢で訊いた。
「……本当に、処刑まで行くと思ってるのか」
法曹は少し考えた。
「おそらく、どこかで止まるでしょう」
「は?」
「法務大臣には、訴追を止める権限がございます」
「分かっててやってるのか!?」
「私が先に止めてはいけないでしょう」
法曹は、当たり前のことを言う声で続けた。
「助けたいから手続きを曲げる、というのは、私の仕事の中ではできません。政治がお助けになるなら、政治が、その責めをお負いになることです」
七 特例
十二日目、内閣の書記官長が来て言った。
「特例の法律を作ればいい」
「可能です」
部屋が明るくなった。
「ただし」
暗くなった。
「『国に大きな功のあった者には反乱罪を適用しない』というように、誰にでも当てはまる法としてお作りください」
「陛下お一人のため、では駄目か」
「それも、議会のお決めになることです」
「お前はどう思う」
「私は法曹です」
書記官長は卓を叩いた。
「法より陛下のお命のほうが大事だろうが!」
法曹は、少し黙った。
「では、そのようにお決めください」
逆らわなかった。それは彼の役目ではなかった。
ただ、書いていないことを、書いてあることにはしなかった。それだけだった。
八 憲法
十四日目の午後、法務大臣が判を押した。
アレンに対する反乱罪の訴追は、これを中止する。理由は付されなかった。付さなくてよいと、法律に書いてあった。責めは大臣が負う。そのことも書いてあった。
命令書は封筒に入って、法務執行部に届いた。
部屋の者は皆、仕事の手を止めていた。二週間、あれだけのことをした男がどうするのか、見ていた。
法曹は封を切って、読んだ。
読み終えて、しばらく動かなかった。
それから、肩が少しだけ下がった。長い息が出た。
陛下は死なない。たぶん最初から、こうなると思っていた。それでも、息は出た。
「……そうですか」
事務官が恐る恐る訊いた。
「異議は」
「ありません」
「でも、今まで……」
「法務大臣には、訴追を止める権限がございます」
「だから?」
「なら、そういうことでしょう」
法曹の机には、本が一冊開いてあった。二週間、ずっと開いてあった。
彼はそれを閉じた。
ぱたん、と音がした。
表紙に二文字あった。
憲法。
誰かが訊いた。
「……悔しくないのか」
「別に」
「陛下を死刑にしようとしてたんだぞ」
「いいえ」
法曹は、次の書類を引き寄せた。
「私は、法律のとおりに処理しようとしただけです」
顔を上げた。暗い顔ではなかった。いつもの顔だった。
「次の案件をお願いします」
*
アレンは翌週、南から戻った。日に焼けて、機嫌がよかった。
自分が二週間のあいだ、反乱罪の首謀者として死刑の手前まで行っていたことは、知らなかった。その後も、知ることはなかった。




