其の七 連勝
「そうか、三角の砦も落ちたか。よしよし」
「どうだ、縫殿助、これで十二の砦を屠ったぞ。先の汚名を雪ぐどころか、それ以上の軍功よ」
また一つ、敵砦陥落を伝える報が本船に届くや、三浦十兵衛と宮川佐之助が、総大将・白井縫殿助の肩を景気よく叩き、大声で笑った。
富田湊を出航して以来、大内水軍は破竹の勢いで進軍を続けている。
瀬戸内各地の島々に急いで築かれた三島水軍の砦は、次々と大内勢の手に落ちていく。
先鋒たる富田水軍より、陶軍の諸隊が枝分かれに各島へ向かい、三浦と宮川の指図のもと、砦を一つひとつ呑み込んでいった。
三島水軍はもとより寡兵。
しかも各地へ砦を張り巡らせていったことで、ひとつ一つの守りはさらに薄くなっていた。
配された兵も舟もごくわずかで、大軍に押し寄せられればどの砦もひとたまりもなかった。
「出城を増やせば大内が怯むとでも思うているのか。所詮は大戦を知らぬ阿呆な海賊どもよ」
三浦と宮川は鼻で笑った。
名目上の総大将である白井縫殿助に、前回の敗戦を雪ぐに足る軍功を立てさせようと、二人はことさらに猛々しく采配を振るう。
「若山の五房」と呼ばれる彼らの結束は、岩よりも固かった。
先鋒の富田水軍の船から、砦陥落のたびに祝勝の喧騒が響く。
だがその一方、後陣をむ大内警固衆はいまだ目立った働きの場は訪れていない。
殊にその後陣右翼へ控える、弘中舵之丞率いる岩国水軍には、鬱屈した空気が漂い始めていた。
「若……」
瀬戸の潮風を受けながら、舳先へ片足を掛け、鉤槍の長柄を甲板に突き立てて持ちながら遠くの島影を眺めている舵之丞へ、小山弥右衛門が背後から声をかけた。
「我ら岩国水軍が弘中に戻るには、誰もが認める軍功と、大内の勝利……。その二つが条件でしたよね」
「そうだ」
舵之丞は海を眺めたまま、肩越しに答える。
「しかし……」
弥右衛門の声には、若さゆえの焦りが滲んでいた。
「ああして陶の連中が次々と敵の砦を落としてゆけば、後陣に置かれた我らに、大功など立てようがないのでは……」
その不満は、弥右衛門一人のものではない。
岩国水軍の兵たちもまた、同じ鬱屈を胸に抱えていた。
だが、舵之丞は少しも動じない。
「別に、後陣に押し込められているわけじゃない」
「えっ」
「我らは自由に動いてもいいと、小原どのから許しが出ている。でも、オレの意思でこの位置にいるんだ」
「な……なぜですか。陶勢はどんどん砦を落としていってるんですよ」
弥右衛門は思わず眉をひそめた。
まだ二十の若さだが、その問いを向けた相手はさらに若い、十三の少年である。
にもかかわらず舵之丞は、まるで練達の将のように落ち着き払っていた。
「弥右衛門はさ」
舵之丞はようやく海から視線を外し、振り返る。
「雉を狩りに山に入って、蜘蛛が歩いていたら捕まえるかい」
「……いえ。雉は鳥で、蜘蛛は虫。鳥を獲るなら、鳥を狙います」
「だよね」
舵之丞は口元をわずかに歪めた。
「オレたちは今、鶴を狩りに来てるんだ。世にも珍しい、大将鶴を」
「……!」
「鶴を狙うのに、蜘蛛の巣に飛び込んでいても仕方がない」
その言葉に、弥右衛門は思わず息を呑む。
一見、軽薄にも聞こえる。
だが、その短い言葉には、戦の本質を射抜くような鋭さがあった。
それでも弥右衛門は、なお食い下がる。
「砦が取るに足らぬ蜘蛛の巣ということはないでしょう。後顧の憂いを断つは兵法の常道。進軍の途上で砦を落としていくのは、理には適っていると心得ますが」
「いや」
舵之丞は静かに首を振る。
「蜘蛛の巣とは、取るに足らないと言ってるんじゃない。その名の通り、外敵を絡めとるための網なのさ」
「網……」
「このままだと……大内は勝つどころか、危うい」
「……何を言っておられる」
若き大将の返答に、弥右衛門は固唾を呑んだ。
舵之丞は、遠くの海を指差す。
ひとつ、ふたつ――。
「見てみろ、弥右衛門」
その指が順々に示す先には、すでに富田水軍が落としたという島砦が見えていた。
「確かに砦は落としている。けれど、一つ落とすたびに十隻ほどの舟を残し、数十の兵を置いていってる」
陥落した砦にはいずれにも大内の旗が小さく翻り、その眼下の海には十隻ほどの舟が揺れている。
「一つだけ見れば、大した数じゃない。でも、あれが十、二十と積み重なったらどうなる。かなりの船と兵が割かれていると思わないか」
「……!」
弥右衛門の顔色が変わる。
「特に海戦においては、船こそ力。それを削がれれば不利に近づく」
舵之丞は目をすがめて、大三島の方角を見つめる。
「鶴の大将はなかなかやるな……。いや、あっちの軍師は左京とか言ったか……。けっこうな策士だぞ。陶の戦い方を随分研究してる」
「陶の戦い方……。若には、それがお分かりになるのですか」
「分かる」
舵之丞は即座に答えた。
その瞳には、戦さを読む者だけが持つ静かな光が宿っている。
弥右衛門は目の前の主人がいまだ元服前であることを、いつしか忘れかけていた。
舵之丞は、前方を進む富田水軍に視線を向ける。
「陶の五郎どのは、先の出雲遠征でも同じようにしていた」
波間を滑る大船の群れを見つめながら、舵之丞は語る。
「御屋形様を総大将にいただき、大々的な厳島参拝を行い、道々の城を落としながら出雲へ進軍したんだ。その前の安芸吉田の戦いでも、そうやって尼子に大勝したからだ」
尼子を撃退し吉田郡山城の毛利元就を救出したその戦は、当時十歳の舵之丞の初陣でもあった。
水軍所属の弥右衛門は、それら陸の戦いを知らない。
「だが、それは敵に威を見せつける戦い方ではあるが、敵へ備えの時を与えることでもある」
黙って耳を傾けている弥右衛門へ、舵之丞は目を見据えて続ける。
「出雲遠征ではその結果、尼子が月山富田城に完璧な防衛を敷き、国衆どもへの寝返りの交渉を張り巡らせた。そして大内は大敗した」
舵之丞の声音は淡々としていた。
だがその奥には、血と泥に塗れた敗軍の記憶が沈んでいる。
「オレは兄上と、その尻駆りとなって地獄を見て帰ってきたんだ」
「……」
弥右衛門は言葉を失った。
十三の少年が語るには、あまりにも重い記憶である。
「だが、十兵衛どのも佐之助どのも、それが陶の戦い方だと思い込んでいる。敵は先の出雲遠征の敗因をよく読んでいるようだ」
舵之丞が再び島々へ目を向けた。
「だから三島の連中は、あちこちの砦も十人ばかり置いて、わざと薄く守ってたんだ。容易に落とせると分かるように」
「若……」
弥右衛門は思わず呻く。
主君の器は、臣下に映る。
主人の質は、従者に染まる。
若くして修羅場を生き抜いた舵之丞は、そんな主従の理を誰よりも鋭く読み取っていた。
年上にしてまだ大戦の経験のない弥右衛門は、舵之丞に大きく感心した。
だが、その張り詰めた感動の心は、不意に寸断される。
甲板の隅で、大井禰太郎が波音にも負けぬ豪快ないびきを響かせて眠りこけていたからである。
弥右衛門は額を抑え、思わず舌打ちをした。
「こやつ、三日ずっと寝ておりますぞ……。三日寝太郎とはよく言ったものだ。おい、禰太郎」
だが、舵之丞は苦笑し、手で制した。
「寝かせておいてやれ、弥右衛門。まだ我らも動く時じゃない」
「し、しかし若……。それでは我ら岩国水軍、いつ動けばよいのですか」
焦りを滲ませる弥右衛門とは対照的に、舵之丞は少しも動じない。
「まあ焦らず待て。鶴狩りの機は、必ず来る。それに――」
舵之丞は仰向けで気持ちよさそうに眠っている禰太郎に視線を落とす。
「ここぞという時に、禰太郎は起きる」
「え、こんな寝ぼすけの童がですか?」
「ああ」
舵之丞は笑う。
「禰太郎は、ただ寝てるんじゃない。動くべき時に動くため、体を休めながら頭を働かせてるんだ」
「そ、そんな奴、います……?」
弥右衛門は半信半疑のまま、呆れて禰太郎の寝顔を見る。
戦場に向かう緊張感など欠片もない。
まるで春の浜辺で昼寝でもしているかのような、呑気な寝顔だった。
艦隊は、緩やかに大三島へ近づく。
先ほどまで晴れ渡っていた瀬戸の青空には、いつしか前方より重たげな暗雲が垂れ込め始めていた。
(つづく)




