其の三 威信
西国随一の版図を誇る守護大名・大内家にとって、大三島における一度の敗走など局地の一戦に過ぎず、本来ならば大局を左右するほどのことではない。
陶五郎隆房という男もまた、その程度で眉を曇らせる質ではなかった。
豪放にして剛毅。
敗北の一つや二つで歩みを止めぬ胆力こそ、若くして西国に名を轟かせる所以であった。
だが此度の敗報には、さしもの五郎もわずかに思案の色を滲ませた。
軽く舌打ちする。
「うちの水軍では、まだ荷が重かったか。まあいい」
だが、その声色に悔恨はない。
次の瞬間には、すでに次の戦さへと思考が向いていた。
過ぎた敗戦をいちいち噛み締めるより先に、次の手を考えている。
(さすが五郎どのだ)
舵之丞は内心で唸った。
五郎は兄の無二の友であり、幼い頃から舵之丞のこともよく気に掛けてくれた。
鍛錬に連れ出されたことも一度や二度ではない。
兄と五郎は舵之丞にとって武芸の師であり、憧れの目標でもある。
三浦や宮川ら五郎の近習たちとは今も折り合いが悪いが、それでも五郎の優しさは変わらなかった。
五郎は心友の弟である舵之丞の肩を抱き寄せる。
「舵ィ。冷泉んとこに行くんだろ。俺も共に行こう」
「え、なんで」
「次の戦さに、警固衆を借りるんだよ」
「……!」
舵之丞だけでなく、若山党の連中も目を見開いた。
警固衆とは、大内本家直属の水軍である。
交易船の護衛を本務としたことからその名があり、その名は西海で広く知られていた。
その警固衆を率いる提督が、いま舵之丞が師事している冷泉判官隆豊という将である。
かつて弘中家がかつて有していた岩国水軍も、今はこの警固衆の一軍として組み込まれていた。
舵之丞が冷泉のもとで学ぶのも、いつの日かその岩国水軍を弘中へ取り戻すためである。
「お、お待ちください、殿」
三浦十兵衛が思わず身を乗り出した。
「それでは我らが陶は、冷泉に大きな借りを作ることになりますぞ」
「その通りです。殿の威に関わりましょう」
宮川佐之助も口を添える。
(あんたら自身の威厳だろ)
舵之丞は胸中でつぶやいた。
五郎は眉ひとつ動かさない。
「家中の貸し借りなど些細なことだ。後で何倍でも返してやればいい。それよりも今は、縫ィに立ち直ってもらわねえとな」
敗走した富田水軍を率いる、白井縫殿助の名が出る。
(ほんと、五郎どのは面倒見がいいなあ)
舵之丞は改めて思った。
五郎は伯父の陶興房に養嗣子として迎えられた少年の頃から、若山城下の陶家臣の子弟たちの中から腕のある者を集め、若山党と名付けて引き連れていた。
江良鬼丸房栄、三浦十兵衛房清、宮川佐之助房頼、伊香賀壱次郎房明、白井縫殿助房胤。
とりわけこの五人には同時に元服を許し、自らの「房」の一字を与えて「若山の五房」と称した。
舵之丞の目から彼らを見れば、江良鬼丸だけは別格である。
知勇を兼ね備え、常に冷静。
戦場でも城下でも、感情に流される姿を見たことがない。
残る四人も武芸には秀でていた。
だが舵之丞には、主君五郎の威を借りて猛る武辺者にしか見えない。
それでも五郎は、彼らを見捨てず育てる。
敗れた者には再び働く場を与え、失敗した者には次の機会を用意する。
今もまた、大三島で敗れた縫殿助を責めることもなく、立ち直らせることを先に考えていた。
「それに、警固衆と戦えば——」
五郎はそう言って、舵之丞の肩を軽く二度叩く。
「舵ィも陶と一緒に戦えるんだ。面白そうだろ?」
舵之丞も思わず笑った。
今は警固衆の見習いに過ぎない。
それでも、次の海戦には何としても出て、武功を立てたい。
そして——戦況を覆したという十六の女将を、この目で見てみたい。
できることなら、手合わせをしてみたい。
筆頭家老たる五郎の口添えがあれば、堅物で知られる冷泉判官も舵之丞の従軍を認めるに違いない。
舵之丞の心が躍る。
「面白そう。次は絶対にオレも海戦さに出たい」
「だよな。よし、そうと決まれば——」
笑みは次の瞬間、すっと消えた。
大内筆頭家老・陶隆房の顔に戻っている
「冷泉の屋敷に向かう。鬼ィも舵ィと共に来い。十ゥ、佐之ォ、壱ィはすぐに縫ィのもとへ行け。女相手に不覚を取ったとあっては、縫ィの奴、切腹しかねんからな」
いつもの独特の呼び名で指示が下るや、若山党は一斉に動き出した。
五郎は迷いなく冷泉邸へ向かう。
(よし)
舵之丞は槍を強く握る。
(オレも必ず大きな戦功を上げて、岩国水軍を弘中へ取り戻すぞ)
強く心に誓うと、先導するように軽やかに駆け出した。
その後ろを、五郎と鬼丸の大きな影が続いていく。
応仁の大乱より後、京の都は荒れ果て、足利将軍家の権威は地に堕ちた。
諸国の大名たちはそれぞれに刃を交わし覇を競う。
群雄割拠の時代である。
その中にあって、大内家だけは別格の権勢を誇った。
先代当主・大内義興は、京を追われた足利義稙を奉じて上洛し、その復職を果たした功により、幕府より日明貿易の独占権を与えられた。
莫大な富が海を越えて流れ込み、大内の庫を満たす。
子の大内義隆の代になると、周防・長門・石見・豊前・筑前の五国の守護となり、その勢威はさらに広がった。
義隆はまた、文化や芸術を愛した。
戦乱を避けて京を離れた公家や芸術家たちは次々と周防へ集まり、山口はやがて「西京」と称されるまでに発展する。
戦乱の世にあって、山口だけが別の時を生きる桃源郷であった。
富は富を呼び、名は名を招く。
山口は西国随一の文化経済都市となり、大内家の威は空前の広がりを見せた。
先代の大内を軍事面から支えたのが、「周防の虎」と称された名将・陶興房である。
その興房が病没すると、陶の家督を継いだのが、その甥にして養嗣子の五郎隆房であった。
当主となった時、わずか二十歳。
だがその武威は、すでに養父を凌ぐ。
出雲の梟雄・尼子が安芸へと侵攻した折には、大内軍を率いて吉田郡山城の毛利元就を救い、尼子軍を撃退した。
その一戦によって、「周防の虎」の名を継ぐ者として、山陽山陰にその名を轟かせる。
だが、その勢いのまま進めた一年がかりの出雲遠征は、失敗に終わった。
主君大内義隆を総大将に戴いて尼子本領へ攻め込み、本拠の月山富田城を包囲したものの、天下の堅城は最後まで落ちなかった。
攻城戦は長引き、同盟国衆が次々に離反したことで、ついには総退却を余儀なくされた。
日明貿易の富を有し、交易の要衝である関門海峡を押さえている大内にとっては、それは国を揺るがすほどの損失ではない。
だが、撤退時に義隆最愛の後継者・晴持を失うなど、武門の威に深い影を落とす結果となった。
ゆえに五郎は、次を急いだ。
尼子が再び力を取り戻す前に、芸備(安芸・備後)を押さえる。
そして、瀬戸内を制し、大内の威を山陽へと示す。
その緒戦こそが、大三島であった。
ゆえに今回の敗報は、決して軽いものではない。
だが、五郎は立ち止まらない。
敗を悔いるより先に、次の勝ち筋を探す。
次にどう勝つか。
五郎の心は、すでに次の海へと向いていた。
(つづく)




