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陰陽の沫 〜瀬戸内鶴姫秘録〜  作者: 紘野 流
■第三幕 生死の血沫
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其の二十一 一転


「わ、わしらの軍師どのを……、よくもっ……!」


 三島(みしま)水軍の一将が我に返り、長槍を構えて踏み出した。

 だが次の瞬間、その槍先は凄まじい衝撃と共に砂地に叩きつけられ、真っ二つに砕け散る。

 巨躯の猛将・江良鬼丸(えらおにまる)が、重い大斧を振り下ろしていた。

 常人なら持ち上げることすら叶わぬほどの巨斧を、鬼丸は軽々と振り上げ、その柄を地に突き立てる。


「この者、軍師などにあらず!」


 鬼丸の一喝に、三島勢の動きがまたも止まる。

 槍を折られた将が、悔しげに叫ぶ。


「い……、いや。左京(さきょう)どのは、おぬしらの攻め手をことごとく言い当てていたぞ!」

(われ)が事前に伝えたからだ」

「……!」


 鬼丸の言葉に、その場は水を打ったように静まり返った。

 事の次第を、鬼丸は簡潔に語る。


 捕虜として富田湊(とんだみなと)に赴き、(すえ)五郎(ごろう)隆房(たかふさ)と面会した越智左京(おちさきょう)は、独断で三島水軍と大内(おおうち)軍との和議を取り決めた。

 大内は大三島(おおみしま)に代官を置く代わりに、大山祇(おおやまづみ)神社の祭祀も三島水軍の存続もそのままに認め、これを保護するという約定。

 その条件の一つとして、三島水軍は大三島の島内に防衛拠点を築き、大内軍の攻撃を想定した演習を行うことが決められた。

 五郎はそのために、左京に築城費まで与えている。

 いずれ大内の統治下で活用する予定だからである。


 そして、人質交換のために大下島(おおげしま)へ向かう船中にて、左京は同行していた江良鬼丸に、演習の段取りを熱心に尋ねた。

 鬼丸は、その計画を全て伝えた。

 だが、それもまた主君五郎の思惑の内にあった。

 越智左京が演習の内容を聞き出そうとせずに己の軍略で防ごうとするならば、重く用いる。

 だが、内容を聞き出してくるようならば信用に値しないと決めていた。


 つまり、左京は(すえ)側の攻め手を言い当てたのではない。

 陶側から与えられた筋書き通りに防衛していただけであった。

 その左京を太刀で貫いたまま、五郎は三島の諸将へ言い放つ。


「そのような内情があることを、左京はおぬし達に語ったか」

「……」

「語ってはおるまい。己の軍略と見せかけたほうが、偉そうにできるからな」


 五郎は冷ややかに続ける。


「この者は自らの知恵を自慢し、内心ではおぬしたちを見下しておるのよ」


 言いながら、容赦無く太刀をひねる。


「……うぐぁっ!」


 内臓が抉れる痛みに、左京は喉から悲鳴を漏らす。

 三島勢はここ数日ずっと左京に欺かれていたことを知り、狼狽している。

 そしてまた、それを何も疑わずに、鶴と並ぶ神と持ち上げていた自分たちの愚かさをも痛感する。

 五郎はさらに太刀を押し込んで痛みを与え続けながら、語る。


「左京……。オレは(まこと)に知恵者が好きだ。だが、てめえには(へりくだ)りというものがねえ。そもそも、知恵者ですらなかった」


 五郎の目はどこまでも冷たかった。


「そして俺は、交渉の時からとっくに気づいていた」

「ぐ……うぐぐ……」

「てめえが、大三島の新たな代官に取り立てられる気でいたことにな」

「う……ぐ……」

「そして、先ほどの浮かれ様。代官となった暁には、その威光で越智鶴(おちのつる)を妻にできるとでも思っていたのだろう。雑魚が」

「……!!」


 五郎の言葉に、左京は目を見開いた。

 額から脂汗が滝のように流れ落ちる。

 なぜ、自分の胸の内がそこまで見抜かれている――?

 左京には分からず、驚愕していた。


「……!」


 その惨劇を見つめていた鶴も、唖然としている。

 胸の奥で何かが砕けたような気がして、言葉が出てこない。


 五郎は右足を上げ、左京の腰に当てる。

 そして、串刺しにした獲物を外すかのように、その身体を前へと蹴り飛ばした。

 大量の血を吐きながら、左京の身体が五郎の太刀から引き抜かれ、前のめりに倒れようとする。


(おに)ィ、成敗」

「はっ」


 短い命令であった。

 江良鬼丸が即座に応じ、大斧を振り下ろす。

 鮮血が宙を舞った。

 左京の身体は砂上へと崩れ落ち、首だけが砂地に転がった。


 宗方の浜が静寂に包まれ、穏やかな波の音だけが聞こえる。

 五郎が太刀を一振りして血を払うと、三島勢を見渡した。


「大内は大三島を害するつもりも、おまえたちの命を奪うつもりもない」


 鞘に刀を収めながら、五郎は伝える。


「海も島々も、瀬戸内は大内が守る。そのために、不忠不義のこの小物を我らが誅したまで」

「……!」


 三島勢は誰一人として言葉を発せなかった。

 あとは、陣代たる越智鶴の決断を待つばかりである。


「……」


 状況に理解が追いついていない舵之丞(かじのじょう)もまた、固唾を飲んで鶴の美しい瞳を見つめていた。

 だが鶴は、不思議なほど冷静になっていた。

 幼き頃より共に鍛錬に励み、苦楽を共にし、幾度となく知恵を借りてきた幼馴染の従兄。

 その左京が目の前で惨殺されたと言うのに、思考はむしろ一つの結論へ収束していく。

 陣幕の中で見たあの夢を思い出す。


(任せたからね――! この海を――!)


 あの時、自分が呼びかけた「あいつ」。

 姿は霞み、顔は見えなかった。

 それは左京かもしれない、とも思った。

 だが違った。

 「あいつ」は、左京ではなかった――。

 鶴の心は、その確信に占められていた。


 ふと我に返る。

 鶴は陣内を埋め尽くす大内勢を見渡した。

 そして大きく息を吐き、落ち着いて三島の諸将へ告げる。


「分かりました。皆、武器を下ろして」


 その一言に、諸将は構えていた刀や槍をゆっくりと地に向けていく。

 無念ではあるが、そうする他ないこともまた理解していた。

 誰もが鶴の決断だけを待っていたのである。

 鶴は五郎へ向き直って、確認する。


「陶どの。我が兄は大山祇(おおやまづみ)大祝(おおほうり)。この戦には関わっておりませぬ。そして三島水軍も、私の命に従っただけ。大山祇も彼らも安堵してくださるなら、我らは大内に従います」

「無論だ」


 五郎は即答した。


「我が大内が全てを引き受ける。これからも、皆とこの島を護ろう」


 つい先ほど討ち棄てた越智左京のことなど、すでに意識の外にあるかのようであった。

 五郎はまっすぐ鶴だけを見据えている。

 三島勢の表情にも、少しずつ安堵の色が広がっていった。

 鶴もまた、小さく安心の息を吐く。

 そして、腰の柄に添えていた手を、静かに離した。


 その時。


「だが、越智鶴――」


 五郎が言葉を継いだ。


「三島水軍は我ら大内に二度も大きな損害を与えた。我が重臣、三浦十兵衛(みうらじゅうべえ)も瀕死の重傷を負っている」


 五郎の声音は静かだった。

 だが、その静けさがかえって恐ろしい。


「この重大な落とし前は、誰かにつけてもらわねばならん」

「……」

「陣代のおまえにはその罪、全て負ってもらうぞ、越智鶴。二度とこの瀬戸内から、大内に逆らおうと思う者が現れないようにな」

「……!」


 五郎の鋭い眼光に、三島水軍の将たちは総毛立った。

 猛虎が獲物を見据えるような眼。


「その左京のように、すぐに楽に死ねると思うな。おまえにはあらゆる痛みと屈辱を与えてやる。女に生まれたことを死ぬ直前まで後悔するほどにな」


 その言葉に、その場の誰もが背筋を振るわせた。


 仁を掲げる、「周防の虎」。

 だがその本質は、徹底した合理と苛烈さにあった。

 鶴の表情から血の気が引いていく。

 己が全ての責を負う覚悟はあった。

 だが、この陶五郎隆房という男に、本当にこの島の未来を託してよいのか。

 その判断が、すぐにはつかない。

 冷たい汗が背を伝った。


「姫様!」


 危機を察した桧垣藤兵衛(ひがきとおべえ)が太刀を構え、鶴の前へ躍り出る。


「お逃げくだせえ。姫様だけでも――!」


 その声に、周囲の諸将も一斉に武器を構えた。

 鶴を守りたい、その一心で。


 しかし、次の瞬間。

 江良鬼丸が地を蹴り、巨斧が唸りを上げた。

 鈍い音と共に、藤兵衛の身体へと刃が深々と食い込み、血飛沫が宙へ散る。

 大内の将兵たちも刀を引き抜き、武器を構える三島勢へ襲いかかる。


「……!」


 鶴は歯を食いしばる。

 ここでは死ねない、死んではならない、と直感的に思った。

 周囲の将に背を押され、この場からの退避を選ぶ。

 ただ一つの使命を、全うしようと――。


「みんな、無事でいて――!」


 鶴は叫びながら、陣幕の裏手へと駆け出していった。

 陣代だけでも逃がそうと、三島水軍の将が立ちはだかる。

 だが、次々と江良鬼丸たちの刃に倒れていった。


(かじ)ィ!」


 五郎の怒声が響く。

 呆然と立ち尽くしていた弘中舵之丞が、ハッと我に返った。


「おまえの出番だ!」


 五郎は獰猛に笑いながら、鶴の逃げた方角を指差す。


「舵ィ、おまえがあの女を殺せっ。そうすれば、我ら大内の勝利。岩国水軍は弘中のものだ!」


 総大将の命令が下る。


「……くっ!」


 舵之丞の胸に、激しい葛藤が渦巻く。

 岩国水軍を取り戻すために、ここまで戦ってきた。

 だが、こんな形で好敵手を討つことが、本当に武士の本懐なのか――。

 答えは出ない。

 その逡巡の間にも、鶴はどこかへと遠ざかっていく。


「くそぉぉっ……!」


 舵之丞は意を決して、地を蹴った。

 鶴の逃げた方向へと駆け出す。

 あの越智鶴が誰かの手で討たれるぐらいなら、自分が引導を渡すほうがまだましだ――。

 舵之丞の胸の内に、そんな感情が荒れ狂っていた。




(つづく)

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