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陰陽の沫 〜瀬戸内鶴姫秘録〜  作者: 紘野 流
■第三幕 生死の血沫
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其の十八 前夜


宗方(むなかた)の入江に入ってくるのは、まず富田(とんだ)水軍の先鋒隊のみのはず。総大将・(すえ)の将船は、大内警固衆(おおうちけごしゅう)と共に柏島(かしわじま)の北に控えるだろう。まずは入江へ踏み込んで来る先鋒隊のみを注視し、防ぎ切れ」


 宗方一帯に広大な築砦を成し遂げた越智左京安成(おちさきょうやすなり)は、その防衛総奉行となって陣頭に立っていた。

 その指図は的確であった。

 だが、あまりに的確すぎるがゆえに、諸将は首を傾げながら恐る恐る尋ねる。


「総大将は入江まで入って来ず、まずは先鋒だけが攻めてくると?」

「左様。まずは正面の浜へ先鋒隊を差し向け、我らの出方を窺うだろう」

「なぜ、そう思うんで?」

(すえ)は武勇に秀でながら、その戦い方はしたたかだからだ。最小の力で最大の利を得ようとする。三戦目でようやく自身が出陣したのも、その性格からだ」

「確かに……」


 諸将は左京の説明に納得していく。


「それが二日は続く。二日防ぎきれば、三日目には痺れを切らした陶自らが将船を進めて来よう」


 左京の読みは、確かに説得力があった。

 しかし、それを外した時の危機は大きい。

 果たしてその予測に従って偏った防衛に取り組んでも大丈夫なのか、諸将はまだ完全に確信を持てないでいた。


 新たな報告が入る。

 陶五郎隆房(ごろうたかふさ)の率いる大内の大船団は、富田湊(とんだみなと)を出て東へ進むと、大三島(おおみしま)へと向かう前に、大崎上島(おおさきかみじま)の南に集結したという。

 ここで大きく、左京の策を見る諸将の目は変わった。

 大船団は停泊し、その中で二十五隻ほどの先鋒隊が組まれて出撃の準備をしているという。

 まさに、左京の予想通りに動いている。

 夜が明けると、陶家臣の伊香賀壱次郎(いかがいちじろう)の率いる先鋒隊三十隻だけが宗方の入江へと入ってきた。


「まさしく左京どのの申したとおりだ……!」

(つる)どのの神通力に、左京どのの軍略眼。我ら、大内など恐るに足らぬ!」


 三島水軍の士気は、一気に燃え上がる。


「左京どの、肥島(ひしま)の砦から横っ腹を突きますか」

「いや、宗方の浜まで引きつける。上陸できそうとなると油断が生まれる。そこを狙うのだ」

「なるほど、承知!」


 諸将は左京を頼り、その指示を仰いでは従っていった。

 宗方の入江の北側へ侵入した伊香賀壱次郎の船団を、あえて浜近くまで引き寄せる。

 そして上陸しようかというところで、左京の采配一下、鉄柵の陰に潜ませていた弓兵たちが一斉に迎え矢を放った。

 不意を衝かれた伊香賀隊は浜へ取りつくことが叶わず、たまらず退いた。

 左京はその夜のうちに、翌日の敵の動きまでも言い当てる。


「夜が明ければ、再び伊香賀の船団が来る」

「他の将ではなく、また伊香賀だけが来るんですかい」


 一将が不思議がって尋ねたが、左京は確信をもって答える。


「そうだ。拙者が人質として陶の陣に連れられた時、伊香賀壱次郎は敗走してきた白井縫殿助を真っ先に叱責していた。次は自分がと名乗りを上げて先鋒隊となり、一日目に失敗したら次も汚名返上を申し出る。部下想いの陶五郎は二度目も任せるはずだ」

「なるほど……」

「ただし、前日の二の轍を踏まぬよう、次は大下島(おおげしま)を南に回り、入江に南から乗り入れてくるだろう。我らは南の防備へ兵を厚く置けばよい」

「承知!」


 諸将は左京の指図を理解して、その通りに動いた。

 果たして、翌朝。

 朝霧の向こうより、伊香賀の船影が南から現れた。


「確かに、また伊香賀の船団じゃ……!」


 左京の言葉通りである。

 三島勢はすでに南側の柵と浜へ兵を集中させている。


「くそっ、奴ら、先回りで備えてやがる!」


 伊香賀壱次郎は苛立ちながら無理に攻め立てるも、防衛陣を崩すことはできず、再び退却を余儀なくされた。

 三島勢が鬨の声を上げる。


「左京どの……、さすがです」


 陣代・越智鶴(おちのつる)が、安堵に満ちた美しい笑みを左京へ向ける。


「左京どのがいるから、我々は安心して戦えます。心から感謝します」

「はっ……」


 左京は澄み渡る瞳と透き通る声に心を満たされ、頭を下げる。

 三島の将兵たちが、次々と左京を取り囲んで興奮の声を上げる。


「我らも同じ想いだ、左京どの。どこまでもおぬしについていくぞ」

「鶴どのと左京どのがいれば、三島は負けぬ。二人は我らの勝利の神よ!」


 左京は、沸き立つ諸将を満足げに見渡す。

 彼ら三島水軍を衛る。

 瀬戸の海を守る。

 そして、鶴どのを護る――。

 それが知恵袋たる自分の背負うべき大義であると、左京は強くその責務を噛み締め、胸の内を熱く滾らせた。


「左京どの。三日目、陶はどう出てきますかな」


 無精髭の一将が、もはや疑いなく左京へ問いかける。


「若山五房の一人たる伊香賀壱次郎ですら陣にも近づけなかった。となると、次こそ総大将の陶が自ら動く。警固衆は北に残すだろうが、陶の将船も入江に入って来るだろう。そこで、上陸する寸前まで引きつける」

「それが(まこと)なら……、勝てますぞ、鶴さま!」


 三島の諸将は、左京の推測を聞いて勝利を確信したように鶴を見る。

 鶴もまた、穏やかな笑みでうなずく。

 その時だった。


岩国(いわくに)水軍は……来るのかな……」


 鶴が、ふと静かに口にした。

 諸将は気にも留めなかったが、左京だけは聞き逃さない。

 一瞬眉を曇らせたが、感情を押し殺すように答える。


「来ます。陣で見ましたが、弘中舵之丞(ひろなかかじのじょう)は陶五郎の舎弟のようなもの。陶が富田水軍に従わせぬはずがありませぬ」


 その言葉を聞いた瞬間。

 鶴の顔に、左京の思い描いた通りの笑みが浮かんだ。

 左京はその笑顔を見つめながら、胸の奥に言い知れぬ痛みを覚える。

 しかし――。

 この戦いが終われば、自分は、鶴どのと――。

 左京は込み上げる密かな想いを胸の奥へ押し込み、硬く口を結んだ。



 大崎上島の南岸に停泊する大内本軍では、翌日の総攻めへ向けた準備が慌ただしく進められていた。

 この二日間は伊香賀壱次郎率いる先鋒隊に敵陣の様子を探らせ、三日目には陶五郎隆房自らが富田水軍を率いて、大三島の宗方へ乗り入れる手筈となっている。

 警固衆は後詰として大崎上島に残されるが、本来なお警固衆預かりの身である岩国水軍もまた、富田水軍に従って大三島攻めへ加わることとなった。


 弘中舵之丞は陶五郎に呼び出され、富田水軍の将船へ赴いていた。

 夕刻の海には、無数の篝火が揺れている。

 兵たちは甲板を駆け回り、矢束を積み、帆綱を締め、明日の戦支度に追われていた。

 その喧騒を並んで見渡しながら、五郎は舵之丞に訊く。


(かじ)ィ。おまえはまだ、俺のことを尊敬してくれているか」


 あまりに唐突な問い。

 舵之丞は目を瞬かせたが、やがて静かに答える。


「してるよ。今でこそ、水軍のことは冷泉判官(れいぜいはんがん)どのに学んでる。けど――」


 舵之丞は手に握る鉤槍を見せて伝えた。


「やっぱりオレの武芸の師匠は、兄上と五郎どのなんだ」

「そうか……」


 五郎は嬉しそうに目を細めた。

 同じく大内の臣・弘中小太郎隆包(こたろうたかかね)は、幼き頃よりの無二の親友。

 その弟である舵之丞を、五郎は実の弟のようにかわいがってきた。

 五郎は舵之丞の肩を抱き寄せると、力強く言った。


「舵ィ。おまえはこれから、弘中へ戻る岩国水軍を率いて、この瀬戸の海を縦横無尽に駆け回る将となる」

「うん。そのつもりだよ」


 舵之丞は迷いなくうなずく。

 五郎は篝火に照らされる海を見つめたまま、低く続けた。


「明日は、おまえにとってその運命の日となる。だから――」


 舵之丞の目を見て、五郎は言う。


「明日は俺を信じろ」

「……うん」


 五郎の言葉の真意までは分からない。

 しかし舵之丞は、すでに勝利への覚悟を決めていた。

 弘中へ岩国水軍を取り戻すために。

 だからこそ、深くうなずく。

 日暮れの海を渡る潮風が、二人の髪を揺らしていた。


 そして、夜が明ける。

 ――その運命の一日が、ついに始まろうとしていた。




(つづく)

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