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陰陽の沫 〜瀬戸内鶴姫秘録〜  作者: 紘野 流
■第二幕 波乱の再戦
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其の十三 衝陣


 三島(みしま)水軍の将船では、勝ち戦を確信した将兵たちの歓声が夜潮へ響き渡っていた。

 ただひとり、艫に立つ陣代の越智鶴(おちのつる)だけがふと気づく。


「……待って」


 今後の追撃について水兵頭と打ち合わせていた鶴は、東から近づく船影へ視線を向けた。


「三十艘……?」

「ああ、あの桧垣藤兵衛(ひがきとうべえ)の船団でございますな。三十四、五はありましょうか」


 水兵頭はさほど気にも留めぬ様子で答える。

 しかし鶴は、なおもその船影から目を離せなかった。


肥島(ひしま)に伏せた桧垣(ひがき)の舟は、十二、三ではなかった?」

「そうでしたかな……。おい、誰ぞ数を覚えておらんか」


 水兵頭は自分の部下へ確認を命じたが、その声色に焦りはない。

 一人、鶴だけが胸騒ぎに似た違和感を覚えていた。


(本当に桧垣隊か……)


 鶴が訝しがっている間にも、夜の海を割くように、その船団は乱戦の只中へ深く入り込んでくる。

 その先頭を駆ける、一艘の小早。

 舳先には、鉤槍を高々と掲げる若武者の姿があった。


「どけどけどけどけーーっ!!」


 雄叫びが海上へ轟く。

 小早は入り乱れる両軍の舟の狭間を、まるで隼が飛ぶがごとく疾走した。

 その若武者の声――そして、その姿。


「おおおおおっ!」


 周囲の大内兵たちから、一斉に歓声が湧き起こる。

 船戦さにおいて、槍を好んで使う武士は少ない。

 長柄の武器は狭き船上では取り回しが悪く、手軽な刀や弓に比べて実用に劣るからである。

 大内水軍においても、槍使いはほとんどいない。

 ただ一人を除いては。

 誰もがその鉤槍を見て、味方だと分かる。


禰太郎(ねたろう)弥右衛門(やえもん)。将船を見つけたぜ。そのまま前進だ!」


 舳先に立つ十三歳の若武者――弘中舵之丞(ひろなかかじのじょう)が吼えた。


「舵之丞だ!」

「頼むぞぉ!」

「舵之丞どのぉっ!」


 劣勢に喘いでいた大内の将兵どもに、消えかけていた士気が再び起こる。

 まるで干からびたところに水を与えられた草花のように、大内勢の顔に希望の笑みが咲いていく。


三浦十兵衛(みうらじゅうべえ)どのが捕えられた。あの将船だ!」

警固船(けごせん)を燃やした左京(さきょう)とかいう優男(やさおとこ)は、あの将船に戻っておるぞ!」

「鶴の女神と呼ばれてる陣代の乗る小舟が、あの将船に向かっておった!」


 大内勢は次々と戦況を叫び、舵之丞へ知らせて道を示す。


「おう、オレがあの船に行く。みんな、死ぬんじゃないぞー!」


 舵之丞は鉤槍を掲げ、大内兵を鼓舞しながら駆け抜けた。

 大内軍の士気は、舵之丞の通ったところから戦場全体に波及していく。

 その熱は、三島水軍の関船の上の将兵たちの肌にも伝わっていた。


「桧垣勢、何をやってんだ?」


 三島兵が海上を見回す。

 割り込んできた桧垣勢らしき船団は、海へ投げ出された兵を引き上げ、救助しているようにも見える。

 だが――。

 誰もが、先頭の小早だけを見失っていた。

 その一艘だけは、すでに将船の真下へ滑り込んでいたからである。


 ドスン、ゴロゴロゴロ――-。

 突然、横の甲板から何かが転がる音がした。

 目をやると、どこからか転がってきた若武者が片膝を立て、鉤槍を構えている。


「ん? なんだ、おまえ」

「このガキ、どっから乗ってきた……?」


 言い終わる前に、一兵の首筋へ鉤槍の切先が突き刺さった。

 もう一兵は返し薙ぎの槍で顔面を斬り裂かれ、海面へと蹴り落とされる。

 若武者は槍を高々と掲げて、大きく名乗った。


「周防岩国水軍提督にして、隼の槍使い――弘中舵之丞とはオレのことだぁーー!」


 海風に乗って、その声が船上へ突き抜ける。

 三島水軍の将兵たちの視線が、一気に舵之丞へ集まる。

 だが、その静寂はすぐに破られる。


「舵ィ。てめぇはただの見習いだろうが!」


 両手を縛られ膝をつかされた、三浦十兵衛の怒号であった。

 その首元には、美丈夫の構える太刀の刃先がぴたりと添えられている。

 舵之丞がその男へ声を飛ばす。


「おい……待てっ」

「悪いな、若いの」


 美丈夫は舵之丞に感心の目を向けながらも、その首を落とそうと刀を振り上げた。

 脅しだ――と舵之丞は一瞬で見抜く。

 筆頭家老たる(すえ)五郎隆房(たかふさ)の腹心・三浦十兵衛は、大内水軍を揺さぶるための何よりの価値ある人質となるはず。

 思うより早く、舵之丞は美丈夫に向かって駆けていた。

 片手で鉤槍(かぎやり)を突き出す。

 美丈夫は見切って軽やかに身をかわし、振り上げた太刀の狙いを舵之丞へと変える。


「……っ!」


 美丈夫は、突如として自分の身体が前に引きずられたことに目を見開く。

 舵之丞は突き出した鉤槍を、素早く引いていた。

 刃元の鉤が肩当てに深々と噛み込んでいる。

 槍に引かれて、前のめりに大きくよろけた美丈夫の身体に、舵之丞は渾身の蹴りを入れた。


「ぐっ……!」


 ちょうど波に煽られて将船が傾き、美丈夫は踏ん張りを失って、甲板を転がるように船縁まで吹き飛ばされた。

 衝撃で太刀が手を離れ、甲高い音を立てて板上を滑る。

 その間にも、将船の周囲では鉤縄が次々に掛けられていく。


「乗り込めぇっ!」


 小山弥右衛門(こやまやえもん)を先頭に、岩国水軍の兵たちが雪崩れ込んできた。 さらに、舵之丞の乱入によって息を吹き返した大内兵どもも続々と将船へ殺到する。

 狭き甲板の上で、怒号と剣戟が入り乱れた。

 舵之丞は倒れ込んでいた三浦十兵衛へ駆け寄ると、その肩を抱き起こした。


「この深傷じゃ、ここでは戦えないだろ。禰太郎の舟に乗ってな」


 顎で船下を示す舵之丞へ、十兵衛は苦笑を見せる。


(かじ)ィ……。まさかてめぇに助けられるとはな……」

「別にあんたを助けにきたわけじゃない。十兵衛どの」

「ならば何しに来た」


 舵之丞は不敵に笑って答えた。


「ひと目でも見たくてね。隼の射止める鶴、ってやつを」


 その時。

 潮の匂いが孕んだ風が、一段強く甲板を吹き抜ける。

 舵之丞はふと顔を上げた。

 砕ける波の白い沫の向こう。

 篝火に照らされた舳先に、一人の将が立っている。

 風に揺れる黒髪。

 額の鉢金が輝く鉢巻。

 磨き込まれた伊達鎧。

 その姿だけで、この軍の大将と一瞬で分かる威圧感がある。

 だが――、それは、女武者であった。


「あんたか――、鶴の女神ってのは!」


 舵之丞は鉤槍を構え直し、どこか歓喜にも似た声を上げる。


「いかにも。越智鶴」


 静かに名乗った女武者は、太刀を抜くと切先を舵之丞に向けた。

 舵之丞の口角が、楽しげに吊り上がる。

 背後から、十兵衛の怒鳴り声が飛んだ。


「舵ィ!その女、相当の手練れだ。油断すんなよ」


 言い終えるや、十兵衛は船縁から身を躍らせた。

 ドスン――。

 直後に板に落ちる音がした。

 禰太郎が待つ小早に乗ったのだと、耳で分かる。


「あの十兵衛どのが、女子(おなご)を褒めるとはね……。よほどの強さだな」


 舵之丞は一瞬笑うと、一気に駆けた。

 鉤槍が唸りを上げ、鶴の喉元へ突き込まれる。

 だが、鶴は慌てない。

 その一閃を太刀で外へと斬り払う。

 舵之丞の二の槍、三の槍が間髪を入れず襲いかかった。

 隼が獲物を啄むような、素早い連撃。

 それでも鶴の太刀は絡め、払い、受け流し、その槍筋を外していく。

 槍を大きく弾いた刹那。

 鶴は太刀を舵之丞の頭上へと鋭く振り下ろした。


「……!」


 鶴の目が見開く。

 叩き割ったかと思った敵の頭は、まだそこにある。

 舵之丞は両手を突き出し、長柄でその渾身の一撃を受け止めていた。

 そのまま柄を鍔元まで押し込み、刃を滑らせぬように強引に止めている。

 ギリギリと両者の武器が軋む。

 互いの武器を噛み合わせたまま、二人の視線は至近距離で真正面からぶつかった。




(つづく)

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