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陰陽の沫 〜瀬戸内鶴姫秘録〜  作者: 紘野 流
■第二幕 波乱の再戦
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其の十二 潮変


「大将首を狙えっ!」


 怒号と共に、無数の鉤縄(かぎなわ)が夜空へ飛ぶ。

 鉄鉤が大内の将船の舷側に次々と食い込んでいく。

 波に揺れる縄を伝い、三島(みしま)の海猿どもが身軽に船縁へよじ登った。

 宮川佐之助(みやがわさのすけ)は太刀を片手に、荒々しく船上を駆け回る。


「登らせるかぁっ!」


 佐之助の太刀が鉤縄を断ち切り、登りかけた海賊を海へと叩き落とす。

 すでに浜での宴の酔いは覚めていた。

 船縁に手を掛けてきた敵兵には、頭上から刃を突き立てる。

 だが、敵は尽きない。

 右舷を払えば左舷へ鉤縄が掛かり、左を斬れば次は後ろから海賊どもが這い上がってくる。

 艦隊を指揮する縫殿助(ぬいのすけ)と、必死に櫓を操る漕ぎ手たちを護るため、佐之助は獅子のごとく甲板を駆け続けた。

 佐之助が右舷でまた縄を断ち切った時。

 逆側の船縁から、三人の三島兵が船縁へと登り、甲板へ降り立つ甲冑の音がガチャリと鳴った。


「下郎ども。土足で上がってくんじゃねえ」


 気配に気づいた佐之助が踵を返し、猛然と突進する。


「死ねやぁっ」


 先頭の大柄な三島兵が、片腕で大きな手斧を振りかぶり、佐之助に飛び掛かる。

 だが、佐之助の刃のほうが速い。

 振り下ろされた太刀が、手斧を持つ大男の肩口から胸までを深々と斬り割った。


「がぁっ!」


 赤黒い血飛沫を散らしながら、巨体が船上に崩れ落ちる。

 だが、佐之助はすぐに気づく。

 残る二人の姿が視界から消えている。

 討ち取った大男は、囮。


「ほらよっ」


 左右に散っていた敏捷の二人が共に、佐之助へ漁網を放り投げた。


「ちいっ……!」


 佐之助は咄嗟に太刀で切り裂こうとする。

 しかし、海戦用に油と潮を吸わせた重さ、さらに一枚ならず二枚が投げられたことで、重く固い網は刃に絡みつき、佐之助の身体に覆い被さる。


「引けぇっ!」


 二人の海賊が左右から一気に網を引く。

 巨躯の佐之助ですら体勢を崩す。

 甲板がぐらりと傾き、足が滑って膝をついた。


「佐之助っ」


 縫殿助が思わず叫ぶ。

 だが、その声を掻き消すように佐之助の怒号が飛んだ。


「縫殿助ェ! 殿のもとへ帰りつけぇっ! 俺と十兵衛も、必ず帰還するっ」


 言うや否や、佐之助は絡みつく網に指を掛けた。


「うおりゃぁあ、道連れじゃあ」


 佐之助は獣のような雄叫びを上げながら、船縁へと駆ける。


「しまったっ」


 船の揺れも相まって、網を引いていた二人の海賊が、逆に引きずられていく。

 佐之助はそのまま船縁を蹴った。

 身体が宙へ躍る。

 網を掴んだまま、二人の海賊も悲鳴を上げて船縁を越える。

 さらにその落下は、ちょうど鉤縄を伝って将船へ登ろうとしていた三島兵どもの頭上へ直撃する。


「うわぁぁっ!」


 鎧と肉と網が絡み合い、数人まとめて海面へ叩き落とされた。

 夜の海が大きく爆ぜ、白い沫が篝火に照らされ輝く。

 縫殿助はその一瞬を見逃さず、号令をかける。


「……。抜けるぞっ、力の限り漕げぇっ!」


 佐之助を見捨てる形になるが、ここで止まれば全滅となる。

 提督の責を果たすべく、脱出に全神経を向ける。

 櫓が必死に海を掻き、将船が唸るように前へ出た。 三島の小舟を船腹で弾き飛ばし、鉤縄を引きちぎりながら、大内の将船は乱戦渦巻く大下島(おおげしま)沖を西へ西へと突破していく。

 その背後ではなお、夜の海が絶えず人を呑み込み続けていた。



 三島水軍の将船たる関船には、越智左京(おちさきょう)がひと足先に戻り、大下島に潜伏中の陣代に代わって采配を振るっていた。

 左京は先刻、小原中務丞おはらなかつかさのじょうを斬り、大内警固衆(けごしゅう)の船に火を掛けたばかりである。

 篝火と炎に照らされた夜の海では、なお無数の舟が入り乱れ、波間には折れた櫂や人の死骸が浮かび漂っていた。

 その闇の彼方、西へと逃れんとする一艘の大船を見据え、左京が目を細める。


「あれが白井縫殿助(しらいぬいのすけ)の乗る富田(とんだ)の本船か。……ん?」


 左京の視線が、乱戦を裂くように疾走する一艘の小早へ止まる。


「あれは(つる)どのだ! すぐに迎えろ」

「おおっ!」


 船縁にいた三島兵たちが、一斉に歓声を上げた。

 黒波を切り裂き、舟から舟の間を縫うように駆け抜けてくる小早。

 その舳先には、一振りの太刀を握って立つ女武者の姿があった。

 越智鶴(おちのつる)である。

 長い黒髪は潮風に靡き、黒い甲冑には篝火の色が映る。

 後方では屈強な漕ぎ手たちが、歯を食いしばり全力で櫂を操る。

 島民に扮装しての奇襲だったため、みな平服を着ている。

 舟の底には、幾重もの縄に絡め取られた大男が転がっている。


「姫様が敵将を生け捕ったぞ!」

「我らには姫様と、三島大明神のご加護があるのじゃ!」


 三島兵たちが熱狂して船縁から囃し立て、周囲の敵舟へ矢を浴びせかけた。

 援護の矢雨を掻い潜り、小早は滑るように関船の横につく。

 鶴は垂らされた縄梯子(なわばしご)へ手を掛けると、軽やかに船上へ上がった。

 黒髪と赤帯をなびかせ、甲板にひらりと舞い降りたその姿は、まるで湿地に降り立つ一羽の鶴のような美しさであった。


「姫様ー!」

「姫様のお戻りじゃ!」


 兵はその姿に見惚れ、どっと歓声を上げる。

 船縁から次々に鉤縄が放られ、縄に絡まる三浦十兵衛(みうらじゅうべえ)は軽々と引き上げられ、甲板に雑に転がされた。


「ぐぅっ……!」


 傷の痛みか無念の唸りか、横たわる十兵衛の喉から低い声が漏れる。

 左京がすぐに鶴に駆け寄り、笑顔で迎えた。


「鶴どの、よくぞご無事で」

「ええ。敵将も捕らえました」


 鶴が短く答え、頬を手甲で拭う。

 波の雫に濡れたその横顔を、篝火の光が照らした。

 左京は縄に絡む敵将の顔を見下ろし、わずかに目を見張る。


「これは……、陶の三浦十兵衛ですぞ。さすが鶴どの、こんな猛将を生け捕るとは」

「騙し討ちよ。そうでもしなければ勝てぬ相手でした」


 鶴は静かに言った。

 だが、左京はかぶりを振る。


「たとえ策であろうと、勝ちは勝ち。鶴どのが無事に戻られた、それだけで我らには無上の歓び」


 我ら、といいつつ私心であるな、と左京は思いながらも続ける。


「警固衆の小原中務丞もこの手で討ち果たしました。あとまともな将は白井と宮川ぐらいでしょう。この戦さ、我らのものですぞ」

「そうじゃ、そうじゃ!」


 左京の言葉に、周囲の三島兵たちも声を揃えて歓声を轟かせる。

 しかし鶴は一人、笑ってはいなかった。


「皆、油断しないで。まだ敵は舟も兵も倍は残ってる」


 言い放つと、鶴はそのまま艫のほうへ歩み、再び戦場へ視線を向ける。


(鶴どの……。まことに生まれながらの水将だ)


 左京は鶴の姿を見て、必ずこの名将を護らねばならぬと改めて心に誓う。

 鶴を支えるべく、左京は実務に集中する。

 左京に命じられた兵たちが、縄に絡まれ横たわる三浦十兵衛の両手をきつく縛らせて自由を奪い、身体の周りの縄を剥ぎ取っていった。

 肩と腿の傷が深く、十兵衛は多量の出血で虫の息である。

 それでもなお、両膝をつきながら身体を起こし、獣の目で左京を睨む。


「てめえが……三島の知恵袋という越智左京か」

「いかにも」


 左京は静かに鯉口を切り、抜き放った太刀の切先を十兵衛に向けた。


「けっ……、さっさと殺せ」

「それはできぬ」


 左京は薄く笑う。


「我らが美しき陣代は、無益な殺生が嫌いでな」

「抜かせ。俺の身にここまで刃を刺した奴は、男でもそうはいねえ」


 十兵衛の目は死なず、口元を歪めて挑発する。


「左京とやら……。あの女子(おなご)に惚れてると見えるな」

「……戯言をっ」


 やや遅れた返事の後、内心を隠すかのように、左京は十兵衛の肩を強く蹴り押す。


「ぐぅぅっ……!」


 傷口を蹴られ、十兵衛はあまりの痛みに頭を垂れた。

 左京は冷たく言い放つ。


「ならば教えてやろう。おまえは貴重な人質だ。陶五郎(すえのごろう)は格段の部下思いと聞くからな。若山五房(わかやまごぼう)の三浦となれば、交渉の価値は計り知れぬ」


 太刀の先はひたひたと十兵衛の首先へ寄せながら、左京は冷酷に目を細めた。

 その時である。


「おお、あの舟は……!」


 一人の三島兵が南の岬を指差した。


「あの舟の模様、桧垣藤兵衛(ひがきとおべえ)の船団ですぞ。三十艘はおります!」

「なんと!」

「合図より前に駆けつけるとは、さすが桧垣衆よ」


 皆の視線の先には、岬を回り込んでこちらに向かう、赤々と松明の火を掲げた三十余の船影があった。

 その援軍の到来だけで、船上の空気は一変した。

 三島兵たちはたちまち沸き返る。


「これで終わったな」


 越智左京は勝者の表情で、血に濡れた三浦十兵衛を冷たく見下ろした。




(つづく)

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