其の十一 崩陣
篝火に照らされた浜は、いつしか宴の白浜から、屍が折り重なる赤黒い砂地へと様変わりしていた。
潮風に混じるのは酒の匂いではなく、鉄臭い血と臓腑の臭い。
油断と酒気に溺れていた陶の兵どもの死骸を踏み越えながら、三島兵たちがじりじりと輪を狭めていく。
「ちっ……。今から思えば、妙だった」
三浦十兵衛は舌打ちし、血に濡れた口元を歪めた。
「こんな寂れ島に、あれだけの民がいるわけがねえ。ましてや白拍子も揃っているとはな。してやられたわ」
自嘲気味に笑う。
大勝を確信して戦勝祝いに興じ、酒や踊り子の手配も配下に任せきり。
将であれば当然気づく違和感にも気づけず、完全に油断であった。
「女……おまえも最初はいなかった」
十兵衛は顎で鶴を指す。
踊りを舞い酒を注ぐ白拍子たちは皆、白い羽衣を妖艶に纏っていたが、十兵衛は火の手が上がった時に酒を注いでいた白拍子に違和感を覚えた。
しなやかだが、女にしては肩の張りが強かった。
羽衣の下に鎧を着込んでいる女に入れ替わっていると気づいた時には、もう遅かった。
酒に多少酔っていたことで刀を抜くのが遅れ、越智鶴の攻撃を受けた。
十兵衛は自らの不覚を悔やむ。
鶴は演舞用の長刀を投げ捨て、使い慣れた太刀を配下から受け取ると、その切先を十兵衛へ向けた。
「人質になってもらいます」
「けっ。女、なめるなよ」
十兵衛は獣のように吼えた。
周防に剛勇の名を轟かせる猛将、そして大内の筆頭家老の家臣。
たとえ不覚を取ろうとも、このような小勢相手に討たれては武名が廃る。
「おらぁぁァ!」
裂帛の気合と共に、大太刀が唸りを上げて旋風を起こす。
鶴を守ろうと飛び出た三島兵二人が、その重い刃に胴を裂かれ、まるで木っ葉のように吹き飛ばされて砂浜へ転がった。
重い太刀が風を唸らせ、誰も容易に間合いに踏み込めない。
「死にたくなければ、どけぇっ」
十兵衛は血飛沫を撒き散らしながら、太刀を振るい突進した。
そのまま包囲を突き破り、船着場へ逃れようとする。
だが、腿の傷が深い。
踏み込みが鈍る。
巨体がわずかによろめく瞬間を、三島の海賊どもは見逃してはいなかった。
「縄をっ!」
鶴の号令と同時に四方から鉤縄が飛び、鉄鉤が次々に甲冑の溝へ噛みつく。
三島兵は一斉に散開し、呼吸を合わせて縄を引き絞った。
十兵衛の身体に縄が巻きつき、手足の動きを封じていく。
「くそっ!」
ついにその膝が砂浜へ折れる。
静かに歩み寄った鶴が、太刀の切先を十兵衛の首元へ当てた。
「敵将、生け捕りました。連れて戻ります」
「おおっ!」
三島兵たちの野太い鬨の声が、夜の海へ響き渡る。
その引き上げは早かった。
そこには、死屍累々の地獄絵図だけが残った。
上陸していた陶勢は、もはや壊滅と言ってよかった。
それは戦というより――。
油断に酔い潰れた軍勢へ下された、冷徹なる誅伐であった。
「……先勝の祝いの宴が、先負の血の祭りとなるとはな」
船上の白井縫殿助は、浜より逃げ戻ってきた宮川佐之助を睨み据え、低く吐き捨てた。
佐之助は肩で息をしながら、十兵衛の言葉を伝える。
「面目ねえ。十兵衛は女子に刺されて傷を負っていた。まだ奴らと浜で戦ってるが、応戦の後に撤退しろと言い残していた」
「それしかない。十兵衛には自力で逃げ延びてもらおう」
縫殿助は浜を一瞥して、十兵衛を案じる。
「小原どのも討たれたらしい。すぐに退く。このままでは全滅だ」
すぐに全軍撤退の合図を出す。
大内警固衆も大将の小原中務丞亡き後、統制を失っていた。
縫殿助の乗る富田水軍の将船が出航を始めると、狼狽していた警固衆の舟もそれにすがるように後続する。
だが、入江を抜けようとしたその時。
黒き海の向こうに、音もなく船影が現れた。
「くそっ、用意がいい」
縫殿助が歯噛みして言い放つ。
西隣りの小大下島、その暗い島影に潜んでいた三島水軍の関船。
船腹に朱塗りの線のある、三島水軍の将船であった。
その周囲を数十艘の小早が群れ集い、艦隊となって大内軍を囲む。
「佐之助っ」
白井縫殿助が確認をする。
「十兵衛は女子に刺されたと言ったな」
「おう。白拍子を装ってやがったが、羽衣の下は甲冑姿だった」
「ならば、あの関船には帥は乗っておらん」
縫殿助は浜で十兵衛を刺した女子こそが、三島水軍の陣代に違いないと見抜いた。
佐之助でさえ先ほどこの船に戻ってきたばかり。
浜にいた女があの関船へ戻っているとは考えにくい。
そうなると、陣代不在の今こそが突破の好機である。
「このまま正面から突っ切る。全軍構えよ」
縫殿助の軍配が、敵船の真横へ向けられる。
大内警固衆の脱落はあれど、なおも大内水軍は兵数も艘数も三島の三倍以上。
真正面から押し潰せば、突破できぬ数ではない。
「三島の賊ども、皆殺しにしてやる」
宮川佐之助は怒髪天を衝く勢いで、太刀を握り直した。
だが、その直後。
後方で新たな悲鳴が上がっている。
「……?」
後続の富田水軍や大内警固衆の小早の中に、味方のふりをして潜り込んでいた三島の水夫どもが、一斉に牙を剥いていた。
三島水軍は機動力を重んじる。
安宅船や関船のような大型船は焼き払うが、小回りの利く手頃な小舟は奪って己のものとする。
それは彼らが最も得意とする海賊の兵法であった。
一艘を奪う、するとその舟へ三島兵が分乗し、さらに別の舟へ襲いかかる。
誰もが舟を操れる一級の手練れだからこそできる戦い方である。
強奪は瞬く間に連鎖した。
大内の水兵は次々と海に叩き落とされ、味方だったはずの小舟がいつの間にか敵舟へ変わっていく。
それはまるで、碁盤の上で白石の陣が黒石へと置き換わっていくような光景であった。
「どれが味方なんだ……」
「うおっ、敵の舟になっておる!」
怒号と悲鳴が飛び交う。
大内側には敵味方の判別すらつかない。
陣形を敷こうにも、近隣の舟が敵のものに変わっている。
後顧の憂いに怯えながら、ただ前へ突き進むしかなかった。
「この主船だけでも富田湊へ返す」
白井縫殿助は奥歯を噛み締め、やがて低く命じる。
「損害は莫大だが、致し方ない。あの敵船の横を抜ける」
主君・陶五郎隆房へ、この将船だけは返さなければならぬ。
五郎は一度目の大敗を咎めず、二戦目も総大将の重責を任せた。
それに応えられずに再び大敗を招いた自分は、死をもって償うしかない。
だが、「周防の虎」の勇名高い陶五郎であれば必ず、この将船で次の大勝利を取り戻すことができるはず。
その望みへの執念で、縫殿助は無念の退却を選んだ。
櫓が激しく海を掻く。
だが、高波の上では三島水軍の操船が一枚上手であった。
中型船が次々と進路へ割り込み、矢の雨が降り注ぐ。
波濤の闇の中。
大下島沖は、無数の舟が入り乱れる凄惨なる大乱戦へと変わっていった。
(つづく)




