5.はじめての脱走
友馬も数頭できた。
けれど、以前に喧嘩した子馬とは相変わらず折り合いが悪い。
子馬の群れは、ぱっくりと派閥のように分かれてしまっていた。
――人間関係は難しいとはよく言うけれど。
まさか動物になってまで馬関係に悩まされるとは思わなかった。
……まあ、それはもういい。
今日は、ちょいと散歩に行こうと思うのだ。
なぜかって?
答えは明快。
私は――自分の父親に会ってみたい。
一度だけ遠目に見た立派な種牡馬。
でも、どうやらあれは違うらしい。
なにより、お母さんが父のことを話すときとんでもなく幸せそうな顔をするのだ。
そりゃあ、気になる。
母曰く、私の父親はとっても素晴らしい馬だったそうだ。
ひとつ。
大きすぎない、無駄のない美しい馬体。
ふたつ。
明るい栗毛に足元の白い模様と額の菱形。
そして――珍しい、青い瞳。
みっつ。
とにかく走るのが速い。
これ、私たち競走馬にとってはとても大事らしい。
よっつ。
紳士的でとっても優しい。
いつつ。
だから……大好き。
……うん。
馬の感性で語られるから最後のあたりは完全にスペックじゃないし、なんなら盛大な惚気だと思う。
放牧の日々は、草を食べて、寝て、走って、また草を食べるだけ。
正直、暇である。
それなら、父親に会いに行ってみてもいいじゃないか。
散歩――いや、脱走するなら
身体が小さくて、まだこの生まれ故郷の牧場にいられる今しかない。
そうと決めたら、準備である。
夜はしっかり寝ておいたし、朝は草を思う存分、お腹いっぱい詰め込んだ。
エネルギーは十分。
あとは、情報の最終確認だ。
「お母さん、あっちの青い屋根の建物にお父さんがいるんだよね?」
「そうよ。あそこで牡馬たちが暮らしているの。あなたのお父さんも引っ越ししたとは聞いていないからいるはずよ」
「へぇ。そういえば、前に近くまで行ったことあるなぁ」
――言わずもがな、
目の前で見せられた『お母さんのお仕事』の現場である。
……あれは、忘れよう。
「この牧場は、ちょっと珍しいのよ。普通、オスたちは、こんな近くに暮らしていないの」
「そうなの? よくわかんないや」
前脚に力を込めて、ぐぐっと伸びる。
よし。
準備運動、完了。
「お母さん、ちょっと出かけてくるね」
「え? シア、何をする気なの?」
――今だ。
お母さんが、ほんの一瞬だけ気を抜いた隙に、走り出す。
「シア? シア?!
どこに行く気?! 待ちなさい!
あなたは、まだ子供なのよ?!」
お母さんは、とても速い。
子馬の私では正面突破だと絶対に追いつかれる。
でも、私たちは――
柵の近くにいた。
小さくて、柔らかい身体を活かして私は柵の隙間に滑り込む。
――いける!
……あ。
後ろ脚、引っかけた。
えーと。
ここを、こうして……えいっ。
バキッ。
…………。
あれ?
折れちゃった。
……まあ、いっか。
端っこだし。
誰も気づかないでしょ。
「戻ってきなさい! このおてんば娘!」
お母さんの必死な叫びが、背後から聞こえる。
「ごめんなさーい!
人が迎えに来る前には、ちゃんと帰ってくるから~!」
そう叫びながら私は走る速度を上げた。
――この時の私は、
自分がどれほど無茶をしたのか、
まるで分かっていなかった。
◇
柵を抜けた瞬間、世界が広がった。
いつも見ていた放牧地より、ずっと広い。
風の匂いも違う。
草の味も、なんだか少し大人っぽい。
胸が高鳴る。
怖さより、わくわくの方が大きかった。
青い屋根の建物は、思ったより遠い。
けれど、足は自然と前へ前へと進んでいく。
――お父さんは、どんな声で鳴くんだろう。
――私のこと、覚えてるかな。
――そもそも、会ってくれるのかな。
そんなことを考えていたら、急に足元の砂利がガラッと音を立てた。
びくっ。
振り返ると、牧場のスタッフらしき人影がこちらを見ていた。
やばい。
私は本能的に走り出した。
さっきよりも速く、必死に。
胸が苦しい。
でも、止まれない。
――お父さんに会うまでは。
その一心で、私はさらにスピードを上げた。
※ストックがある間は予約投稿で更新していきます。
週に1話から2話の更新頻度の予定です。
書き終わり次第、完結まで毎日更新に移行します。
今月の中旬ごろに毎日投稿へ移行できそうですのでお知らせ致します。




