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馬肉になりたくないんです! ~転生、異世界で強制競走馬生活ですか?!~  作者: ゆうらり薄暮


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閑話 娘の勝利(ステラドルチェ視点)



 私は、走るのが嫌いだ。

 人間に鞭打たれるのが嫌いだ。

 種付けだって、正直あんまり好きじゃない。


 それでも私は、

 かつて“走ること”を仕事にしていた競走馬だった。



 その日、私の馬房の前がやけに騒がしかった。

 足音が多い。

 声が明るい。

 いつもより、人間の匂いが濃い。


 放牧帰りの私は、草を噛みながらぼんやりそれを眺めていた。


 ――なんだか、落ち着かない。


 すると、育て親のおじいが柵の前に立った。

 皺だらけの顔で、いつもよりずっと嬉しそうに笑っている。


「ドルチェ! ステラドルチェ!」


 自分の名前だ。

 私は顔を馬房の外に出して、ゆっくりと耳を動かした。


 人間の言葉は、正確には分からない。

 なんとなく“意味のかたまり”として感じ取っているだけだ。


 でも――今日は、はっきり聞き取れた音があった。


 シア。


 私の娘の名前。


 胸の奥が、きゅっと鳴った。


「お前は素晴らしい繁殖牝馬だよ! なぁ、聞いてくれよ!」


 おじいは、私の顔を嬉しそうに撫でながら続ける。


「……あの小さかった黒いのがな。お前の娘のシアが――」


 そこで一拍。


 私は、無意識に首を上げていた。


「GⅠを勝ったんだぞ!」


 ……え?


 その直後、りんごが差し出された。

 甘い匂い。

 条件反射みたいに、私はそれに齧りついた。


 しゃく。


 ――あ。


 今、なんて言った?



 私の娘が。


 GⅠを。


 勝った?


 しゃく、しゃく、と咀嚼しながら、

 頭の中で音が何度も反芻される。


 シア。

 GⅠ。

 勝った。


 ……おじいは、そう言わなかっただろうか?


 私は、口の中のりんごを飲み込んだ。


 胸の奥が、じわっと熱くなる。

 でも、どうしていいか分からない。


 私は鳴かなかった。

 跳ねもしなかった。

 柵を蹴りもしなかった。


 ただ、その場でじっと立っていた。


 おじいは嬉しそうにおしゃべりする。

 意味はわからないけれど娘を褒めているんだろう。


 私は、もう一口差し出されたりんごを齧った。


 しゃく。


 ――生きてる。


 その感覚だけが、

 はっきり胸に残っていた。


 勝ったとか。

 GⅠだとか。


 正直、よく分からない。


 でも。


 あの小さくて、賢くて、人間に逆らいもせず、ちゃんと仕事を理解していたあの子が。


 壊れずに。


 生きて、


 まだ走っている。


 ――それだけで、十分だった。


 私は、もう一度だけ耳を動かした。


 それを、おじいは「分かってくれた」と勘違いしたらしい。


「よかったなぁ、ドルチェ。お前の娘、立派だぞ」


 私は、りんごを噛んだ。


 いつもと同じ、放牧地の匂い。

 いつもと同じ、夕方の風。


 でも――


 世界のどこかで、私の娘は、まだ走っている。

 それを知っただけで、今日は良い日になった。

 

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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