閑話 母との再会
この香りも牧草の感触も随分と懐かしい。
もう、走らなくなってから、何年も経っている。
私は今、競走馬じゃない。
女帝でもない。
ただの――
一頭の母馬だ。
隣には、よちよち歩きの子馬がいる。
真っ白な毛。
でも、目だけは――青い。
……あぁ。
血、濃いなこれ。
私は、子馬が転びそうになるたびに、鼻先で支えながら歩いた。
放牧地の向こうに、黒い影が見えた。
動かない。
じっと、こっちを見ている。
――あ。
胸の奥が、きゅっと鳴った。
お母さんだ。
あの夜みたいな毛並み。
でも、少しだけ白い毛が混じっている。
私たちは、ゆっくり近づいた。
子馬が、私の脚の後ろに隠れる。
お母さんは、私の前で止まった。
鼻先が、私の額に触れる。
昔と同じ。
「……シア」
低い声。
私は、鼻を鳴らした。
「……ただいま」
お母さんの視線が、私の後ろに移る。
子馬だ。
白い毛。
青い目。
お母さんは、一瞬だけ、目を見開いた。
それから、ゆっくり息を吐く。
「……あなたの子?」
「うん。目だけは私にそっくりでしょ?」
私は、少しだけ誇らしく言った。
「壊れなかったよ」
それだけで、声が詰まった。
お母さんは、何も言わなかった。
ただ、私の首筋を、ゆっくり舐めた。
子馬が、おずおずと前に出る。
お母さんの鼻先に、ちょん、と触れる。
お母さんの耳が、ぴくりと動いた。
それから、小さく鼻を鳴らす。
「……生きてるわね」
私は、笑った。
「うん」
草は、昔より少し短い。
でも、匂いは同じだ。
私は、子馬の背中を、そっと舐めた。
――約束、守ったよ。
そう、心の中で言った。
風が、静かに吹き抜けていった。
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