閑話 女同士の秘密
その知らせは、朝の光と一緒に届いた。
「……妃殿下」
慎重な言葉。
腹心の獣医の声は落ち着いていて、いつもと変わらない。
「アクアファーナの受胎が確認できました」
その一言でアイリスは手にしていた書類を取り落とした。
紙が床に散らばるが誰も気にしない。
「……本当?」
自分の声が、思ったよりも幼く響いた。
「はい。問題なく」
「母体も安定しています」
――あぁ。
よかった。
それだけで、胸の奥に溜まっていたものがすっと溶けた。
世界最強の愛馬。
女帝と呼ばれた青毛の牝馬。
血統。
実績。
価値。
そんなものは、この瞬間どうでもよかった。
ただ――
あの二頭が無事に「次」を残せたこと。
それが何より嬉しかった。
アイリスは、ゆっくりと息を吐く。
「……ありがとう」
それは、獣医に向けた言葉でもありここにいない馬たちに向けた言葉でもあった。
◇
――数ヶ月後。
アイリスは、いつもより控えめな足取りで厩舎へ向かった。
走らせるためじゃない。
調べるためでもない。
ただ、会いたかった。
青毛の牝馬は、日向で草を食んでいた。
以前よりもふっくらと丸みを帯びた体。
それでも凛とした立ち姿は変わらない。
「……ふふ」
思わず、笑みがこぼれた。
アクアファーナがこちらを見て鼻を鳴らした。
――相変わらずね。
アイリスは柵越しに近づき、静かに声をかける。
「アクアファーナ、体調に変わりはない?」
言葉が通じているかどうかは、問題じゃない。
白い馬――シトリンは、少し離れた場所で1人と一頭を見守っている。
騒がない。
近づきすぎない。
ただ、そこにいる。
その在り方にアイリスは満足そうに目を細めた。
「……綺麗ね」
血統表の話でもない。
生き物として。
馬として。
この選択は、正しかった。
アイリスは、そっと手を柵に置いた。
――夢は、ちゃんと続いている。
過去のためでも名声のためでもない。
『ねぇ、アクアファーナ。聞いて欲しいんだ』
しばらく使っていなかった母国語で彼女に話しかける。
利口な彼女は近づいてそろりと私に顔を寄せた。
『女同士の秘密だ。ジュラにもシトリンにも言ってないからね。
――――私もお母さんになるんだ』
――――――ここに命が宿ったんだ
そっとお腹に手を置く。
アクアファーナが祝福するように小さく鼻を鳴らした。
◇
あの「芦毛の怪物」が遺した物語は、もう誰かの執念だけのものじゃない。
それは、生きて繋がって続いていく――
未来そのものだった。
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