30.こんにちは旦那様 どうもあなたの嫁です?
新しい厩舎は、やたら広かった。
藁がふかふか。
水桶がでかい。
空気が――静かすぎる。
……落ち着かない。
私は、首を少し伸ばして隣の馬房を見た。
いた。
白い。
とにかく、白い。
白毛は芦毛と違って肌がピンクだから本当に眩しいくらい白い。
毛並みは相変わらず雪みたいで立っているだけで完成している。
――あ。
これが。
噂の。
例の。
世界最強。
……私の、旦那様?
正直、まだ実感はない。
というか。
「…………」
向こうも、こっちを見ている。
無言。
圧がすごい。
私は、とりあえず一歩前に出た。
礼儀、大事。
たぶん。
初めまして……ではないから。
「……こんにちは」
間。
白いのは、瞬き一つせずこちらを見ている。
……あれ?
もしかして。
聞こえてない?
「えーと」
私は、少し声を張った。
「こ・ん・に・ち・は!」
……沈黙。
その代わり。
「……ᚺᚨᛁᛋᛖᚾᛁᛋᛏᛟᛗᛖᛁᚱᚨ?……」
なんか。
音が。
違う。
え?
今のなに?
私は、耳をぴんと立てた。
「……すみません?」
「……ᛟᚺᚨᛚᚨᛁᚾᚨᛁᛏᛖᛋᛏᚨ……ᚲᛟᚾᚾᛁᚲᚺᚨ……」
……あ。
これ。
訛ってる。
めちゃくちゃ訛ってる。
しかも方向性が分からない。
外国馬だとは聞いてたけど、
これは想定外。
私は、一瞬天井を仰いだ。
――なるほど。
言葉が通じなかった理由、ここか。
よし。
気を取り直して。
「どうも」
一拍。
「あなたの」
二拍。
「嫁」
三拍。
「らしいです」
白いのがほんの少しだけ首を傾げた。
……今の反応は。
たぶん。
分かってない。
私は、鼻で息を吐いた。
「……うん、分かってた」
だよね。
そう簡単に通じるわけないよね。
私は、柵に鼻先を近づける。
距離は、まだある。
「えーと」
自分でも呆れるくらい丁寧に言った。
「私は、アクアファーナ」
自分を示して。
「あなたは、シトリン」
白いのを示す。
……沈黙。
でも。
白いのの耳が、ほんの少し動いた。
お?
今のは?
「……アクア……ファーナ? ᚾᚨᛗᛖ ᚲᚨᚾᚨ……」
あ。
名前。
分かるんだ。
私は、ちょっと嬉しくなった。
「よしよし」
誰に言ってるんだ私は。
「じゃあさ」
私は、ちょっとだけ肩の力を抜く。
「これから一緒に暮らすわけで」
白いのがじっとこちらを見る。
「たぶん長いし逃げ場ないし」
一拍。
「……頑張って、こっちの馬語覚えてくれない?」
白いのがまた首を傾げた。
深く。
本気で。
……うん。
だめそう。
私は、ため息をついた。
「大丈夫」
自分に言い聞かせる。
「私は、育成牧場で喧嘩友達と意思疎通ゼロでも生きてきた牝」
白いのが、鼻を鳴らした。
「ᚨᛟᛁ ᛗᛖ……ᛒᛁᛃᛁᚾ ᚲᛁᛗᛁ」
低く。
穏やかに。
……笑った?
いや、気のせいか。
私はほんの少し口元を緩めた。
「まぁいいや。こんにちは、旦那様。どうも、あなたの嫁です。会話は――そのうちね」
白い馬は、相変わらず真っ白な顔で立っている。
でも。
さっきより、空気が少しだけ柔らかい。
鼻を近づけて挨拶をする。
言葉が通じないなら身体的コミュニケーションしかないよね!
グルーミングでもしてみたいけど馬房の柵邪魔だな!
安全のためだろうけどあっちも蹴ったりしないだろうからいっそ一緒の場所に入れろよ!
◇
前途多難だけど。
きっと困ってるの、私だけじゃなかった。
……よし。
私はいくつもの難題をこなしてきた牝よ!
やってやるんだから! 目指せ幸せな花嫁大作戦!!!
翻訳(王国馬語→帝国馬語)
ᚺᚨᛁᛋᛖᚾᛁᛋᛏᛟᛗᛖᛁᚱᚨ?
はじめまして?(レースにいたこと覚えてないので初めまして)
ᛟᚺᚨᛚᚨᛁᚾᚨᛁᛏᛖᛋᛏᚨ……ᚲᛟᚾᚾᛁᚲᚺᚨ……
おは…いや、違うな……こんにちは……
ᚾᚨᛗᛖ ᚲᚨᚾᚨ……?
名前……かな?
ᚨᛟᛁ ᛗᛖ……ᛒᛁᛃᛁᚾ ᚲᛁᛗᛁ
青い目……美人だね、君
※明日の夜、完結予定です。




