25.引退
追いつけない。
追いつけない。
いくら脚を出してもどれだけ地面を蹴っても。
あの白い背中は、遠い。
――おかしい。
まだ走れる。
息はある。
脚もある。
それなのに。
追いつけない。
芝が近すぎる。
視界の端で柵が流れる。
歓声がただの音になる。
――違う。
こんなはずじゃない。
私は、壊れないように走ってきた。
無理をしない。
限界の手前で止める。
それが私の走りだった。
なのに。
今は。
――行け。
自分の中で何かがはっきりと音を立てた。
風が重い。
呼吸が浅い。
それでも。
脚を出す。
出せる。
出せてしまう。
身体の奥でミシと音がした。
一瞬、感覚がずれた。
――気のせい。
そう思った。
思わないと前に進めなかった。
チモシーの体重がほんの少し、後ろに残る。
手綱が引かれた……気がした。
「――」
声が聞こえた気もする。
でも。
今は、前だ。
あの白い馬。
淡々と。
静かに。
無駄なく。
――まだ、余裕がある。
それが分かってしまった。
だから。
私は、さらに脚を出した。
地面を噛むみたいに蹴る。
肺が焼ける。
視界が少し白む。
ミシ。
今度は、逃げられなかった。
はっきりと脚のどこかで。
それでも。
倒れない。
止まらない。
止まれない。
――ここで止まったら。
ここであの背中を見送ったら。
私は、一生追いつけない。
そんな気がした。
だから。
私は、最後まで走った。
追いつけなかった。
最後の最後まで距離は、縮まらなかった。
ゴール板。
白い影が先に越える。
私はそのすぐ後ろを――
踏み切った。
脚が一瞬、言うことをきかなかった。
でも、倒れなかった。
止まる。
世界が急に静かになる。
息が荒い。
脚が重い。
――あぁ。
ここまでだ。
そう思った。
理由は、分からない。
でも。
さっきまであった「まだ行ける」という感覚が。
きれいに消えていた。
白い馬はもう……前にいない。
歓声が戻ってくる。
名前を呼ぶ声。
私じゃない名前。
チモシーが何か言っている。
声は、近いのに。
意味が遠い。
私は、ゆっくりと首を下げた。
――負けた。
それだけじゃない。
何かを置いてきてしまった。
そんな気がして。
でも。
今は、まだ考えない。
考えたらきっと、歩けなくなる。
だから私は、ただ――
前を向いて立っていた。
※完結まで毎日投稿です。




